とりかへばや物語

(巻二)

11 四の君の出産
12 物忌みの夜
13 ある夏の日
14 中納言の参内
15 中納言の懐妊

11 四の君の出産

 四の君が妊娠したというのに見向きもせず吉野山の峰に通う中納言の姿を見て、右大臣さまの心配は尽きることはございませんでしたが、そうこうしているうちに月日は過ぎ去り、四の君の出産が間近となってまいりました。右大臣さまは娘の出産を案じて、絶え間なく読経や修法を行わせ、左大臣さまも、できるはずの無い子供が授かったことを不審に思いながらも、世間から疑いを持たれないようにと吉日を選んで安産祈願の祈祷を始められました。

 毎日、祈祷の声が邸内に満ちる程まで行った効験でございましょうか、ふだんから気分がすぐれず苦しんでいた四の君でしたが思いのほか安産でございました。
 右大臣さまの望みどおり、末は后になるのではと思われる程の美しい女の子でございましたので右大臣さまは大喜びし、産屋の儀、湯殿(ゆどの)の儀と、その支度も度が過ぎる程でございました。

 右大臣さまの奥方らが甲斐甲斐しくあやしている赤子の顔は、中納言には、間違いなく宰の中将に似た顔立ちに見え、
「やはりそうだったのか。宰の中将は、美しい四の君を娶りながら睦みあうことも無い私の事をさぞかし奇妙で愚かな男だと思っているに違いない……」
と胸が痛くなる思いでございました。
 白一色に調えられた産室の中で、白衣に綿を頭に被って窮屈そうに伏している四の君のところに近寄り、
「少し聞きたい事がある」
と声を掛けますと、四の君は普段でも顔を合わせにくいのに、何を言われることかと目線を合わせる事が出来ず顔を伏せておりました。

 この世には人のかたみの面影を我が身に添へてあはれとや見ん
(この世にある限りは、他人の面影を宿した子を、我が子として見続けなければいけないのでしょうか)

 と中納言がささやかれますと、四の君は恥ずかしさに返す言葉も無く、黙ったまま夜具に顔を隠してしまったのも無理はないことでございました。
 中納言は、四の君を責めるつもりなどございませんでしたが、言わなくても良いことまで口に出してしまう自分につくづく嫌気がさし、自然と涙が滲んでくるのでございました。
 こんな慶びの時に涙を流すなど縁起が悪いと思われるのは煩わしいと、中納言は、四の君の傍を離れました。残された四の君は、他人にこの苦しみを打ち明けられるはずもなく、心中は苦しくて死んでしまいたい程でございました。

 こうした様子を見て、右大臣さまの北の方が産湯の役、左大臣さまの北の方が迎え湯の役をして喜び騒いでいるのに中納言の態度は無関心すぎると思う人もおりましたが、「中納言は、人柄が物静かなので自分を抑えているのだろう」と多くの人は気にかけることもございませんでした。

 大将(三の君の夫)が役となって七日目の夜の産養(うぶやしない)の祝いが行われた日のことでございました。
上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)がこぞって参集したのに、宰の中将だけは病気の為と参上しませんでした。
 宰の中将は、四の君の出産をどうなるかと人知れず案じて無事を祈っておりましたが、他人事として遠くから見ているしかないもどかしさに、とうとう左衛門の部屋までやってきて、
「これほどの契りを分からないはずはあるまい。今宵、少しの間だけでも」
と四の君に会わせるよう左衛門を責めました。
左衛門は、
「とても無理な事でございます」
と断わりはしたものの、あまりに気の毒なので四の君の部屋の様子を伺ってみますと、年配の女房は台所であれこれ指図をしており、四の君の母君は自分の部屋で禄を確かめているようで、女房達は皆、席を外しておりました。
部屋では、四の君が湯浴みをした後、ひとりで横になっておられます。
 これはまたとない好都合だと、左衛門は明かりをあれこれ工夫して宰の中将を招き入れますと、四の君は「折が悪い時に……」と思いながらも、強引に結ばれてしまった契りが心に染みてか拒む事が出来ませんでした。

 小柄でほっそりとした四の君がゆらめく灯火に照らされ、隈なき白の肌で白い着物に包まれ、頭に菊の着せ綿のように綿を乗せ、豊かで長い髪を引き結んで垂らしている様子を見ながら、宰の中将は改めて「本当に美しい方だ」と心惹かれる思いがしました。
 あらゆる女性を様々に口説いて我が物とするほどの宰の中将から、自分になびいて欲しいと言葉を尽くして口説かれると、四の君も拒む術を知りませんでした。
宰の中将も、ただ心弱く泣く四の君の姿に、なかなか立ち去ることができません。

 外からは中納言が拍子を取って「伊勢の歌」を歌う声が興深く聞こえておりました。
「これほどの女を思いのまま妻としながら、ひどく生真面目で奇妙なくらいに身を慎み、いつも深刻に悩んでいるのはどうしてなのだろうか。中納言は、いったいどれほど重大な事を思い悩んでいるのだろうか」
と宰の中将は不思議に思うのでございました。

 まだ宴が続いておりましたが、中納言は衣服を禄として脱ぎ与えてしまいひどく寒くなったので、着替えようと四の君の部屋に入ると、帳台の中で慌てふためく気配がしました。妙に思って覗いてみると、男は帳台から外に逃れ出た後でしたがひどく慌てていたらしく、扇や畳紙(たとうがみ)などを落としたままでございました。四の君も、あまりのことに狼狽したのか隠す事すら忘れておりました。中納言はそっと近寄り、枕元に落ちていた扇を取り上げて灯火の下に近づけて見ると、竹に雪が降っている絵が描かれた赤い紙が塗骨(ぬりぼね)に張ってあり、裏には気の聞いた言葉などが手習い風に書き散らしてあります。そして、その筆跡はまさに宰の中将のものでございました。
「やはりそうだったのか。こうして忍び入るつもりで祝宴には来なかったのか」
と中納言は納得しました。男ならば激しい嫉妬を感じるべきところなのでしょうが、中納言にはそういう感情は沸くはずもありませんでした。

 中納言は素知らぬ振りで、その場を立ち去りました。
「男というものはこういうものなのだろうか。こんな時にも偲んで来るくらいだから、並々ならぬ愛情なのだろうが、手引きした女房も知らなかった訳ではあるまいし、予め連絡してあったはずだ。四の君は産後で深く考える事が出来ないとはいえ、あまりにはしたないことだ。
 宰の中将は恥じ入るほど奥ゆかしい人に憧れているようだから、きっと四の君に幻滅しているに違いない。
 私のいないもっとゆっくりとした折々もあるのに、こんなに騒がしく取り込んでいる時に気を許して逢っていては見咎める人もあろう。人目についてしまっては私にとっても四の君や宰の中将にとっても都合が悪い。
 それにしても一体どうしたものか。このようなことがあるからといって、夫婦の縁を切るというのも世間体が悪いが、だからといって今のように二人が人目もはばからず密会しているのに、そ知らぬ振りを続けるのも心苦しいことだ……」
 その夜は、管弦の遊びや宴が続きましたが、中納言の心は思い乱れて楽しむことはできませんでした。

