とりかへばや物語

(巻四)

23 東宮と尚侍
24 帝の見舞い
25 東宮の出産
26 帝との逢瀬
27 吉野の姫の上京
28 権中納言の思い
29 二条殿の月
30 中宮の出産
31 中宮との対面
32 その後

23 東宮と尚侍

 尚侍(女君)は、11月の晦日に参内されました。尚侍が里帰りで内裏を退出してから半年近くが過ぎ、東宮さまは待ち遠しくてしかたありませんでしたが、一方の女君は東宮さまにお会いしたらどう思われるかと悩み、どう言葉を掛けたらよいのかも分かりませんでした。
 東宮さまは、お腹がたいそう膨らんで、お気の毒なくらい苦しげに臥しておられましたので、女君はそっと添い臥しましたが、自然と四の君との営みが思い出されるのでございました。東宮さまは、女君を昔の尚侍だとばかり思って、日頃の不安や憂鬱な思いを打ち解けてお話しされましたので、女君は心苦しくて、詳しく事情を説明したいと思われましたがさすがに恥ずかしい話なので、
「日頃から東宮さまがどうされているかと心配で、一日も早く参上してお目に掛かりたいと思いながらも、ゆくえ知れずとなっていた右大将や父君の身を心配しているうちに、日が経ってしまいました。本当に申し訳ないと思っております」
 女君の話し方や気配は尚侍(男君)と少し違うものの、東宮さまは久しぶりに会った尚侍が別人だとは全く疑いもせず、その夜はご無沙汰していた間の積もる話をされたのでございました。

 東宮さまは手紙さえも貰えない月日を重ねた心細さを訴えてお泣きになるので、女君は気の毒になり、四の君の時のようにやさしく語りかけるのでございました。
 女君のやさしさに満ちた気配や姿に、東宮さまは、
「これからは、もっと尚侍に甘え、身を任せることができる」
という心地で心を慰められておられましたが、女君はその姿を見てさらに気の毒に思われたのでございました。
 夜が明けると尚侍(女君)は男君から密かに預かった手紙を取り出して東宮さまに渡されました。
東宮さまが広げて見てみると、見慣れた尚侍の筆跡で、
「わが身は、自分でも説明できないほどに変わってしまいました。

 見慣れにしその面影を身に添へて あはれ月日を過ぐしけるかな
(見慣れた貴女の面影をこの身に添えたまま、何と多くの月日を過ごした事でしょうか)

 再び尚侍が参上しましたので、ここ数ヶ月来の気掛かりであったことも解決できるだろうと、なんとか命を繋ぎ止めています」
 東宮さまは、何度も手紙を読み返されましたが、どういうことか理解できませんでした。
 そうこうするうちに東宮さまの宣旨(故母后の乳母子で、乳母がいなかった東宮さまは普段から親しく頼りにしておられた)が、御几帳のそばに来て、
「お久しゅうございます。長い里帰りで、どうされてしまったのかと心配しておりました。実は、ここ何ヶ月か、東宮さまは、時折我慢できないほどにとてもお辛そうにしておられるので心配しておりましたが、御懐妊ではないかと思い当たりましたので、勝手ながら御着帯などをしてさしあげました。どうしたことか心当たりもなく合点がいきませんが、誰にお尋ねしてどのように取り計らえばいいのか分からずに、心もとなくて、ただただ貴女さまが参内されるのをお待ち申し上げておりました。わたしはお仕えしているとは言っても里に帰る日もありましたが、貴女さまはこちらに来られてから片時も東宮の傍を離れずにおられましたから、この度のご事情をご存知なのではございませんか。必ずご事情を知る人がいるはずだと思いながらも、いいかげんな憶測で人に問いただすべき事ではございませんので、貴女さまならきっと事情をご存知だろう、もしご存知でなくても一緒に考えていただきたいと、お戻りを待ちわびておりました」
 そう言って泣くので、女君は返す言葉も無く、しばし無言で考えておられましたが、これまで男として世間に処してきた女君は、
「幾ら何でも自分まで知らないというのは東宮さまが気の毒だ。出産されるまではお世話しよう」
と思われ、東宮さまが横になって宣旨との話を聞いているので具合悪い気持ちもありましたが、いずれ納得される時が来るだろうと、宣旨に向かって、
「わたしも東宮さまのご不快を存じておりましたが、心当たりもなく、まさか妊娠だとは思いもよりませんでしたので、どなたにもご相談しておりません。そのうちに兄の右大将の行方が知れなくなり、心配で何事も忘れて退出したところ、わたしまでも体がすぐれず、どうにもならない状態になってしまいした。東宮さまがどうされているかと気がかりでしたが、手紙を書く事さえままならぬままに幾月も過ぎてしまい、先日、兄の右大将も帰ってまいりましたので、体が戻ったらすぐに参内したいとばかり思っておりました。そんな折に、右大将が、東宮さまが懐妊した夢を見たが確かめる手立てがないので、わたしに早く参上して東宮さまのお世話をするように言い付けましたので、ようやく事情を察し、一刻も早く参内したいと思っておりました。今、貴女も東宮さまのご事情をお分かりのようですから、一人でお世話をするよりも頼もしい気がして嬉しく思っています」
 尚侍は、つつましげに御几帳の中でかしずかれて生活するばかりで、女房達は直接お顔を見る事もなく、宣旨もお顔など真正面から見申しあげたこともなかったので、だれひとりとして別人とは思いもしませんでした。
 宣旨も昔のままの尚侍だと思い込んで、
「尚侍さまが、東宮さまの許に右大将を導かれたのか」
と思い当たると、これまで何も分からぬまま一人で悩んでいたことが一時に解けたように、安心して力が抜ける思いがしました。
 また、尚侍にあれこれと相談すると、以前は控え目で言葉少なかったのに、今は、はっきりと道理にかなった返事をしてくれるので、本当に頼りがいがあると思ったのでございました。
「いつごろ御出産になりましょうか」
「十二月くらいの御予定ではないか、とのことでございました」
「それではまあ、今日、明日にもということなのですね」
となど言い合っているのを、東宮さまは横になったまま、どうにも納得できない思いで聞いておられました。
「今に尚侍が参上したらと思って待ちかねていたのに、どうもわけのわからぬことばかりおっしゃっているのはどういうことか。右大将には、夢の中でさえお会いしたことはないのに、どうしてこんなことをおっしゃるのか」
さすがに事実をうち明けられることも憚られ、
「右大将がそう言えとおっしゃったのだろう」
と、納得しようとされましたが、
「それでは、先刻のお手紙はどういうことか」
と、やはり理解できない思いでおられました。

 よく目をこらして尚侍を見ても、まちがいなくかつての尚侍のお顔のように思えましたが、体つきはかつてと違ってふくよかな雰囲気でございました。
 つらく不安な思いで待っていた尚侍がやっと戻ってきたのに、以前のようにかまってくれないので、夜具をかぶってお泣きになりましたが、女君は、それも当然のことに思えて、いいようもなく、慰めようもないので、静かにおそばに添い臥しておられるばかりでございました。
 手紙にあった「自分でも説明できないほど、変わってしまった」とは、「まさか日頃から望んでいたように、本当に女の身体になってしまったということか」などと想像をめぐらしてみても納得できず、
「これからも女姿で生きていくために、生まれてくる子供のことを右大将にお願いしたのだろうか」
などと考えておられました。
 

 日暮れの薄闇にまぎれて右大将(男君)が尚侍(女君)のところにおいでになられました。女君が、東宮さまのご様子や申し上げたこと、宣旨との話などを伝えると男君は、申し訳なさとなつかしさに涙を流されました。
「隠し事はせずに東宮さまに全てを話そう」
夜が更けて、人々が寝静まったのを見計らって、女君は、男君を女姿に戻して東宮さまのところに導きいれました。
東宮さまは、突然二人の尚侍が現れたので、驚かれて言葉もでませんでした。
 男君の話を聞きながら、
「それではこの人は、わたしが妊娠したと知っていながらここを離れたのか。わたしを愛しているのならば、片時も離れず一緒にいてくれてもいいはずなのに、わたしをひとり残して、女君に任せているとは。どうせわたしのことなど他人事のように思っているのでしょう。それに、どうして事情を話してくれなかったのか。確かにいつまでも女姿で埋もれている身ではないとは思うけれど、せめて妊娠したこの時くらい他人に任せずに世話をしてくれてもいいのに。尚侍のいない日はたった数日でも心配で恋しくも恨めしく思い出して、慕わしい人と思っていたのに。例えようもないほど辛いこのわたしをお見捨てになるとは」
と男君の薄情さと我が身の情けなさをつくづく思い知らされ、世にも奇妙な呆れた事だとお思いになられたのでございました。

 涙にくれるばかりで返事もできない東宮さまに、男君は泣く泣くお侘びし、なだめ慰めましたが、東宮さまはお聞き入にはなりませんでした。
 やがて夜が明けそうな気配になりましたので、退出しなければなりませんでしたが、朝夕起き伏し慣れ親しんだ東宮さまの許を離れるのは忍び難く、

 忍びつつ行きかよへとや朝夕に 慣れにし君があたりともなく
(忍んでここに通えと言うのでしょうか。朝夕、慣れ親しんだ貴女の傍だというのに)

「何もあなたと別れなければならない訳ではありません。いままでのようにお傍にいたいと思っているのです。男姿であなたのところに通うのを変だと思う人はいるかもしれませんが、不釣合いだとは思われないでしょう。それどころか、頼もしい後見人だと思ってくれるでしょう」
と男君が口説かれると、

かくばかりかき絶えましや朝夕に 慣れしあたりと思はましかば
(もし朝夕に慣れ親しんだと思っているのならば、こんなに幾日も途絶えたままでいられたでしょうか。)

「今更、世間に知れてつらい噂を立てられるのは情けないのです……」
 東宮さまは、そう言って涙を流されましたので、男君は恨み言を重ねられるよりも辛く、
「分かりました。今の貴女に何を言っても聞いてもらえそうにありませんが、ただ朝夕起き伏し見慣れた貴女と離れ離れになるのが本当に辛いのです。貴女が東宮という御身分でなければ、尚侍の縁で後見役としてお仕えできますでしょうに」
などと申し上げているうちに、辺りがすっかり明るくなったので男君は内裏を後にしたのでございました。

24 帝の見舞い

 男君は、今では吉野山の宮の姉宮や右大臣家の四の君に魅せられておりましたが、東宮さまへの長年の愛情も浅くはありませんでしたので、その後も折々に尚侍(女君)の手引きで人目を忍んでお逢いになっておられました。
 しかし、東宮さまは、男君の心が、自分が思っているほどに深くないことが分かり、また、世間につらい噂まで立っているようなので思い悩んでおられましたが、月日が重なるにつれ出産間近の身体がつらくなり、これ以上は隠し通せないと思っているうちに起き上がる事も出来なくなってしまわれました。尚侍と宣旨以外の女房達は、沈み込んで横になっている東宮を身体の具合が良くないのだと思っておりましたが、その話は院や帝の耳にも入り、誰もが東宮さまの患いを思い嘆いておりました。

