あやめ艸 

 福岡弥五四郎述

よし沢氏は古今女形の上手なる故、あれ是へはなされしことを聞伝へ、又は自分にも尋ねて書置ける事三十ケ条に成ぬるまゝあやめくさと名づけ此道のしるべとしふかく秘して人にもらさず其ケ条左のことし

一 或女形よし沢氏に聞けるは、女形はいかゞ心得たるがよく候や。よし沢氏のいはく、女形はけいせいさへよくすれば、外の事は皆致やすし、其わけはもとが男なる故、きつとしたることは生れ付て持てゐるなり、男の身にて傾情(けいせい)のあどめもなく、ぽんじやりとしたる事は、よくよくの心がけなくてはならず、さればけいせいにての稽古を、第一にせらるべしとぞ。

一 歌流(かりう)もとは香龍と書たるを、女形の名にはつよすぎたる龍の字と、よし沢ゐけんにて歌流と書替られたり。歌流あるとき狂言の仕様を尋られしに、よし沢氏日、家老の空席にて敵役をきめる時、武士の妻なればとおもふ心あるゆへ、刀のそりを打事かならずりつはなるものなり。武士の女房なればとて、常に刀をさす物にあらねば、刀の取まはしりゝし過たるは下手の仕内なり、刀をおそれぬといふ斗が仕内なり、何としてかとしてとゝいふてぶたいをたゝいてつかに手をかくるは、ぽうしかけたる立役なるべしと、度々申されしとなん。

一 吉沢氏の日、女形の仕様かたちをいたづらに、心を貞女にすべし、但し武士のつまなればとて、ぎごつなるは見ぐるし、きつとしたる女のていをする時は、こゝろをやはらかにすべしとぞ。

一 中の嵐三右衛門吉沢氏と夜ばなしの時、とろゝ汁を出されければ、吉沢氏箸を取かねられたり、三右衛門いはく女形は此たしなみなくてはさてさてわれらあやまり入たり、昼夜心易く致すゆへとの存ちがへとわびことをせられしよし、後に片岡氏に三右衛門あひて、あやめは名人なりと申されしは、かゝることまでに、たしなみふかかりしゆへなり。

一 十次郎申されけるは、女は右の膝をたて男は左の膝を立る、あゆみ出しもおなじ事とぞ、弟子へおしへられしもその通りなるを、吉沢氏ひそかにゐけんせられけるはそれは其通りなれども、見物衆の方へむかふ方のひざをたてず、又見へによるべし理屈ばかりにては歌舞妓にあらず、とかく実とかぶきと半分半分にするがよからんとぞ十次郎もそれより見へしだいにせられしなり。

一 武士の女房に成て刀を取廻す事、大勢に取こめられ、たとへばお姫さまをかばふての仕内には、いかにも男まさりに刀をさばくべし、こゝを大事と忠義の心せまるときは、さすがものゝふの妻なり、座敷にて敵役をきめるは、いまだせんのつまりにあらず、刀さばきおだやかなれかしと、さいさい玉柏への咄なるを聞たり、これは玉がしは大勢に取こめられたる仕内、かひなき故の異見とみへたり。

一 女形は色がもとなり、元より生れ付てうつくしき女形にても、取廻しをりつはにせんとすれば色がさむべし又心を付て品やかにせんとせばいやみつくべし、それゆへ平生ををなごにてくらさねば、上手の女形とはいはれがたし、ぶたいへ出て爰はをなごのかなめの所と、思ふ心がつくほど男になる物なり、常が大事と存るよし、さいさい申されしなり。

一 敵役をきめつけることは、まづは女形の役にはめいわくなる事と思へども、狂言の仕組によりていやといはれぬばあれば、其役を請取る事なり、かたき役をきめて勝(かち)をとれば、見物衆はさてもよいぞと、その女形を誉るものなり、これにくしにくしと思ふ敵役を、よはかるべき女がきめるゆへ、うれしがるはづにてはあれども、これに乗て見物へのあたりをこのみ、又してもまたしても此格な事をしたがるは女形の魔道なり、つゐには筋道へゆかぬ役者に成べしとぞ。

一 あやめ十次郎へ申されしを聞てゐたるに、さりとは新物のうけもよくてめでたし、しかしおかしがらする心持を止め給へ、仕内にてしぜんとおかしがるはよし、おかしがらせんとするは女の情にあらずとなん、十次郎少シはらをたてられたる躰(てい)なるが、其のちわれらにあふて、あやめは此道のまほり神と存ると申されしなり

一 女形にて居ながら、立役になつたらばよからふといはるゝは恥のはぢなり、女形より立役へなをつて、立役にてともかくもよいといはるゝは、女形の時はわるかるべし、立役に直つてあしきは、女形の時よかるべしと、常に申されしが、あやめ立役になられてはたしてわるかりしなり、女にも男にもならるゝ身は、もとになき事故とかんじ侍りぬ