12 物忌みの夜

 出産の祝事が一段落した後も、宰の中将は人目を憚りながらなかなか逢うことのできない恋の辛さを嘆きながらも、四の君と心を通わせ、機会を逃さず逢瀬を重ねておりましたが、好色癖は相変わらずで、これ一つの恋だけではとても満足出来る男ではございませんでした。
 何といっても宣耀殿(せんようでん)の尚侍に限りなく心を惹かれており、四の君になかなか逢えない辛さも慰められるのではないかと、尚侍付きの宰相の君という女房を口説き始めたのでございます。
宰相の君は尚侍の素性を知っておりましたが、宰の中将に言い寄られると堪えきれずに、手引きを承知してしまったのでございます。そして遂に、尚侍が物忌みで梨壺に参上なさることのない夜に、宣耀殿に忍んだのでございました。

 忍んできた宰の中将を見た尚侍は突然のことに驚いてものも言えませんでしたが、思慮深く、慎ましく身動ぎ一つしません。宰の中将は心の限りを尽くして思いを訴えるのですが、尚侍は一見、弱々しげで、優美で儚げなに見えるものの、宰の中将の言葉に一向になびく様子はございません。
 宰の中将が心をこめて口説いたり、恨み言を訴えているうちについに夜が明けてしまい、外に出る事が出来なくなってしまったのでございます。
 おかしな事になってしまい困ったと思うものの互いにどうしようもありません。尚侍は、事情を知る二人の女房だけを残して、物忌みにかこつけて帳台の帷子と母屋の御簾を全部下ろさせ、下の局にいる女房たちが入って来ないようにしました。

 宰の中将はこれを機会に、かねてから噂の尚侍の器量を是非とも確かめてみたいと思う一心で、万事を忘れて夢中でございました。
 閉めきった薄明かりの部屋のうちで見る尚侍は、背は小さく、多少ふくよかさに欠けるものの、糸によりかけたようにゆったりと豊かな御髪で、顔は中納言を少しすっきりとさせたような上品さで、いっそう優美でございました。
 上品で美しく、繊細で親しみ易く愛らしい四の君とはまた違った美しさで、目も眩むばかりの輝かしさは比類ないものでございましたので、宰の中将は心の限りを尽くして思いを訴えましたが、たおやかで弱々しげなけはいでありながら、まったく思い通りになびく様子はございません。そのうちに日が暮れてしまい、更にその夜も明けてしまいそうになるので、とうとう尚侍が口を開きました。
「物忌みが終わると父君も中納言もこちらに来られるでしょうから、このままここに居られてもお困りになられましょう。もし本当に深い愛情がおありでしたらここを立ち去ってくださいませ。あの志賀の浦を吹く風によせて後ほど文を下さいましたら、どれほど嬉しい事でございましょう」
 言いようもなく愛らしい調子の声は中納言そっくりでございました。その声音に宰の中将はますます心を奪われてしまい、いよいよ出て行く気になれません。

 後にとて何を頼みに契りてか かくては出でむ山の端の月
(後にといわれても何を証拠に約束出来ましょうか。このままでは山の端の月のように出ていくことが出来ません)

 宰の中将が言い終わらぬうちに、

 志賀の浦と頼む事に慰みて 後もあふみと思はましやは
(今後いつでも逢える身だとは思っておりません。あの志賀の浦を吹く風によせて文をいただけると約束した事に心を慰められております。)

「これからのことも、よく考えてくださいませ」
と、尚侍が愛らしげに言うので、これ以上は無理押しする訳にもいかず、宰の中将は魂を尚侍のもとに残して抜け殻のように帰って行ったのでございました。

13 ある夏の日

 しかしその後、尚侍からの返事の手紙は全くありませんでした。宰の中将は欺かれて部屋から追い出されてしまった事が妬ましく、悔しい思いでおりましたが、時がたつにつれて、かえってこのことで、すっかり尚侍に心を奪われてしまい、次の機会をねらって自然と内裏に足が向く毎日でございました。

 ある日、宰の中将は、ちょうど参内した中納言と顔を合わせました。
 改めて中納言の顔を見ると、尚侍と露ほども違わぬ顔つきですが、尚侍が優雅で奥ゆかしい風情が勝っているのに対して、中納言は華やかな当世風で零れるばかりの愛嬌が勝っております。中納言の顔を見ていると、宰の中将は胸が潰れる思いで自然にほろほろと涙が零れてきました。

 突然の涙に、中納言はどうした事かと宰の中将を見ると、
「幼少から分け隔てせず慣れ親しんできた貴方だから言うのですが、気分がこのところ優れず苦しくなる一方で、このまままではとても生きながらえられそうにない。そう思うだけで一層、気持ちが乱れ、心弱く女々しい気持ちになってしまうのです」
 そう言って涙を拭っております。
 中納言は、まさか四の君との事を告白しようとしているのではなかろうかと思いながらも
「誰しも千歳の松ほどの寿命はありませんが、どちらかが遅れて先立つ運命は悲しいものですね」
と、表面上は親しみをこめて答えてみたものの心中では、
「どんなに自分を愚かな人間だと思っているのだろうか」
と恥ずかしく思っておりました。

 宰の中将はこのように思い悩む一方、愛し合っている四の君とも互いに心を通い合わせていましたが、人目を憚らず密会を続けて他人に知られてしまっては恥ずかしいと、気を配って身を謹むようになったので、実際に逢う事は夢で見る以上にむずかしくなってしまいました。
 また尚侍とも、欺かれて部屋を追い出されてしまった後は、全く関係を持つすべもないほどにつれないので、枕元や足元から恋心が湧き上がっているような耐え難い気分で過ごしておりました。

 宰の中将は、四の君と尚侍のことを思って嘆き暮らしていましたが、ある時ふと、それぞれにゆかりのある中納言にたまらなく会いたくなり、右大臣邸に出向いてみると、
「中納言様はお出かけになっております」
という口上でした。
 宰の中将は奥の方を覗き見て、そのまま中に入って行きたい気がしましたが、それはさすがにできないので、仕方なくため息をついて、
「どちらにお出掛けでしょうか」
と尋ねると、左大臣邸との返事でございましたので、さっそく左大臣邸に向かいました。
 屋敷はひっそりとしておりましたので、挨拶もせずに、いつものように中納言の部屋がある西の対に行ってみると、とても暑い日の事だったので、中納言は装束のひもも解いてくつろいでいるところでございました。
 中納言が、宰の中将に気付いて、
「これはどうも失礼なかっこうをしてすみません。」
と、慌てて奥に逃げ込もうとするのを、宰の中将は、中納言が止めるのも聞き入れず、
「いやいや、そのままで構いません」
と、気安く続いて入ってきてしまいましたので、
「本当に見苦い格好で、申し訳ありません」
と、中納言は諦めてその場に腰を下ろしました。