 帝は東宮さまの病も心配でしたが、尚侍へのご興味もつのっておりましたでので、東宮さまに付き添っている尚侍の姿を御覧になりたいと、病気見舞いにかこつけて梨壷に行こうと思いたたれました。
 ある静かな昼下がり、帝は誰にも知らせず人目を忍んで梨壷に行かれ、御几帳の後ろにそっと隠れて御覧になると、東宮さまは白い御衣を頭から引き被って休んでおられました。尚侍は少し引き下がって薄色の単を八枚ばかり重ね、上着は色の似通った袷の織物で袖口を長く引き出して口を覆い隠して添い伏しておられました。その可愛らしさは辺りにも零れるほどで、ただ見ているだけで思わず微笑んでしまい、どんな深刻な悩みも忘れてしまいそうな魅力がありました。
 評判だった尚侍の容貌をこれまで何年も見たいと思い続けながら、今日まで御覧になる機会を持たなかったことがいまさらながら悔しく、
「これほど素晴らしい人なら今でも入内は難しいと思えないのに、何故、左大臣は宮仕えを諦めてしまったのだろうか。しかし、入内させようとしても、人見知りが激しいと言い立てて、里に閉じ込めてしまうかもしれない」
と、帝ははやる気持ちで落ち着いていられませんでした。
 心を静めるように息を殺して更に見ていると、東宮の傍らにある白い薄紙で包んだ結んだままの文を少し及び腰で取る手つきや、傾けた顔に掛かる髪の艶や様子が素晴らしく、また、衣の裾に垂れている髪はそれほど長くはありませんが、袿の裾に八尺も余る程の髪よりもずっと愛らしく見えました。
「ああ、きっと今朝も返事がないと嘆いていると思いますよ」
 尚侍が小さく溜息を付くと手紙を隠したので、帝は、噂のように右大将が東宮さまに送った手紙に違いないと納得されたのでした。

 いつまでも立って見ていると、宣旨の妹にあたる中納言の君がやって来ました。
「帝がこちらに来ておられるそうですが、どこにいらっしゃるのでしょうか」
 そう言ってあちこち覗き込みながら帳台のとばりを下ろしはじめたので、帝は今ちょうど来たような振りをして出てこられて、その場に腰を下ろされました。
 こうして帝が何気なく来られた時は、普段なら宣旨の君が相手をするのですが、あいにく風邪で自分の局に下がっておりましたので、女房たちは皆、物陰に隠れるように控えておりました。
帝は先ほど見た尚侍の面影が頭から離れず、もっと尚侍の声を聞いてみたいと思われて、
「尚侍はこちらにおられるか」
とお声を掛けられますと、少し身じろぎをした気配がありましたが返事がありませんでしたので、
「東宮のご病気はまだお治りにならないのですか。院はご存知ですか。祈祷はお頼みになられないのですか」
などと矢継ぎ早に質問されました。
尚侍はお返しする言葉がすぐに思い浮かびませんでしたが、そのままご返事せずに済ます訳にもいかず、
「いつからということもなしに何ヶ月も経ち、この頃はまた一段とご不快のご様子が時々見られるようでございますが、物の怪の仕業でございましょうか」
 小声でおっしゃる声音が右大将とそっくりでしたので、帝は驚いて、もっとよく聞きたいと思われて、尚侍がご返事をしなければならないことばかりを何度も問われました。 あまり多くご返事をするのも女としてはしたない気がして、時々は身じろぎだけでご返事申し上げない尚侍を覚束なく思われましたが、いつまでも居続けるのも不自然なので、
「東宮のご病病がいつまでも直らないのは困った事です。やはり御祈祷などなさるべきでしょう」
 そう言われて、尚侍の面影が身を離れぬ心地で梨壷を出られたのでございました。
 東宮さまと帝はそれほど親しい訳ではございませんでしたが、帝の兄である院の姫君でございましたので、東宮さまには特に心を寄せられ、細やかに気を使っておられたのでございました。

 尚侍(女君)は、明け暮れに帝と隔てなく話をし、琴や笛の音をも心を合わせて演奏をした昔の事をふと思い出し、こうして帳台の内に埋もれるようにして暮らし、物越しに帝の声を聞く今のわが身が夢のような気がしておりました。

 雲の上も月の光も変はらぬに 我が身一つぞありしにもあらぬ
(雲の上(内裏)も月の光(帝)も変わらないのに、ただわたしの身だけは昔とは違ってしまったことだ)

25 東宮の出産

 十二月に入ると、東宮さまはいつ御出産かと女君は落ち着かない日をすごしておりました。東宮さまが内裏から退出されれば、日頃から東宮さまの病状を心配されている院の上がお見舞いに来られて妊娠に気づかれるかもしれないので、内裏でのご出産は前例のないことでしたが、神事などがあまり多くない時期でしたので穢れにもならないだろうと、内裏の内でことを済まそうと考えておいででした。
 東宮さまの具合が悪くなってもあえて誰にも知らせず、尚侍と宣旨、事情を知っている女房二、三人が東宮さまに付き切りでお世話をし、不安な毎日を過ごしておられました。
男君も右大将姿でこっそりと梨壷に来て、東宮さまのご病気を理由に宿直を勤めておられましたが、東宮さまはそんな男君を見て、
「何を今更……。噂の種を蒔くようなことを」
と、見苦しくお思いでした。

 帝は先日見た尚侍の面影が忘れられず、もう一度逢わずにはいられないと思いを募らせておられましたので、参内された右大将(男君)を身近にお召しになられ、話のついでを装って、尚侍への思いを打ち明けられました。
 尚侍が女君に入れ替わってしまった今では、辞退する理由は何もないのですが、これまで断り続けておりましたので、
「尚侍は人見知りが激しくて、見知らぬ人と顔を合わせるのが耐えられない性格ですから、父・左大臣も私も入内を諦めておりましたが、東宮さまにおつかえして少しは道理もわきまえるようになったでしょうから、もう一度、左大臣に話をしてみましょう」
 そのように言上する右大将をじっと御覧になっていた帝は、欠点も無く端整で気品のある容貌やお姿が尚侍と瓜二つで、気持ちが抑えられなくなり、声を潜めて、
「これまでも、しばしば左大臣に頼んできたが、その度に強く断られているから言いにくいのだが、尚侍のいる宣耀殿にこっそりと手引きしてもらえないだろうか」
とおっしゃられましたが、男君はきちんと手続きを踏んで入内させたいと思い、そのことには返事をしないで、その場を退出されました。

 屋敷に戻った男君は、さっそく左大臣さまに、
「帝はこのようにおっしゃられています。今は何も躊躇うこともありません。帝の気が変わらないうちに入内するのが一番だと思います」
と報告されましたが、左大臣さまは、
「いや、表立って入内させるにしても、これまで男として世間に慣れ、帝にも仕えてきた女君がどう思うかわからないだろう。密かに見初められ、愛情次第で女御や后になるならよいだろうが……。それに、これまでかたくなに断り続けてきたのにどう考え直して入内させたのかと、世人に奇妙に思われるのは決まりが悪いだろう」
とおっしゃられました。確かに権中納言との出来事を考えると正式な入内には問題があるので、男君は残念な思いでございました。

 東宮さまは安産で、とても可愛らしい右大将にそっくりの若君をお産みになられました。心配していた宣旨はしみじみと嬉しく思いましたが、公にできないので、尚侍に仕える女房が退出する風をよそおって、中納言の君が若君を抱いて密かに左大臣邸にお連れしました。
 男君が左大臣さまと母上に事情をお話されると、左大臣さまは、身分の低くない乳母を選んで仕えさせ、たいそう大切に養われる一方、世間には
「忍んで通った相手のお子」
とだけ言い、とり繕っておりました。

 右大臣さまは
「右大将にそのような気配もなかったのに、いつの間にそのような事があったのか」
と、その噂を奇異な思いで聞かれました。 
 右大将は、若君がお生まれになられてからは、右大臣邸にゆっくりとおいでになることもなくなり、夕暮れに紛れてお立ち寄りになり夜が明けるとすぐにお帰りになられるようになりました。内裏の宿直などを除いては、お出かけになることもなくなり、また、吉野山は遠いので、十月、十一月に四、五日通われただけで、その後は、早く京にお迎えできるようにと準備を進めておられました。

 東宮さまは、産後に容態が悪化されて、
「もう一度院の上にお会いして、それから尼になりたい」
と、幾度となく口にされて心細げでおられるので、院にお知らせすると、
「今まで見舞いにも行かなかったが、それほどまでにお悪くなっていたとは。安心出来る場所にお移しして、祈祷をするべきかもしれない」
と、年内に院に移るように手配されました。
 それをお聞きになった帝は、東宮さまが尚侍を連れて一緒に退出するのではないかと、落ち着かない心地でしたが、一方ではご自身の心惑いを見苦しいとも感じておいででした。
そんな折に左大臣さまが参上されましたので、
「東宮のご病気が治らないので朱雀院にお移りになるというお話ですが、尚侍も一緒に行くのでしょうか」
とお尋ねになられました。
「そのつもりでございましょう。参上した当初より東宮さまは片時も尚侍と離れ難く思っておられるとうかがっております」
とお答えになるので、
「それもそうでしょうが、朱雀院にお移りになれば、院がずっと付き添われるでしょうから不都合なのではないでしょうか。院はお年を召しているものの、まだお元気ですから尚侍を見初めることがあるかもしれません。貴方にとって具合の悪い事ではないでしょうが、内裏には世間並みの器量の女御や御息所(みやすどころ)もおらず、私には恨めしい限りです。尚侍の立場で院に宮仕えするのではなく、東宮が退出した後も内裏で仕えるのがよいのではないですか。若い殿上人達も尚侍に仕える女房達に惹かれて集まっているというのに、もし東宮が尚侍を連れて行ってしまったら、内裏はこの上なく寂しくなってしまいます」
「必ず東宮さまに付き添って退出しなければならないという訳ではございませんが、そもそも、東宮さまが入内される時に院が付き添えないのでご心配されて、代わりの後見として尚侍が上がったのですから、確かに朱雀院に行ってまで仕える理由はありませんので里に下がらせるべきでしょう。しかし、尚侍は、内裏の公事にも携わっておりますので、正月までは内裏を退出しないように言っておきます」
 左大臣さまの答えを、帝はとても嬉しく思い、
「それはよい考えです。昔から私の申し出を断り続けてきたことをいまさら言いませんが、ただ、私は、いまだに女宮すら生まれず寂しい思いをしているので、代わりにお世話をしてあげたいと思っているのです。昔と同じように興味本位で考えているとは思わないでください」
とおっしゃるので、帝はいい加減に思っていらっしゃるのではないと左大臣さまは嬉しく思われたのでございました。
「これまで度々伺っておりました入内のご意向も、まことにもったいなく嬉しい限りでございましたが、呆れるほどの人見知りでお心に副わない役立たずの娘でございますので素直に従えませんでした。今でもまだ、そのように思いをかけていただいていることはもったいなく嬉しく存じます」
 そう言って、涙を流して喜ぶ左大臣さまを見ながら、
「この前、垣間見た時にはそれほど引っ込み思案なようには見えなかったが、大切に育てた娘のことだから、あまりに可愛がりすぎて、人目につくような派手な振舞いは嘆かわしく思っているのだろうか」
と、帝は、なぜ女御や更衣として表立って入内させようと思わないのか不思議に思っておられました。

 東宮さまが朱雀院に退出されると、いつも院が傍に付き添って看病されるようになられたので、尚侍は遠慮して内裏に留まられました。逢えなくなった男君は、事情を知っている宣旨や中納言の君等を通じて密かに手紙を届けておりました。
 東宮さまのご病気は次第に回復していかれましたが、
「私には、今の東宮という身分はふさいません。尼になって来世に頼みをつなぎたいと思います」
と東宮さまはしばしば院に願いを出されました。しかし、他に東宮となるべき方もいらっしゃらないのでお許しになられませんでした。

