とりかへばや物語

 (巻一)

 1 おいたち
 2 裳儀と元服
 3 若君の結婚
 4 姫君の参内
 5 宮中の暮らし
 6 宰の中将の密通
 7 四の宮の懐妊
 8 吉野の宮
 9 吉野の姫君
10 中納言の帰京

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1 おいたち

 ずいぶん昔のことでございますが、権大納言(ごんだいなごん:大臣を補佐する次官クラス)で近衛大将(近衛府の長官)を兼任しておられた方がいらっしゃいました。とても聡明な方で、お顔立ちもよく物腰も柔らかで、人柄や世間の評判も優れていらっしゃいましたので、他人から見れば何一つ不満があるはずもないような人がうらやむご身分でございましたが、心中には人知れぬ悩みをお持ちで心が晴れることがございませんでした。

 権大納言さまには、奥方さまが二人おいででした。お一人は源の宰相(げんのさいしょう:源氏出身の参議)の娘で、権大納言さまはとりたてて深い愛情を掛けてはいるわけではございませんでしたが、初めての娶られた奥方さまで、契りを結ばれた方でございましたので大切になされておられました。そのうちに玉のように美しい男君がお生まれになり、いよいよ大切になされるようになりました。もうお一人は藤中納言(とうちゅうなごん:藤原氏出身の中納言)の娘で、このお方にもたいそうお美しい姫君がお生まれになりましたので、同じ時期に男女お二人の子を授かるのは、滅多にない素晴らしい事ととても大切にお育てになったのでございました。

 権大納言さまは、お二人の奥様のご器量がともにあまりよくないことを不本意に思っておられましたが、それぞれのお子さまはたいへん愛らしく、どちらの奥方さまからも不平のでないように偏りなくお通いになっておられました。

 お二人のお子さまのお顔立ちはどちらもすばらしく、またお顔はよく似ていて取り違えそうなくらいでございましたので、同じ場所でお育ちになったなら色々と不都合もあったでことでございましょうが、別々に母君のもとでお育ちになられたので幸いそういうこともございませんでした。
 お子ざまのお顔は一見よく似ていらっしゃいますが、若君は上品で気高く優美な気品を備えていらして、一方姫君は華やかで活気に溢れ、幾ら見ても見飽きる事のないほど愛らしく、類がないほど素晴らしいお姿でございました。

 お二人のお子さまが成長なさるにつれて、若君は、あきれるほど人見知りをされるようになられました。女房(奥向きの女性使用人)にさえ見慣れていない者にはお顔を見せようとはなさらず、お父上の権大納言さまにまでもよそよそしく恥ずかしがる有様でございました。権大納言さまは若君に漢籍を学ばせて貴族の教養を教えようとなされましたが、若君はまったくその気にならず、それどころか御帳の中にこもってばかりで、絵を描いたり、人形遊びや貝覆い(かいおおい)といった女の子の遊びばかりをしていらっしゃいました。
 権大納言さまはいつも「情けないことだ」とお叱りになられるのですが、若君はしまいには涙までこぼされてしまい、権大納言さまもそれ以上無理強いすることは、ためらわれてしまわれるのでございました。
 また普段はもっぱら母上や乳母あるいは幼い女童にしか顔を見せず、それ以外の女房などが来ると、恥ずかしさのあまり几帳の裏に姿を隠してしまわれるので、権大納言さまは『ほんとうに妙な子どもだ』と思い嘆いておられました。

 一方の姫君のほうはとてもいたずら好きで、めったに部屋の中でじっとしている事がなく、いつも外においでになり、若い男や童と一緒に蹴鞠や小弓ばかりして遊んでいらっしゃいました。客間にお客人が参上して、漢詩を作ったり笛を吹いたり和歌を詠ったりしているとその場に走り出てきて、誰が教えたわけでもないのに男のように笛を巧みに演奏し、詩を吟じ、歌を詠じられるのでございます。参上された殿上人(てんじょうびと)や上達部(かんだちめ)は、そんな姫君を誉めそやしてかわいがり、また教えてさしあげたりもして、
『こちらの奥方さまのお子さまは姫君だと聞いていたが、若君の思い違いであったのか』
と皆、一様に頷き合っておりました。
 お父上がおいでのときは、人前にお出にならぬように姫君を取り押さえてでもお隠しになるのですが、客人が参上されると、権大納言さまが衣装を調えている間にさっと走り出てきて人見知りせずお遊びになるので、権大納言さまも止める事がままなりません。そのため客人は、すっかり姫君のことを若君と思い込んでしまい、面白がって可愛がりながらお相手をされるので、権大納言さまもしかたなくそのままにしていらっしゃいました。
 しかし、そのお心の中はまことに情けなく、ただひたすら『とりかへばや(若君と姫君を取り替えたいことだ)』と思っていらっしゃるのでございました。

 そう思いながらも、権大納言さまは、お二人が幼いうちは
『いずれ自然に直るに違いない』
とご自分を慰めていらっしゃいましたが、十歳あまりになっても、あいかわらず同じご様子なので、いったいどうしたものかと嘆くばかりでございました。
 そうはいっても、いずれ時が来きて自分で分別もつくようになれば、自然と分かるに違いないとじっと我慢しておられましたが、それでも一向に直りそうにありません。これは世間に例のない事だと、不安な気持ちはいよいよ増すばかりでございました。
 権大納言さまは、軽々しく外歩きも出来ないほどのご身分の方でございますので、お屋敷を広々と造って、二人の奥方さまをそれぞれ西と東の対の屋に住まわせになり、中央の寝殿を荘厳に飾り立ててご自分のお住まいになさっておいででした。
 権大納言さまは、二人の奥方さまのご器量に満足されていたわけではございませんが、奥方さま方が羨み合う事がないように、それぞれ月に十五日ずつお通いになりました。そして二人のお子さまのことも、いつしか、人々が言い習わしているように、姫君を「若君」、若君を「姫君」と呼ばれるようになっておいででした。

 ある春ののどかな昼下がりの事、権大納言さまは物忌みのためにこれといってすることもなく、姫君(実は若君)がお住いの部屋にお渡りになると、例によって御帳の内にこもって琴を爪弾いていらっしゃいました。女房達も部屋のあちこちで碁や双六を打って所在なげに過ごしております。
 権大納言さまは御帳を押し遣って、
「どうしてお前はこのように御帳の内に閉じこもってばかりいるのだ。外に出て満開の桜でも見てはどうだ。女房達もふさぎ込んで、つまらなそうにしているではないか」
 とおっしゃって、浜床(はまどこ:御帳の中にしつらえた一坪ほどの台)に寄りかかるように腰をおろされました。
 姫君の髪は身の丈よりも七、八寸ほど長く、秋の薄(すすき)の穂のようにしなやかになびいている様子は、『扇を広げたようだ』と物語に書いてあるほどではありませんが、かえって趣きのある風情でございまして、権大納言さまは昔物語のかぐや姫もこれほど美しくはなかったであろうと、じっと見ているうちに自然と涙が滲んで目が曇ってしまうのでございました。

 権大納言さまは姫君の傍らに寄り、どうしてこのように美しくなってしまったのだろうかと、涙を目に一杯に浮かべ、姫君の髪をかき上げてご覧になると、姫君はとても恥ずかしげに耐えられぬ風情で額に汗まで浮かべ、上気した顔は紅梅が咲き出したように艶やかに輝いておられます。恥ずかしげにうつむいて今にも涙が零れ落ちそうな目元がいかにも悲しそうなので、権大納言さまも涙を誘われ、いとおしげにしみじみと見入っておられました。

 姫君は、さすがに化粧まではなさっておられませんが、それがかえって美しさを引き立て、化粧をした以上の色つやでございます。額髪が汗にもつれて、指でひねったように形よく垂れ、可憐で魅力的な気色をかもしておられます。『白粉を塗り立てるのは疎ましいものだ。やはり、このように素顔でいるのがよいものだ』と、権大納言さまは思われたものでした。
 姫君は十二歳になられましたが欠点もなく、体つきもすらっとしてたいそう優美な風情で、着馴れた桜色の袿(うちき)を六重襲(むえがさね)にし、配色の落ち着いた葡萄染(えびぞめ)の織物の袿を表着に着こなしている様は、姫君の人柄の良さに引き立てられて、袖口・裾の褄までがいかにも趣がある風情でございました。
 権大納言さまは
『困った事だ、この先は尼にでもするしか手はないだろうか』
と考えるにつけても、口惜しく涙が止まらないご様子でございました。

 いかなりし昔の罪と思ふにも この世にいとどものぞ悲しき
(どのような前世の罪の報いでこのような子どもが生まれたのかと思うにつけ、この世がいっそう悲しくてしかたがない)

 次に、権大納言さまが西の対にお渡わたりになると、思わず鳥肌が立つような吹き澄ました横笛の音色が聞こえてまいりました。その笛の音を聞いていると、空に響き昇るような音色にじっとしていられないようなお気持ちになられました。「これはきっとあの子が吹いているに違いない」と思うと心が乱れそうになるのですが、さりげない顔で若君(実は姫君)の部屋を覗くと、若君はかしこまって笛を傍らに置かれました。

 桜襲(さくらがさね)や山吹襲(やまぶきがさね)など、様々な色を重ねた袿(うちき)に萌黄色(もえぎいろ)の織物の狩衣(かりぎぬ)、葡萄染(えびぞめ)の織物の指貫(さしぬき)を着て、顔立ちはふっくらとして色艶もとても美しく、目元は利発そうで、どことなく華やかさに満ち溢れ、指貫の裾まで愛敬がこぼれ落ちるほど魅力的でございます。そのお姿に思わず引きつけられた大納言さまは、一目見ただけで、落ちる涙も嘆かわしいという思いも忘れ、微笑んでしまうのでございました。
『ああ、何という事だ。この若君も本来の女性として大切に育てていたら、どれほど素晴らしく可愛いくなる事であろう』
 若君の髪は長さこそ短いものの裾は扇を広げたようで、背丈に少し足りないほどの長さで、垂れかかった姿やお顔を見るにつけ微笑が浮かんでくるのですが、一方で権大納言さまの心の内は暗く落ち込んでしまいます。

 身分の高い子どもが大勢いる中で、彼らと共に碁や双六を打ち、賑やかに笑い騒ぎ、蹴鞠や小弓で遊んでいるという普通ではない情景に、
『困ったものだ、それにしてもこのままでいいのだろうか。今となっては無理に女として扱う事は出来なくなってしまった。この子も出家させて法師にし、世間と交わらせず後世の勤めをさせるしかなさそうだ。
 だがお子たちにしてみれば、そのようなことは考えてもいなかろう。それに、これだけ素晴らしい素質のあるお子たちにも言いたいこともあるであろう。心底から仏道に志していないうちに出家させてしまい、中途半端に終わるのもかえって具合がよくない。それにしても世に類いのない不幸なことよ』
 などと、権大納言さまは繰り返し嘆いておられました。

 身分の高い子弟といえばだらしなくなるものですが、この若君はほんとうにしっかりしておられる。今から頼もしく、朝廷の補佐役にもふさわしいほど学問にも優れ、琴や笛の音も天地を響かせるほど素晴らしく並々ではございませんでした。読経や和歌・詩を朗詠される声も、「斧の杖も朽ち果て故郷に帰るのを忘れてしまうほど(時を忘れて聞き惚れてしまう)」と故事にある言葉の通りのすばらしさで、何事につけても素晴らしい才能の若君でしたが、かえって、そのことが権大納言さまの悩みを深くされ、いかにも気の毒だと言う他はございませんでした。

2 裳着と元服

 やがて、このように若君のご才能やご容貌が優れている事がしだいに世間の評判となってまいりました。
 その噂を耳にされた帝や東宮も
『それほど何事にも優れているのに、今まで殿上もさせず世間にも顔を出さないとは』
とたいそう関心をお持ちになられ、権大納言さまにも盛んに若君を出仕させるようにお勧めになられるのですが、その度に権大納言さまはどうしたらよいものかと悩みを深くされ、実は姫君であることが知られてしまうと情けなく決まりが悪いので、
「まだ幼いので、出仕などとてもできるものではございません」
とお断り申しておられました。
 帝は
『我が子が童姿のままでは人目にさらしたくないのであろう』
とお考えになり、元服前の若君に異例の五位の位まで授けられ、すぐにでも元服させて参内させるようにと再三お命じになられたので、権大納言さまはお断りすることができなくなられてしまいました。
『もうこうなってしまったのでは、成り行きに任せるしかあるまい。これも前世からの定めで、お子たちも男女を入れ替えて生きる運命なのであろう』
 権大納言さまは、悩みながらもひたすらご自身を納得させられて、裳着(もぎ)と元服(げんぷく)の儀式をすることになさいました。
 権大納言さまからこのことを聞かされた奥方さまたちは、何故か、ためらうどころか喜んで、我も我もと競うように儀式の準備を進めていかれました。