「気分が優れないまま、何日もお会いできなかったから心細くて、ひどく恋しい気分でわざわざ訪ねてきましたのに、お隠れになるなんて」
 宰の中将が恨み言を言うので、
「仕方ないでしょう。こんな失礼な格好をしているのですから」
と答えると、
「それじゃあ、暑いので、私も同じように脱ぎますよ」
そう言って装束の紐を解くので、中納言はしかたなく諦めて、
「それがいいでしょう」
と、そのまま涼しい場所に畳の御座をしつらえ、そこに横になったまま人に団扇で扇がせて雑談などをしました。

 白い生絹(すずし)の単衣に紅の生絹の袴という姿でくつろいでいる中納言の顔立ちは、暑さで赤らんで、いつもよりも華やかで美しく、また手付きや体付き、袴の腰を紐でぎゅっと結んでいっそう強調された腰付き、まるで雪のように白く美しい肌は、比類なく見事で素晴らしいので、宰の中将はため息をつき。
「ああ、何とも素晴らしい。もしこのような女がいたら、どれほど夢中になって、心を尽くすだろうか」
 そう思うと宰の中将は次第に悩ましくなり、惑乱して中納言に寄り臥した。
「暑いからやめて下さい」
 中納言は拒んだのですが、宰の中将はまったく聞き入れる様子もありません。
「尚侍に口上を伝えるつてもなく、この数年来の思いが報われずに終わってしまったなら、自分はこの世から跡形もなく消え去ってしまうでしょう」
 そんな事を語り続けているうちに日が暮れて、涼風に秋の気配が感じられる時分になっても、宰の中将は横になったままで起きようとしません。

「たぶん四の君にもこう言ったのだろう。このような調子で訴えられたらどんな女でもなびかずにはいられそうもないにちがいない。それにしても、相手を二人といない人のように恋い慕い、忍び逢って自分の思うようになびかせるだけでは満足せず、『逢ひても逢はぬ恋(逢っても契らぬ恋))』と嘆き続け、一人では飽きたらずに、またこうして尚侍の事まで口にするとは、何と忙しいことであろうか」
宰の中将にあれこれ体をまさぐられ、中納言は様々に思い巡らしているうちに胸が苦しくなってきました。

 ひとつにもあらじなさても比ぶるに 逢ひての恋と逢はぬ嘆きと
(貴方の恋は一人だけを思い焦がれる恋ではないでしょう。逢えた恋と逢えない恋の嘆きといったいどちらで悩んでいるのですか)

 微笑を浮かべて紛らわそうとする中納言の顔は、取り澄ました顔を遠くから見る美しさなどとは物の数ではないほどでした。傍らに寄り添い、親しくくつろいでいる様を見ていると、宰の中将は、逢瀬をくりかえした四の君への愛も、わがものとすることはできなかった尚侍への愛も、全てが慰められた気がしました。
自分と四の君との関係を知っているのではないかという懸念もすっかり忘れ、宰の中将はますます強く中納言を抱き寄せ、

 比ぶるにいづれも皆ぞ忘れぬる 君にみなるるほどの心は
(他の女との恋と比べているうちに、あなたと親しくなった私の心中から、他の恋は全て消えてしまいました)

 宰の中将が言い終わらないうちに、中納言は煩わしくなって、
「それは頼もしい事ですね。二人のどちらとも離れぬ形見と、私の事を思ってくれるとは」
 と、起き上がろうとしましたが、宰の中将は中納言をかき抱いて離れようとしません。
「馬鹿なことはおやめ下さい。父上から話があるという事でこちらに来ましたが、とても暑いので休んでいたところなのです。早く行かないと変に思われるでしょう。これから行ってきますので」
といって起きようとしましたが、宰の中将は、どうしても分かれる気が起きず、
「ああ、愛しい人よ」
と、中納言を捕まえ、無体に乱れかかってきました。
「何をするのですか、気でも狂われましたか」
 中納言が蔑むような口調で言っても聞き入れようとはしません。外見こそ男のようにりりしく見えますが、こうして手篭めにされてしまってはどうしようもありませんでした。中納言にしてみれば、異形で暮らさなければならない悲しいわが身や、いろいろな人の思わくが、一つに重なりあって湧きおこる気持で心弱くなり、恥ずかしさから涙が零れてきました。
 涙までこばす様子に、宰の中将は
「それにしても奇妙で、あきれたことだ」
とは思いましたが、なかなか逢えない四の君や手の届かない尚侍への思いが一緒になり、必死にあらがう中納言を抱きすくめました。
 もみ合ううちに、程なく中納言が女だと知った宰の中将は驚きましたが、
「馬鹿な願いとおもいながらもそうであれば良いのに願ってきたのに、まさか本当になるとは夢のようだ」
と、そのままわがものとしてしまったのでございました。

 宰の中将は、女という女はすっかり知り尽くしたと思っていましたが、
「これほど心に染みて、すばらしいことはなかった」
と心惑いするばかりで理性も失せ、
「女が男装までして世間に顔を出しているとはあきれた事だ」
などとは全く思い至る様子もありませんでした。

 一方の中納言は、
「私の事をどう思ったのでしょう。とうとう我が身の秘密を知られてしまった……」
と涙が止まりませんでした。
 しかし宰の中将には、その様子も例えようがないほどに愛らしく美しく見えたのでございました。
 宰の中将の方も、
「今はもう片時も離れては生きていられそうもない。」
と泣き嘆くのでございました。

 夜が明けても、二人とも起きる気配もありません。
 中納言にとっては、女である事を知られてしまった今となっては、男っぽいふるまいをすることも恥ずかしく、いくら咎め立てして事を荒立てたところで、浅ましいうわさ話として
「あいつは本当は女なのだ」
と言いふらされる事になってしまっては困ったことになってしまいますし、
「吉野山の宮が言っていたように、これも現世の事ではなく前世からの因縁なのだろう」
と考えると、いよいよ宰の中将をむげに遠ざけることもできなくて、
「ご覧の通り私は女ですが、外見はこのように普通ではありませんが、どうかこんな私に同情して、これまでどおり他の方にも怪しまれないように振る舞ってくだされば、どれほどありがたい事でしょう。男の姿でいるならば、いつでもこのようにさりげなくお逢いする事は難しくはありません。今日はこれでお引き取りください」
と情愛を込めて語り、宰の中将を部屋から帰そうとしました。
 宰の中将も確かにそうだと思いはするものの、片時も離れたくなくて起き別れるのが切なくてたまりません。
 繰り返し逢瀬を約束して、宰の中将はようやく部屋を出て行かれました。

 宰の中将が立ち去った後も、中納言は夢の中の出来事のような気がしてなりませんでした。
「これからどうしたらよいだろうか。宰の中将とこのまま関係を続けながら男の姿で生きていくなどというのは恥ずかしくて耐えられない」
と、いっそこの世から姿を隠してしまいたい気持ちでいっぱいでしたが、
「父君や母君は、しばらくでも私を見ないときっと心配するだろう……」
と思うと、この世に引き止められるような気もするのでございました。

 左大臣さまはいつものように笑みを浮かべて、限りない愛情を込めて中納言を見られました。
「昨夜はこちらにおられたのか」
「宰の中将が手紙の事で聞きたい事があるといって、わざわざ訪ねて来ましたので」
と一言、答えるのにも、中納言は胸が高鳴ってしまいます。
「右大臣がひどく嘆いているらしい。あまり人に恨まれないようにうまく振る舞いなさい」
「右大臣さまのお恨みを受けるような事はしておりません」
などと話をしながら、父君の御前で食事などを済ませて出ようとしたところに、宰の中将から手紙が来ました。

