男装の女王 

◇ ハトシェプスト(Hatshepsut)

 男装の女王といえば、古代エジプトの第18王朝第5代で、「ファラオ」の称号を持つハトシェプスト女王が有名です。
 ハトシェプスト女王は、第18王朝の創始者アハーメスの孫にあたり、父トトメス1世の正妻イアフメスの第一王女として育ち、父トトメス1世の側室イシスとの間に生まれた義弟のトトメス2世の王妃となりました。
 古代エジプトでは王位継承権は王子ではなく王女にあり、王位継承権のある王女と結婚しなければ、王ファラオになることはできなかったのです。
 トトメス2世が在位14年のBC1504年に死亡し、遺言で側室の息子のトトメス3世がわずか6才で王位を継ぐと、ハトシェプストは後見役の名目で実権を握り、トトメス3世の治世5年に即位し自らファラオを名乗って名実ともに最初のエジプト女王となりました。
 トトメス3世は、トトメス2世とハトシェプスト女王の娘、ネフェルーラーと結婚していますが、ネフェルーラーも「王の娘」と呼ばれていました。
 ハトシェプスト女王はファラオとしての正当性を誇示するために、付け髭等して男装で政治を執ったと言われています。
 ハトシェプスト女王は戦争を嫌い、紅海沿岸の都市プントやシナイ半島との交易を盛んに行って古代エジプトに繁栄をもたらし、デール・アル・バハリに壮大な葬祭殿を造営しました。BC1483年頃に没すると、トトメス3世は、ハトシェプスト女王の肖像や名前・記念物を破壊し、王名表からも名前を削除させたので、長く女性と知られていませんでした。

◆ ンジンガ(Nzinga) 

 ポルトガルは、アフリカに最初に進出し植民地化を進めましたが、16 世紀になると、イングランドやフランスによって脅かされるようになり、活動の中心をコンゴ、南西アフリカへ移しました。
 このポルトガルに抵抗して戦った女王が、ンジンガです。彼女は、ンドンゴ王国のンゴラ(王を意味する言葉で、現在のアンゴラの国名はここから来ています)、ダンビ・キルアンジの娘として生まれ、のちにンドンゴ王国とマタンバ王国のンゴラ(王)になりました。
 ンドンゴ王国は、ムブンドゥ族の国でコンゴ王国に従属していましたが、奴隷貿易によって力を付け、奴隷貿易を止めようとしていたコンゴ王国のアフォンソ1世と対立し、コンゴ軍を破って1556年にコンゴ王国から独立しました。
 ンドンゴ王国の植民地化を狙っていたポルトガル軍は、1597年にンドンゴ王国を攻撃し、マサンガノに砦を築いて奴隷集めの本拠地としました。これに対して、ンドンゴ王国はゲリラ戦で抵抗し、1623年にやっとンドンゴ王国とポルトガルの間で和平条約が結ばれました。このときムバンディ・ダンビ王の名代としてポルトガル側と和平条約の交渉にあたったのが王の妹のンジンガでした。
 このときの会談の部屋には椅子が一つしかなくて、すでにポルトガル総督コレアデスザが座っていましたから、ンジンガは立っていなければなりませんでしたが、ンジンガはとっさの判断で付き人の女の一人に四つんばいになるように命じ、ポルトガルとドンゴ双方の随員が見守る中で、その背中に腰かけてポルトガル総督と目線が同じ高さになるようにして協議を始めたのだそうです。椅子となった付き人も長時間の協議に耐えてピクリとも動かなかったという逸話があります。
 この交渉で、ポルトガルと和平条約が結ばれ、総督との関係を考慮したンジンガはキリスト教の洗礼を受け、ドナ・アナ・デ・ソウザという名前までつけました。しかし、総督は条約を守らず奴隷売買を続けました。翌年、兄のムバンディ・ダンビ王が死去すると、ンジンガは跡継ぎの息子を殺して、みずからがンドンゴ王国のンゴラの地位に就き、ポルトガルとの戦いを再開しました。
 ンジンガ女王は脱走奴隷を保護し、ポルトガルに対抗する軍隊を組織しますが、1626年に王都カバサはポルトガル軍に占拠されてしまいました。ンジンガ女王は逃れて隣国マタンバの王となり、あらたにここを反ポルトガルの拠点にして戦いを続けました。
 1640年代の後半にマタンバ王国のンジンガ女王の宮廷を表敬訪問したオランダの使節はンジンガ女王が男装しているだけでなく、複数の若い男性に女装させて自分の妻妾として扱っているのを見て驚きました。
 王であるンゴラの地位には本来は男性しか就けないことから、ンジンガは自分が女王ではなく王であることを示すために男装して王の衣装を身に付け、さらにハーレムを持って若い男性たちに女装させて、彼らが自分の夫ではなく妻妾であることを印象づけようとしました。
 このように女性が男性の役割を演じたり、逆に男性が女性の役割を演じることは、当時のアフリカではそれほど珍しいことではなかったといいます。
 ンジンガ女王のドンゴ王国とマタンバ王国の王としての在位期間は30年以上で、1663年に82歳で亡くなるまでポルトガルと戦い続けました。ンジンガの死後は、彼女の妹ムカンブが跡を継いで戦いを続け、マタンバ王国は19世紀まで独立王国として存続しました。

参照文献:Boy-Wives and Female-Husbands
     (Studies in African-American Homosexualities)
      Edited by Will Roscoe & Stephen O. Murray

    

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