 儀式の当日、戌の刻(夜の8時頃)になると白小袖に緋袴を付けた姫君と母の東の君は、儀式のために美しく飾りつけられた寝殿にお渡りになられました。
 寝殿は、母屋と廂を仕切る御簾や障子が取り払われ、広々とした中に姫君の裳着の祝に届いた唐衣や薫物などのたくさんの品々が飾られておりました。
 まず御髪上げ役の女房が、櫛巾(くしきん)に壇紙、本元結、櫛笄、単刀、紫紐を揃えた打乱箱を捧げて、姫君の前に進み出て、垂髪をあげ、黒元結(もとゆい)で髪を結んで髷(まげ)を作り、櫛巾から笄(こうがい)を取り出して髷に笄を挿し、紫紐を巻きます。
 御髪上げの儀を済ませた女房が、櫛巾に収めた髪上の具を持って傍らに控えると、次に姫君は御裳をお召しになられました。裳着の儀式は、一人前として女性が初めて腰に裳を着ける儀式でございます。
 祖父の大殿が裳着の腰紐を結ぶ腰結(こしゆい)役をなされました。裳の上部両端に付いている小腰という長い紐を前で結んでやるのが腰結役の役目で、本来は腰結役が前で紐を結ぶべきですが、大殿は男性であるので後ろから裳を腰に合わせるだけで、女房が前に回って代わりを務めました。
 権大納言という位につかれているお方が、腰結役を大臣に依頼されなかったのはあまり例のないことではございましたが、さすがに権大納言さまもきまりが悪かったからでございましょう。
 燈台の数は、裳着の儀式の際の決まりどおり少な目に置かれましたので、寝殿の明かりはほんのわずかに感じられる程度でしたが、祝詞に参上した方々には、たいそう素晴らしい姫君だと思われたということです。 

 この様子を耳にした人々は、男女が入れ替わって元服の式が行われているなどとは思いも及ばないことなので、『東の君のお子は姫君さまであったのか。若君と姫君を思い違えていたのだ』と一様に納得しておりました。ごく稀に事情を知っている者は、口外すべき事ではないと心得ていましたので、世間に真相を知る人がいないのが権大納言さまにとってせめての救いでございましたが、
「裳着を済まされて、次は入内でございますね」
などと声をかけられる度に、身の縮む思いをされておいででした。

 若君に冠をつける御引き入れ役は、権大納言さまの兄である右大臣さまがおつとめになられました。若君のお姿がご立派なことは以前からお噂になっておりましたが、髪を結い上げたそのお姿はそれ以上に素晴らしく、御引き入れ役の右大臣さまがお褒めになるのももっともなことでございました。
 この右大臣さまは、四人の姫君をお持ちでございました。大君は帝の女御、中の君は東宮の女御でございましたが、後の三の君・四の君は未婚でございましたので、お二人のいずれかをこの若君と結婚させたいとお考えになられているご様子で、この日のご祝儀や贈物などはこの世にまたとないほどの贅美を尽くしたものでございました。
 本来ならこの元服の折に位を賜るのですが、若君は元服前に、五位に叙されておられましたので、人々は若君のことを大夫(たいふ)の君とお呼びするようになりました。

 その年の秋の除目(大臣以外の官を任ずる儀式)で、若君は侍従(じじゅう:帝の秘書係)に任命されました。
 帝・東宮を始めとして、この若君にお会いした人は、男も女もただ一目見ただけでいつまでも忘れる事が出来ないほどのご立派なご様子で、たちまち宮中の評判になりました。高貴な家柄のご子息ということで帝や東宮が寵愛されたのは当然のことではございますが、それ以上に、琴や笛の音に漢詩や和歌、何気になく書き流す筆遣いまでが、類ないほど素晴らしく、普段の振る舞いやおつきあいの様子、顔立ちはもちろんの事、身の処し方も申し分がございません。世間の事ごとや宮中での儀式も熟知され、何事につけても優れておられました。
 父の権大納言さまは、嘆いていても仕方ないので、
『これほどに優秀で、世間の評判も良いのなら、このまま男としても十分やって行けるだろう。こうなったのもしかるべき運命であったのかもしれない』
と、若君が次第に立派になっていく様を嬉しく愛しく思い、心の慰めとしておられました。

 若君は、幼いうちは自分と同じような姫君も世間にはきっといるに違いないと思い、自らの才を誇りに思い、得意になって心のままに振る舞っておられたのですが、次第に世間の様子を見聞きして分別がついてくると、女でありながら男の姿をしている自分に不安を覚えるようになってまいりました。とはいいましても、今さら考え直してもどうしようもないことでございます。
『どうしてこのように普通の人と違ってしまったのであろう』
と胸の内で嘆いておられましたが、気安く語らううちに正体を知られたりしないように、人と接するときにも慎重に距離を置いて落ち着いて応対し、宮仕えしていらっしゃる心配りはまことにすばらしいものでございました。

 一方姫君は、裳着の儀の後は、汗衫(かざみ)姿から小袿姿となって、眉を抜いて描き眉をされ、歯はお歯黒をして、御帳の内で静かに過ごされておられました。それまではなんとか男らしくお育ちになって欲しいと思っていた女房どももおりましたが、こうなっては皆一様に姫君さまとしての素養を身につけさせようと、平仮名の手習い、薫物合(たきものあわせ)や季節にあわせた袿の重ね色目や文様などをお教え申し上げました。
 これまで仲良くしていた女童ともお付きの女房を介して消え入るような声でしか話すことができなくなり、口を開けて笑ったりすることもたしなめられるようになりました。御簾に几帳を添えて隔てとし、立居振舞にも気を遣って、移動するときも立たないで膝でにじって動くようにされました。
 身の丈に余る姫君の髪の手入れは それこそ一日がかりの大仕事でございました。普段は、ゆする(米の研ぎ汁)を髪につけて櫛で梳いておりましたが、髪を洗うとなると、陰陽師を呼んで吉日を占わせ、髪を洗い、櫛で梳いて乾かし、丁子油をしみ込ませた綿をつかって髪の光沢を出すのでございます。また、月のうち四、五日は、月の障りと称して、必ず床に伏せるようにされておいででございました。
 姫君は、周りの女房たちから女御となることを期待されるようになったことに戸惑いながらも、見知らぬ方と交わる必要がなくなったことに安堵されて、男の身でありながらも姫君のお暮らしを喜んでおられました。

 帝は当時、四十余歳で、たいそうご立派でいらっしゃいました。また東宮は二十七、八歳で、ご容貌もいかにも皇族らしい気品を備えた気高いお方でいらっしゃいました。このお二人の耳に、侍従の君(若君)の妹のご器量がすばらしいと世間で評判になっているという話が届き、お二方ともにお心を寄せられ、宮中にお召しになられました。
 しかし、権大納言さまは、姫君がどうしようもなく引っ込み思案である事を理由に入内を断り続け、
『せっかくのもったいない思し召しに素直に応じる事ができたらこれほど嬉しいことはないだろうに』
といつも嘆いておいででございました。

3 若君の結婚

 帝と亡き后との間には、皇女一の宮がおいででしたが、一の宮が一人身である事を哀れにお思いになられ、いつも気にかけて大切にお育てでございました。この姫宮の他には、帝にも東宮にもお子さまがおいでになりませんでしたので、女御の里方では天下の大事と常日頃から、男御子の誕生を祈願しておりました。右大臣さまの娘も女御として帝のお側にあがっておられましたが、最高位の方のご息女ではございませんので、后にはおなりになれませんでした。
 帝は一の宮の事を常に心に掛けておられ、侍従の君がこの世のものとは思えぬほど美しくなってゆくのをご覧になるたびに、この一の宮の夫にしたいものだと思っておいででしたが、
『侍従は美しい妹を見慣れているので、未熟な娘、一の宮と比べて失礼な態度をとるかもしれない。それに、侍従職ではまだ一人前とも言えないから、もう少ししっかりした位につかせてからにしよう』
などとお考えになられておられました。
 このような帝の意向を漏れ聞くにつけ、権大納言さまは落ち着かず、
『ああ、侍従の君が女でなければ、どれほど名誉で喜ばしいことであろう』
と残念で情けなく思うのですが、作り笑いをして聞くしかございませんでした。

 侍従の君はたいへん聡明で、元服したばかりとは思えないほどご立派で、後宮に仕える女房達は侍従の君を見る度に心を奪われ、
『ほんの一言でも、何とかして声を掛けていただきたい』
と、わざと目立つように振舞うのでしたが、侍従の君は、今更本当のことも言えずに男として振る舞って宮仕えしている身ですので、女房達に目を留めるはずもございません。傍目には、それがかえってひどく真面目に身を慎んでいるように見え、中には、そんな侍従の君を物足りなく思う人も多くいらっしゃいました。

 当時の帝の叔父に式部卿宮(しきぶきょうのみや)と申される方がおられました。この方には、侍従の君より二つほど年上で、お顔立ちやお姿は侍従の君ほどではございませんが普通の人よりはずっと上品で美しく人柄も優れた男君(宮の中将:近衛府の次官)がいらっしゃいました。
 この宮の中将は、女好きで、物柔らかな態度でどんな女性にも興味を持つ方でございましたが、権大納言さまの姫君と右大臣家の四の君が、どちらもお美しいと評判高く噂されているのをお聞きになり、
『何としてでも手に入れたいものだ』
と、慕う気持ちを抑えられず、つてを探し出しては、思いを手紙に託しておられましたが、移り気な性格で評判の方でしたので、
『こんな方に関わったら大変なことになってしまう』
と、どちらからも疎まれて返事すら貰えずにいつも落胆しておられました。

 宮の中将は、侍従の君があまりにも真面目で浮いた噂もないのを物足りなく思っておいででしたが、類のないほど魅力にあふれ愛らしいお顔立ちを見るにつけ、
『こんな女がいたら、どんなに素晴らしい事だろうか。侍従の君の妹もきっとこのように美しいのだろう。いや、もっと素晴らしいに違いない』
と、まだ見ぬ姫君の姿を想像して諦める事ができませんでした。

 なんとか成らない者かと、侍従の君を相手に思いのたけを語られるのですが、時には恋しさのあまり涙も隠さず憂い泣いたりされ、侍従の君はそんな宮の中将のお姿にしみじみとした憂いを感じ、気の毒に思って他の人より親しくお話し相手になっておられました。しかし、侍従の君は、姫君のご事情も承知しておりましたので、宮の中将が姫君の事を話題にする度に、話をそらせたり、言葉少なく気のない返事ばかりをしておりました。ましてや、気を許してご自分の事情を打ち明けるようなことはなさりませんでした。
 そんな侍従の君を妬ましくも恨めしいと、涙もこらえず沈み込んでいる宮の中将の様を見る度に、

 類なき憂き身を思ひ知るからにさやは涙のうきて流るる
(類のない辛い身の上であるからといって、貴方のようにそんなに涙をながしたりするでしょうか。私は泣きもせず堪えているのに)

と答えたくなるのですが、
「何をそんなに思い込んでいるのか」
と問い返されても答えようがないので、いつもただつれなくそっけない態度で分かれるのでございました。

 そうこうしているうちに、帝が体調をくずされ
『病が長く続くのは、退くべき時が来たからであろう。昔にもそういう例がなかった訳ではない』
 そうお考えになられた帝は東宮に帝の位をお譲りになり、一の宮(姫君)を新しい東宮に立てられて、ご自分は朱雀院(すざくいん)の御所にお移りになられました。
 侍従の君の祖父も七十歳のご高齢となられ、ご病気も重くなるばかりだとお感じになられて仏門に入られ、代わりに、侍従の君の父君が左大臣にご就任されて関白をお継ぎになられました。
 そのほかの公卿達も次々に昇進し、侍従の君は三位の位を賜り、中将となられました。

 右大臣さまは、娘の女御が后にならずに終わってしまわれたのをとても残念に思われておいででしたが、中将の君(若君)の人柄がこのうえなく優れていて、少しも浮ついた振る舞いがないという噂を聞かれて、これ以上のよい話はないだろうと、左大臣さまに三位の中将(若君)と娘四の君との結婚話を申し出されました。

 左大臣さまはおかしな事になったと思いながらも
『いまさら断る口実も見つからないことだし、構うまい』
と考え、
「どういう訳でございますか、私の息子は色事には世間並みの関心はまるでないようでございます。しかし、誠実さだけは人様から感心して頂いております」
と右大臣さまの申し入れを承諾されました。
 奥方さまに事情をお話されると、奥方さまは
「四の君は子どもっぽくお育ちのお嬢様だと聞いています。おかしいと怪しんで口にするようなこともありますまい。世間並みの夫婦のように振舞ってあちらにお通いになって、仲良く語らっておればよろしいでございましょう。あの子なら立派に夫として振る舞えるでしょう」
 と笑って答えられました。

 左大臣さまは、中将の君がまだ若いので気掛かりではございましたが、そうかといって軽はずみなところもお見受けできませんので、中将の君に求婚のお文をお書かせになりました。
 中将の君は訳が分かりませんでしたが、四の君が評判の女君であったので、男として振る舞っている以上は仕方のないことと考えて、

 これやさは入りて繁きは道ならん山口しるく惑はるるかな
(これが踏み込むと繁みに迷ってしまうという恋の道なのでしょう。あなたのことを思うと山の登り口で早くも恋の道に迷っております)

と、何とも言えないほどすばらしい筆跡でお書きになられました。
 それをご覧になっていた左大臣さまは、
『中将の君は女の身でありながら、しかもこの若さでどうしてこのように優れているのだろうか』
と嬉しくもあり、悲しくもあり複雑な気持ちになって思わず涙ぐんでしまわれるのでございました。

 右大臣さまのほうでは、自分からお願いしてせっかくいただいたお文とて、四の君をせきたててお返事を書かせました。

 麓よりいかなる道にまどふらん行方も知らず遠近の山
(麓から迷っているとの事ですが、どちらの山に登ろうとしておいでなのでしょうか。(どちらの女性がお目当てなのでございましょうか))