 その頃、権中納言は影のように右大将につきまとい、
「何とか言葉を掛ける機会はないものか」
と機会を窺っておりました。
 世間の人は、それを見て、昔はとりわけ仲が良かったが、今は四の君との件でよそよそしくなったのだと思っていました。
 右大将(男君)は、親しくして恨み言を言われても答えられないので、きっぱりと近寄らないように振舞われていましたが、権中納言にはそれがどうにも残念で納得できないのでございました。

 権中納言は、以前のように四の君に文も寄こさなくなりましたが、傍に仕える左衛門などは、右大将が夜毎に変わらず足を運んで来られるので、権中納言が遠慮するのも当然だと思っておりました。
 四の君も、今はほんの僅かの隠し事でもあると疑われたくないので、権中納言には返事の一行たりとも書きませんでしたが、それを権中納言が恨まないので、
「どうしてそんなに冷静な気持ちでいられるのか」
とかえって不思議に思われるくらいでございました。

 右大将は吉野山の姫君たちを京に迎えようと思い立たれ、年が改まる頃、二条堀川の辺り三町に築地を巡らして、立派な屋敷を造営されました。
 本来なら右大臣家の四の君を正妻としてお移しすべきなのでしょうが、権中納言との出来事があったのでどうするか決めかねておられました。
 風情があって奥ゆかしく、上品で優美な点は、この上なく愛している吉野山の君に比べようがありませんが、四の君の一途にあどけなくいじらしい様子は比類なく思っておられ、今のままにしておくこともできそうにありませんでした。
 しかし、四の君は自分と逢っている間はだけは愛情を注いでくれているように見えますが、ふと権中納言との一件が頭をよぎり、時折、どんなしみじみとした愛情も冷めてしまう気もするのでした。
 一方、東宮はただ上品であるというほかになく、語り合っていても四の君や吉野山の君のように奥ゆかしく風情のあるように振舞われることはない。……などとあれこれと比較していると、女姿で暮らしていたときには思いもよらなかった自分の多情さに恥ずかしくなるのでございました。

26 帝との逢瀬

 年が改まると内裏はいつものように華やかになり、節会や何やらと行事が多い日々が続きましたが、帝は尚侍の面影が忘れられず、月日が経つにつれ次第に想いが募ってきました。

 正月が終わり、行事が多い時期が過ぎて落ち着いた頃、帝が宣耀殿の辺りを忍んで歩いておられると琴の音がほのかに聴こえてきました。嬉しく思われてしばらく立ち止まって聴いておられると、春鶯囀(しゅんのうでん)という調べを二返ばかりした後、聞こえなくなってしまいました。帝は、琴の音色も右大将と同じく素晴らしい才能の兄妹なのだとうれしくお思いになられました。
蔀は下ろされていましたが、鍵の掛けていない妻戸が風に吹かれて開いていたので、帝はそっと中に入られました。
 誰にも気付かれずに暗がりに隠れて目を凝らされると、女房が二人ほどいて碁を打っているようでした。尚侍は御帳の中で琴を枕にして寄り臥し、手持ち無沙汰げに琴を掻き鳴らしては灯りをじっと見つめたりして考え事をしているふうでございました。帝は同じ内裏にいながらこれほどの人を見逃していた自分が悔やまれて、例え人が見咎めたとしても今宵はこのままとどまろうと、ただひたすらに夜が待ち遠しく、前にいる女房達が早く寝てくれないかとばかり考えておいででした。

 尚侍(女君)は過ぎ去った昔を思い返し、今が最後と若君と別れた時に無心に笑みを浮かべて自分を見ていた若君のお顔を思い出し、恋しく悲しい気分に浸っておいででした。

 ものをのみ一方ならず思ふにも 憂きはこの世の契りなりけり
(あれこれと物思いするにつけても、辛いのはこの世の契りです)

 ほろほろと涙をこぼれるのが決まり悪くて、衣を引き被って横になられました。碁を打っていた女房達も後片付けを始め、
「夜具をお召し下さい」
と灯りを遠くに動かしたり、
「あちらの妻戸はまだ鍵が掛けていないようですね」
と言いながら帝がいる方にやって来る者もおりましたので、帝は、見付かりはしないかと息を凝らしてじっとしていると、
「妙に人の気配がするのは気持ち悪いですね……」
とつぶやいて、さっさと奥に行って、皆寝てしまいました。

 几帳台の傍には誰もいなかったので、帝は安心して近寄ると尚侍が被っていた衣を引きのけて添い臥されました。尚侍はまだ寝入っていなかったので驚いて、権中納言が様子を伺ってしのんで来たのだと悔しくも腹立たしく思い、衣を引き被って身じろぎもしませんでした。帝はそれを無理に引きのけながら、積年の思いや左大臣が一方的に断った事への恨み言、東宮の病気見舞いの際に仄かに見初めた事などをお話しになられたので、尚侍は相手が帝と分かり、
「権中納言だと思ってひたすら情けなく悔しかったけれど、帝に男姿で振舞っていた我が身の惨めな姿を見破られたら、きっと軽蔑されてしまうに違いない」
と女君は情けなくたまらなく恥ずかしくなり、
「元々この世から跡を絶とうと決心していたのに、東宮との関係を憂いていた男君を気の毒に思い身代わりに内裏に出仕してしまったのが間違いだったのだ。せめて東宮が朱雀院(すざくいん)に退出した時に一緒に出てしまえばよかった。父君(左大臣)に正月過ぎまではここにいるように勧められ、わたしが退出してしまったら女房達も寂しがるだろうと思って、三月の臨時の祭りまではこのまま内裏に仕え、それが終わったら左大臣邸に下がろうと思っていたのが迂闊だった……」
と悔やまれて、とめどなく涙が溢れてきました。
「愛しい女、どうかそのように苦しまないで下さい。これが貴方と私の運命なのです。私とおなじ気持ちになってくださるなら、決して貴女をいい加減にはあつかいません」
と口説く帝のやさしさに女君は言葉がありませんでした。
 男姿で毅然と振舞っていた時でさえ権中納言に手籠めにされ逃れる事が出来なかったのに、今は女姿で、
「情のない女には見られたくない」
との思いもあり、また帝も
「ここまできたら」
というお気持ちで乱れかかるので、どうするすべもありませんでした。
 女君が恥ずかしさに声を上げても、帝は人目を憚るつもりもなく、
「もし聞き咎めて寄って来る人があっても構わない」
と、まるで動じないご様子でございました。

 間じかに見る尚侍の美しさは、遠くで見ていた時よりも格別でこの上なく、これからは昼間も気掛かりで片時も傍を離れていられそうにありませんでしたが、
「左大臣が頑なに入内を拒んで宮仕えさせたのはこういう理由だったのか。先の男関係あったのが言い出しにくくて、引っ込み思案である事を理由にしていたのだろう。それにしても相手は誰だろうか。この人を一目でも見たら行きずりの相手として弄んで一度だけで終わろうなどと思う男はいないだろうに。左大臣が事情を知りながら結婚を許さなかったのは、相手があまりに身分の低い若君達だったのだろう」
と 帝は少し口惜しい気がしましたが、尚侍の類ない美しさに咎める気にはなられませんでした。
 帝は来世までもと尚侍にお約束されましたが、顔色や態度では示さないものの帝が変だと思っているのが明らかに見て取れましたので尚侍はどうしようもなく恥ずかしく、汗と涙が一つになって溢れ出る思いでございました。

 帝は、女房達が気づいて見咎められるのもさすがに見苦しいとお思いになられ、部屋を出ようとされましたが、後の逢瀬を約束されるご様子は、言葉では語れないほどでございました。

 三瀬川後の逢瀬は知らねども 来ん世をかねて契りつるかな
(三途の川を渡るのに現世ではじめて契りをかわした男に背負われるといいます。私たちは三途の川では逢えないかもしれませんが、必ず来世も貴女とお逢いする事を約束します)

「あなたへの思いは、この世だけでの契りだけでは浅すぎる気がします」
と言う帝を前に、尚侍は返事をする事が出来ませんでした。
「貴女の一言を聞くまではここを出られません」
と帝がおっしゃられるので、このままでは具合悪いと、

 行く末の逢瀬も知らずこの世にて 憂かりける身の契りと思へば
(後の逢瀬のことなど分かりません。この世ではつらい運命をせおったわが身ですので)

と尚侍は返歌を詠まれました。
 朝夕に聞き慣れた声や気配を怪しまれるのではないかと憚れて、ひどく切れ切れに言い紛らわして答えるのが、かえって風情に満ちいつまでも聞いていたいほどでございましたが、帝は、身を分けて残していくような気持ちで、繰り返し後の逢瀬を約束して出て行かれました。

 帝がただ一人供として連れてきていた中将の内侍は、帝の戻りを今か今かと待っていたものの、待ち侘びてうつ伏したまま寝てしまっていたので、帝はそれを起こして清涼殿にお帰りになられました。
 寝所にお入りになられてからも例えようもなく素晴らしかった尚侍の手触りや気配が身体を離れず、またすぐにでも逢いたいとお思いになられました。あれほど女性を知り尽くした権中納言の心でさえ魅了してしまう美しさなので、比べる程に女性を知らない帝が耐え切れないのも当然でございました。
帝は、後朝(きぬぎぬ)の文を取り次ぐ者もいないので、右大将にすぐに参上するように命じられました。
 やがて右大将が参上した知らせを聞いた帝はすぐに御前にお召しになられました。清らかに落ち着いて控えている右大将を前にして、帝は言い出すのを少し躊躇われましたが、おもむろに大きく結んだ手紙を懐から取り出すと、普通の手紙のように渡して、
「尚侍に手紙を出す事を左大臣に許してもらってから後、何となく今まで過ぎてしまったが、今日は日がらが良いから、これを渡してすぐに返事を貰って来て欲しい。他の者を使いにたてても、左大臣を通さないと尚侍は納得せず、すぐに返事を貰うのも難しいだろうから、貴方に頼みます」
とおっしゃるので、右大将は手紙を預かってその場を立たれましたが、帝の様子がいつもと違うので、きっと尚侍を垣間見たにちがいないと察しました。

 右大将が宣曜殿に行ってみると、
「昨夜から、御気分が悪いと、まだお休みでございまして」
と、大納言の君という侍女が申しあげるので、驚いて、
「どうして御連絡なさらなかったのか。お風邪かな」
などと申しあげておられるのも、尚侍としては具合悪いので、起きあがって、
「胸が苦しくてなりませんので」
とおっしゃるお顔がたいそう赤らんでいるので、
「お泣きになっていたのだ」
と察せられました。
「もしかして、帝がお近づきになったのではないか」
と、帝のお手紙の中身も急に知りたくなって、近くに寄って、
「今朝、急に帝のお召しがあり参上しましたところ、これを直接差し上げて、すぐに御返事をとの仰せがございました」
といって差し出すので、
「だれにも知られないですんだと思っていたのに、昨夜のことを御存知なのであろう」
と、たいそう気がひけてしまうのでございました。
 顔も向けられないほど恥ずかしい思いでしたが、若い娘のように恥かしがるのも今の自分には似つかわしくないだろうと、ただお顔を赤らめて、お手紙はお取りになりましたが、いっこうにお開けにならないので、
「必ず御返事をもらってくるようにおっしゃいました。帝の特別のお申し付けですので、返事ももらえずに帝をお待たせしてしまったら、私の面目がございませんので……」
と、無理にすすめられました。
 女君が、少しほほえんで、
「他人のようにおっしゃいますこと。帝のすぐれたお目には、朝夕見馴れた私の筆跡では、変だとお見とがめになるかもしれません。父上も御存じなくて、わたし一人の判断で御返事申しあげるというのもどうでしょうか。そのように必ずと帝がおっしゃっても、失望なさるにきまっていますもの。ただたしかに頂戴したということだけお返事申し上げてください」
とおっしゃいますと、
「なるほど、御返事は気軽になさったら、いろいろと具合悪いことがありましょう。でもとにかくそのお手紙を御覧になられてはいかがですか」
と、さらにお手紙の中身を知りたげにされていました。
 しかし、女君は、今、開けるべきではないと判断されて、お顔はすっかり赤くされながらもいいまぎらしてしまわれたので、右大将はあきらめて、帝のもとに参上なさいました。