 いかにせんただ今の間の恋しさに 死ぬばかりにも惑はるるかな
(どうしたらよいでしょうか。こうしている今も恋しさに、死ぬほど心乱れています)
「日が暮れぬうちに。ぜひあなたに……」

と書かれていました。返事をしないのも男を装う身としては不自然なので、いつものように真面目に、

 人ごとに死ぬる死ぬると聞きつつも 長きは君が命とぞ見る
(誰に対しても死ぬ死ぬと言っていると聞いていますが、そう言う貴方はきっと長生きすることでしょう)

 ことさら突き放したようにそっけなく書かれた手紙でしたが、受け取った宰の中将には、筆遣いや筆跡が、今朝は一段と目が眩むばかりに見えるのでした。

「だが、今日の夕暮れの逢瀬をどうするとも書いていないのは、嫌だという事なのだろうか」
 宰の中将はたまらなく不安なって、すぐさま折り返し手紙を出しました。

 死ぬと言ひいくら言ひても今更に まだかばかりのものは思はず
(死ぬといくら言っても、今までにこれほどの物思いはした事がありません)

 中納言が右大臣邸に着いた頃、この手紙を持って使いが来ました。煩わしく思いましたが、宰の中将の機嫌を損ねないようにと、

 まして思へ世に類なき身の憂さに 嘆き乱るるほどの心を
(貴方以上に苦しい私の胸のうちをお察し下さい。世に例ない生き方をしている我が身の辛さに嘆き乱れている私の心を)

 この返事を受け取った宰の中将は、同情して涙を流すのでした。

 宰の中将が右大臣邸を訪ねてみると、中納言は、
「会わないのも不審に思われるだろうが、出て行って逢えばなおさら今宵の逢瀬は逃れられない」
と思われ、煩わしいので、
「昼から気分が悪いのでお逢いする事もできません。いずれ改めてこちらから参上しますので」
と、宰の中将に口上を伝えさせました。
 宰の中将は、恨めしく悲しかったので人目もはばからず、
「話したい事がありますので、せめてこの部屋の入り口まで来て下さい」
とおっしゃるが、
「もし気分が悪くなければ、貴方が来てくださったのに直接逢ってお話しないことがありましょうか。胸がとても苦しいのです」
そう伝えて姿を現しません。
 宰の中将は、
「私の愛情を分かってくれている四の君も一緒にいるのだ」
と思うと、右大臣邸こそ縁の深い場所だと離れ難い思いがするのですが、このままでは人目が気になるので悲しく切ない思いで帰るしかありませんでした。

 中納言は、人前に出て宰の中将と顔を合わせる事が恥ずかしいので、気分が悪いと言い訳して外にも出ませんでした。宰の中将は毎日のように、「具合はどうですか」と訪ねて来ましたが、会うこともできず、いつも何ともやるせない気持ちでむなしく帰るのでございました。

14 中納言の参内

 ある日、宰の中将は、中納言がやっと参内すると聞いたので、長い間恋焦がれながら逢う事が出来なかった人にやっと巡り逢えた気分で参内いたしました。
 宰の中将と目を合わせた中納言は、思わず赤面しましたが、すぐに心を落ち着けてそ知らぬふりをし、端然とした態度に戻りましたので、宰の中将は、馴れ馴れしく傍に近寄る事も出来ず、せっかく逢えても侘しく落ち着かない気持ちでいたのでございました。

 中納言が参上すると帝はいつものようにおそば近くにお召しになり、中納言をじっと御覧になりながら尚侍の話をなさいました。
 帝は、中納言のお顔を御覧になりながら、
「中納言と尚侍はよく似ているということだから、もし中納言が髪を長くして化粧をし、額髪も長く垂れていたら、天から舞い降りてきた天女でも、この魅力的で華やかな様には負けてしまうことだろう」
などと想像すると、いっそう目を離す事が出来ず、夢のような幸せな気持ちにおなりでございました。
 中納言の方は、男に気を許すのは宰の中将の一件で懲りていたので真面目に畏まり、尚侍は世間の人のように結婚などは考えていない様子であると申し上げましたが、帝は少しでも長い間、中納言をご覧になっていたいお気持ちがおさまらず、報告が終わってもなかなか退出させようとなさいません。

 控えの間で待っている宰の中将は、帝が中納言と会うときは、いつもこのように傍から離さず親しく語らうのは知っておりましたが、
「もし帝が中納言の秘密に気付かれでもしたら、これまで世間を欺いて男の姿で過ごしてきたとしても、すべてを許して一途に愛されるようになってしまわれるのではないか」
と、いつもなら気に留めなかったことが、今は心配で胸が潰れるほど気がかりで落ち着かない様子でございました。

 ようやく帝の御前から退出してきた中納言を待ち受けていた宰の中将は、さっそく中納言をいつも休息所にしている部屋にひき連れて行きましたが、中納言は、人の目もあって無理に拒む事もできず、一緒に宿直をするようなかっこうで内裏に留まることになってしまいました。

 この二人が内裏にいる時は、殿上人たちも宿直所に集まってきて、宵のうちはなにかと騒がしいのですが、二人は込み入った話をしているように装って、誰の相手もしないでいると、そのうちに人々もいなくなってしまいました。
 すると宰の中将は、声を潜めて恨み言を言い始めましたので、中納言はそれを遮って、
「そのようなことをなされては、傍目にもさぞかし奇妙に見えますでしょう。貴方が本当に私の事を愛してくださっているのでしたら、こんな目立つ振る舞いはお避け下さいませ。人目が厳しく逢瀬がないのならそのようになさるのも仕方ありませんが、明け暮れこうしてお目に掛かることができるのですから……。わたしの苦しい立場を、分かっていただけていないのかと思うと、つらくてなりません」
と、逆に恨み言を言いました。
「そのようにおっしゃられることが辛いのです。逢瀬が難しくないのは承知しております。いつでもこうして目に掛かれても、私を遠ざけて他人行儀にしている貴女を見ると辛くてならないのです」
 情けなさそうにそう言う宰の中将は、中納言から見ても気の毒ではありましたが、かといってこのようにつきまとわれるのも気遣いなことでございました。
「秘密を知られてしまいかねませんので、人目につかないようにお願いします」
といくら頼まれても、宰の中将には、とても耐えがたく不可能なことに思われるのでございました。

 その様子を見て中納言は、四の君との密通をそれとなくほのめかしました。
「四の君とのことは全てわかっていますが、私がこのような身ですから、姫君のことは誰も咎める事は出来ないと知らぬふりをしてきました。しかるべき折々には、気の毒な姫君を慰めてあげて下さい」
 それを聞いた宰の中将は血の気がひく思いでしたが、その言葉に嫉妬心が混じっていないとわかると、隠し事をしているとは思われたくないと、四の君との関係を初めから詳しく話し、四の君との関係では心が慰められないのだと口説き始めました。
「あれほど愛していた人の事をこのように言うとは……。これが月草のように移ろいやすい男の心というものなのでしょうか。私を愛しているうちは、他人に口外することはないでしょうが、他の人に愛情が移ったら、きっと珍しい女がいたと面白く話すに違いありません。よりによってこんな男と契りを結んでしまうとは」
 中納言は、宰の中将の話を聞きながら苦々しく思っていたのでございました。