 こうして歌を交わしはじめてからは、いつも中将の君からお文を差し上げておりましたが、右大臣さまは自分から申し出た縁談でもございましたので、さっそくに結婚の日取りをお決めになられました。
 いずれは入内させようと大切に育ててきた娘四の君でしたが、その望みもなくなってしまった今は、関白左大臣家の三位中将を婿として迎える事ができる喜びは、並一通りであろうはずがございませんでした。

 その頃、大納言さまがお亡くなりになり、中将の君は昇進して権中納言(ごんちゅうなごん)となられ、左衛門督(さえもんのかみ:左衛門府の長官)を兼ねることになられました。
 式部卿(しきぶのきょう)の宮の中将も、中将を兼ねたまま宰相(さいしょう:参議)に昇進なさいましたが、思いを掛けていた四の君が、『須磨のあまの塩焼く煙』のように中納言(若君)の方になびいてしまったので、昇進の喜びもどうでもよいといった様子で、たまたま顔を合わせてもよそよそしい態度で沈んでおられました。
 事情の分からない中納言は、宰の中将と顔をあわせる度に、
『どうして四の君は、これほど思い焦がれている宰の中将を頼みにしないのであろうか』
 と、不思議な気持ちでございました。

[当時の婚儀は、夜に行われました。婿側は、松明を先頭に婿行列を整えて新婦の屋敷に向かいます。屋敷に着くと、まず行列の先頭の松明の火と新婦の屋敷の火合わせをおこないます。婿が沓を脱いで寝殿の御簾にお入り、寝所に衾(ふすま)をかける衾覆いの儀式が行われ、新婦の両親はその夜は婿の沓を抱いて寝ます。
 朝になると、婿は実家に帰って和歌をしたため、後朝使(きぬぎぬのつかい)に送らせます。新婦の家では、宴を開いて後朝使を酒肴でもてなします。
 その夜も、また、前夜と同じように行われ、三日目の夜に、やっと披露宴が行われました。婿は、妻方で用意した三日夜の餅を食べ、この後、新婦の両親と対面し、新婦の親戚や婿について来た親族などと酒盛りが始まります。婿方の両親が婚儀に関わることはありませんでした。行列に従った随身や雑色たちにも酒肴が振る舞われ、宴が終わると禄(手みやげ)が位や身分に応じて渡されました。
 この夜から、婿は新婦の家に通ったり住んだりできるようになりました。]

 中納言(若君)は十六歳、四の君(女君)は十九歳で、お姿も気だてもよく年ばえをはじめよくお似合いのご夫婦でございました。しかし、皇后の位につく事ができる身として姉君達よりも大切に育てられ、入内を当然のこととして夢見ていた四の君は、思いに反して中納言と結婚してしまった事を、態度にこそお出しになりませんでしたが心の内ではたいへん悔やんでおられました。
 ただ、中納言の人柄がおやさしく、嫌な振る舞いもせず、心をこめて丁寧な態度でお話などされるので、親しんでいくにつれて、軽んずる気持ちもしだいに薄れていきました。

 夜も添い寝をして、人目には一緒に休んで夫婦の契りを交わしているように見えておられましたが、互いに単衣を着たまま肌を許し合うことはございませんでしたが、そんな深い事情を知る者はおりませんでしたので、人目をはばからずにむつみあわれることもなく、ただ上品で睦まじい仲に見えました。
 右大臣さまは、これほどすばらしい四の君ならば申し分ないだろうと思われるのに、中納言がどこか打ち解けないように見えるのは、
『まだ若いので恥ずかしく思っているのだろう。罪のないことだ』
と納得なされて、大切にお世話をなされました。
 中納言は、浮気っぽくあちこち遊び歩く様子も全くなく、父の左大臣邸や内裏の管弦の遊び以外に外泊もなさいませんでした。ただ、毎月四、五日は、月の障りで人に知られるのも都合が悪いので、
「物の怪のせいで時々具合が悪くなるのです」
と断って乳母の里に身を隠すのを、右大臣はいぶかしく思っておいででした。

 九月十五日、月がたいへん明るくきれいなので、中納言は、宮中での遊宴にお出かけになって、そのまま宿直(とのい)をされておりましたが、梅壺の女御が帝の寝所に上がられるのをお見かけしたので、藤壺へ渡る塀の辺りに隠れてご覧になると、夜更けの月が隈なく澄み渡っている中、髪を美しく垂れ掛かった女童が、濃い衵(あこめ)に透いて見える薄物の汗衫(かざみ)を羽織り、火取り香炉を持って歩み出てまいりました。女房達も皆、砧(きぬた)で打って艶を出した衣の上に薄物の唐衣をすべらせるように着て、その様は今宵の空のように優美に見えました。続く女御は、周りに御几帳をきちんとさし巡らし、かしずかれていらっしゃるご様子は奥ゆかしくすばらしいものでございました。
『ああ、私も普通の身や心であったならば、今頃はきっとこのようにかしずかれて帝のもとにお出入りしていたであろうに。男の姿をして人前に顔を晒しているとは、正気の沙汰ではないとはわかっているが……。
 私は拙い宿命の為にこうして生きて行くしかないが、せめて姫君がこうした宮仕えが出来ればどんなに嬉しいことであろうか。我が身の不幸を嘆いても仕方がないけれど、せめて姫君が世間並みの体であったのならば、退出・参上の世話をする事も出来るだろうに』
そんな事を考え続けていると、中納言はため息が出るばかりでございました。

 月ならばかくてすままし雲の上をあはれいかなる契りなるらん
(もし私が月であったならば、雲の上に澄みわたる月のように宮中で暮らせただろうに、どうしてこのように辛い宿命なのであろうか)

 自分の身の上の事を考え続けているうちに、ここを抜け出して深い山に姿を隠してしまいたいという気持ちになってまいりました。女御を見送り、先ほどの独り言を思い返しておられると、「蓬莱洞(ほうらいとう)の月」の句が自然に口をついて出てまいりました。
 その声は例えようもなく美しく、空へと澄み登っていくのでございました。

 宰の中将も今宵の宴遊に参加しておりました。
 四の宮が中納言の妻となってしまった今は、宰の中将はただ一途に左大臣さまの姫君に恋焦がれておられました。
『無駄であっても、中納言に恨み言でも言い、中納言に会って、世にまたとない妹君のご容貌を偲んで気持ちを慰めるとしよう。帰った様子もないが、どこの物陰で隠れているのだろうか』
と中納言を捜し歩いていたところ、詩を口ずさむ声が聞こえたので、慌てて尋ね探して来て見ると、織物の直衣(のうし)・指貫(さしぬき)の上に紅の艶やかな打ち衣を肩脱ぎにし、小柄ではありますが、若く美しく月の光に輝くばかりに素晴らしく見えて、いつもよりしんみりとした気配で、涙に濡れた袖の辺りから、いつもとは違ったなんともいえない芳しい香が匂ってまいります。

『男である自分でさえも魅せられるのに、まして中納言が声を掛けたら、知らぬ振りをする女はおるまいなあ』
と羨ましく思われ、それに比べて自分が情けなく感じておられましたが、中納言を引き止めて理不尽な恨み言を言うのも、何故か楽しく感じられるのが不思議な心持ちでございました。

 どんな場合でも他人に対して最初から打ち解けて話をせず、よそよそしく他人と接してきた中納言でしたが、宰の中将だけは突き放しにくく心がひかれ、
「そんな風に言葉巧みにおっしゃいますが、露草のように移り気な貴方の心癖が気掛かりです。私としても貴方のことは気の毒だとは思っていますが、妹のことは私の思い通りになる事ではありませんので、申し訳ないです」
とため息をついてお答えになるのでした。
 我が身の不幸を思い悩んで、ひどく思い沈んだ様子の中納言に、宰の中将は、
『これほど恵まれたご身分なのに、どんな不満があって悩んでおられるのか。こんなに身を謹まれているのも何か心配事があってのことであろうか。結婚した四の君に不満があるとは聞いていないが、四の君以上のどれほど素晴らしい女性のことを思い悩んでいるのだろうか。最近、東宮になられた一の宮のことだろうか。それとても、この人ならば手の届かない話ではなさそうだが……。しかし、秘密を持った人とは興味をひかれるものだ』
などと考えながら、気を回して、
「悩み事があるのならおっしゃっていただければ、私の身に代えてもうまく取り計らって、先方を説得して願いを叶えて差し上げましょう。隠さないでおっしゃってください」
とおっしゃるのですが、中納言は
「ご自分の恋もかなわぬのに、私のことなら簡単に解決出来るとお考えですか」
と軽く笑われて、

 その事と思ふならねど月見ればいつまでとのみものぞ悲しき
(特に何か理由があって嘆いている訳ではないですが、月を見ているといつまで生きられるのか悲しくなってしまいます)

 そのお声が、とても艶やかで親しみ深く感じられたので、宰の中将はほろほろと涙を流して、

 そよやその常なるまじき世の中にかくのみものを思ひわぶらん
(本当にそのような無常な世の中で、どうしてこれほど思い悩まないといけないのでしょう)

「私は前世の罪が深いと思い知らされていますので、姫君のお気持ちを確かめたら、深山に身を隠そうと思っています」
とお答えになりました。
 中納言は、
「もしそう決心した時は私も連れて行って下さい。わけもなく、このままこの世にいたくないという気持ちが年月と共に強くなっていきますが、そうはいってもなかなか決心出来ずにおります」
と心を打ち明け、しみじみと語らいながら夜を明かされました。
 別れて宮中を退出した後も、宰の中将は、
『この中納言はすべてが立派で優れているが、ことに繊細なお心は女にしても持ち合わせていないくらいだ。まして、妹の姫君なら……』
 と、ますます姫君のことが慕われて、このように心を尽くして恋いこがれていても、姫君がいっこうに関心を寄せてくださる様子もないのはどうしたらよいものかと日々思い悩んでおられるのでございました。

4 姫君の参内

 院は、今は東宮と離れてお暮らしで親しく世話をする事もおできにならない上に、東宮にはしっかりと気の利く乳母も仕えておらず、また東宮ご自身も幼く頼りないのが心もとなく気がかりでいらっしゃいました。
 左大臣さまの姫君が婿取りや入内は考えていないとのお噂を耳にされ、
『それでは東宮の後見役にしよう』
と思い付かれ、左大臣さまが参内した折に、
「中納言の妹は、婿取りや入内は考えていないと聞いたが、どうするつもりか」
と、話のついでにお尋ねになりました。
 左大臣さまは
『まだ姫を側に召すつもりがおありなのか』
と驚いて
「どうするかまだ何も決めておりせん。親の私にさえ、あきれるほどよそよそしく恥ずかしがりで、顔を合わせますと汗を出して気分が悪くなってしまうような姫ですので、尼などにして仏道にでも入らせようかと迷っているところでございます」
と申されて、涙を流されるので、それを見た院は
『私を避けて、入内を嫌がっていた訳ではなかったのだ』
と気の毒に思われ、
「若い姫を尼などにさせるのはよくない。実は、東宮にはしっかりした者が側におらず、自分も離れて暮らしているので気掛かりで仕方がないのだが、東宮の遊び相手として参内させてみてはどうであろうか。出家などさせずに、ともかく世間に留まっておれば、后になることがないともいえないのだし……」
と仰せになられました。
 左大臣さまは、色々と思い悩んでおられましたが、中納言のことが頭に浮び、
『若君もこんなにうまくやっているのだから、その程度の宮仕えならば姫君にもできないことはあるまい。姫君もこうなる定めであったのだろう。』
と、願ってもないお話に嬉しくなり、まず、奥方さまに相談してみようと邸に戻られました。
 姫君の母にお話されると、
「どうすればいいか私には分かりません……」
とおっしゃるので、左大臣さまは、
『中納言の姿を見ていると、姫君も宮仕えに出すのがよさそうだ。院の仰せのとおり、本当に后の位につく事もあるかもしれないが、それはその時になんとか言い繕えば良い。こんなめでたい事はないであろう』
と想像するだけで期待に胸が騒ぐのですが、ことがことだけに、障りなく運ぶようあれこれと祈祷をしたりするのでございました。

「どうせなら早く」
との院からの仰せにより、姫君は十一月十日頃に、女房四十人、女童・下仕えそれぞれ八人を美しく着飾らせて付き添わせ、関白左大臣の姫君がご身分もなく女房として仕えるのもおかしいというので、入内されるわけではございませんが、尚侍(ないしのかみ:本来は帝に近侍する内侍司の女官長)として参内なさいました。

 東宮は梨壺(なしつぼ)においででございましたので、尚侍の御局は梨壺の北西の宣耀殿(せんようでん)に設けられました。
 最初のうちは毎夜、夜伽に参上して東宮と一つ御帳の内でお休みになっておられました。そして夜伽を重ねる内に、東宮の若々しく上品でゆったりとしたお姿や肌触り、そして無心に打ち解けた可愛らしい様が愛しくなり、あれほどひどく恥ずかしがって内気な性格の尚侍であられたのに、自分を抑える事が出来なくなって、次第に大胆に添い寝をするようになっていったのでございます。
 尚侍は、
「宮様に男女の睦ごとを教えて差し上げましょう。私も恥ずかしいのでございますが、女として一番大切なことであるからと女房どもから教わりました」
と、始めは女房どもが使っている張型を使い、時には、闇にまぎれてご自身の一物を使いと睦ごとを重ねていかれました。