 もしかして尚侍から返事がもらえるかもしれないと期待していた帝は、とても落胆されましたが、右大将を前に無理にさりげなく取り繕われて、
「世間の恋の駆け引きように、返事を躊躇うような色恋めいたものでもなかったのですが」
と言いながらも、とても憂鬱で不安な気持ちが抑えきれなかったので、昨夜のことは明かさずに、
「ほのかな灯影のもとで垣間見た尚侍の姿が、これまでに見た事のないほどの美しさで、その姿が頭を離れず恋しくてならないのでお手紙を差し上げたのです。とは言っても左大臣が頑なに許さないのに知らぬ顔でわが恋心をうち明けるのも気兼ねしているのです。このように慕わしい気持ちになった事はこれまでなかったので、これがきっと私の運命だと思えるのです。私の気持ちを察して、昨夜程度の垣間見で構いませんから今宵のうちに逢えるように手引きをして貰えませんか」
とおっしゃって、再び手紙を書いて右大将に託されました。
 男君は女君の様子が変だった事もあり、
「やはりそうだった。ただのかいま見だけでは、こうはご熱心にお思いになるはずはない。女君の御様子が変だったもの、しかるべき仲まで行ったからだろう」
とわかると、帝が限りなく尚侍を気にかけられている御様子も、このうえなくうれしい思いで聴かれていましたが、普通に入内して后の位についても何の不足もない身の上なのに、平凡な形で帝の目に留まった事は残念だと思っておられました。

「それではまずこの手紙を尚侍に届けましょう」
 男君はそう言って退出されると、左大臣さまに帝と尚侍の様子がおかしい事や帝のお言葉を報告されました。
左大臣さまはお話を聞いて、
「きっとそうにちがいない」
と嬉しく思われ、秘かにいつもより贅を尽くした女房の装束や尚侍の衣装を届けさせ、また御帳台の帷や調度品まで念入りに美しく磨き整え飾られました。左大臣さまは長年、心を尽くして世話をしても報われようもない尚侍の宮仕えを口惜しく思っておられましたので、女君と入れ替わってから、帝との仲が進んだ事をとても嬉しく思っておられました。

 限りない帝の寵愛に加えて尚侍の人柄や容貌に少しも不足がないので、帝は、后の位まで上げても問題はないが、ただ一点、自分が尚侍の初めての男ではなかったのが気にかかっておいででした。
「しかし、誰もが知っている事ではあるまい。ただ事情を知っている二、三人がそういう事があったと思い出したとしても、女御や御息所として入内したわけでもないのだから、宮仕えをしているところを密かに見初め、愛するままに后の位にしても特に不都合はないだろう」
とお考えになられて、その後は人目も憚らず昼間は宣耀殿に出掛け、夜も尚侍をお召しになられて片時も離すことがありませんでした。
 帝は、このようにお傍には他に女がいないかのように尚侍をご寵愛になられましたので、左大臣さまや北の方さま、右大将は大変にお喜びになられました。

27 吉野の姫の上京

 右大将が建てていた二条殿が完成して、三月十日過ぎの吉日に吉野山の姉宮が移られることとなり、右大将は十日頃に吉野山にお迎えに参上されました。娘達が去ると吉野山の宮はきっと寂しく思われるだろうと、この辺りの領地から上納される品々を全て吉野山の宮のもとに献上するようにと手配されましたが、
「娘達を見捨てる事ができずに今日まで俗世に近い住居で暮らしてきましたが、今は安心して思い残す事もなく、鳥の声すら聞こえない山奥に隠れ住みたいと心から願っているので、このようなご配慮は不要です」
と吉野山の宮は全てを辞退されました。
 山深く入る決心を固めた吉野山の宮を見て、姉宮は、
「世間を隔てて育った私たちは、何事にも不慣れで、京に行っても人に笑われて辛い思いをするにちがいありません。そのときには、ここを頼って最後の住処にと思っているのです。お父上がいつまでも変わらずこの地に住み続けてくださればどれほど心強い事でしょうか。ここをお立ちになって庵が荒れてしまうのは心細いことです」
と思われましたが、口にするのは憚られることなので黙っておられました。

 吉野山の姉宮が出立する儀式は、素晴らしいものでございました。
 吉野の宮は、
「もうこの庵を振り返ってはいけません。私は都に立ち戻るべき身でないから、これが今生の別れとなるでしょうが、長年、見捨て難い貴女達の世話をし続け、仏道修行を怠っていましたので、これからは一途に仏道の勤めに励むことができるのを嬉しく思っているのです」
と、今後の身の処し方をお示しになられて、

 行く末も遥けかるべき別れには 逢ひ見ん事のいつとなきかな
(幸せな将来が遥かに続く貴女達との別れですが、再び逢えるのはいつの事でしょうか)

「今日はめでたい日ですので、不吉な言葉は慎まなくてはなりませんね」
 そう言って吉野の宮は涙を拭って隠されました。
 姉宮は、

 逢ふ事をいつとも知らぬ別れ路は 出づべき方もなくなくぞ行く
(再会出来るのがいつとも分からぬ別れならば、泣きながら行くしかありません)

 姉宮は袖に顔を押し当てて部屋を出る事も出来ずにおられました。妹宮は、

 いづ方に身をたぐへまし留まるも 出づるも共に惜しき別れを
(わたしはどうしたらいいのでしょうか。ここに留まって姉宮と分かれるのも、京に出て父上と別れるのもどちらも辛い別れです)

 妹宮も一緒に庵を出る事になりました。妹宮は必ずしも急いで出発する必要はありませんでしたが、姉宮としばしの間でも離れていると、拠り所がなくなったようで不安でしかたがありませんでしたので、吉野の宮は、いい機会なので二人を都に移して自分は思い残す事無く仏道に専念しようと決心され、昔から使い慣れた女房達も全て二人に付けて出立させたのでございました。

 右大将は姉宮と同じ車に乗って出発されました。十台の出車(いだしぐるま)の後から女の童や下使えなどが続いて出立する様子は鄙びた草庵に似合わず盛大で威勢に満ち、しかるべき殿上人や五位六位の者まで大勢が供をしました。また侍女も縁故を求めて見た目のいい女たちをさがし出して、列に加えられておりました。
 姉宮の一団から少し離れた位置に引き続いて、妹宮の車は三台の出車にこちらもしかるべき供人や前駆が大勢付いており、昔から使い慣れた女房達が妹宮に仕えるべく目立たぬように加わっておりました。
 吉野山の宮は、これまでも一筋に仏道に勤めてきたので、思い残す事もなく澄み切った心境で、長年、願っていた本意が全て叶ったように思われ、とても嬉しく、これまで世話をしてきた甲斐があったと感慨深げにお見送りされました。

 一行は奈良の京に一泊し、翌日に二条殿にお入りになられました。この屋敷は、三町を築地で囲い、内部は中築地で三っつの区画に分けてございました。
 姉宮は中央の寝殿にお移りになられました。右大将は、洞院(とういん)通りに面した建物には右大臣の四の君密かに迎え、堀川通りに面した屋敷は尚侍が里帰りする際に使う部屋や東宮の部屋を用意しておりました。
 このように素晴らしく立派な一行が到着した事を、右大臣家の人々はとても悔しく心外なことと、苦々しい思いでおられましたが、右大将ばかりが悪いとは言えないので恨みようのない気分でおられたそうでございます。

28 権中納言の思い

 四の君は十二月頃にご懐妊されました。四の君懐妊の知らせは右大臣さまのお耳にも入り、今回は父親を疑う余地もないので喜んで祈祷などを始められました。
「あの人は権中納言とばかり縁が深かったのだ」
と残念がっていた右大将も、こうして妊娠したのでとても愛しく思う気持ちが深くなっていきました。

 左大臣邸におられる若君はとても高貴な風情のお子でしたが、
「母親が誰であるかと噂にもならないのは取るに足らない身分の人だからだろうか」
と世間の人が噂をするのももっともなことでした。
右大将は、吉野山の姉宮に懐妊の兆しがないのを残念に思って、
「いっそこの若君を迎えて預けた方がよいだろうか」
と悩まれましたが、左大臣さまも北の方も若君を片時も離さず可愛がり、右大将にさえ気安く会わせない程でございました。

 一方、尚侍も春頃に妊娠されました。帝の限りない愛情にもかかわらず、後宮の女性に世継ぎの子どもが出来ないのを心配して山々寺々に祈祷を行っておられましたので、この上なくお喜びになられました。

 権中納言は月日が経つにつれ、右大将のことがますます気にかかってしかたがありませんでした。
「行方不明であるならば、恋しい悲しいと思うだけだろうが、一度はすっかり女らしく戻られた身を捨てて、なぜ再び男姿に戻られてしまったのか。私の事を薄情だと思い捨てられるのは構わないが、確かに惜しく捨て難い右大将の身分であるとはいえ、幼い若君と別れて知らない振りをして暮らすとはいかがなものか」
と、もう一度直に会って恨み言を言いたいと思っておりましたが、世間では、権中納言と右大将とは四の君をめぐって不仲だと思っているので、これといった理由もなく屋敷に立ち寄る事もできず、また内裏では、右大将はよそよそしく常に距離を置いて離れ、「契りを交わした人」とは微塵も気にかけていないような態度なので、言葉を掛ける隙もありませんでした。
手紙を送ると、差障りのない内容にはきちんと返事が来ましたが、肝心な話には一切触れてありませんでしたので、出仕しても思い悩んで悲しいばかりで、かつての好色心は失せて、右大臣邸の四の君とも縁を切ってしまわれ、かつてのように恋に苛立つこともなくなってしまわれました。
 尚侍が帝の寵愛を受けている噂を耳にしても、
「右大将に瓜二つだった尚侍につれなく騙されて外に追い出されてしまった時も、右大将が傍にいたから慰められて苦しい思いをしないで済んだものだった。尚侍は私を馬鹿なやつと思っておいでだろう」
と、もはや手の届かない身分になってしまった尚侍のことを他人事のように聞いていたのでした。

 月日が経つにつれて、若君は、すくすくと愛らしく成長されました。権中納言は、その様を見ながら
「今はこの子がいるだけで心を慰められているが、もしあの右大将と一緒に語らい合いながら育てる事が出来たならば、何の悩みもないだろうに」
と、物思いに沈むのでした。
 昼夜、外出もしないで若君を傍から離さずに遊ばせながら、
「しみじみと心を通わせ、情を交わした女が、再び右大将として世間に出てから早くも幾月も経ったけれど、この間まったく他人として過ごしてしまった。あの右大将は私を捨ててしまったのに、自分だけが身を砕く程に恋い慕っても何になろうか」
と、心を慰める術もないまま、左衛門の許に細々と手紙を書いて遣しました。
「何ヶ月ものご無沙汰を直接お詫びしたいので、そちらに女車で忍んで行こうと思っています。具合が悪いのでしたら、こちらは他に女もいない気安い所ですのでおいでください」
 左衛門は、久しく便りが無く、四の君につれなくされて愛情が絶えてしまったのだとばかり思っていたところに、権中納言から手紙が着たので驚きました。文には、権中納言の心中が細々と書き綴られていたので、左衛門は気の毒に思い、
「こちらも何ヶ月ものご無沙汰をお詫びしたいので、世間の噂にならないかと気がひけますが密かに参上いたします」
と返事もうしあげ、左衛門は四の君に事情を説明し、表向きは里に下がるように繕って権中納言の元に向かうことにしました。
 権中納言は、目立たない車をお迎えに遣わしました。