 このように宰の中将は内裏でもどこでも、影のように中納言に付き添い行動を伴にしていました。
 中納言は、大抵は親しげに語らいながらも、逢瀬は拒んでいました。どうしても拒みきれない時は、「逃れる事の出来ないのも因縁」と諦めて宰の中将に従うのですが、しかし、いったん別れた後は、逢おうと思えば好きなときに逢えるはずなのに、あえて機会を作ろうとはせずにできるだけ避けるようにしていました。
 しかし、宰の中将の不満が募っていくのもよく分かりましたので、
「あなたのことを思い悩んでいるあの人に逢ってあげて下さい」
 中納言はそう言って四の君との逢瀬を勧め、自分はそ知らぬ顔で適当な機会を作って逢わせたりしていました。
 中納言が認めた上での逢瀬など普通のことではありませんが、宰の中将は、それが中納言の愛情の形のように思えました。宰の中将の心は中納言に傾いているので、中納言との逢瀬が持てないからといって他の女を求める気にならないのですが、中納言の勧めもあり、四の君にだけは中納言に逢えぬ辛さを紛らそうと付き合っていました。
 世間の人の目を気にしての忍び逢いですが、中納言に知られるかもしれないという恐れはなくなったので、以前よりも足繁く通うようになりました。四の君はすっかり馴れ親んだ感じで、以前にも増していじらしい様子で宰の中将を迎えるので、宰の中将はうれしくも当惑する思いでございました。
 中納言は二人の様子を全て見聞きして知っていましたが、こうなってしまってからも四の君には宰の中将との関係を知っている素振りは見せずに、「いつまでもこうして世に留まっていられる身ではないのだから」との思いから、四の君にはただ優しく語り掛けながら毎日を過ごしていたのでございました。

 そのうちにいつもの月の障りが始まりましたので、中納言は、六条辺にある乳母の家に籠もりました。
 宰の中将はここまでも探し当て、すぐ近くの柴垣のもとに隠れて様子を伺っていますと、中納言は、紅の上に薄色の唐綾の衣を重ね着して、簾を巻き上げ、時雨気味で薄曇りの夕空を心惹かれた様子で見ています。夕映えのその姿はいつもよりくっきりと華やかで、頬杖をついたその腕も玉を磨き上げたような美しさでございました。

 時雨する夕べの空の景色にも 劣らず濡るる我が袂かな
(夕日に映える時雨の空にも劣らず、涙に濡れてします私の袂です)

「いつまでもこの世に身をさらす自分でもないと諦めているのに、どうしてこんなに嘆かわしいのでしょうか」
と、物思いにふけりながらひとり呟く中納言の姿は、絵にも描けないほどの風情でございました。
 宰の中将はたまらなくなって、そばに近寄りながら、

 かきくらし涙時雨にそぼちつつ 訪ねざりせば逢ひ見ましやは
(わたしも空も心もかき曇り、恋の涙の時雨に濡れながらこうして訪ねてこなかったら、逢う事はかなわなかったでしょう)

 中納言は、思いがけない宰の中将の来訪に驚きましたが、しみじみと感じ入っていたところだったので、

 身一つに時雨るる空と眺めつつ 待つとは言はで袖ぞ濡れぬる
(我が身の辛さに涙で時雨れているのだと空を眺めていたのです。貴方を待って泣いていたのではありません)

 宰の中将は、自分に悩みも打ち明けてくれず、秘密を人に知られないようにと一人隠れて悩み沈んでいる冷たさを、責めることができませんでしたが、
「このように冷たい心では、わたしもとても生きていけないと思ってしまいます」
と、宰の中将は言葉を尽くして口説きました。
 ここは人目を気にせず安心できる所なので、抱き合って臥し、あれこれ甘い言葉の数々を幾度となく繰り返えし、いつ夜が明けたのも知らないほど夢中で一夜を過ごした後の中納言は、普段の近寄りがたいほど毅然とした男らしい態度とは打って変わって、たおやかで親しみに溢れ、それでいて美しく愛らしい様子で例えようがありませんでした。
 これまで男として見慣れていた中納言が、うってかわって美しい姿で甘えなびき戯れ、うちとけた親しみやい様子は言いようもないほどすばらしく、
「この中納言が男として出仕し、人前では他人として接しなければならないのは耐えられない」
と、この人を隠し籠めて、自分だけのものにしてしまいたいとたまらなく思うのでございました。

「これまで男として見ていましたが、こうして貴女を見ると深窓の姫君よりも遥かにすばらしく女らしい。これが本当のお姿だったのですね。これからは、もとの女姿で家に籠もって下さい。今のままでは、なかなか思い通りに逢う事もできないので辛くてなりません。 契りを交わしたからには、気に入らないことがあっても男に従うのがしきたりです。このままでは貴女もお困まりでしょう」
と、宰の中将は勝手に自分のものと思い込んで、寝ても起きても語り掛けてきます。
 中納言は、相手の言い分が分からないではありませんでしたが、生まれてこの方こうして男の姿で通してきた自分が、急に女になって家の中に引き籠るのも変に思え、なかなか決心できませんでした。
 宰の中将は、そんな中納言を恨み口説きながら、思いのままに中納言を抱いて胸の中を晴らしておりました。

15 中納言の懐妊

 いつもより籠もっている日数が長くなってしまったので、中納言は、
「右大臣さまが、またどんなに思い嘆いておられることか」
と思うと心苦しくて、手紙をしたためました。
「この度は、いつもの病の治りが悪くて、じっと籠もってばかりいると、どうなってしまうかと心細くて、

 ありながらあるかひもなき身なれども 別れはてなむほどぞ悲しき
(生きていてもかいのないこの身ですが、さりとて別れの時を思うと悲しくてなりません)

「婿なのだからどんな病気であっても、こちらの家の世話になるのが常識というものだ。それなのに理由も行き先も知らせないまま別居をするとはどういうことなのか。娘との仲をどう考えておいでなのか」
常々、右大臣さまは嘆かれ、その言葉に女房達も陰でその通りだと頷き合っていたのでございました。
 しかし、身に覚えのある四の君は自分の過ちを後ろめたく思って、中納言の行動もしかたのないことであると恥ずかしい思いばかりで、父君のこのような恨み言を聞くのもほんとうにつらいことでございました。
 また、忍んで通ってくる宰の中将も最近は以前のように思いを込めて求めてこなくなり、色々と物思いをしている折に届いた手紙がでございましたので、日頃のつれなさも忘れて思わず涙をこぼされたのでございました。