 東宮は、戯れにも女同士で男女の睦ごとのまねするのは恥ずかしいことだと思われたものの、尚侍のお姿や雰囲気に少しも嫌な所はなく、美しく穏やかな人柄なので、すっかり信頼して、もちろん男女の営みにもご興味がおありでしたので、少しも疑うことはございませんでした。いい遊び相手としていつも側にお呼びくださるのを、尚侍もいじらしく、いとおしく思われておいででした。
 そのうちに、尚侍は、昼もそのまま東宮の御局にとどまるようになられ、ご一緒に手習いをしたり絵を描いたり琴を弾いたりと、昼も夜もなく、お相手をして過ごされるようになられましたが、ご実家ですべてに気後れして恥ずかしいと閉じ篭っていた頃と比べると、何事にも気が紛れる心地がするのでございました。

 一方、尚侍に思いを寄せる宰の中将は、厳しい監視の下にあった左大臣さまのお屋敷では近づく術もございませんでしたが、こうして宮仕えに出るようになったのを嬉しく思い、夜も昼も宣耀殿の辺りを離れず様子を窺っておられました。
 姫君が尚侍になったとはいえ、女御のように恋の道を禁じられている訳ではございませんので、気品のある振る舞いをかいま見たり、素晴らしい世間の評判を聞くにつけ、いつになったら自分の恋は叶うのだろうと、そればかりを思っておいででした。

5 宮中の暮らし

 その年の五節(ごせち)に中院の行幸がございまして、人々は皆、小忌衣(おみごろも)姿で参列しておりましたが、その中で、宰の中将と権中納言の青摺(あおずり)の衣は、ひときわ素晴らしく見えました。
 宰の中将はすらりと背が高くきりっとした男らしい姿でありながらそれでいてやさしげな雰囲気で、中納言は華やかで見飽きることがないほど艶やかで、身のこなしもしなやかで柔らかく魅力的なお姿で、後宮の女房達はその姿に見惚れておりました。
 宰の中将は少しでもいい女がいそうな所では、必ず立ち止まっては言葉を掛けるのですが、中納言の方は宰相中将がなかなか先に進まず止まりがちであるのを横目で見ながらどんどんと先に進んでしまわれます。
 女房達は、ここに歌に詠まれる檜隈川(ひのくまがわ)があったなら、馬に水を飲ませて休まれている間だけでも姿を見ていられるのにと恨めしく思ったものでした。

 行列を見送った人々の中に、中納言の事を慕う一人の女性がおりました。
 遅れていた一人の随身が中納言のそばまで追い付いて来て、何か申し上げたそうにしているので、中納言が何事かと尋ねると、
「実は麗景殿(れいけいでん:尚侍の御局(宣耀殿)の南側の建物)の細殿(ほそどの)の一の口で呼び止められまして、これを差し上げるように言付かってまいりました」
 と言って、たいへん風情のある手紙を取り出しました。
 中納言は何の手紙であろうかと不審に思いつつ、開けてご覧になると、

 逢ふことはなべてかたきの摺衣(すりごろも)かりめに見るぞ静心(しずこころ)なき
(逢うことが難しい貴方の青摺の衣姿をほんの少し見ただけで、私の心はひどく乱れています)

 実に見事な筆跡でしたためてございました。
『いったい誰だろう』と微笑ましく思われましたが、行幸の最中なので返事も書かないでおかれました。
しかし、それもつれないことだといたずら心を出されて、人々が寝静まった後、夜更けの月が明るく澄んでいる時分に、麗景殿の細殿の辺りに佇みながら歌を詠まれました。

 逢ふことはまだ遠山の摺目にも静心なく見ける誰なり
(逢う事はまだ先だとしても、遠目に青摺衣を見て心乱れた人が誰だか知りたいものです)

 と詠じてみるのですが返事はございませんでした。
 誰もいないのだろうかと思っていると、手紙を渡されたという一の口で声がしました。

 めづらしと見つる心はまがはねど何ならぬ身の名のりをばせじ
(貴方を美しいと見た心に偽りはありませんが、つまらぬ身分の者ですので、名は申し上げません)

 その気配に風情を感じた中納言は、近寄って歌を詠まれました。

 名のらずは誰と知りてか朝倉やこのよのままも契り交はさん
(名のってくれなければ、どなたと契りをお約束したらよいのでしょうか。今夜、この世で契りを交わせないではないですか)

「名のれないのは、『逢い難き摺衣』ということなのでしょうか」
などと、言い戯れているのが一段と親しみがわいて魅力的で、恥ずかしくなるほど心が乱れてくるのに、中納言は外にたたずんだままで、いっこうに世間の男のように無作法に押し入ってきたりする様子がございません。
 女は麗景殿の女御の妹にあたる人らしく普通の身分の人ではないと分かりましので、素っ気ない態度で冷たくあしらったと思われないように語り合ったているうちに、人がやってくる気配がしたので、そっと立ち去られました。

 このように中納言を一目でも見た人の中には、待っている妻がいる事も、人の噂になることも構わず言葉を掛けてくる女性も大勢おりましたが、身分が高く風情のある方にはつれなくない程度に言葉を交わし、身分が低いときは知らぬ顔で聞き流して身を慎んでいらっしゃいました。
 一方、宰の中将はどんな女にでも見逃さず言い寄っておられましたが、こちらの方を風流だと思い、中納言のことを玉に瑕だと物足りなく思っている人も多かったのでございました。

 年が改まった一月の上旬、空には霞がかかり春の気配を感じさせる頃でしたが、まだ名残の雪がちらつくある日のことでございました。左大臣さまが宣耀殿(せんようでん)に参上されると中納言もおいででした。
 以前、左大臣さまのお屋敷に住まわれていた頃は、奥方さま同士の競争心からお二人のお子さまの仲も疎遠でございましたが、左大臣さまには他に子どもがおらず、自分もいつどうなるか分からないことなので、
「自分たちの身の上のことは、他人に相談しても解決するどころか問題が大きくなるとしか思えない。それよりは、互いに話しあって、うまく処していった方がよかろう」
と常々お二人に申されておられました。
 姫君は、屋敷では若君を御簾の中までお入れになられたものの、成長なされてからも、恥ずかしがって御簾を隔てにお相手されていたのですが、内裏に出仕されてからは、中納言が東宮のもとにお出入りされる折には、尚侍のところにも立ち寄られるようになり、しだいに慣れ親しむようになっておいででした。
 内侍もまた男女のならいをお分かりになられて、几帳を隔てただけで中納言としたしくお話しするようになっておられました。
 中納言は、尚侍が男だとはとても信じられないくらい美しい様子をご覧になって、
『自分はもう女としての暮らしに戻ることはできまいが、尚侍が自分の代わりに女性として幸せにくらせたらどんなに素晴らしいことか……』
と悲しく思っておいででした。
 また尚侍の方も、中納言のお姿を見る度に胸が締め付けられるような思いで、このように互いの身の上を案じている心中はご兄妹だから当然だというものの、お互いのお立場を思うとそれ以上の深い思いが溢れるのでございました。

 尚侍のお部屋のしつらいは、紅梅の織物の御帳で、御几帳は三重仕立てでございました。
 女房達は梅の五重(いつえ)の単衣を重ね着て、紅梅の織物の唐衣(からぎぬ)や萌黄(もえぎ)の三重の裳の色合いは豪華で、数え切れないほど大勢が並んでいて、それは壮麗なものでした。
 その中で、中納言は紫の織物の指貫(さしぬき)に、艶やかで濃い紅の袿(うちき)を出衣(いだしぎぬ)にしてちらりと裾を見せ、目にも鮮やかな様子でお座りになっておられます。そのお顔はいつにも増して華やかで、愛嬌もあり、その素晴らしさは他に例えようがございませんでした。
 日頃から悩みのつきない左大臣さまも、中納言の姿を見ているだけでつい笑みが浮かび、悩みも忘れてしまうのでございました。

 左大臣さまが几帳の中を覗かれると、尚侍は紅梅匂(こうばいのにほい)の御衣の上に、濃い紅の掻練(かいねり)、桜の織物の小袿(こうちぎ)を着て、紅梅襲(がさね)の扇でそれとなくお顔を隠しておられました。
 そのお顔は中納言の美しさを写し取ったようで見分けがつき難いほどよく似ておられますが、尚侍の方がひときわ上品に感じられ、女めいた艶かしいところが一段と際立っておられます。御髪はつやつやと乱れもなくゆったりと垂れ掛かり、背丈より二尺ほど延びたその毛先が白い衣装に鮮やかに映えている姿など、全てが絵に描いたような美しさで、見る度に、
『ああ、こんなに素晴らしい姫君なのに、男であるとは……』
と胸が塞がる思いでございました。
 もし姫君のご容貌が世間の女並みであったり、男であることを誤摩化せないほどのものであったなら、尼法師にして深山に遁世させても、惜しいとは思わないのでしょうが、このように素晴らしい姿を見れば見るほど、愛おしくもあり、嘆かわしくもあって、あれこれ複雑な思いに思わずも涙が滲んでくるのでございました。

 日が暮れて、月が明るく奇麗に輝いているので、
「お琴は上達しましたか。中納言の笛の音に合わせて聞かせてほしいものです」
と、左大臣さまは、尚侍に筝(そう)の琴を、中納言には笛をお勧めになりました。
 いつものように澄んだ清らかな中納言の笛の音色は空に響きわたり素晴らしいのですが、それに合わせてお弾きになる琴の音色も笛の音に劣らず素晴らしいものでございました。

 この演奏を、内侍の様子を伺っていた宰の中将が耳にして、
『笛の音も琴の音も何と素晴らしいことか。この世のものとは思えぬ兄妹の才能だ。姫君のお姿もご器量もこの音色のように美しいに違いない』
 そう思いながら聞くうちに、
『内侍は、いつになったら私に心を開いてくれるのだろうか』
と思わずため息がでてくるのでした。
 我慢できずに
「東屋の真屋のあまりの その雨そそぎ我立ち濡れぬ 殿戸開かせ……」
と催馬楽の一節を歌いながら庭の反橋(そりはし)の方に出て行くと、中納言は琵琶に持ち替え、
「押し開きて来ませ」
と後の句を歌われる。
 宰の中将は
「我家は帷帳も垂れるを大君来ませ聟にせむ、と応じてくれないのは残念です」
 と応じて、心を躍らせましたが、中から左大臣さまが厳しい顔で出てこられて座ったので、いっぺんに喜びも興も冷めてしまわれました。

 他の殿上人や上達部などが参上してきて左大臣さまと挨拶する間も、宰の中将は先程の筝琴の音色ばかりが耳に残って、琵琶を勧められるのですが、
『あれほど何事にも比類ない中納言を見慣れていては、いくら優れた演奏をしても耳にはとまらぬだろう』
と、ひどく妬ましく悔しい気持ちで、固く辞退なさいました。
 しかし、尚侍に仕える女房達は、中納言には及ばないまでも普通の人より格段に優れている宰の中将のことを、とても魅力的ですてきな方だと見ているのでした。

6 宰の中将の密通

 尚侍が宮中に住まわれるようになってからは、宰の中将はこのような琴の音を聞くにつけて、
『風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思ふころかな』
とばかり心を砕いて思い続けているのに、いつになったら思いは叶うのであろうかと悩み、春霞のかかるおぼろ月夜にも、心ばかりむなしくなるばかりでございました。

 宰の中将がいつものように中納言と語り合って心を慰めようと、大げさな先払いもしないでお忍びで出掛けると、屋敷はいつになくひっそりとしており、
「中納言様は御宿直(とのい)に参上なさいました」
と言うのでがっかりして、それならば自分も参内してみようかと思案していると、四の君が弾かれているのでしょうか、邸内から微かな筝の琴の音が聞こえてまいりました。
 四の君は、かつて宰の中将が思いを寄せていた方ですが、今は中納言の奥方になられています。
 この琴の音を聞いた宰の中将は、今になっても諦め切れない心に胸が騒ぎ、こっそりと人目を避けて近づいて垣間見ると、簾を巻き上げて入り口近くで琴を弾いておられます。
 その音よりもまず、月明かりの下で琴を弾くその小柄で、優雅でお美しいそのお姿に心奪われ、
『確かに四の君の評判は高かったが、これほどとは思わなかった。こんなに美しい人だったのだ。内侍といえどもかなわぬかもしれない』
と、まるで魂が四の君の袖の中に囚われてしまったような心地で、このまま見過ごして帰る気にはならず、後先も考えず、
『中納言が留守なら、今宵忍び込もう』
と忍んでいるうちに夜が更けてきました。
 女房達は横になって休んだり、あるいは庭に下りて花の陰で遊びなどをしたりして御前には人もいないので、四の君は琴の上に身を寄り掛からせ、つくづくと月を眺めながら歌を詠まれました。

 春の夜も見る我からの月なれば心尽くしの影となりけり
(風情のある春の夜の月だというのに、まるで心尽くしの秋の月のようにしみじみと物思いに耽ってしまうのです)

これを聞いた宰の中将は、
『四の君の父母は、多くの娘の中で特に四の君に愛情を注いだと聞いている。中納言もあれほど立派に優れ、浮気もせず、世間慣れしないほど真面目なのに、何が不満なのであろうか』
といよいよじっとしておれなくなり、妻戸を押し開けて遠慮もせずに歩み入っていかれましたが、女房達は中納言がおいでになられたのかと思って驚きもしないので、そのまま四の君の傍まで入り込まれ、