 権中納言は久し振りに左衛門に会って、
「この数ヶ月、調子が悪く乱れた心地も耐えがたく、出歩く事も出来ずにぼんやりと日々を過ごしていました。あの女は私と馴染みになったのに呆れるほど心変わりをされてしまわれたのがとても辛く、我が身の程を思い知らされました。恨んでなどおりませんが、ただ悲しいこの気持ちに、今一度の対面も叶いませんでしょうか」
 右大将のこと以外は何も考えられず思案に暮れていた権中納言でしたが、左衛門と話しをするうちに四の君との過去を様々に思い出し、
「近頃は暇がないという訳でもなさそうですから、しかるべき折に手引きをして貰えないでしょうか」
と頼む姿が気の毒で、左衛門は涙を流して、
「この数年間、右大将さまの御愛情は薄いということはなく、それどころか普段から姫様をとても大切に扱われて親しく語らい合っておられましたが、ただ女同士が語り合っているような仲で物足りない感じでございましたので、後ろめたい思いもありましたが、貴方様が一途に心焦がれる様子を見るのが辛くて、心弱くも度々貴方様をお手引きました。しかしどうした事か、右大将さまがお戻りになられてからは、深く世間の目を避けているご様子で昼間に留まられることはめったにございませんが、お二人の愛情は以前にも増して深まったようで、夜事もいっそう睦まじいように見えます。姫様が去年の冬にご懐妊なさってからはいっそう愛情が増されたようでございます。左大臣さまも姫君がお生まれになった折はさほどお喜びになられず、右大将さまも吉野山にお姿を隠してしまわれましたが、この度は疑いもないからでしょうか、最近はいつもこちらにばかりおいででございます。右大臣さまもこの上なく喜びでございますので、姫様も今は変な噂が立ってはならないと固く覚悟され、貴方様からの文も心に掛けていないご様子です。まして逢瀬を計らうなどとは思いも寄りません。右大将さまは、愛情が深いとはいえ憂鬱な過去の事を忘れられないのか、第一の妻は吉野の姫君をと考え定めているようで、その次に、姫様をと思われているご様子です。姫様は、もし本来の夫婦仲が続いていたならばご自分に勝る女はいなかったはずと、心中では思われているはずです。今の惨めな身の上に心を砕かねばならないのも、貴方のせいなのだと考えると、とても恨めしい契りだったと、過ぎ去った日々を後悔しているのです。ですから、まして今は……」
 権中納言は、自分とかかわってしまった四の君の運命を傍で見ている左衛門の言葉ももっともだと思いましたが、
「確かに四の君がそのように決心されるのはもっともですが、貴女までこのように頑なに私を退けるとは思いませんでした」
と口説くのでございました。しかし、四の君が妊娠した事を始めとして、左衛門の言葉を何度聞いても事情が納得できず、どういう事なのかと右大将の事を思い出しては恋しさに胸が苦しくなるのでございました。
「夜も更けたからこのままここにいては人に変に思でしょう。もうお戻り下さい」
と権中納言は深く考え込んだ様子で言葉少なく左衛門を見送りましたので、左衛門は自分が他人事のように喋ったのを薄情だと思ったのかもしれないと、さすがに気の毒に思いつつ四の君の元に戻りました。

29 二条殿の月

 右大将が二条殿に居られて留守でしたので、左衛門は密かに権中納言との話を四の君に報告しました。
 四の君は、かつて恥ずかしく恐ろしく思いながらも権中納言の一途な愛情に心惹かれて逢瀬を重ねていた頃を思い出して涙を流しておりましたが、右大将さまの愛情が決して権中納言に劣らず、特に妊娠してからは一層大切に扱ってくれ、また、世間の人の噂や思惑、右大臣さまの心中を考えると、今では、どれも権中納言とは比べようもないと思われるのでございました。

 権中納言は納得出来ない色々な事が頭の中を巡り、涙の川に浮き沈みするような気分で夜を明かしました。
「やはり何とかして右大将ともう一度話をしてみたい」
 そう考えると、いてもたってもおられなくなり、右大将が内裏に参内すると思われる日には自分も出掛けてさりげなく機会をうかがっておりました。右大将もさすがに気がついたようで、目が合っても誠実そうに素っ気無く振る舞って二人だけで話す機会は設けないように避けておりました。

 右大将は、尚侍がご懐妊されたので、最近は内裏に参上していることが多くなりましたが、その度に権中納言が影のように付きまとって歩いているのをおかしく思っておいででした。そんな、権中納言を見て、
「権中納言は、近頃は四の君への恋心や帝のものとなってしまった尚侍への思いも忘れて真面目にやっているようだから、吉野山の妹君を託してみたらどうだろう。浮気性で、女とさえ見れば誰にでも手を出したがるが、妹君を見ればそんな気持ちも起きなくなるほど夢中になるに違いない」
と、処遇の決まらない吉野の妹君の身を気づかうこともありましたが、四の君との件を思い出すと、やはり権中納言に心を許すのも愚かしい気がして、口にはされませんでした。

 賀茂祭も終わった四月二十日過ぎ、内裏での用事もなく手持ち無沙汰だった右大将は、以前に女君が話をされていた麗景殿の細殿の事がふと思い出されて、そのあたりに佇んでおられました。
 麗景殿の女は、右大将と親しげに語り合った夜の事が忘れられず、右大将が世間から姿を隠された折も、ただ我が身一つの思い出として恋しくも悲しく思い続けておりました。その宵もしんみりと縁先を眺めていますと、夜目にもはっきりと男の姿が見えました。右大将さまに間違いないとわかり、何の音沙汰もなくて過ぎた月日を恨めしく思いましたが、心が騒いで何か申し上げなければと思っても言葉が出ませんでした。
 しかし、お姿を見たことだけでも相手に伝えたくて、

 思ひ出づる人しもあらじものゆゑに 見し夜の月の忘られぬかな
(わたしを思い出してくれる人もいないでしょうが、わたしはあの夜の月の美しさを忘れられません)

 右大将はその歌を聞いて、これは話に聞いていた女に違いないと思い、近くにお寄りになって、

 驚かす人こそなけれもろともに 見し夜の月を忘れやはする
(私の心を騒がすような女はいませんでしたが、貴女と一緒に見たあの夜の月を忘れたことはありません)

 男君の声や気配は朝夕に聞き慣れた人でも分からないほど、女君に似通っていたので、麗景殿の女は相手が別人だとは思いも寄らず、前と同じように親しげに話をされました。昔のように、世間の男ように乱暴に振舞われることはあるまいと気を許しておられますと、右大将さまは急に屋敷の中に入られ戸を閉めてしまわれました。
「興醒めなお心ですこと」
と、女は驚き呆れてたしなめようとしましたが、右大将さまは慣れた様子で女をなだめて隔てなく身を寄せてくるのでどうしようもありませんでした。
 女はこの幾月の間の待ち遠しさに思い余って声を掛けてしまった愚かさを悔やみ、泣き出してしまいましたので、右大将は、普段から接している女房達とは異なり、奥ゆかしくて世慣れた宮仕え人ではない事に気づいた、思い遣りのない事をしてしまったと後悔され、ただ親しみを込めてお言葉をかけておられました。
 そうこうするうちに夜が明け始め、麗景殿の女はたいそう気が急いて落ち着かない様子になりましたでしたので、右大将さまがそっと戸を押し開けると有明の月の光が部屋の中に差し込んできました。月の光に照らされて遣戸を背に寄り掛かる女の姿はとても愛らしくて、右大将さまはしばらく出るのをためらっておられました。

 一方、いつものように右大将さまの身に添う影のように窺い歩いていた権中納言は、声を潜めた話し声が聞こえたので物陰に隠れてよく聞いてみると、まさしく右大将の声でございました。
「長年、これという事もなく過ぎてきた二人が契りを結んでしまったが、これから後も互いに人目を避けなければならない立場だから、思うようには逢えない」
などとしんみりとお話になっておられます。
 女は涙を零して、
「このまま縁が切れてしまうのはとてもつらいことです。だからといって心のままに逢瀬を重ねるのも難しいでしょう」
と、互いに心苦しげに語り合って、右大将がなかなか出てきそうにもないので、
「これは一体どうしたことか。この数ヶ月は、女御や更衣達にまで声を掛けて、以前の右大将とは人が変わってしまったようだ。内裏にいる中将の内侍や尚侍に仕える宰相の君などの所にも宿直の夜に立ち寄って夜な夜な語り合っているという噂を聞いてはいたが、まさかそんなことはないだろう、ただ人の噂だろうとばかり思っていたのに……。はっきりとこの耳で聞いた先程の語り合いは夢を見ているのか。やはり人違いなのではなかろうか」
 権中納言は、顔を確かめようと隠れていると、

 心ざし有明方の月影をまた 逢ふまでの形見とは見よ
(この有明の月を、また逢うまでの私の愛情の形見と思って見て下さい)

と聞こえて、そっとしのび出る音がしました。
 続いて女の声がして、

 かくばかり憂かりける身の長らへて いつまでか世に有明の月
(これほど苦しいわたしの身が生き長らえて、いつまでこの世に留まっている事が出来ましょうか。きっと有明の月のようにはかなく消えてしまいましょう)

 女はひどく別れを惜しむ気配でしたが、次第に夜が明けてゆくので仕方なく、女の歌を最後まで聴き終えなかった振りをして出て行く男を見ると、間違いなく右大将でした。
 権中納言は驚いて気持ちを静める余裕もなく、物陰から出るや立ち去ろうとする右大将の直衣の袖を押さえました。右大将が驚いて振り向くと権中納言でしたので、他でもない権中納言に女との逢瀬を見られて後ろめたい思いを隠して、さりげなく振舞って立ち止まりました。
「運命で結ばれた男だとも思ってくれず、殊更に遠ざけられ、見限られた貴女が恨めしくてなりません。私からは声を掛けまいと決心しておりましたのに、こうして声を掛けてしまう弱い我が心をもどかしく思っております」
と権中納言が涙をこぼすので、右大将は、
「一体、何を泣いておられるのですか。実は私も貴方とゆっくり話したいと思っていたのですが、お互い若君達だった頃のように気軽に立ち話も出来ない身分ですから、疎遠になってしまったと思われるのももっともかもしれません。お詫びも兼ねて改めてお伺いいたしましょう」
と微笑まれました。
 権中納言は、かつて右大将だった女が宇治で消息を絶って以来、このように近くで右大将を見る事がなかったのでじっくり御覧になると、遠目で見ていたときと違って目の前にいる右大将が確かに男っぽく見えて幾ら考えても合点が行かず、右大将さまの袖を持ったまま呆然としていました。
「いや、これは誰なのか。あの女はどこに消えてしまったのだ」
と返す返す納得出来ない様子で立ち尽くしている権中納言を見て、右大将さまは心中を察しておかしく思われましたが、
「たいそう明るくなってしまった。これは見苦しい」
と、その場を立ち去ると宣耀殿に尚侍を迎えに行かれました。