 右大臣さまも不吉なことが書いてあるので、日頃からの不満も忘れて、
「どうしてこのように病気がちなのであろうか。この末世にはあまり優れておられるのが、かえってよくないのだろうか。思いつめられているようで心配だが、それにしても、到底、普通の人は及ばないほど何と見事な手紙であろうか」
と、繰り返し手紙を御覧になりながら、四の君に
「中納言殿が愛しく思ってくれるように、すぐに返事を書きなさい」
と勧められますので、四の君は、ますます気後れがする思いでございましたが、

 憂き事にかばかり厭ふ我が身だに 消えもやらでぞ今日までは経る
(あなたにかまっていただけなくて辛いことだと、我が身を厭わしく思っている私でさえ、死ぬ事も出来ないで今日まで生きてきたのですから、何ごとのもすばらしいあなた様が死ぬなどと考えないでください)

と、お返ししました。
 とても美しく書かれた手紙でしたが、中納言には興味もなく、宰の中将にも見られたくなかったので広げずにいたのですが、宰の中将は四の君からのものだと気づき、奪い取って読んでいるうちに、宰の中将は胸が苦しくなり、顔色がかわってきました。
 四の君などものの数でないと口説いていた宰の中将のこうした様子を見ながら、中納言は、こんな男は頼りにならないと改めて感じていましたが、宰の中将の方は、中納言との逢瀬の嬉しさに千年も寿命が延びたような気分で、見苦しいほど起きても寝ても戯れかかって、来世の契りまで誓うのでございました。

 あまりに日がたってしまったので、中納言が右大臣邸に戻ろうとすると、
「お会いしても、またよそよそしい態度しかお見せにならなくなるのでしょう」
と繰り返し恨み言を言うのですが、そればかりも聞いていられないので、宰の中将をなんとかなだめて帰らせ、自分も別々に六条を出ました。

 そうこうするうちに中納言は十月頃から月の障りがなくなったので、乳母の家に籠もる理由もなくなってしまいました。
 気分も優れないのですが、まさか妊娠とは思い当たらず、ただどうした事かと心細く過ごしておりました。
 気分が優れないといっても、今回は六条に行く程でもなかったのでそのまま右大臣邸におりますと、四の君が傍を離れずに甲斐甲斐しくひたすら世話をしてくれますので、見ているだけで気の毒になり、
「私がいなくなった後のせめてもの思い出に」
と、中納言が心を込めてお話するのを見て、右大臣さまは
「中納言は、やはり四の君を大切にしてくれている」
と嬉しく満足して、中納言の病気平癒のご祈祷や何やらと騒ぎ立てて親身になって面倒を見られたのでございました。
 四の君もまた妊娠したようですが、引き続きなので人聞きもよくないと、誰にも話さずそれらしい気配を見せぬようにしておられました。

 中納言、四の君のどちらにも人目をはばかって会わねばならない宰の中将は、中納言がいつもと違って右大臣邸に籠っているので、会うにも人目が多く、また手紙さえも思いのままには出せず、どうしようもなく思い嘆いているうちに十二月になってしまいました。

 中納言は寝込むほどひどくもないので、左大臣邸にだけは絶えず通っていましたが、ろくに食事もとらないのでひどくやつれ、橘や柑子にも目を向けず吐き戻したりするので、左大臣も心配されて絶え間なくご祈祷などをされたのでございました。

 中納言は、
「四の君が妊娠したときも、同じ様子であったなあ」
と、思い当たると、どうしようもなく情けなくなり、本当に今度こそ山奥に籠って行方を絶ってしまいたい気分になります。
「自分一人ではどうしていいのか考えもつかないが、かといって他人に相談出来ることでもない」
理由を話して驚き心を痛める父母のことを想像すると、どうしようもない恥ずかしさに毎日思案に暮れる日々を送っていたのでございました。

 ここはやはり宰の中将に知らせて一緒に考えるのがいいのだろうか……。
 宰の中将は、逢えない日々が重なるのを恨み嘆いて人目もはばからない素振を見せるし、かといって、遠ざける事もできないので、六条の乳母の隠れ家で忍び逢うことにしたのでございました。

 誰よりも逢瀬を待ちこがれていた宰の中将が、妊娠した話を聞いてどう思うかと気恥ずかしく、また、男姿でこんなことを告白しなければならないわが身の恥ずかしさを隠して、
「このように大変なことになったのを嘆いているうちに月を重ねてしまいました。いまは貴方との契りの因縁が恨めしく、疎ましいと思えるほどでございます」
と話しましたが、宰の中将は浅くない契りを喜んで、
「このように子まで授かったからには、産霊神(うぶすながみ)の思し召しを違えぬようにして下さい。あなたがこのままの姿で過すのはお互いのためにもよくありません。若いうちは内裏辺りで、いつも一緒にいても不自然ではないでしょうが、上達部などになってしまったら特別な事がない限り、内裏で宿直(とのい)することもありませんし、館で逢う事すらもよほどの事がない限り無理でしょう。このように逢いたくても逢うことはできなくなってしまいます。ですからこの機会に、思い切って私が言う通りになさい。このような姿をいつまで続けられるおつもりですか。決心して下さい」
 宰の中将は懸命に口説きました。
 中納言は、宰の中将の言うことが当然の事だとも思えてくるのですが、いずれはこの世を捨てるつもりでしたから、今はこのような男姿でも仕方ないと心を慰めてきたのに、今更、実は女であったから、今は館の奥に引き籠っているのだと人に知られる訳にはいかないし、父や母にも知られないまま隠れて閉じ籠って悲しませる事も気の毒でしかたございませんでした。
「世間とは違う自分を自覚した時から、別の世界に隠れてしまいたいという思いは次第に強くるばかりでした。父上さまや母上さまのお気持ちにはばかられてこれまできてしまいましたが、貴方に知られて、しかもこんなことになってしまい、我が身の始末もつけられないのが辛く悲しいのです」
 しかし、愛らしく、華やかに愛嬌溢れた中納言の顔立ちは少しも悩んでいるようには見えず、思い沈んで袖を顔に押し当てて泣いている中納言の男姿は、七、八尺の髪を垂らした美女であってもかなわぬほどの一風変わった美しさがございました。

 宰の中将は、
「確かに貴女のお苦しみは分かりますが、これはしかるべき因縁なのです。そんなに思い詰めてもしかたのないことです」
となだめ、今日明日にでも男装をやめて館に籠るようにと説きました。
 確かにこのままでいられるはずもないので、中納言はそうすべきだろうと覚悟を定めましたが、これまでの思い出が次から次へと浮かんできて、気持ちの晴らしようもなくて、涙を流しながら胸の内を語るのでございました。そんな中納言を見ながら、宰の中将は、やっと本気で決心したに違いないと喜んでいたのでございます。