 忘られぬ心や月に通ふらん心尽くしの影と見けるは
(貴女を忘れられぬ私の心が月に通じたのでしょうか。貴女が心尽くしの月の光と感じたのは)

 四の宮は、気配が中納言と違うので驚き呆れ、顔を着物にうずめるようにするのを、宰相中将はかき抱いて几帳の中に連れ入ってしまわれました。
 四の君がただ「やや」と言ったまま訳もわからず呆然としているのを、近くにいた乳母の左衛門という女房が聞きつけ、中納言が来ていると思っていたのにどうした事かと驚いて近寄ると、四の君が忍び泣いておられるのを、
「ああ、情けない。貴女は私を冷たく見捨てられましたが、私の執念から逃げられない宿命なのです。どう思っても今は仕方ありません。たださり気無く振舞って下さい」
と傍らで宰の中将が姫君をなだめておられます。
 左衛門は、中納言さまではなく宰の中将なのだと知り、呆れて何という酷い事だと思ったが、こうなってはことを荒立てても仕方ないので、せめて人には知られないようにしようと考え、
「姫様はもうお休みのようです。私は御前に控えていますから、皆さんは月や花を見て朝まで楽しんで来て下さい」
と女房達に言った。若い女房達は口々に、
「『もののあはれ』を知っている素敵な人と一緒に見せたいものですね」
などと言いながら遊びに出掛けた。

 四の君は中納言の振る舞いに慣れて、男とはただ穏やかに恥らいつつ語り合うものとばかり思っていたので、宰の中将の強引で浅ましい振る舞いに命も絶え入りそうに泣き沈んでおられましたが、宰の中将はこの様子がいじらしくもたまらなく愛しく感じられました。
 それにしても、
『やはり中納言は変わった男だ。真面目なのは、この人への愛情が深いからだとばかり思っていたのに、こんな素晴らしい方に手もつけていなかったとは、どうしたことなのか』
 と、あれこれ思うのでございました。
 そして、このような関係になっても、気軽に逢えない身の上であることがたまらなく辛いことと思われるのでございました。

 恋人と逢う時は秋の夜長でも短く感じるものなのに、まして春の夜は短く気がつけば白々とあけてきました。宰の中将は、なごりおしくてしかたがないのですが、乳母の左衛門がいらいらして困っているので居続ける事もできず、泣く泣く心の限りを込めてまた逢う事を約束される宰の中将は夢見心地でございました。

 我が為にえに深ければ三瀬川後の逢瀬も誰かたづねん
(こうして逢う事が出来ましたのもきっと前世からの私との運命なのでしょう。死後に渡る三途の川も、私以外の誰が貴女を背負いましょうか)

「貴女が私の気持ちを受け入れて頂けないのが残念でなりません」
 と宰の中将はおっしゃいますが、四の君はお返事もされません。
 宰の中将は左衛門に様々な無理難題を相談して帰られましたが、お帰りになっても昨夜のことが夢かどうかさえも定かでないご様子でございました。
 まして四の君は浅ましいことをしてしまったのが情けなく、つらい現実に心迷わせ死んでしまいそうな思いで、起き上がることもおできになりませんでした。
「ご気分が悪いのでしょうか」
と女房達が心配して介抱しているところに、中納言が内裏から退出なされると四の君はいよいよどうしていいかわからず、夜着を引き被ってお臥せになられてしまいました。
「一体、どうしたというのだ」
 中納言が尋ねると、
「昨夜から御気分が悪いようです」
と傍の女房が代わりに答えますので、中納言は痛ましくご心配になられて、四の君に添い臥されました。
「今まで具合が悪いとは何も聞いていなかったのですが、どんな気分ですか。」
などとたいへん優しく丁寧に看病なさいました。
 四の君は、優しい言葉をかけられるほど、昨夜の宰の中将の振る舞いが思い出され、胸が塞がる思いでございました。

 四の君の母も、ご心配され祈祷や祓やら何やかやと騒がしくされるので、中納言も外出しないで付き添っておられましたが、そのために、左衛門の次々と届く宰の中将からの文は四の君に渡りませんでした。
 宰の中将は、いくら待ってもお返事がないので、ここ何ヶ月も続いた物思いに更に悩みが加わったような気がして、辛く耐え難く、
『これから先長年、こんな苦しい思いをして生きていけるであろうか』
と、あれこれ思案されるのですが、どうすることもできませんでした。

 左衛門の元には、一日に何度なく、倉も埋まるほどに文を書き尽くして寄越してこられます。左衛門はまだ若く情に流されやすかったので、宰の中将が言いようもないほど上品で優美な様子で命も絶えんばかりにお別れを惜しまれていたあの日の暁ことが何とも気の毒なことと思われ、綿々と綴られた宰の中将の文の言葉などが哀れで悲しげなのが気の毒で、このまま放っておけないと思われました。
「四の君さまは、あの夢のような出来事の後は、ひどく沈んでご気分がよくないご様子です。中納言様が始終付き添っていますので、せめて手紙をお見せはしたいとは思っているのですが、それも出来ておりません」
と、いつも同じように書いて宰の中将に送っておりました。

 宰の中将は『確かにそうであろう』と、息も絶え絶えであった四の君の様子を思い浮かべると、逢うことのできない恨めしさも忘れて恋しく切ない気持ちになられるのでしたが、ご自身も起き上がって出歩く気分にもならず、寝ても覚めても物思いに沈んで嘆きわびておられました。

『それにしても、中納言は四の君を深く愛しているように見えたのに、きっとここまで四の君を大切に思い、契りを交わさなかったことを後悔して、中納言は泣き沈んでいるに違いない。普段からやさしい人柄の中納言のことだから、きっと、夫婦の交わりも無理強いしないと心に決めてやさしく振舞って過ごしてきたに違いない。全く珍しくやさしい心栄えだが、これからは四の君と打ち解けた関係になって私のことなど忘れてしまうだろう』
と、想像すると胸が苦しくなり、
『何とかして四の君を盗み出したい』
と思われるのでございました。
『しかし、四の君が自分に心を通わせ、少しでも言葉を交わしたという訳でもないし、そうかといって強引に押し入る手だてもない。あれほどうぶで可憐な四の君には、中納言のように優雅で物柔らかに語り掛ける男の方が似合っているのかもしれない。きっと、今頃は私の事を荒々しくて嫌な男だと思い出しているのだろう』
と考えると、宰の中将は自分のおかしてしまった軽率な行いを情けなく残念に思われ、月を見ても、あの夜に四の君が『見る我からの……』と独り詠じておられたお姿を思い出し、心がかき乱されるのでございました。

 四の君の容態はどこが悪いという様子でもなく日が過ぎてゆくので、中納言はそういつまでも屋敷に篭っている訳にもいかず、父の左大臣邸や内裏などに参上しようと思い、四の君の髪を撫でながら、
「このように気分がすっきりしないご容体では、出歩いていても気が気ではございません。普段のように起き上がってみれば、気持ちも晴れるかもしれません。いつまでこうして幸せな暮しができるかと不安で仏道に入りたいと思うことがあっても、何事もあなたと語り合いながら過ごしてきたからこそ、誰よりもまずあなたのことが心配で思いとどまって、この世間で暮らしているのです。こんな風にあなたが沈んで臥しているのをみていると、わたしまでも生きながらえそうもない気持ちになり、気分が沈んでしまいます」
とおっしゃる中納言の涙を浮かべたその目元はとても悲しげでございました。

 四の君は、中納言が少しも乱暴な振る舞いをせず、ただ語り合うだけで月日を過ごした事に少しも疑問を感じていた訳ではございませんが、中納言との間に溝が生じてしまったご自分の業の深さを悩み、ご返事もおできになりません。
 ただ顔を夜具に伏して泣いておられるばかりの四の君に、中納言は訳が分からず、
『もしかして、私の事を愛情が薄いと誰かが言ったのではないか』
と気の毒に思い、睦あうことのできない自分自身の身の上を悲しくもおもわれるのでございました。
「すぐに帰ってきますから、女房達はしっかりおそばに仕えて下さい。きっと物の怪の仕業でしょう」
と言いおいて、中納言は出かけて行かれました。

 中納言は、内裏に出仕すると尚侍の部屋に顔を出されました。女房達が珍しがってお出迎えし、世間話のついでに宰相の君という女房が、
「そういえば宰の中将さまはどうしておいででしょうか。私は内侍さまへの伝言役でもありませんのに、手引きをしてくれないといつも恨み言をいわれるのが嫌でお断り申し上げてからというもの、他にいい人でも出来たのでしょうか。このところすっかり姿をお見せならなくなりました。私としては、助かっておりますが……」
と、細やかに笑いながら言うのをうけて、弁の君という女房が、
「その中将は病気だとか。本当にいつもうるさいほどによく来ていたのに、この頃音沙汰ないのはその為です。気の毒な事ですね」
と言うので、中納言は驚いて、内裏から帰るその足で宰の中将の屋敷に立ち寄られました。

 宰の中将は中納言の来訪と聞いて、胸がつぶれるほど驚きましたが、覚悟を決めてともかく会ってみる事にしました。
「最近は病人に付きっ切りで家に閉じ篭っていましたが、うっとうしいので気晴らしに参内したところ、貴方が病気で久しく参内していないと教えてくれた人がいたので、驚いてご様子をうかがいに参りました」
 宰の中将は顔が赤らむ心地がして、心中は穏やかではございませんでした。
「ことさら大げさに騒ぐほどでもないですが、具合が悪くなると動けなくなってしまう質ですので、湯治などをして温まろうと引き篭もっておるのです。
 ところで、先程の話の貴方が看病をしていた病人とはどなたの事ですか」
 宰の中将は、口では大した事はないと言っていますが、ひどく青ざめて顔もやせ、本当に憔悴している様子でございました。いつもなら顔を合わせる度に、うるさいほどあれこれと戯れ言を言ってくるのに、言葉少なく沈んでいるので、余程気分が悪いのだろうと、中納言は気の毒に思われました。
「普段と違って本当にご気分が悪そうです。顔色の悪いし、お痩せになったようですね。気分が悪いだけではなく、何か悩みごとでもあるのではないですか」
言い当てられた宰の中将は赤面する思いでしたが、
「恋でやつれた私の姿は、今初めて見た訳でもないでしょうに」
と無理に笑って受け流されました。そんな事を話しているうちに、思わず立場も忘れて口を滑らせてしまいそうになってしまいます。

 夕暮れの仄かな霞の間から匂うばかりに咲き零れた桜の花もその美しさを圧倒されるほど美しい中納言を見送りながら、
『こんな人を朝夕見馴れている四の君ならば、私の事など何とも思っていないのは当然だろう。つれない態度を取るのももっともだ』
と、宰の中将は嘆息をつかれるのですが、諦めきれない思いはどうしようもなく、その日は一睡も出来ず夜を明かされました。

 宰の中将はこうしていつも嘆いておられたのですが、ついには居てもたってもいられなくなり、人目もはばからず四の君の乳母の左衛門を説き伏せ、左衛門もまた気はひけるものの中納言がいつもの内裏の宿直で不在の折ごとに、夢中で宰の中将を手引きして屋敷に引き入れました。
 その度に四の君は涙に泣き濡れ、この事が少しでも人に知れたらどうなることかと生きたここちもせず嘆いておられましたが、逢瀬の折々に宰の中将の強い思いを聞かされると、四の宮には、実に真面目で立派な方で愛情深げに穏やかで感じよく振舞っておられる中納言が近頃はよそよそしくも感じられることもあり、宰の中将のように、自分のことを激しく今にも死にそうなほど思い焦がれてくださる殿方の方が、愛情が深いにちがいないとも思われてくるのでございました。 
 しかし、ほんの少しでもこの気持ちが知られた時はどうなる事かと、恐ろしくも恥ずかしい気持ちがして、宰の中将の人知れぬ愛情に少しずつ心がなびく自分を、我ながら辛い事だと思い知らされる日々でございました。