 権中納言の悩みは深く、また昔のように物思いに沈んで上の空の状態になりましたが、
「きっとあの人は右大将と同じ血筋の者が入れ替わったに違いない。やはりじっくりと話して、事の真実を確かめなければ」
と思いを定め、夕風が涼しい黄昏時に右大将の二条殿に向かいました。
 右大将は右大臣さまの屋敷にお出掛けの時で、屋敷は、人が少なく閑散としているので残念に思って帰ろうとすると、聞いたこともないような琴の音が風に乗ってほのかに聴こえてきました。心を奪われてしばらく立ち止まって聴いていると、筝や琵琶などと一緒に合奏しているようでした。どれもすばらしいものでしたが、絶え絶えに聞こえてくる琴の音はこの世のものとは思われず、もっと聴きたいと権中納言は引き返して、中門の南の塀の外に生えている薄の茂みに入って様子を窺いました。
 寝殿の南と東の格子が二間ほど上がっていて、琴の音はその内側から聞こえてくれるようでした。何としても弾いている姿を見てみたいとさらに窺っていると、ここ数日間、降り続いていた五月雨の晴れ間を待っていたかのように夕月が差し上って、あたりを照らし出しました。
「本当に久し振りの月ですね。こちらに来て御覧なさいませ」
と若々しい声がして、御簾を巻き上げて女が外に出てきました。
澄み渡った月の光の下、権中納言が嬉しくなって見ていると、糊気の落ちた白い単衣の上から裳を引き掛けた美しい若い女房で、中の女達も二人ほどが端に出て座りました。巻き上げた簾の傍からすべるように出てきた筝を弾いていた女は、ほっそりとして、髪の掛かり具合や頭の形、容姿などを見ると若い女房のようでした。琴と琵琶を弾いていた二人は長押の上に座って、こちらを向いているので様子がよく見て取れました。琴を弾いていた女は少し奥にいて、今は琴を押しやって横向きに月をしんみりと眺めていました。額や頭の形、髪の掛かり具合などがとても気品があって美しく見えました。
 上品であでやかなその姿は、女という女を見尽くした権中納言もこれほどの女はめったにないと思うほどの美しさで、思わず目が惹きつけられました。
「これが噂に聞く吉野山の宮の姫君達なのか。京の外で育った女だから幾ら美しいとはいってもたいしたことはないだろうと、これまで見過ごしていたとは……。そういえば宣耀殿の尚侍も美しかったが、少し背が高くてこんなにほっそりしていなかった。めったにいない上品で優美な女だ」
と、稀有な美しさに目を奪われた権中納言は、一度はすっかり誠実になったはずの心が変わり、もっとこの女を知りたいと思ったのでした。
 もう一方の女は琵琶に寄り掛かって縁先を見やっていましたが、こちらはとてもふくよかで愛嬌が満ち、子供っぽくて可愛らしい様子でした。
「魅力的な女たちだ。これまでたくさんの女を見てきた中でも、尚侍や右大臣家の四の君、行方の知れない右大将はそれぞれ比べようがないほどすばらしい容貌・容姿だと思っていたが、琴の女の優美で気高い様子はこちらの方が上のようだし、琵琶の女も愛敬に満ちてあどけない様子はどの女にも勝っている」
と、権中納言は右大将への物思いも忘れて立ち尽くして見ていました。
 雲一つない空に輝く月が明るく照らし、聞こえてくる澄んだ琵琶の音は全くこの世のものとは思えず、琴の女も起き上がって弾き鳴らす琴の音も例えようもなく素晴らしいものでした。
 今は世に絶えて弾き鳴らす人もなかった琴の音は、ただでさえ物悲しく心が澄む音色でしたが、澄み渡った月夜に照らされた顔立ちや姿も美しく、権中納言は感動の涙を流したのでした。
 右大将にあれほど魅せられていた権中納言でしたが、今はただ、たいそう物悲しげで親しみやすそうな女達の事をもっと知りたいと言葉をかけたい思いに駆られ、この女達を見過ごせないとばかり思うのでした。これ以上、自分の噂が立たないようにと思うものの、権中納言は自分の心が思い通りにならないことに苛立っておりました。
 琵琶を弾いていた妹ならば問題はないだろうと思いましたが、この右大将の屋敷で色めいた事をするのはためらわれて、どうしたものかと思い悩んでいたのでした。
 そのうちに月も沈んでしまい、琴を弾いていた女は部屋の中に下がりました。琵琶を弾いていた女はまだ縁先に目をやったままで筝の女と何か話したり笑ったりしていました。女房達もそれぞれ吉野山でのしみじみと風流があった花紅葉や雪の季節のことなどとりとめのない話をしていました。
いつまでもこうしてここにいて見付かってしまうと面倒なので、権中納言はそっとその場を後にしましたが、魂は女達の袖の中に入ってしまったような気分でございました。

 これまで想いをかけた女達が皆遠ざかり、独り寝で明かし暮らすのもしばらくなら構わないが、長く続くのは世間体もよくないだろうと、月影の下で見た琵琶の女と語り合ってみたいとその姿を思い出していました。
権中納言は、垣間見たことをほのめかさなかったことが口惜しくて、
「何とかして言い寄りたいが、右大将はあの女をどうするつもりなのだろう」
と、権中納言はこのことで頭が一杯になり、かつて右大将だった女の事ばかりで悩んでいた心はしらぬ間に慰められていたのでございました。

 その頃右大将は、
「やはり妹宮は権中納言と結婚させようか。尚侍も表面上はさり気なく振舞っておられるが、やはり若君の事が気に掛かっているようだから、権中納言との縁があれば消息を確かめることもできるだろう」
と考えておられました。

 六月十日を過ぎたある日、右大将は吉野山の姉宮と妹宮を連れて二条殿にある尚侍の屋敷にお渡りになりました。趣深い池に張り出して建てられたとても涼しげな釣殿(つりどの)で、昼間から、殿上人や上達部などと漢詩を作ったり和歌を詠んだりして遊ばれ、日が暮れて月がさし昇る頃に蔵人(くろうど)の兵衛佐(ひょうえのすけ)という母方の甥に当たる人を使者として権中納言に使わされました。

 主ゆゑとはるべしとは思はねど 月にはなどかたづね来ざらん
(私が主人でお招きしても来てくださるかどうかわかりませんが、このように美しい月をどうして見においでになられないのでしょうか)

「貴方様のお供をするように命じられました」
 使者の言葉に、権中納言は、
「これは一体どういうことか」
と動揺する心を静めながら、

 月のすむ宿のあはれはいかにとも 主からこそ訪はまほしけれ
(澄み渡った月夜に照らされる屋敷はどのように素晴らしい風情かと、ご主人の人柄に惹かれて訪ねたく思っております)

「すぐに参上すると、お伝えしてください」
 権中納言は、香を焚きしめ、念入りに手入れした直衣姿で二条殿に現れました。
 月の明かりが隅々まで射し込んだ釣殿で、右大将は直衣姿で笛を吹き鳴らしたりしながら権中納言を待っておられました。 右大将は、客人である権中納言に琵琶を渡して熱心に勧められましたが、権中納言は以前に月明かりの下で見た女達がこの世のものとも思えぬ音色で琵琶を奏でていた事を思い出し、とてもあのように弾く事は出来ないと手を触れようともしないので、
「これではわざわざお呼びした甲斐もありませんね」
と右大将自ら笛を吹きながら勧められたので、権中納言は琵琶を手にとって少し掻き鳴らしました。
 右大将の笛の音は言うまでもなく、権中納言の琵琶の音も夜空に澄み昇る程に見事で、二人の演奏は実に素晴らしいものでした。左衛門督が筝の琴を、宰相中将が笙の笛を、弁少将が篳篥を、蔵人の兵衛佐が扇を鳴らして「席田(むしろだ)」を謡う声も素晴らしいものでした。
 その宴は大掛かりなではなかったのがかえって風情があり、権中納言は前に聴いた琴の音を思い出しておりました。
「このような夜には女性がいる方が趣き深いと思いませんか」
 権中納言がしきりに勧めるので、右大将もここに姉宮の琴を加えたら権中納言はどんなに感激するだろうと思われました。
 幾度となく杯を重ねて、人々も酔いつぶれ、しだいに夜が更けるにつれて、権中納言は、
「宇治の橋姫がこの御簾の向こうにおられるのではないか」
と直接右大将に聞いて確かめたくてたまらなくなりましたが、御簾の内側に几帳を添えて立て並べてあり、そのすぐ近くで忍んでいる女房達の衣擦れの気配がするので、先の夜に見た美しい女達が自分を見ているのでなはいかと言い出せませんでした。
 客も半分ほどが帰ってしまったので、権中納言は右大将の近くに膝を進めて、
「わざわざ私を呼ばれたのは、理由があってのことでしょうね。もちろん特別な贈り物が用意してあるのでしょうね」
と申すと、
「もちろん用意してあります。引出物がお気に召したら、日頃の恨みはきれいさっぱりと解いてくださいますか」
 微笑む右大将に向かって、権中納言は、

 昔見し宇治の橋姫それならで 恨み解くべきかたはあらじを
(昔に逢った宇治の橋姫に会わせてくださらないのなら、私は恨みを解くわけにはいきません)

「いつの世になったら宇治の橋姫と逢えるのでしょうか」
と涙を拭い隠しますので、右大将は、

 橋姫は衣かたしき待ち詫びて 身を宇治川に投げしものを
(橋姫は衣の片袖を敷き待ち侘びて、ついにはその身を宇治川に投じてしまったのです)

「私の用意した引出物はお気に召さないようですから、やめる事にしましょう」
と右大将がきっぱりとおっしゃいますので、権中納言はどうしても不可解で、自分を呼んだ理由をはっきりさせたいと思い、また、宇治の橋姫でなくても今宵の引出物は見過ごし難いと思ったので、ひどく悪酔いした振りをしながら、
「今宵はもはや帰れそうにもありませんので、ご不満でも、この御簾の前で夜を明かす事にしましょう」
と言うと
「いいえ、そこではお客さまのあなたには失礼ですのでこちらへどうぞ」
と右大将は権中納言を御簾の中に導き入れ、自分は吉野山の姉宮を連れて出て行かれてしまわれました。

「もし宇治の橋姫だったらどうしよう」
 権中納言は騒ぐ心を押えながら女に近寄っていきました。
 御帳台の中でとても慎ましげに寄り臥している女の手触りや気配はとても可愛らしく感じられ、相手が月影の琵琶の女と知れました。権中納言は、望んでいた宇治の橋姫ではなかった事に物足りなく悲しい気持ちになり、女を見るにつけても姥捨山の月を見た人のように心を慰められない気持ちでした。
 しかし、人柄や態度が理想的で、可憐であどけなく心が美しい女の様子を見ているうちに、月草のように移ろいやすい権中納言の心は、様々な過去の恋も思い慰められる気分になっていき、先日、月影の下でほのかに見初めて以来、思いを寄せていた心中をいつものように細やかに言葉を重ねて女に話したのでございました。
 夜更けの名残も消え行く気配の頃になっても、権中納言はそのまま部屋に留まる様子でしたので、右大将は知らせを聞いて驚き、手水や朝粥などを用意し、装束を美しく調えた女房を権中納言の許に使わされました。
 日が高くなって、権中納言が女を見ると、二十歳にもなっていないくらいで、若く愛らしげで欠点もなく整い華やかな愛敬に満ちておりました。これまで比類がないと思っていた宇治の橋姫にも劣っていないので、慰められる気がして嬉しくなったのでございました。
 女の話し方は、慎ましいものの引っ込み思案という訳でもなく、女はこうあって欲しいと思う程に言葉に余情が込められて、
「この女なら妻とする甲斐がある。本当に理想的な女だ」
と権中納言は一日中、語り合って過ごしたのでございました。