 宰の中将は中納言と別れた後も熱烈な文を書いて寄越してきましたが、それでも、中納言一筋に思いを寄せている訳ではなく、中納言だけを思うような素振りを見せながら、時には四の君の部屋に忍び入っているようでしたので、
「四の君はまた妊娠したらしいが、宰の中将は、きっとこれほど多くの子どもが生まれる契りの深さを浅からず思っているのだろう」
と考えておりました。
「たとえ類ないほど一筋に自分を愛してくれているようでも、それは真に私のことを思ってくれている訳ではないようだ。確かに宰の中将の人柄が他の人に勝って優美なことは間違いないが、この程度の人に身を任せて家の中で一生を送るなんて物足りないと言うしかないし、宰の中将の心はあまりにも移り気で頼りにならなさそうだ。情に溺れやすくて、好色で、今でさえ私に勝るとも劣らぬ愛情で、別の女と忍んで親しもうとしているし、まして、この女は自分のものになったと常日ごろ見慣れてしまえば、きっと薄情な心を見せつけられてどれほど悔しく物笑いの種にされるかわからない。
 これほどまでの帝の寵愛や官位を捨てて深山に姿を隠すのは、その徳で来世が良くなることだから、いかにこれからの人生が苦しくても残念なこととは思わないが、やはり、宰の中将の言う通りにするのは気が進まない。かといって、このままの姿でいる訳にもいかないから、やはりこの世を捨てて隠れるしか道はないのかもしれない」
 そう思い決めると、親を見るのも悲しく、内裏への出入りもしみじみと悲しい気分になって、普段は通い慣れた道も、あと一、二ヶ月だと思うと吹く風につけても侘びしく、心細い限りでございました。

 しかし、宰の中将はこのように悩み続ける中納言の心中も知らず、今は我がものとして館に籠め据えておける思うと、思い乱れていた心も落ち着き、今度は四の君が妊娠したことばかりを案じているのでございました。

 様々に契り知らるる身の憂さに いとど辛さを結びかためそ
(様々に運命の辛さを思い知らされている私に、これ以上、辛さを味わわないで済むように約束して下さい)

「冬の夜に独り寝するのは、寂しいものです」
などと、いつものように思い悩むように溜息まじりに四の君から言われると、宰の中将は、もともと愛情を感じていた女ですので、類ないほどにいとしくて、
「中納言が自分のもとに籠もってくれるのなら、どうして遠慮する事があろうか。四の君もいっしょに我が妻として世話をしよう」
と想像するだけで嬉しさに胸が高まり、四の君からもつれないと思われたくないと、無理にでも機会を作って忍び逢うようにしていたのでございます。
 そうと知った中納言は、
「やはり思った通りだ。あれほど恋の憂いを訴え掛けたのだから、もっと心配してくれてもよいのに。恐らく宰の中将は、四の君の深い思いに心を縛られているのだろう」
 恨めしくはありましたが恨み言を言うのもきまり悪く、またたしなみがないような気がして、じっと我慢して知らぬ顔をしているのですが、嘆かわしい気持ちで心が晴れることはございませんでした。

 十二月晦日のころ、中納言が左大臣邸に参上すると年末のことでかなり取り込んでおりましたが、左大臣さまは普段から一晩でも中納言の顔を見ないとご心配なされるくらいでございましたので、喜んでお会いになりました。
 しかし、あれほどの美しさであった中納言の顔が大層やつれて、沈みがちな様子でございましたので、
「どうしてそれほどやつれてしまったのか。まだ気分が優れないのか」
と、お尋ねになられました。
「特に苦しい所はありませんが、長く患っていたせいかもしれません」
と申し上げると、
「それはよくない、祈祷をまた始めなければいけない」
と左大臣さまは、すぐにしかるべき人々を呼ばれ、御修法(みずほう)や祭や祓えなどをするように命じられました。

「ああ、これほど私のことを心配してくださっているのに、突然隠れていなくなってしまったら、どんなに悲しまれるだろうか」
と、中納言は堪え切れずに涙が出そうになるのをなんとか紛らわそうとしておりました。
「最初は、お前が女に生まれたことは我が身に降り掛かった災難だと思い、身が細る思いであったが、内裏を出仕するようになって官位を極め、今では公私につけ人に誉められて面目を施して、ありがたいことだ。しかし、こんなふうにいつもと違った様子で思い嘆いて、元気のないお前の姿を見せられると、私も辛くて生きている張り合いもなくなってしまう」
と、心配されている左大臣さまを見ると、中納言も耐え難く思われ、
「私は何も嘆いてなどおりません。このように心配していただいているだけでもありがたいと思っております。」
 中納言はそう言って食欲もないのに無理に食事を採ると、左大臣さまはとても嬉しがり一緒に召し上がられるのでございました。

 年が改まると、中納言はいつまでこうしていられる身かと、屠所へ引かれる羊のような気持ちでございましたので、これが最後と、正月に車や下簾、榻(しじ)などを新調し、随人までも色を整えるために装束を渡して、中納言自身も上の衣、下襲(したがさね)の打ち目まで、身ごなしや心遣いにも気を配りました。
 まず左大臣邸に参上して新年の挨拶を申し上げましたが、光り輝く中納言の容貌がいつにも増して素晴らしかったので、左大臣さまは、うれしさのあまり正月に見せるものではない涙まで流して喜んだのでございました。

 内裏に参上しても、中納言の立派さは皆の目を驚かすばかりでございました。
 宰の中将も人より目立つ衣装で来ていましたが、中納言を見て、
「これほどの美しさで人と交わり、世間の評判も高いのでは女の姿に戻りにくいのではないか」
と案じられるほどでございました。
 中納言が、尚侍の部屋に年賀の挨拶に伺うと、尚侍の部屋にも、殿上人や上達部が大勢伺候してきて、ここでもあれこれと中納言のことを褒めそやしていきます。中納言は、今はこうした交じらいも恥ずかしく心苦しいのですがどうしようもありません。請われて、宰の中将に琵琶を勧め自分は「梅が枝」の催馬楽を歌う声もとても素晴らしいものでございました。
 宰の中将はその歌声を聞きながら、かつて尚侍に呆れるほど強情に拒絶されたことを思い出し、今では中納言に心を移して尚侍への思いを慰めているものの落ち着かない気分でいたのでございました。

 このように中納言は内裏の節会ごとに参上し、万事見事に処しておりましたので、帝は、評定などでも年配で身分の高い上達部よりも中納言の言葉を優れたものとして採用され、ご寵愛は頂点に達していたのでございました。

 その年の三月一日頃、桜がいつもよりも見事な年なので、帝は南殿で恒例の観桜の宴を催し、ありとあらゆる詩歌の博士達をお呼びになられました。
 当日、帝より賜ったお題を元に詩を作りましたが、中でも中納言の作品は見事な出来で、名声のある博士であっても及ぶところではございませんでした。
「日本はもちろん、唐にもこれほど優れた詩はないだろう」
と、帝をはじめ、その場の人々は中納言の詩を口々に誦しさわいでおりました。
 帝は中納言を御前に呼ばれ、博士達を差し置いて自らの御衣(おんぞ)を脱いで中納言に賜ったのでございます。
 階(きざはし)を降りて礼舞をする中納言の顔やお姿はすばらしく、心配りもいつもよりゆきとどいておりましたので、帝は感心しながらご覧になり、桜の美しさも圧倒されそうなその様に皆感激して涙を流したのでございました。
 ことに左大臣さまの喜びは人一倍でございました。
「ああ、ほんとうに立派に育ってくれたものだ。私が思い嘆き過ぎていたのかもしれない。大体、誰があの子の秘密を知っていよう。これでよかったのだ」
 もちろん義父である右大臣さまのお喜びも左大臣さまに負けないほどであったことは、言うまでもございません。