7 四の宮の懐妊

 こうして四の君はいつも物思いに気分の晴れない日々を過ごされておられましたが、自分でも気付かぬうちに妊娠三、四ヶ月の身体になり、周りの女房たちがそれと気付きました。
「ここ数ヶ月、別にどこが悪いという訳でもないのに気分が優れないのは、もしかして懐妊したのではないか?」
と右大臣さまがお尋ねになっても、はっきりしない間は誰もそうだとは答えらませんでしたが、お世話をしている女房達が、
「やはりご懐妊でいらっしゃいました」
と報告すると、右大臣さまは満面に笑みを浮かべて、たいそう喜こばれ、
「これまで安産の祈祷もしなかったとは」
と騒ぎ立てられました。
「娘に対する中納言の愛情は、なんと一途である事か。あれほどの人柄であったら、世の中の女性を隈なく漁るほど浮気性であったとしても、咎めようもないというのに。少しの浮気心もなく、あれほど娘に誠意を尽くしてくれる男はめったにいるものではない。世間の模範としてもよい程だ。まして、中納言に似た子どもが生まれたら、我が家にとってこれほど光栄なことはない」
と、右大臣さまは上機嫌で高笑いしながら四の君の部屋に行き、御帳の前に座わられると、つらくて横になって休んでいた四の君はその気配を感じて体を起こされました。
 右大臣さまはとても嬉しそうな様子で近寄り、
「気分はどうだね。妊娠しているとは今まで知らなかったが、すぐにでも祈祷などもさせよう」
とおっしゃるのを聞かれて、
『宰の中将さまと契ってからは嘆かしく心細い思いで、いつも気分がすぐれなかったけれど、もし本当に妊娠しているのならば中納言さまは何と思われるだろうか。今までと同じようにお顔を会わせることなどできそうにもない』
と四の君の心は乱れ、汗が出てまいります。
 そんな彼女を見ながら右大臣さまは、
「どうしようもない恥ずかしがりようだ」
と勘違いし、とても嬉しがっていらっしゃいました。
 ご自分の部屋に戻ってからも様々な果物や何やかやと細かく気を使い、至れり尽くせりのお世話をなさって、北の方さまにも早く行って様子を見るように言つけられましたが、
「そんなに恥ずかしがっておられるなら、あまり騒ぎ立てない方がよろしいでしょう」
とおっしゃるので、
「いや、お前は大将に嫁いだ娘や女御になった娘の事ばかりを心配して、あの娘には薄情なのだ。こんなに娘の妊娠がはっきりするまで気付かない親があるものか。それにしても、長年、心に掛けてきた願いが叶って胸つかえがすっきりした」
と、今度は、乳母達を呼ばれ、
「中納言はまだきっと知らないだろう。今日は日柄もいいことだし、今夜、屋敷に来たらそれとなく伝えて差し上げなさい」
などと、あれこれ指図しておられるうちに、中納言がお越しになられました。
『思った通り早くお戻りになられた。中納言殿は誠実な方だから、夜遅くなっからお来しになるようなことはない方だ。この人が浮気性であったら、どんなに胸を痛めた事だろう。女は皇后になったとしても、相手が不誠実では仕方ない。この人に妻として大切にされる事が素晴らしいのだ。私が中納言を選んだのはほんとうに賢明であった』
と、右大臣さまが得意になって言い振舞っておられるのは実に気の毒なことでございました。

 中納言のお食事の給仕をする中務の乳母が、右大臣さまのお言い付けのとおり、四の君の懐妊を伝えますと、中納言は『何という事だ』と胸が潰れるほど驚き、顔を赤らめましたが、中務の乳母は、
『中納言さまといえども、まだ若くてうぶでいらっしゃる』
とおかしくもかわいいと思ったものでした。

 四の君はあまりに辛く恥ずかしく、汗も涙も一緒にして夜具を引き被っていらっしゃるので、中納言もいつものように添い寝されるのですが、何と話してよいものか言葉がでてまいりません。
『これまで男の格好をして世間を欺いてきたが、これは仮の姿だといつも落ち着かぬ気持ちで生きてきた。母上から他人に劣らぬ愛情を受けてきたのにここでお見捨てして出家してしまっては、母上は心の闇に迷ってしまうに違いない。また父上にしても私を役立たずと見捨てる事もなく、一日でも私を見ないと心配だと思っているご様子だし、そんな二人に背いて出家したら、ますます罪が深くなるだろうと、きっぱりと世を捨てる決心が出来ずに優柔不断に過ごしてきたから、このような事が起きてしまったのであろう。
 世評では塵ほどの欠点もない身だと言われているのに、夫婦の事に関しては馬鹿な奴だと思う人もいるだろう。大変な事になってしまった。こうして夫婦として暮らしながら、未だに男女の営みさえなかったことを怪しみ不思議がる人もあろう。ともあれ、こういう身体で生まれたからには長生きする事はないだろうから、独身を貫こうと思っていたのに悔しく情けない事だ……
 だが、相手はいったい誰だろう。こういう事があったのに、相変わらず何も知らずに夫として出入りしている自分を、滑稽なことだと笑って見ている男がいるのだろうか……』
 中納言は、一睡もできずに考え続けて夜を明かしたが、やはりこれ以上、この世間に留まって生きていく術は思い付かれませんでした。
 夜が明けても二人ともすぐに起き上がろうとはされず、背を向けたまま朝を迎えられました。やがて中納言が起きようと、四の君を揺り動かされると、ますます夜具を引き被っておしまいになります。
「随分と酷い事をしますね。このところ、妙に打ち解けない様子を感じながらも、私なりに大切にお相手してきたつもりですが、世間の男と違う私の態度をどう思っているのかと不憫に思っておりました。
 私は今回のことは、お気の毒に思いますが、もし事情を知らない右大臣さまが今度の密事を知って、一方的に貴女をお咎めになったら、本当に辛い事です。貴女はどうなされるおつもりですか。
 私より愛情の勝った人がどなたかは存じませんが、貴女以外の人には見向きもせず、ただ貴女の傍にいる事を最良の事だと信じていた私の愚かさこそが、我ながら返す返すも恥ずかしく悔しくてなりません」
 中納言はひどくゆっくりと立派な態度でほのめかすように言ったが、嫉妬するどころか内心では、
『いったい誰を恨んだらいいものか』
と妙な気がするのは、正体を偽って男を演じ続けなければならない自分への諦めからなのでございましょう。

 何とも言えない美しい姿でやさしく微笑んで臥している中納言の様子を見ると、四の君はますます辛い気持ちで泣き沈んでしまうが、中納言はこれ以上の言葉も出てこないので、
「御前に誰かお仕えしなさい」
と一言だけ言い置き、手水をして誦経を始めたが、その心中はひどく動揺しておられました。
『不義の相手の男は私の事を馬鹿だと子どもじみていると思っていることだろう。なんとも恥ずかしいことだ。出家もしないでいた為に、こんな間違いが起きてしまったのだ』
と、ますます出家したい気持ちになって経を読んでいるうちに何となく憂鬱な心が澄んできた気がして、更に声高に読経されましたが、横になってそれを聞いている四の君はさらに耐え難く、顔向けのしようもなく思い、嘆きこころ乱れている事を周囲の人々はごぞんじなかったのでございました。

 四の君の妊娠を喜んだ右大臣さまは、さっそく左大臣さまにお伝え申し上げると、
『何ともおかしな事だ。中納言は世に並ぶ者なく男として立派にたち振る舞っていたはずだから、たとえ女の身であってもそれほど嘆く必要はないと思っていたが、この頃、ひどく悩んでいたのはこういうわけだったのか=xニ何ともおかしな事だ。中納言は世に並ぶ者なく男として立派にたち振る舞っていたはずだから、たとえ女の身であってもそれほど嘆く必要はないと思っていたが、この頃、ひどく悩んでいたのはこういうわけだったのか』
と左大臣さまは驚かれましたが、今ではこちらが気後れするほどご立派な中納言のご様子に、親といえども事情を尋ねるのは気が引け、人前では世間の親のように子どもが出来た事を喜んだ顔をしておられました。

 中納言の方も人中に出ても、
『私の事を馬鹿な奴だ、変な奴だとあざ笑ってる者がこの中にいるに違いない』> と考えてしまい、ますます人との交じらいを敬遠されて、出家して仏道に入りたいというお気持ちを強くされておりました。
 これまでは、結婚してしまった以上は仲睦まじい夫婦として四の君と将来を誓い合い、起き伏しにつけても睦まじく心を一つにして、世間の男のように浮気をして悲しい思いをさせたくないと、宿直などで外泊する夜でさえ、お心を向け愛しんでまいられましたが、この事があってからは、
『今まで夜の営みがなかったのは、四の君も変だと思っていることだろう』
そう考えると、恥ずかしくもやりきれない気持ちになってくるのでした。
 全く以前と同じように態度を変えずに語らい合うのも男らしくないことと思えるので、中納言は四の宮を避けるようになり、かつてのようには睦まじくしないのを四の君の方でも仕方のないことと思い、互いに心に壁が出来たように感じるのでございました。

 四の君も
『恥ずかしくおろかしいことをしてしまった』
と考え込まれ、打ち解けた顔をお見せにならなくなったご様子に、中納言は、
『やはり本当の男女の契りの方が好ましく思うようになったのだろう』
と納得され、むやみに恨んだり慰める事も出来ないので、ますます四の君を避けるようになられ、仏道にばかり精進されるようになっていかれたのでございました。

 また、ご実家の左大臣邸へのお泊りや内裏の宿直も多くなり、
『子どもができたら、もっと愛情が増すかと思っていたのに。いったいどうしたことなのでしょうか』
と、右大臣家の女房達は訝しげで、右大臣さまや北の方さまも同じように悩んでおられました。
「この頃の中納言は勤行ばかりで、夜離れて久しい。おかしなことだ。何か訳でもあるのだろうか」
 皆が嘆いているのを見聞きするたびに、四の君は身の置き所もないほど辛く、
『何とかしてこの世から消え失せて死んでしまいたい』
とばかり考えておられました。

 一方の宰の中将は、手引きをさせている左衛門から四の君の妊娠の様子などを詳しく聞いて、ますます契りの深さを深く感じ、
『こうなったら人目も構わず、四の君を盗み出して隠してしまいたい』
と焦ってはみるものの、そのような事はできようはずもなく、思い乱れる日々を過ごしておられました。

 中納言は、宰の中将が急に以前とちがって、ひどくもの思いに沈んでいる日々を送っている様に、
『もともと四の君に思いを寄せていたと聞いていたから、妻の密通の相手は宰の中将に違いない。ほかの男がそう簡単に密通までするとは思えない。もしそうだとしたら、誰よりも私のことを知っているだけに、まったく恥ずかしいことだ……』
と思いを巡らせることもおありになるが、はっきりとそうだとも決め付けられず、
『どうしてこのような辛い世の中を無理に生きながらえなければいけないのだろうか。親の気持ちに従った自分がおろかであったのか』
と心が千々に乱れ、いっそ世の憂さが見えないという山路を訪ねたい思いが次第に強くなってくるのでございました。

8 吉野の宮

 その頃、吉野山に先帝の第三皇子で宮と呼ばれる方がおいでになりました。学問・陰陽道・天文学・夢解き・観相等の様々な道を極めておられ、万事に優れた方でございました。
 昔は遊学生といって十二年に一度、唐の国に優秀な人を派遣して学問を習得させていたのですが、末法の世となり唐に渡る人もいなくなっておりました。
 しかし、宮は
「ぜひ唐に渡ってもっと極めたいのです」
と熱心にお願いをして唐の国へと渡られたのでした。
 宮を受入れた唐の国では、
「これまでも日本人が大勢渡って来たし、我が国にも優秀な人材は数多いが、これほど諸道に優れた人は見た事がない」
 と口々に驚き、唐の筆頭大臣は、この上なく大切に育ててきた一人娘の婿に宮を迎えて心を込めて世話をされました。
 まもなく二人の娘が生まれましたが、程なく妻は亡くなってしまいました。
『日本でも女御や后・帝の娘を目にすることもあったが、これほどの素晴らしい女性を私は知らない。この国の女性の事はあまり知らないが、ほんとうに心の通い合う妻であった』
 日本へ帰る気も起きないほど妻に深い愛情を抱いていたので、彼女が死んだときの宮の悲しみは例えようがありませんでした。
 このままこの地で出家してしまおうかと思われたのですが、亡き妻の形見として残っておいでの姫君たちと別れるのも悲しく思い悩んでおられました。そのうちに舅の大臣も悲しみの為に病で倒れ、遂には亡くなってしまったので、いよいよ生活の便宜もなくなり生きていけそうにもなく悩んでおられました。
 時の大臣や公卿が自分の娘の婿にどうかと申し込んできても、亡き妻の事が思い出され、宮は全く聞き入れようとされませんでしたので、そんな宮に逆恨みする人が出てきて、殺そうとしているという噂を耳にされ、
『惜しくない命とはいえ異国の地で死ぬのは悲しいものだ。また自分を心から大切にしてくれ愛してくれる人がいる時には故郷を忘れる心もあったが、妻や舅が死んだ今となっては生活しにくい恐ろしい所だ』
と感じるようになられました。
 日本に帰りたいと思うのですが、娘達を見捨てるのもとても悲しい事でしたので、
『かつてある者が女を連れて唐土の海を渡ろうとしたところ渡る事が出来なかった事から、それからは女は渡れない道であると聞いている。だが他に手だてはない。船を止める海竜王が現れたら、自分もそのまま旅の空に命を捨てよう。惜しくはない』
と一途に決心し、亡き妻の子ども達と相談して逃げるように帰路につかれたのですが、邪悪な竜王もどう心が変わったのか海が荒れて船が停まる事もなく、それどころか船を送るように順風が吹いて無事に帰国することが出来たのでございました。

『唐の女に産ませた子どもがいるなどと噂されたくない』
と宮は姫君達の存在を隠したまま上京され、愛する妻と暮らした唐の国から遠く離れた悲しさに心を空ろにしたまま再び妻を迎えようとせず、世間から隠れて姫君達を大切にお育てになりながら暮らされておられました。
 しかしどうした事か、
『この皇子が朝廷に謀反の心を持ち、我こそ国王になるべきだと考えている』
と風評が立ち、遥か遠い山境に追放されそうになりました。
 信じられない思いでこの噂を聞かれた宮は、
『全ての原因は私が出家しないでいるからだ。心は俗世を離れているのに、何とかあの姫達が一人立ちするまではと、娘達の世話をして世の人と交わっていたのがいけなかったのだ』
とすぐさま剃髪されると、吉野山のふもとの領地に姫君達をお連れになって、どこへ行くとも人に知られる事なく隠遁されたのでございました。