 そうこうしたいるうちに、権中納言のもとに右大将から使いが来て、
「昨夜は、酔いに紛れてたいそうご無礼な事をしたお詫びとして、本来ならばこちらから伺うべきですが、体調が優れぬ為に静養しております。申し訳ありませんがこちらに来ていただけませんか」
と申すので、権中納言は右大将のもとへと向かいました。

 二人はしんみりと語り合いましたが、権中納言には、右大将が宇治の橋姫のことにまったく触れないことが物足りませんでした。
「貴方から思い捨てられてしまったとこちらへの出入を遠慮してまいりましたが、形見の幼子のことも全くお尋ねにならないのはどうしたことかと気がかりに思っておりました。しかし、こうまで私のことを考えてくださっていたとは、嬉しい限りです。日頃の悩みが高じて正気を失ってしまっていたのか、いまでも、昨晩の事は現実とは思えません。貴方の形見と思って幼子の世話をしていますが、さすがに男の身なのでいつもつきっきりで世話をするという訳にもいきません。顔を見られない日は心配でたまりませんでしたが、これからはこちらにお預けできたら安心です。このようにお願いするのも愚かしい事ですが、あの子を見捨てるなどされるはずもないでしょう」
と言いながら、権中納言は耐え切れずに涙を零しました。
「そのように思われるのもごもっともですが、こうする以外にあなたの恨みは解けないだろうと思ったのです。あなたは思いがけない突然のことと驚いたかもしれませんが、あなたならきっと分かっていただけると思ったのです」
「確かにこのように慰めてくれる人がそばにいなければ、生きる気力もございませんでした」
 権中納言は、右大将のいない宇治の屋敷で涙だけを友として明かし暮らしているのに比べれば、遥かに心が慰められる気がしておりました。

 吉野山の妹宮との逢瀬を重ねるにつれて、権中納言の愛情はますます深まっていきました。
 世間では、
「権中納言は、右大将の吉野山の奥方の妹のところに通っているそうだ。どうも右大将が引き逢わせたらしい。四の君との不倫がもとで疎遠になっていた二人の仲が戻ったのは、右大将の度量が広かったからだ。普通の人なら根に持って会いもしないだろうに、あのように厚遇しているのは、右大将を誉めるべきだろう。それをいいことにしている権中納言はその程度の男だったのだ」
などと噂をしておりました。
 権中納言は、人聞きの悪い噂に返す返す反省するものの、あの時の月影に見た琴の女の容貌や有様が身を離れず、性懲りも無く、右大将の屋敷に行くたびに、しかるべき折はないかと機会を窺っていましたが、吉野山の姉宮はひどくよそよそしく遠ざけて、少しも隙を与えることはありませんでした。

30 中宮の出産

 七月になって、尚侍は妊娠五ヶ月となった事を帝にお伝えして二条殿に退出されましたが、その頃、権中納言は、ずっと二条殿の吉野山の妹宮のもとに滞在しておりました。
 尚侍は、権中納言が、女房たちと冗談を言ったりしてふざけ合っているのをひそかに見聞きしながら、昔は何でも分け隔てなく語り合い、その挙句に、女の身でありながら妻を持つ風変わりな身の秘密まで晒してしまった情けない過去、心細くなって全ての公務を途中で投げ出して姿を隠してしまったことや、権中納言をひたすら待ち遠しく思って嘆き過ごしていたことなどをしみじみと思い返しておられました。
 また、権中納言の声が聞こえてくる度に、初めて産んだ若君の無心の笑顔を思い出し、涙の零れてきましたが、見咎める人がいたら変に思うだろうと、ぬぐい払って紛らしておられました。

 八月末になると、右大臣家の四の君も出産を控えて二条殿に移って来られました。
 四の君は決まりが悪いので姫君達を連れて来られませんでしたが、右大将からも「連れて来なさい」とおっしゃらないので、右大臣さまは、世間の噂はやはりうそではなかったのだと改めて思われたのでございました。

 九月の初め、四の君はとても安産で若君をお生みになられました。今回は父親を疑う事もなく、左大臣さまや右大将さまはこの上なく喜ばれ、自ら産養い(うぶやしない)や何やら取り仕切られ、右大臣さまも、今度の若君は姫君達には少しも似ておらず、右大将の顔を写し取ったような顔なので、有頂天で喜んでおられました。
 それを聞かれた尚侍は、初めの姫君の七夜の祝いの事や、次の姫君の出産を宇治の屋敷で心苦しく聞いたことなど様々あった過去を思い出し、今の自分を夢のように感じておられました。

 引き続いて右大将さまは、今度はもっぱら尚侍のお世話にあたられましたが、長年、帝には世継ぎの男宮がいらっしゃらなかったので、昼夜祈念し、多くの神仏に祈祷した効験か、尚侍も苦しまれもせずに男宮をご出産されました。
 産屋の祝いはもちろん、三日の夜は左大臣さま、五日目は東宮大夫(とうぐうのだいぶ)、七日目は帝、九日目は右大将さまがと、それぞれに心を尽くした宴は素晴らしく、通常の祝宴に更に趣向を凝らし、詩歌管弦の遊びや何かと盛大な催しが行われましたが、それを見るにつけても、尚侍は、宇治で生んだ若君がとても可愛らしく気高いご様子であったのに、他人に知られてはならない身であることを思うと、ほろほろと涙が零れ落ちるのでございました。

 ひたぶるに思ひ出でじと思ふ世に 忘れ形見のなに残りけん
(あの頃のことは、ひたすら思い出したくないと思っていますが、どうして忘れ形見の子だけが残されてしまったのでしょうか)

 その頃、大臣の任命式があり、右大将は兼任で内大臣になられました。他の人々も順次昇進し、権中納言は大納言となられました。
 大納言は喜びにつけても昔の事が思い出され、権中納言になった折に四の君が「人知れぬをぞ」という歌を送って来たのを見て、当時の右大将が態度には出さなかったものの、どういう事かと不振がられていたのを今の事のように思い出し、嬉しい気持ちもさめるような気がしていたのでございました。

 大納言は、宇治で生まれた若君を二条殿に移して吉野山の妹宮に預ける事にしました。
 妹宮は若君をとても愛しく思われ、お世話なさるので大納言は嬉しく思っていました。
 若君の乳母は、突然姿を消した若君の母が吉野山の宮の娘ではないかとそれとなく思っていたので、妹宮が若君を迎え入れたと聞いて、
「大納言さまは行方不明でとなって思い嘆いていたお方を探し出したに違いない。早くお会いして積もる話を申し上げたい」
と嬉しさがこみ上げてくるようでした。
 しかし、姿を見せた妹宮を見ると、宇治から姿を消した女ではなかったので、とてもがっかりして納得がいかない気持ちがしましたが、この妹宮も実の親子以上に若君を可愛がるので、乳母の心も慰められていったのでございました。

 大納言がおられぬ時には、妹宮の部屋に伺候して話などをしていましたが、とても親しげに可愛らしく話すので乳母は嬉しく思い、若君が母と別れた時のことや、母親の容貌やお姿が見飽きる事がないほど素晴らしかったことなどを隔てなく語ると、妹宮は涙を流され、
「お気の毒ですね。今、ただこうしてお世話をしているだけでも若君と別れるのが辛いのに、どういう心で若君を捨てて行方を絶たれてしまわれたのでしょうか」
「若君の母親は貴女様のご姉妹ではないかと思っていました。大納言さまがこちらにお移りになられたので、別のお方とは思いも寄らず、早くお会いしたいと思っておりました。別のお方だと分かって少しがっかりいたしましたが、今は、実の母親よりも親しげで優れた貴方さまのお人柄に嬉しく思っています。でも、母親だった女が今はどこでどうされているのかと心が休まる時がありません。もしかしたら右大将さまの奥方さまがその人ではないのでしょうか」
 乳母が声を潜めて申し上げると、妹宮は笑って、
「右大将さまの奥方とわたし以外に姉妹はいませんが、姉君は私と一緒にずっと吉野に居りましたから何かの思い違いです。どういう人違いをしたのかわかりませんが、世間の人は、わたしや姉をそのように見ておられるのですね」
 そう言う様子も愛らしく魅力的でしたが、やはり、乳母は若君の母親のことを忘れられませんでした。

 その年は、さまざまな慶事が続いて年が改まりました。

 これまでは帝に世継ぎの男子がおられなかったので女東宮が立たれておられました。しかし、長患いを理由に東宮はかねがね位を退きたいと申されておられましたので、正月、若宮のお誕生五十日の儀に合わせて若君が東宮に立たれ、前の女東宮は院となって女院と申しあげることになりました。
 若君が東宮になったのに引き続き、尚侍は女御の宣旨を受けられて、四月には中宮となられました。その儀式はこれまでのものとは比べ物がないほど盛大だったのは申すまでもございませんでした。長年、皆が望んでいた立后であったので、誰もが喜んでおりました。
 
 若君は、言葉を話すようになり走り遊びするのを見るにつけ、大納言は忘れる事が出来ない過去を思い出して、
「それにしても宇治からいなくなった右大将だった女がどうなったのか、この女君は事情を知っているかもしれない」
と大納言は折を見ては尋ねてみるが、吉野山の妹宮は分からない様子なので、なおさら気になって、
「右大将はいつ頃から吉野山においでになるようになられたのですか」
と尋ねると、
「中納言さまともうしあげていたころから、おいでになられていたと聞いています」
とおっしゃいました。さらに、
「姉君とはいつからご一緒に住まわれているのですか。どのようにしてお通いになられるようになったのですか」
などと、こまごまと尋ねると、
「一昨年くらいからでしょうか。あまりよく分かりません」
と妹宮は言い紛らすので、
「私は長年、宇治に迎えた女の事を思い悩んで、ついには病に掛かり命も果てるかと思うほどでしたが、貴女に会ってからは生きる気力も出てきて、貴女をこの世に二人といないほど限りなく愛しい人だと思っています。それなのに、このように隠し事をされて心を隔てているのがとても悲しいのです。幾らなんでもご存知のはずなのに、少しでも私の心を思ってくださるのなら話してくれてもいいではありませんか」
 大納言の言葉に、妹宮は微笑んで、
「わたしが隠していることは何もありませんが、貴方の方こそ心に隔てがあって、ありのままにおっしゃられていないようですね。とはいっても、貴方の心の内が分かったとしても何もお話できることはありませんが……」
「隠すつもりなどありませんが、話せない事情があるのもお察し下さい。はっきりとご存知でなくても、きっとこうだろうと思うことがあったら教えてくれませんか。教えてくだされば私も初めから話しますから」
「貴方でさえ口に出して言いにくいと思っておられることを、ほんの少し知っているだけでどうして憶測でお話しすることが出来ましょうか」
 はっきりと教えてくれる人はいませんでしたが、妹宮は、朧げに事情を察していましたので、大納言はどんなにか気掛かりで納得出来ないに違いないと気の毒に思っていましたが、誰が聞いても奇妙で不思議な話を、いい加減に口にするのは問題だろうと話そうとされませんでした。
大納言は、何とか聞き出そうといろいろと機嫌を取りながら尋ねましたが、
「ただ、何か事情があるのだろうとお察し下さい。いまさら聞いて分かったとしても、絶え果ててしまった野中の清水を再び汲むのが難しいように、きっと貴方の心は今よりも増して悩み深くなるでしょうし、世間にも悪い噂が流れるのはよくないでしょう」
と、その都度、頑なに拒まれる苛立たしさはどうしようもありませんでした。
 大納言には、行方不明と苦しむより、知っていながら教えてもらえない不満の方が例えようもなく辛いものでございました。