一 女形にて大殿の前へ出、夫に成かはつて、事をさばくといふやうなる、女家老の役あり、いかにもしつかりとせぬ様にすべし、しつかりとしては男の家老がぼうしを着たるに成べし、申ても大勢立合の所へ、いかに家老の女房なればとて、心おくせぬ理はなし、身もふるふほどにあぶなあぶなかゝり、敵役がどつとつゝこんだ悪言をいふた跡にて、それよりきつとすべし、女は其場に成てはおとこよりいひ度ことをいふものなり、但、少は上気したるていにて、狂言をすべしと申されし。

一 女形は貞女をみださぬといふが本体なり、是を以てほんの女とおなじ道理を合点すべし、いかやうに当りの来べき狂言にても断いふべし、女形より役をいぢるといふは此場が第一なるよし、若き衆へ咄されしなり。

一 藤十郎と狂言する時は、ゆつたりとして大船に乗たるやうなり、京右衛門と狂言する時は、気がはつて精出さねばならず、三右衛門と狂言する時は、ひつはつてせねば間がぬけたがるといふ事、さいさい申されしなり。

一 人の金をかへさずはらひもせず家をかい、けつこうなる道具を求め、ゆるゆると暮す人と、相手のそこねる事をかまはず我ひとり当りさへすればよいと、思ふ役者が同し事なり、金をかしたる人何ほどか腹をたつべし、相手になる役者、みぢんに成ことなれば、つゐには身上のさまたげともなるなりと申されし。

一 左馬之助申さるゝは、まりをけるやうに、相手へのわたし方を専(せん)にするがよしと、あやめ申さるゝは、鞠を蹴る様に渡し方を専にはしがたし、相手をそこなはぬやうにするといふは、我が当りをと心がけぬことなり、上手に成るやうに精さへ出さば、一場のあたりはなくとも、全躰の人がらにあたりあるべしとなん。

一 あやめ申されしは、我身幼少より、道頓堀にそだち、綾之助と申せし時り、橘屋五郎左衛門さまの世話に成たり五郎左衛門さまと申は、丹州亀山近所の郷士にて有徳なる御人、いかふ筋目ある人なりしが、能をよく被成たり、親方は三味線方にてありしゆへ、さみせんに精出せと申さるゝあいあいに、五郎左衛門さまを客にするこそ幸なれ、何とぞ能をならひおけと申されし故、二三度も頼たれども、五郎左衛門さまとくしんなく、女形の仕内に精出すべし、大概人に知らるゝ迄は、外の事むようなり、それに心があれば本体の仕内の心がけが外に成べし、其上能といふものは、なまなかに覚ては狂言の為あしかるべし、なぜになれば、仕内はぬらりと成、又しても所作事が仕たく成らんか、かぶき方の舞をもよくこなしたるうへに、能もして見たくば、かつて次第とてをしへ給はらざりしなり、其のち五郎左衛門さま世話にて、親方を出、三右衛門どの取たてにて、吉田あやめと、我身よし沢あやめにて、一度に出、吉田に仕まけぬる事度々なりしが、吉田は北国屋さまといふ御方に、能事を少シ習ひしゆへ、能仕立の所作をもつて、さいさい当りをとらんとせられしに、わが身は又地の仕内にのみ骨を折て勤し、いつとなくわが身名をしられ、吉田はとりあへぬる人もなく成て、今は役者もやめたり、さてこそ五郎左衛門さまの言葉思ひ当りたり、此心わすれがたく、我身家名を橘やとつき、五郎左衛門さまのかへ名をもらひ権七とつきたるよし、ひそかにはなし申されし。

一 下手を相手に取たる時、その下手を上手に見する様にするが、藝者のたしなみなり。

一 仁左衛門方へふるまひに行しに三八わが身に向ひ、申はいかゝなれども、ちと新町へ御出候て、太夫のてい御らんあるべし五年まへとは大きにもやう替りたりきさまのなさるゝは五年まへの太夫の躰(てい)なり、只今はよほどそれよりはおちたる風なれども諸見物それを見てゐる故、風があふのあはぬのと申よしとのこたへに、御ゐけん添ししかし太夫は高上なるがよし、たつた五年の間にそれほど風俗が替りたらば二十年まへはとつとうんしやうなるべし、よき御異見にて心つきたり、五年まへをのりこし、二十年まへの風に致度候けいせいは古風にてだてなるがよし茶やふろやは当世過てするがよし、此心得より外はなしと申たれば、仁左衛門どの茶やふろやは当世過たるとある、過たるの言葉かんしんと申されしとあやめのものかたりなり。