 その後は、鳥の鳴き声さえ懐かしく思えるほど訪れる人もない吉野山の雪に埋もれて暮らされておりましたが、姫君達のお顔立ちやお姿は、山奥に住まわれるにはもったいないほど美しく、弾かれる琴の音も唐風の響きが偲ばれてすばらしいものでございました。
 宮は、愛しい姫君達が後見人もなく気の毒な有様を見るにつけ、自分はこのまま山深く分け入って世俗との縁を絶ちたいとは思うものの、断ち切ることが出来ない自分を歯がゆく思っておいででしたが、
『そのうちに姫君達にも相応の待遇を受ける日が来るだろう。手助けをしてくれる人も必ず現れるにちがいない』
と心に深く悟られるところがあり、この世の縁に結ばれた人を待とうというお気持ちで過ごしていらっしゃいました。

 中納言は何としても俗世を離れて出家したいという気持ちがますます強くなり、花見や紅葉見物を理由に四方の山辺に訪ね入っては、
『人に行方を知られないで隠れ住む事が出来て、風情のある谷間や峰はないだろうか』
と探し歩いておられましたが、ある時、吉野山の宮の話を耳にしました。
「その宮さまのお住まいは一見すると世を捨てた聖の住まいのように簡素ですが、水の流れ・岩のたたずみさえも都では見られないような風流な趣で、苦しみも慰められ心落ち着く作りだそうです」
 中納言は以前から宮のお噂は聞いておられましたので、
『出家しても闇雲に山伏などのもとを訪れて弟子として過ごすのは、さすがに恐ろしくて心細いものだが、この宮ならば…』
 宮のような生き方に今まで気付きもしなかった中納言は、この者を呼んで、どうした縁で吉野山の宮を親しく知っているのか尋ねられました。
「実は伯父が宮さまの弟子でございまして、昼夜、傍を離れずとりわけ仏道には心を入れて修行をつんでおります。時々、この伯父に会いに行っているのでございます」
 それを聞いた中納言は、
「それは嬉しい。わたしは何年もの間、何とかしてその宮と知り合いになり、世間に絶えてしまった琴を教えてもらったり、私の知らない書物のことなどあれこれお伺いしたいと思っていたが、都を捨ててお暮らしの方ではわたしの願いなど引き受けてはくださるまいと遠慮し、残念に思っていたのです。すみませんが宮さまのご意向を伺ってはいただけませんか。もしお許し頂けるのなら密かに参上したいと思っているのです」
とご熱心に相談されましたところ、
「それは容易い事でございます」
と申します。
「では近いうちにお願いします」
中納言の頼みを聞いた男は、さっそく吉野山に出掛けていきました。

 男は伯父の僧に会い、左大臣家の権中納言殿がこのように申しておりますと中納言の言葉を伝えますと、
「以前にもしかるべき方が来られたり、手紙を託されたりすることもあったが、宮様はまだ生きていたなどと人に知られたくないといっさいお聞き入れにならなかった。そんな訳でここ四、五年は訪ねる人もいないようだ。何とおっしゃるか分からないが、とにかくご意向を伺ってみよう」
と男をしばらく待たせて、
「そのような訳で、わざわざ私の甥を使いに立ててきました」
と、吉野山の宮に事情を説明しました。吉野山の宮はしばらく思案されて、
「あれほど栄耀栄華に包まれて、美しい蝶や花の事ばかりに心が向くだろうに、どのように聞いてこんな山深い所に関心を持たれたのだろうか。これもしかるべき縁がある方なのだろう。何とも嬉しい事だ。お出で下さい」
 大変に気に入った様子であっさりと承諾したのを僧はひどく不思議な気がしましたが、何かお考えがあるのだろうと得心し、
「とても無理な話だから、使いに来た甲斐もなく断られて帰る事になると思っていたのに、宮はこうおっしゃって ご承知しされました」
と甥の男に告げると、男は喜んで帰参し中納言に詳しくご報告しました。
 中納言はやっと願いが叶った気がして、この上ない嬉しさで、
「決してこの事を口外しないように」
と男に口止めをされました。

 中納言は、
『すぐに出家してしまうのは浅はかだと吉野山の宮も思うだろうし、また承知もしてくれないだろう。今回は、ただ宮の様子を拝見して、この世だけでなく、来世までも頼る旨を約束して帰ってくることにしよう』
とお思いになり、周囲の人々に、
「夢見がどうもよくないと告げる人がいるので、精進潔斎のために七、八日ほど山寺に篭って来ます。何処と知られると心が落ち着かず、人々が来て修行もおろそかになりますので」
と言い繕って出掛けられました。

 以前なら四の君と二、三日も離れる時は、心配でならない事をしみじみと親しく話し合い、深い仲のご夫婦のように振る舞っておられたのですが、例の件の後は、四の君の心のうちを察するとこれまでのように気安く振舞う事が出来なくなっておられました。
 四の君は、夫を裏切った思いに恥ずかしく悲しく心がつぶれそうでしたが、思い返すと強引に結ばれた宰相中将との契りも浅くない気がして、自分の業の深さをつらく思っておりました。
 中納言は、四の君の気持ちはわかるものの、それを恨む事の出来る身ではないと醒めた気持ちで、万事にそ知らぬ顔をして振る舞っていらしたのでございました。

9 吉野の姫君

 吉野へのお供には仲介をした男と乳母子(めのとご)といった身近に仕えていたを四、五人だけ連れ、人目を忍んで出掛けられました。
 九月の頃であちこち紅葉しかけた山の景色が心に沁みるほど美しいのですが、まだ見知らぬ所へ遠く分け入るにしたがい心細く、
『父上や母上はどうしているのだろう。一時の道中でさえこのように思うのだから、まして出家を決心した時はさぞかしつらいことだろう』
と悲しく切なくなってしまわれました。

 涙しも先に立つこそあやしけれ背くたびにもあらぬ山路を
(涙が先に立つとは不思議な事だ。世を捨てる旅でもないのに)

 途中から案内の男を先立てて遣わしてあったので、宮は部屋を片付け整え、着替えなどをして待っておられました。
 中納言は、夕暮れ時を選んで参上の由を伝えるなど心遣いをして中に入られました。
 浮線稜(ふせんりょう)の所々に秋草を縫い付けた指貫(さしぬき)に、象眼を施した尾花色の狩衣(かりぎぬ)を肩脱ぎにして艶やかな紅の袿(うちき)を覗かせてお召しになった姿が夕映えに輝いて、たった今、極楽から迎えがあって雲の輿が来たとしても、なお地上に留まって見ていたいほどのお美しいお姿でございました。
『何もかも口惜しく衰えていく末世ではあるが、このような方がまだおいでになったのだ』
と宮が感嘆してしばらく見つめていると、中納言は座に着いて居ずまいを正されました。
 吉野山の宮のお姿は、清楚でいらっしゃいますが、修行のためおやつれになられたご様子で、色白で剃髪した頭は青々とし上品で清らかなその姿は、中納言が想像していたよりも若く美しいものでした。

 話が次第に打ち解けるうちにつれて、吉野山の宮は、中納言の学識の豊かさに目を見張る思いで、
『このように何事につけても優れた方がいらっしゃったとは信じられない』
と思われ、これこそ姫君達が世に出るしるべとなる方となるであろうとお悟りになられましたので、たいそう親しく打ち解けられて、昔からの様々な出来事―唐土に渡ってからの有様、悲惨な目に合い、かけがえのない娘二人を見捨てられずにいたところ恐ろしい噂を立てられ、辛い政争にも巻き込まれたが、娘達が仏道に入る妨げになって、ここより深い山奥に身を隠す事が出来ずにいる事情などを語られました。

 こうして見てみると吉野山の宮はひどく聖めいても見えず、上品でおだやかに心を保っていらっしゃるご様子が見る人の涙を誘い、
「そうでしたか。私もよそ目には、人より心細くも残念な身分ということではございませんが、幼い時から奇妙にも人と異なり、分別がついてくるにつれて次第に世間並みでない身と心に悩みを感じるようになって、世に住みにくく思うようになってまいりました」
と中納言も、ご自身の身の上をお話しになると。吉野山の宮もその事を察しておられ、
「そのように不本意に思うのは当然ですが、それもしばらくの事です。何事も前世からの報いなのですから、現世の事をあれこれ考えるべきではありません。この世のことを嘆き人を恨むというのは心幼く悟りのない事です。現世を悩み煩う必要はありません。あなたには思いのままに人臣として位を極める宿縁があります。詳しくお話にならなくても自然に、あの時私にそう言われたと思い当たる事もありましょう。いや、人相見のような事はもう申しますまい」
とおっしゃるので、中納言は
「どのように自分を見たのだろう。唐突にそのような事をおっしゃられたが、世間並みでない自分がどうして位を極める事が出来るのだろうか」
と不審に思われました。
「頼りになる身ではありませんが、生きている限りは姫君達の事は後見させて頂きますので、ご心配には及びません」
 中納言の言葉に、宮は涙ぐみつつ、
「昔からこのような娘がいるとは誰にも言った事はありませんが、何の因縁でしょうか、問わず語りにお話したのも、娘達に人並みの暮らしを期待している訳ではございませんが、女の身は捨てても捨て切れず、俗世を離れきることも出来ないものです。訪ねて下さる方がいなければ生きていけないだろうと、その事ばかりが気がかりでございました。人にはそれぞれ宿世がありますから、ここで一生を送れと遺言するつもりは毛頭ありませんし、身分のある方と結ばれる事も望んでおりません。しかしそう決心していても、宿命で思い通りにはならないのが常ですから運命のままにというつもりです。しかし、その時期がもっとずっと先になるのではと、気に掛かってなりません」
 尽きる事のない話を続けるうちに、とうとう夜が明けてしまいました。

 優美で親しみのある宮の傍で、言いよどむところもなく唐土・韓国の事まで語り明かされると、地獄の底から浄土の奥までも分かった気がして、我が身の悲しさも慰む一方、しんみりと悲しく哀れさが身にしみる話も多いので、中納言はすぐに都に帰る気になれませんでした。
 宮は、日本にはまだ伝わっていない漢籍などを広げて中納言にお見せになるのですが、
『この中納言の学才のすばらしさは、唐土にも並ぶ者はいないと思っていた私と比べても劣らない。全く素晴らしい人だ』
 と驚かれずにはいられませんでした。
 お題を出して漢詩文を作らせてみても唐土から持ち帰った書物以上に素晴らしいものを作り上げ、また手蹟や筆勢がまた見事で、
『大した人がいるものだ。神仏が姿を変えて現れた人なのかもしれない』
と驚かれ、そういえば思い当たる節々があると目を見張る思いで中納言をご覧になられるのでございました。

 あっという間に二三日が過ぎてしまいました。吉野山の宮は、中納言のお姿が素晴らしく、学識もとても豊かなことに感心し勤行も疎かになりがちなほどでございました。
 中納言の求めに応じて宮が琴を弾かれた時などは、夜更けの澄み渡った月下に比類がないほどもの悲しく心に染み入る音色でございましたが、やがて少し弾いてやめてしまわれたので、中納言はその琴を手に取り、今と全く同じ調べを見事に弾かれました。
「残りの音は先に話をしました我が頼りなき娘達に教えてあります。もっとも、吉野の峰の山おろしに耳が慣れてしまったこの山伏のような私が教えたのですから、娘達が正しく弾けるかどうかはわかりませんが」
 そう言い残し、宮は姫君達の部屋に渡られました。
「中納言さまが訪ねて来られて、しばらく滞在されるから、こちらにもお招きしてお話しなさい。非常にりっぱな方です。突然の事で女房達は変に思うかもしれないが心配はなかろう」
と中納言を迎える準備を整えさせました。

 暁近くに昇った月に霧が掛かって風情のある時分、宮の案内で中納言がやってきました。眩いほどの装いであったので、端近くで思いに耽っていた姫君達は恥ずかしがって奥に入ってしまわれるのを、
「ただ私の言った通りになさい。こんな世間離れした住まいで何を気にする事がありましょうか。世間並みにもてなすのもおかしな事だから、心配はない」
 宮は娘達をなだめると自分の部屋に戻られてしまわれました。

 姫君たちの部屋は少し奥まったところにあって、小さめの寝殿で、ことに簡素なしつらえに趣きがあり、心を配って風流に暮らしている人の住まいだと一目で分かりました。内も外もひっそりとして人気もなく、水に映った月ばかりが輝いていました。
 こういう場所でいつもしみじみと物思いに耽る姫君達の心境はどうであろうかと、中納言はいたわしく思いやられましたが、唐土風でそっけなく日本の深い情緒などはおわかりにはならないかもしれないと思うにつけ好奇心が湧いてきました。
 人声もしないので、

 吉野山憂き世背きに来しかどもこと問ひかくる音だにもせず
(吉野山につらい世を逃れてやってきましたが、琴の音も聞こえす、言葉を掛けてくれる人さえいないようです)

 都でさえ類なく素晴らしい方だと恋焦がれる女性が多いのに、まして普通の男でさえ見馴れていない姫君達にとっては、どうしようもないほど心が乱れたが、返事をする者もいませんでした。このまま黙っているのも失礼なので、ひどく恥ずかしいのですが、姉宮が少しいざり寄って歌を返しました。

 絶えず吹く峰の松風我ならでいかにと言はむ人影もなし
(絶えず吹いている峰の松風の他には、呼びかける声もありません)

 仄かな気配がとても上品で、気後れしてしまいそうなほど趣があり、都にもこれほどの人はいないだろうと思われました。

 中納言は、姉妹のどちらの方が声をかけてくれたのかと、歌を返しました。

 大方に松の末吹く風の音をいかにと問ふも静心なし
(松の梢を吹く風の音と思うと、言葉を掛けてくれたのがどちらの方が尋ねるだけでも心が騒ぎます)