 日が暮れ管弦の宴が始まると、中納言は
「もう二度と吹くことはないだろう」
と、これまでの遊びではためらって秘めていた音色を心を入れて吹きたてましたが、その音色は空に響き渡り、いいようもないほど素晴らしいもので、帝はすっかり満足されました。
「物事には時機というものがある。これまででさえ中納言はもっと官位が高くても良い思っていたが、今日のこうした優れた才能を見れば、だれしも納得することだろう」
と、帝はその場で、中納言を右大将に任ずる宣旨を下されました。
 そして、宰の中将もまた優れていたからと、権中納言に昇進したのでございました。

 その夜、退出された右大将さま(さきの中納言)は左大臣邸に戻られ、父左大臣さまの帰りを待ち受けられましたが、
「男姿で世に出て、世間の人から見ればこのように華々しい身分に昇ったのに、こんな身体になって、皆の前から姿を隠してしまわなければならないのだ」
と、昇進の嬉しさにもまして、右大将さまの心中は沈みもの悲しいものでございました。
 そんな思いも知らず、右大将さまを右大臣邸に送り出した後に人々と大騒ぎして喜ぶ左大臣さまの様子は、我が娘が皇后になった以上の感激だったのでございました。

 一方、権中納言(さきの宰の中将)は、
「周りの人から見れば昇進して喜ばしいことだが、右大将の昇進に続いてお情けで上げてもらったようなものだ。しかし右大将はほんとうに素晴らしい容姿・才能の持ち主だ。このような才能のある身を埋もらせてしまうのは、自分自身のことであったならできないかもしれないなあ」
と、素直に喜ぶことが出来ず、一晩中考え明かした後、昇進祝いの言葉を書いて右大将さまに贈りました。

 紫の雲の衣の嬉しさに ありし契りや思ひかへつる
(帝から紫色の衣をもらった嬉しさに、私と交わした約束を忘れてしまわれたのではありませんか)

 右大臣邸の内外は、祝い事や何やかやと騒がしく、右大将さまの心中もあれこれと思い乱れていた折に届いたので、

「権中納言昇進のお祝いを こちらからも早くしなければと思っておりました」

 ものをこそ思ひ重ぬれ脱ぎかへて いかなる身にかならんと思へば
(これまでの衣を脱ぎ変えてどのような身になるのかと考えると、いよいよ物思いが重なります)

と書いて返しました。
「きっと心のままに記したのだろう」
と、権中納言には無理もないこととあわれに思われました。
 そして、祝い事などで二人で逢う事がまったくできかったので、いずれ自分のものになる女だと思いながら、月日を数えてつらい心を慰めて過ごしていたのでございました。

 右大将は身重の身体がしだいに目立ってくるにつれて、
「世を捨てがたいとはいうものの、いつまでもこのままではいられない」
と、心細い思いで内裏などの宿直を勤めておらていましたが、ある時、権中納言も参上されたので、いつもの休息所でひそかに会われました。
 その折りに、権中納言がこっそりと手紙の返事を書いて、使いの者に気取って渡しているのに気付かれました。
 右大将にいつ正直に言おうかどうしようかと気をもんでいる権中納言の様子から、恐らく四の君への手紙なのだろうと察しがつきましたが、
「それはどなたからの手紙ですか。見せていただけませんか」
とそ知らぬ顔で問うと、どう答えたものかと悩む権中納言がおかしくて、右大将はふざけて手紙を奪い取りましたが、権中納言は隠し事はしないでおこうと思っていましたので、取り返そうともしませんでした。

 美しい紫色の紙に薄墨の筆跡は、間違いなく四の君のものでございました。
 きっと、権中納言が、「夫である右大将の昇進が嬉しくてしかたないのでしょう」と、書き送った手紙の返事なのでしょう。

 上に着る小夜の衣の袖よりも 人知れぬをばただにやは聞く
(上に着る夜の衣の袖のようにうわべだけの夫よりも、人に知られぬ下着のような貴方の昇進を聞き喜んでおります。)

 としたためてあるので、右大将は目を背けたい気持ちになり、
「あまりに薄墨で読めませんね。誰からのものでしょうか」
と、言い紛らわそうとするのを、権中納言は、
「何と書いてありましたか」
と、からかおうとします。
「いえ、ぼんやりと滲んでよくわかりませんでした」
と答え、この話はそれきりにしましたが、右大将の心中は穏やかではございませんでした。

「四の君は、見た目は子どもっぽく上品で、世間慣れしていないように見えるが、こんな大胆な歌を詠うとは、つくづく人の心のうちとは分からないものだ。権中納言への愛情は分からないではないが、もしこの関係が噂にでもなるようなことになれば、大変なことになるのはお分かりのはずなのに、それでもこのような手紙を出さずにはいられぬのが、世の男女のありようというものなのだろうか」
と、考えると憂鬱で仕方なかったのですが、
「今さら、何も言うまい。けして不機嫌な姿などは見せないでおこう」
と思うので、右大将は四の君には少しも心のうちを見せようとはなされなかったのでございました。

 右大将は
「今月一杯はこうしていよう」
と思い切り、左大臣邸に毎日顔を出し、内裏の宿直も熱心に勤めておりました。
 これまでは、上達部や殿上人などには特別な事がない限りは目を合わせたり言葉を掛けたりはしなかったので、
「素晴らしくご立派なるのに人を人と思わず、敬遠して貴人ぶっているのが玉に瑕だ」
と陰口を言われ、それだけが欠点だと思われておりましたが、この頃は誰にでも目を合わせてはとても親密に付き合うようにされました。
 しかるべき侍女も言葉を掛けにくい方だと思っていたのに、そういう人にも薄情ではない程度に耳を傾けるので、かえって気をもませる程でございました。

 内裏での宿直の折、二十日の月もまだ昇らない夜、「春の夜の闇はあやなし梅の花」と詠われたように香を焚き染めて、五節(ごせち)の頃に「逢ふことはなべてかたきの摺衣(すりごろも)」と歌を詠んできた女を思い出し、殿上人などが寝静まった頃合を見計らって、麗景殿(れいけいでん)の辺りをこっそりとさまよって、

 冬に見し月の行方を知らぬかな あなおぼつかな春の夜の闇
(冬の頃に見た月のようなあの方はどこに行かれてしまったのでしょうか。ああ、この春の夜の闇の中、あてどなくさまよっております)

と、下の句の方を優美に詠ったところ、誰かが傍に寄って答えました。

 見しままに行方も知らぬ月なれば 恨みて山に入りやしにけん
(一度、お逢いしたきりで行方も分からないという月は、きっと貴方を恨めしく思って山に入ってしまったのでしょう)

 それは麗景殿の女、その人でございました。心細い闇夜にわざわざ出てきてくれるのも並の愛情ではございません。まさかと思っていたのに、相手が変わらぬ気持ちでいてくれたのがうれしくて、その夜は女の元に立ち寄られたのでございました。

(巻二終り)

巻一)  (巻三)  (巻四

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