伝統舞踊

◇ オリエンタル ダンス(Raks Sharki)

 オリエンタル ダンスは、紀元前5世紀ものといわれるエジプトの墓の壁画にや12〜13世紀のトルコの細密画にも描かれ、古代オリエントをルーツとする人類最古の踊りと言われています。ベリーダンス(Belly dance)と言った方が、分かりやすいかもしれませんが、これは、1893年のシカゴ万博で欧米諸国向けに紹介された時の造語です。現在は、中近東の国を中心に踊られています。
 現在のベリーダンスには、トルキッシュ・エジプシャン・ジプシー・トライバル・ニューエイジフュージョンと大きく5つのスタイルがあるそうですが、もともとは、女性だけの場で踊られた神聖な儀式上のもので、豊作を願ったり子宝に恵まれるようにと天に祈りを捧げる踊りと言われ、腹部の動きは赤ん坊の動く様を意味していました。

 原則として男女混合で踊られる事はなく、「男性のダンス」、「女性のダンス」というふうに性別によって分けられて行われていました。これは楽団も同じで女性の楽団員のみが女性のダンサーのために演奏を行うようになり、この風習は、現在も多くの中東諸国で続いています。

 なかでも代表的なトルキッシュダンスはオスマントルコ時代のサルタンの宮殿のハレムが起源で王族や貴族の祝宴の際に踊られていたものが、ジプシーによって広まったのが起源と言われていますが、宮殿では女性、男性それぞれの生活の場が分けられ、女性の生活の場を「ハレム」、男性の生活の場を「セラム」と呼び、踊りもそれぞれ_のところで、異性を演じて踊る習慣がありました。ハレムには原則としてサルタン以外の男性が入ることは許されなかったため、一般の男性はこれをキョチェクと呼ばれる女装した美少年に踊らせて鑑賞していました。

 参考HP:http://en.wikipedia.org/wiki/Koceks

◆ バリ舞踊(Bali Dance)

 バリ舞踊の代名詞のようになっているレゴンですが、サンヒャン・レゴン(Sang Hyang Legong)が源流といわれ、宮廷舞踊として発展したものです。そのため「レゴン・クラトン(宮廷レゴン)」とも呼ばれます。これが洗練され現在のようなレゴンに発展したと言われています。
 デワ・アグン・マデ・カルナ(Dewa Agung Made Karna 1775-1825)というスカワティ(Sukawati)王宮の貴族が、クテウェル(Ketewel)村にある寺院ヨガン・アグン(Yogan Agung)で四十日と四十夜の瞑想中に、黄金色の衣装で全身を包んだ二人の天女が、天上界の踊りを舞ってみせるのを見たので、瞑想から覚めた彼は、すぐさま村の長を呼び夢の中で見た天女達そっくりの顔をしたトペン(仮面)を彫って作らせ、楽団と踊り子に踊りを伝えたそうです。
 ここからサンヒャン レゴンが始まり、その後ナンディール(nandir)へ、そしてレゴンへと広がっていきました。

 踊り手は、月経の始まる前の思春期直前の少女たちですが、昔は「ナンディール」といって、女装した少年が踊っていたこともあったそうです。
 また、踊る際には粉で真っ白く塗られる顔が、より中性的・神秘的に見える様、眉もそられ、衣装も、中性的に見せるため、体の線が出ない様にきつくサボ帯を巻いて平らなボディラインを作のも、ナンディールからの影響と考えられています。また、女装した若い少年によって踊られる舞踊スタイル自体をナンディールと呼ぶこともあるそうです。

 また、バリ舞踊のなかには、タリ・バンチ(ブバンチアン)というジャンルがあり、女性の踊り手によって、王や戦士などの男性キャラクターが踊られるものが殆どですが、なかには、男性の踊り手によって、女装した男性のキャラクターが踊られるたり、タルナ ジャヨという「男性が女性の格好をして踊るのを、女性が踊る」ものや、クビャール トロンポンという「男装した女性の踊りを男性が踊る」という複雑な設定の踊りもあります。
 バリ舞踊には、まさに、自在に性を行き来している世界があるようです。

男装の女性を演じる男性
女装の男性を演じる女性
女性を演じる男性

 参考HP:バリ舞踊図padma nila(http://www.peliatan.com/padmanila/)

◇ オリッシー(Odissi Dance)

 オリッシーは、現在、インド7大古典舞踊の一つです。
 オリッシーは、インド東部オリッサ地方の伝統舞踊で、「動く彫刻」と呼ばれるその踊りは、8〜13世紀頃に宇宙の主とされるヴィシュヌ神の化身ジャガンナータ神を祀ったヒンドゥー教の聖地プリー寺院で、マハリ(Mahari:神に奉仕するため選ばれた者)と呼ばれる巫女によって奉納舞いとして踊られていました。

 その後、16世紀のイスラム王朝の侵略によって寺院での宗教儀式が禁止されてしまい、それに代わり、ゴティプア(Godipua)と呼ばれる女装した少年によって踊られるようになりました。ゴティプアは、オリヤー語で「ゴティ=独身」、「プア=少年」という意味です。イスラム王朝の時代には、女性が顔をスカーフで顔を隠し、祭のようなときにも公衆の面前に出ないパルダー制度がとられたため、マハリたちは女装した若い少年で舞踊を仕込みました。また、ヴィシュヌ神を拝む宗派ヴァイシュナヴァは、女性による踊りを許さなかったといわれます。彼らは、自らがクリシュナ神の女性の付き人として捧げるというサキ・バイヴァの教義を説き実践し、女性に代わる少年ダンサーを養成しました。
 少年たちは、女性の衣装を身につけて踊りました。しかし、ゴティプアのダンサーは寺院の中で踊ることは許されなかったので、神に対する奉納の踊りが、寺院を出て公衆の前でゴティプアたちによって披露されました。
 現在のオリッシーは、寺院に奉納されたマハリの舞踊と、寺院の外で踊ったゴティプア舞踊の両方の伝統を引き継いだ踊りなのです。

 プリの祭の時には、ゴティプアの踊りは欠くことが出来ないものとされ、ゴティプアに人気が集まるようになりました。地主の保護も受けるようになり、こうした地主の中には、自らゴティプアのグループを抱える人も出てきました。
 その後は一度衰退しますが、1950年代以降、グル(師匠)達の努力により復興を遂げます。このオリッシーのグルの多くもゴティプアの出身です。

    

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