31 中宮との対面

 月日は過ぎ去り、中宮さまは二宮、三宮、内親王をお産みになられました。こういう運命だったのだと、まわりの女御や更衣も帝の子を宿さない我が身の不運を恨むしかありませんでした。
 右大臣家の女御は他の女よりも先に入内して「我こそは」とお思いでしたが、帝の寵愛を失ってなお宮中に留まり続けるのも具合悪くなり里に下がってしまわれました。
 これを聞いた中宮さまは、
「かつて四の君のことで右大臣さまに恨まれたり、宇治でこもっていた頃には四の君のせいでつれない男の心に思いに悩んだけれど、今度は、私のために女御が帝の愛情を恨んで里に籠もってしまわれた。これも右大臣家との浅からぬ宿縁の故だろう」
と、互いに恨みが絶えそうにない両家の因縁を身に沁みて感じておられました。
 右大将さまも、四の君との間に男の子が三人続けてお生まれでした。左大臣家で成長した若君も今は成人され、童殿上などして内裏に出入されていましたが、吉野山の姉宮には子どもが授からなかったのでこの若君を養子に迎え、特に可愛がっておられました。
 また、中宮さまとの縁もあって若君は女院からも殿上を許されました。昔、宣旨だった侍女は、参上する若君をとてもしみじみとした思いで眺め、御簾の内にまで入れてとても可愛がったのでございました。女院も、母であることを打ち明けることはございませんでしたが、可愛らしく成長した我が子をいとおしげに御覧になられたのでございました。
 大納言と吉野山の妹宮との間には、姫君二人と若君が生まれましたが、下の姫君は右大将の北の方(吉野山の姉君)が特に目を掛けて、若君と一緒に左右に置いて育てられました。

 人知れず宇治で生まれた大納言家の若君も今は、右大将さまの若君と同じように童殿上して内裏に出入りしておりましたが、中宮さまはその姿を見る度に、帝との子たちに劣らず愛しく、切ない思いで御覧になっておられたのでございました。

 ある春の日ののどかな昼下がり、二宮と宇治の若君が遊びがてら中宮さまの部屋においでになりました。二人ともとてもよく似ていましたが、宇治の若君は、もう少し美しく愛敬に溢れて見えましたので、中宮さまは思いを抑える事が出来ず、女房達が多くいない時だったので御簾の中に入ってくるようにと声を掛けられました。
二宮はすぐに入ってきましたが、若君は入ってこないので、
「お入りなさい。構わないですから」
とおっしゃると、端にきちんと座りなおしました。御簾の前に控えている若君はとても可愛らしく、今は最後と乳母に抱き取らせて密かに宇治を離れた夜が、つい先日であるように思い出されて、たまらなく悲しくお思いになられました。
中宮さまはここで涙を見せたら変に思うかもしれないと、無理に隠そうとなさいましたが、溢れる涙を抑える事が出来ず、
「貴方は母上をご存知ですか。父上は何とおっしゃっていますか」
と尋ねられました。
 若君は、物心がつくにつれて大納言や乳母が明け暮れ口にして恋い泣いても依然として行方不明のままの母親がどうなったのかと気にかけていましたが、目の前の若い中宮が泣きながら母親の事を尋ねるので、もしやこの人が母上ではないだろうかという気がしたのでした。
「しかし、この人は本当に自分の母上だろうか」
と若君が落ち着いて考えながらまま黙っているので、中宮様には、その様子が不憫に見え、近くに膝を進めて髪をかき撫で、
「貴方の母上はわたしと縁のある人で、いまでも貴方の事を一時も忘れられず恋しく思っているのを見ているのが不憫で、つい呼びとめてしまいました。あなたのお父上は、母上はもうこの世にないと思っていることでしょうが、母上は生きていらっしゃいます。何かあった折にはここにいらっしゃい。こっそりと引き逢わせてあげましょう。でも、このことは誰にも話さず、ただ貴方の心の中だけに止めておかなければ、会うことは叶いませんよ」
 中宮さまのお話をひどく悲しげな顔で頷いて聞いている若君が愛らしく、離れ難い思いで御覧になられていましたが、二宮が走ってきて、
「さあ、行こう」
と引き立てて行ってしまったので、名残惜しくも悲しく、御簾の端まで寄って、涙を零して見送られたのでございました。
十一歳になった若君は髪が脛の辺りまでゆらゆらと掛かり、とても可愛らしくて、宮達に畏まっているのは、見ているだけで切なくて、

 同じ巣に帰へるとならば田鶴の子の などて雲居のよそになりけん
(鶴はみな同じ母の巣に帰ると言うが、どうして若君だけが内裏の外の人になってしまったのか)

と中宮さまは歌を詠んで涙を流されました。

 帝が中宮さまの部屋まで来られると、中から話し声がするので、そっと物陰から覗かれると、中宮さまが若君に向かって泣ながらお話になられているので、変に思い、音を立てないようにそっと見ておられました。
「そうだったのか、何かわけがあると思ってはいたが、この若君は中宮の子だったのだ。母親が誰とも分からぬまま、大納言が明け暮れ涙の川に浮き沈みながらも傍から離さず育てていたと聞いて奇妙に思っていたが、こういう理由であったか。以前、病気を理由に東宮に参上せずに半年ほど引き籠もっていたのは、きっと子のこの出産のためだったのだろう」
と若君の年齢からすると間違いないだろうと帝は納得されました。長年、中宮さまの最初の男が誰なのかと思い続けておられましたが、こうして事情がわかり帝はやっと安心されたのでございました。
「これまで、左大臣が結婚を許さなかった相手は、きっと身分の低いつまらない男だろうと少し不満だったが、あの大納言ならば人柄や容貌、有様を始め私でもかなわないほど非常に優れているから結婚を認められぬような相手ではないと思うが……。やはり、右大臣はどうしても后にさせたいと思っていたのか、それとも、大納言の浮気性な人柄が信頼出来なかったのか、もしくは右大臣にありきたりの結婚だと思われてしまうかもしれないと気になり、許さなかったのだろう。しかし男も女も、おたがい心の中ではやる瀬ない思いでいることだろう」
と帝は中宮と大納言の関係を気の毒に思われたのでございました。

 帝はたった今いらしたかのようにお入りになると、中宮さまは涙を拭い隠して起き上がられました。これまでは何とも思われませんでしたが、事情がわかって良く御覧になると、確かに若君が宮たちと遊んでいる様子はとても似ていましたので、これまで気付かなかった自分のうかつさを滑稽に感じられ、
「右大将や大納言などは、今は年長の上達部になって、この内裏に美しい若人がいなくなってさみしい気がするが、彼らの子ども達も父親にも劣らぬ容貌だから、いずれは優れた人が多くなりそうですね。中でも先程の若君や右大将の四の君が産んだ男の子は、今から抜きん出ているようです。右大将家の大若君と先の若君の母親が誰であるか知られていないのが残念ですが、世人は右大将家の子どもの母親は女院ではないかと噂しているそうです。確かに人柄や様子が気高く優雅で、そうなのだろうと思わせられますが、あの大納言の若君にはそういう噂がありませんね。いや、他人は皆知っていても、誰も私に教えてくれる人がいないだけなのでしょうか」
と微笑む帝を見て、もしかしたら気付かれたのではと、胸が締め付けられる思いがしましたが、
「さあ、わたしは存じません。右大将家の大若君の母親は全く別人でしょう。女院さまにおつかえしてきた私が知らないのですから、そういうことはありえません」
とお答えすると、
「ですから、そういう立場の貴方だから、きっと知っているだろうと噂しているのです。もしそうだとしても実際、誰にも具合が悪いという訳ではありませんからいいではありませんか。右大将家の大若君のことはご存じなくても、それでは、大納言の若君の方はご存知ですか。」
とおっしゃるので、中宮さまは答えようがなく顔を真っ赤にして横を向かれてしまわれました。
 どんな咎や過ちがあったとしてもそのお顔やお姿を一目見ただけで全ての咎が消え失せてしまうようで、まして、この中宮さまにだけお子が生まれたので、帝の寵愛がますます深くなることはあっても、失望されることはなく、その日も二人は抱き合って一夜を過ごされたのでございました。

 大納言家の若君は先程の名残で何となくしみじみとした気分で戻られると、乳母にこっそりと、
「私の母上ではないかと思われる方にお逢いしました。父上にはお知らせするなと言われたので、申し上げないつもりです」
と涙を浮かべて話す若君に乳母はひどく驚き、
「それは一体どういう事ですか。どこにいらっしゃるのですか。どうして母上だとお分かりになったのですか。どのようなご様子でしたか」
と矢継ぎ早に訊ねると、
「とても若くお美しく気品のある方でした。その方が、母だと名乗ったわけではありませんが、貴方の母上はこの世に生きているとだけは信じていて下さいとおっしゃってひどくお泣きになられました」
と、若君はとても考え込んだ様子で、それ以上はまったくお話されないのがもどかしくて、乳母が、
「父君があれほど寝ても覚めても恋しくて、悲しく思っているのですから、この世に生きていたと知らせすれば、どんなにかお喜びになられるでしょうに、どうしてそのように隠すのですか。どうやって母上に会われたのですか」
と問うと、
「父君にはお話してはいけないとおっしゃいました。また再びお逢いして、『父君にもお話し申し上げよ』とお許しがあった時にお話します。あなたも今はもうしあげないでください」
と乳母に口止めするのも、幼いのに似合わずとてもしっかりした若君なのでございました。

32 その後

 右大将さまは、麗景殿の女を行きずりの女として思い捨てるのはさすがに気の毒にお思いになり、折々に忍んで通っているうちにとても可愛らしい姫君がお生まれになりました。
 四の君が産んだ姫君の他に女の子はいなかったので、ぜひ二条殿に迎えたいと考えられましたが、長年、子どもが生まれぬ事を嘆いていた麗景殿の女御は授かった姫君をとても可愛がり、手放そうとなされませんでした。
 帝は中宮ばかりを寵愛されましたので麗景殿の女御は肩身が狭く、また、子を産んだことで人目にも具合が悪い事が多く決まりが悪いまま宮仕えをしていましたが、右大将さまが心を寄せ、女御の後見をされてからは万事が上手くいくようになり、これまでの不幸もしだいに薄らいでいったのでございました。

 年月はさらに過ぎ去り、関白左大臣さまは出家され、右大臣さまが太政大臣になられました。右大将さまは、左大臣に昇進され関白を兼任するようになられ、宮の大納言は内大臣として右大将を兼任されました。若君たちもそれぞれ元服し、中将、少将となりました。
 また帝も位を退かれ、東宮が帝位に就かれ、二宮が東宮におなりになりました。四の君が産んだ姉妹は女御として入内し藤壺に入り、続いて麗景殿で育った姫君が東宮の女御として入内しました。
 それぞれに思いのとおりにめでたい出来事が続きましたが、年月が過ぎ行き世の中が変わって行ってもなお、内大臣は、宇治での出来事を思い返して涙が袖を濡らさない時はなく、三位中将となった若君が成長するにつれて、他の人より抜きん出た様子や顔立ち、学才を見るにつけ、
「どんな気持ちでこの子を見捨てて、行方を絶ってしまおうと思ったのだろう」
と苦しくも恋しく、さまざまな思いに心が晴れることはなかったのでございました。

巻一)  (巻二)  (巻三

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