一 仕内が三度つゞいてあたると、その役者は下手に成ものなりと、若き衆へ申されし、当りたるかくをはづすまいとするゆへ、仕内に古びがつくと見えたり。

一 女形はがく屋にても、女形といふ心を持べし、弁当なども人の見ぬかたへむきて用意すべし、色事師の立役とならびて、むさむさと物をくひ、やがてぶたいへ出て、色事をする時、その立役しんじつから思ひつく心おこらぬゆへたがひに不出来なるべし。

一 女形は女房ある事をかくし、もしお内義様がと人のいふ時は顔をあかむる心なくてはつとまらず立身もせぬなり子はいくたり有ても我も子供心なるは、上手の自然といふものなりとぞ。

一 あやめ申されしは、頃日(このごろ)天王寺へ花の会を見に行しにいろいろのめづらしき花共あり、したが今は梅のさかりなり、梅はめづらしからずとて、ゑもしれぬ珍花共ありて見物の衆手を打てめづらしがりぬるに、我身は梅花をよく立たるにのみ心とまりたりありふれたる花にて仕立の上手なるをかんじぬ、仕内もその様な物にて、女形は女の情をはづさぬやうにするが根本なりめづらしくせんとて、おかしみをたてとし、つよい事を柱とせば花は珍き花なれども、いつみてもよき花とはいはれまじきなり。

一 玉川半太夫は上手ではなけれども、ずぐ成仕内にて名を取たる人なり、岩井平次郎は上手なれども曲が過て後には、見おとされしなり、心得置べき事とぞ。

一 小勘太郎次くせに、左の手にて膝をたゝく癖あり、去とは見苦敷と人々ゐけんせしに、尤なりとて心を付てたゝかぬやうにせしに、仕内にはり合がぬけて、俄(にわか)に七ぶぎりも仕内下りたるやうなり、それより又膝をたゝいてすればいき返りたる様にはり合が出来たり、しかれば癖といふものあしき事なれ共、無理直しはならず、無理に直せば、いきほひのぬける事ありとぞ。

一 沢村小伝次若衆形にて、藤田孫十郎芝居へすみ、わが身は都万太夫へ住たる年、小伝次何か腹をたてゝわが身方へきたり、涙をながし、同座若衆形鈴木平七と、鑓(やり)の仕合の所へ、女形浪江小勘わけ入て、なだめる事あり、其所へ敵役笠屋五郎四郎来りヤアヤアわけまいわけまい、すでつちめらがほでてんがう、互にてこねさせたがよいとの口上、いかに狂言なればとて、色をたてる我々を、すでつちめとはわるきせりふ、もはや明日より座本へ断いふて、出まじきとの儀思ひ出せば久しき事なり、狂言のせりふにすでつちめといふが、色の障(さはり)に成るとある心入、今時の若衆思ひもよらず。

一 ひとゝせ早雲座にて、座本は大和や甚兵衛なりしが立役藤十郎京右衛門いまだ半左衛門と申せし時なり、一所に住べきはづを、夷屋座へ取たてゝ座本にせんとの事ゆへ半左衛門は別になる相談より、辰之介とわが身両人早雲座へすみたり、辰之助は夷屋座のやくそくなれども、半左衛門と入れ替わりの心にてのこと成しが、辰之助をとりはなしてはと夷屋座へは、荻野左馬之丞岡田左馬之介を抱へ、其詰に十次郎かもんをかゝへたり、時に藤十郎申されしは、今京都の芝居三軒の内、夷屋座には半左衛門といふつはものに左馬之丞左馬之介あり、藤川武左衛門若けれども長十郎あり、此方芝居には座もと甚兵衛われら次郎左衛門にそなたと辰之介あり、か様に牛角(ごかく)なれば、二軒ははり合ふこゝろ出来る物なり万太夫座には、中村四郎五郎を立役のかしらにして生嶋新五郎古今新左衛門三笠城右衛門女形は霧波千寿浅尾十次郎、よほどしばゐがら落たり、此芝居こわものなり、二軒ははり合まけになり、万太夫座は脇ひらみずに精を出すなるべし、座がすぎると外を直下に見るゆへ、あやうきことあり、これ狂言の仕内第一の心得とのはなし、果してその年万太夫座は大入にて二軒ははきとなかりしゆへ、座本せきが来て、いろいろ狂言の相談有を、藤十郎いふはいやいやこゝをせくはあしゝとて、長十郎を山形おりべの助に仕立、新よめかゞみを出されけるに、打て返すほどの大入、長十郎初て地の舞台へ出られしときにて、沢村小伝次おとゝの由ひろうし、新役者へ大役をさせて入をとる工夫、はたして仕当てられしを思へば、こゝろへ置べき事と、あやめの物がたりなり。

一 女形といふもの、たとへ四十すぎても若女形といふ名有、たゞ女形とばかりもいふべきを、若といふ字のそはりたるにて、花やかなる心のぬけぬやうにすべし、わづかなる事ながら此若といふ字、女形の大事の文字と心得よと稽古の人へ申されしを聞侍りし。

あやめ艸終

    

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