 中納言が、ただしみじみと心を込めて吉野山を訪れた事情を親しげに話すので、姫君達は少し馴れてきたのか、折々に深く頷く様子でございました。
 その優美な気配や心遣いを見ていると、
「私の相手ではかわいそうなことだ。宰の中将がこのような素晴らしい女性がいると知ったら、どれほど驚き心を尽くしてくれるであろう」
と真っ先に宰相のことが思い出され、思わず苦笑してしまうのでございました。

 月は隈なく輝き、一面に霧がたち込めているところに、虫の声々がかしましく、水の流れ、風の音、鹿の鳴く声などがひとつにとけあって、ほんとうに風情のあるお住まいでございました。

 中納言は、
「このような山深いところで御簾の外は馴れておりませんので、きまり悪く恐ろしい気がいたします。よそよそしくなさらないでください」
と言って、さっと御簾の中に滑りこんでしまいました。
 姫君たちは驚きあきれて、あわててうつぶしてしまわれるのを、
「そのようにお嫌いにならないでください。馴れ馴れしい振る舞いは決していたしません。おかしな言ことを言うようですが、もう一人姉妹がいるとお思いください」
と、たいそう穏やかにやさしくなだめ慰められます。
 姫宮が夢の中の出来事のようにうろたえていらっしゃるのもまことに無理もないうえに、中の君も一緒ににじり出ておられたので、姫君たちはぴったりと寄り添ってうち震えていらっしゃいます。

 お仕えする人々の中には、
「なんと、これはいったいどうしたことか」
とあわてふためいて見ている者もいるようだが、普段からこうしたお住まいを心細いことと思い嘆いていた人々なので、こう珍しく立派な方がおいでになったと聞いて心をときめかせていたうえに、自分たちの姿が糊気も落ちたみすぼらしい衣装なので、恥ずかしくて奥に入ってしまったのは、なんとも頼りがいのないことであった。
『「これはなんとしたことか」と言って、助けに寄ってくる者がいないとは』
とせつなく思われましたが、中納言の振る舞いには好色めいた乱暴なところはなく、ただただ親しげな態度なので、姉宮は、自分一人が騒ぎ立てるのも行き過ぎたことと、気持を落ちつかせて、
「隔てないおつき合いとは、こうしたことを言うのでしょうか。人がどのように思いますことか。あきれたことでございます」
とお咎めになるが、
「そのことは、ただ自然に任せて気楽にお考えください。世の中に生きております限りは、何とかして愛情の限りを尽くしてさしあげたいと思っておりますのに、あまりにもどかしく隔てが多い気がしてなりませんでした。ただ気がねなく、私もあなたも疎々しい関係でいたくないと、そんな気持になりまして」
などと申されるので、姉宮はしだいに心を開いていかれました。
 姉宮に寄り添って、中の君が着物を引きかぶってその中に隠れるようにしていらっしゃるので、姉宮は、几帳を寄せて妹君を奥に隠し入れられました。
 中納言は、
「私をお隔てになるとは、悲しいことですね。どちらの姫君も同じようにお慕い申しているのです」
と恨み言を言うと、姉宮まで続いて奥に入っておしまいになりそうなので、思わず世の男のように抱きとどめて、来世までも変わらぬ仲をお約束なさいました。
 姉妹のように心から打ち解けて話したいだけなのに、男を演じなければならない自分を疎ましく思いながらも、中納言は、添い臥して横になり優しい言葉をおかけになりました。しかし、姉宮はたまらなくつらく恥ずかしく、こうした男の振る舞いは今までご経験がなかったので困惑し不安で、夜が明けていくにつれて、情けなく居たたまれない気持ちになってゆかれました。

 姉宮は、白い単襲(ひとえがさね)ばかりの着慣れた姿で、とてもほっそりとしてなよやかな姿は絵から抜け出たようで、無造作に後ろに垂らした髪は袿(うちき)の裾よりも長く余っているように見え、髪の形や髪の掛かり具合も並々ではなく、奥ゆかしく隠すようにしている横顔は白く美しげで、言い様のないほど気高く美しいものでございました。
『唐風で親しみにくく、日本人とは違うかも知れぬ』
と、最初は好奇心から御簾の中に入り込んだ中納言でしたが、実に上品で見飽きぬ魅力があり、いよいよ心を込めて将来をお約束されました。
 しらじらと夜が明けはじめ、ほのかな朝の光に浮かぶ優美なお互いの姿を何とも素晴らしいと思ううちに、中納言は部屋を退出し、文を送りました。

 今の間も覚束なきに立ち返り折りても見ばや白菊の花
(こうしている今も貴女の事が気になってならないので、戻って白菊の花のような貴女を手折ってみたくなります。)

 中納言からの後朝(きぬぎぬ)の文に、女房達はすっかりそのつもりになってそわそわしましたが、当の姉宮は、相手の様子が親しみ易くしんみりとしていたので取りとめもなく物語をしたのが、今になってあれはどういう事だったのかと恥ずかしく思い出され、返歌をしませんでした。
 女房達は気に掛けてしきりに姉君に勧めるのですが、どうしても色事のような返事をすべき事とは思われずに、そのままにしておかれました。

 日が暮れると昨夜と同じように中納言は姫君達の部屋に行って月を見ながら語り合い、一緒に琴をかき鳴らしては夜を明かすうちにすっかり心を奪われ、都へ帰る気にもなれないでいました。
 あっという間に幾日が過ぎていきました。宮の耳にも姉宮と中納言が親しくしているという話が聞こえてきましたが、宮は、どうした事かと驚きもせず、
「結構、結構。親しくしていればよい」
とおっしゃるばかりでございました。
 このような様子なので二人の間に隔てはなく、ますます親しくなっていかれました。

 しかしそうは言っても、中納言は、
「出家した訳でもないのに、いつまでもこうしてはいられない。父上や母上はさぞかし心配して嘆いている事であろう。右大臣さまも恨んでいるに違いないし、四の君は、きっと私が出家したと思っているだろう」
 あれこれと思いやられる事が多いので、これ以上、吉野山に籠もってもいられず、都に戻る事にされました。

 都に戻るにあたっては、宮には、寒さを感じなくて済むようにと、麻の御衣や法服、御宿直に使う品々などを、上下を問わず仕えている人々や姫君達への御料として、世にまたとない色合いの紅の掻練(かいねり)に織物の袿(うちき)、絹綾など、これに立派な扇なども添えて献上しました。
 宮は、
「私は既に、こういった品々への執着は捨てておりますので」
と辞退しようとされましたが、中納言の人柄が上品で立派なので、思い通りに辞退する事も出来ません。
「貴方に足手まといの娘達の事をお願いが出来て安心しました。これからは仏道に専念するとしましょう」
とおっしゃる宮に、
「実はこのお住まいを都へ移そうと思っているのですが」
と中納言がかねてよりの考えを伝えますと、
「いや、それをすぐに実行するのは外聞が悪いでしょう。今のままでも、娘達の事を忘れないでさえいてくれれば、私の気がかりな思いは慰められましょう」
 お二人は約束を交わされ、宮から中納言への贈物として、唐土から持ち帰った、日本にはまだ伝わっていない秘薬の数々をある限り全て献上されました。
 中納言は、姉宮に繰り返し限りないの愛情を約束したましたが、それでも思いが足りないと歌を送られました。

 静心(しずこころ)嵐に身をぞ砕かまし聞きならひぬる峰の松風
(京に戻って落ち着かないこの心は、この吉野の嵐に身を砕いてしまいたいほど、峰の松風(貴女の声・琴の音)を聞き馴染んでしまいました)

 姉宮も中納言の目も眩むほど親しさに満ちた様子をもう見れなくなると思うと、寂しさがつのってきて、

 年を経て聞き馴らひつる松風に心をさへぞ添へて吹くべき
(長年、聞き馴れてきた松風ですが、私の心を添えて、いっそう寂しく吹く事でしょう)

 中納言は、本当の男に見せたり聞かせたりしたいほど素晴らしい姉宮を、名残惜しく思いながら都へと帰っていったのでございました。

10 中納言の帰京

 野山の紅葉が秋の色を深めていました。
 いつの間にかこんなに日数が過ぎてしまったのかと、中納言はしんみりとした思いで左大臣邸に戻ったのでございました。
「山寺に籠ると言ったから、ほんの二、三日の事だと思っていたのに何日も顔を出さないので、どこの山に行ったのだろうかと案じていたのですよ。一体、どこに出かけていたのですか。貴方ほどの身分になれば、世間を離れて人目を忍んで出歩くのは、軽卒なことですよ」
 左大臣さまは、ここ数日は心配で食事も満足に召し上がられなかったのですが、中納言と一緒に食事を召し上がられました。
 中納言の姿を見る度に女の身でありながらもりっぱに世に交わっている事に心を慰められていたので、無事にお戻りになったことが嬉しくてならないといったご様子で、左大臣さまは、終始笑みを浮かべて、いくら見ても見飽きないほど華やかで類なく愛らしい中納言をご覧になっておられました。
「右大臣殿もこの頃、落胆しているとか。四の君が妊娠してからお前の心が離れていくように見えるのを嘆いていた。どうしてそのように振る舞うのだ。他人の目もあるのだから無難に見えるように立ち回った方がよい」
と右大臣邸に行くように勧めながら、
「生きているうちは朝夕の隔てなく顔を見せるように」
と言って涙ぐまれておられました。

 右大臣邸では、四、五日と言い置いて出掛けたのに中納言が十日以上も音沙汰なく、どこかに籠もってしまったのではないかと訝しく思っておいででした。
 右大臣さまが食事も喉を通らず嘆いているのを、四の君は
『きっと自分のせいでこのように悩んでいるにちがいない』
と気の毒で悲しくてなりませんでした。

 宰の中将は、四の君があれこれ思い乱れているのも知らず、
「いつもこの世の中で生きていけそうもないとばかり思っていたような方だから、このようなことになってどんなに心細いことでしょう」
と、これを好機とばかりに左衛門を口説き落として、夜な夜な忍んで参りました。四の君は辛いこととは思うものの、危険を冒しても毎夜忍んできてくれる、これこそが本当の深い愛情なのかもしれないと次第に惹かれていくのでございました。
 四の君は、宰の中将に愛情に身を委ねるようになっていきましたが、人目を忍びつつ束の間にしか逢えず、互いに涙にくれながら別れになる夜が重ねるにつれ、二人の思いは募っていったのでございました。

 右大臣は中納言の帰京の知らせに安堵する事もなく自ら掃除まで指図され、
「女房達もいつもより綺麗に着飾りなさい」
 四の君にも
「お前もなぜそのように伏せっているのだ」
と四の君を無理に起こしあれこれ身繕いをさせましたが、四の君は、いたたまれず心苦さが増すばかりでございました。

 中納言が部屋に入ってくる気配がするので右大臣は物陰に身を隠して覗くと、中納言はここ何日かの間に一段と美しくなったようでございました。華やかに愛らしい魅力は零れるばかりで、ゆったりと落ち着いた様子で座ると、四の君の傍に身を寄せ、
「ほんの少しと思っていた山里に見たい書物があったので、途中でやめる訳にもいかずにいました。その間、貴女から心配だと便りが来るかと待っていたのですが、その甲斐もなく日々は過ぎ、思い侘びて決まり悪くも帰ってきてしまいました」
と言い訳話をしましたが、四の君は返事のしようもなく、いよいよ横を向き顔を背けてしまいます。
「そうですか、ますます私をお嫌いになったようですね。久し振りだと機嫌を直してくれるかと思っていたのですが」
 中納言はそれ以上に恨みがましくはせず、ただ物思いに耽っているのが、隠れて見ていた右大臣さまにとってはたまらなく気がもめることでございました。
 四の君の衣装は袖口から裾の褄(つま)まで上品で優美・しなやかでございました。また御髪(みぐし)は隙間なく掛かり、袿の裾に流れるように掛かったその末の風情は限りなく美しく、その姿は幾ら見ても見飽きる事がない程でございましたが、中納言は上手く言い繕うばかりで、一向に親しく打ち解けようとなされません。
 それを立ち覗いている右大臣さまは恨めしく胸が痛む思いでございましたが、
『しかし、娘の隣にいるのが他の男であったらならば、さぞかし見劣りするだろう』
と未練がましく思うのでございました。

 以前の中納言ならば親しみ深くしみじみと語らい契り、それなりに深い愛情を示していたのに、今は打って変わって、すっかり愛情が細やかではなくなってしまったのも、四の君にも無理ない事に思え、気恥ずかしい思いばかりでございました。
 伏していても自然と互いに背を向け合うようになっていくのを、中納言は、
『やはり言葉だけでの夫婦の契りでは愛情が薄いと考えているのだろう。おっとりと上品な女性は、ただ親しみを込めてしみじみと語り合えば心に染みるのだろうが、それでも四の君は自分より深く心惹かれる人ができたのだろう』
と思うと、恨み言を言っても始まらないことに思え、夫の真似事をしている我が身が恥ずかしく思い知らされ、鏡に映る姿を恨めしく眺めながら、
『どうとでもなればよい。かりそめのこの世はこんなものだと思っていれば、こんなつらさはつらさのうちに入らない』
とお思いになっておいででした。

(巻一終り)

巻二) (巻三)  (巻四

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