日本の祭り14

その他

1)天神まつり

  山形県鶴岡市、鶴岡天満宮 5月25日
  鶴岡市観光連盟ホームページ/つるおか旅読本/歳事記
  http://www.tsuruokakanko.com/season/index.html

 鶴岡市の天神祭は、学問の神様・菅原道真公を祭る鶴岡天満宮の例祭で、別名「化物まつり」ともいわれ、庄内三大祭りのひとつとなっています。
 由来は、鶴岡天満宮に祀られている菅原道真公が延喜元年(901年)2月京から九州大宰府に配流されるとき、道真公を慕う人々が見送ろうとしましたが、時の権力をはばかり、姿を変えて顔を隠し、ひそかに酒を酌み交わして別れを惜しんだという言い伝えによるとされ、かつて、鶴岡天満宮が太宰府神社と呼ばれ、鶴岡城の城内天神であったころ、いつとはなしに城内の人々が変装して参詣するようになったのがはじまりで、城下の人はこれを「化けもの」と呼んだのだそうです。
 慶長8年(1603)年に、城内天神が城下の五日町に遷宮されてから祭が盛んになったのだそうです。

 「化けもの」は、老若男女の別なく、ピンクや赤い派手な模様の長襦袢に角帯をしめ、編笠を被り、手拭いで顔を隠した出で立ちで、道行く人に無言で酒を振舞い、天満宮に参拝し、社殿を三度回ります。三年間誰にも知られずお参りできると願いがかなうといわれています。

 昔は化けもの姿ならどこの家に上がってもよい無礼講だったそうで、化けものが人の家に自由に押し掛け、酒をついで回ったといいますが、今では、そんな風習も見られなくなり、現在では、顔を隠しているものの、老若男女が派手な模様の長襦袢を着て、町を練り歩き、道行く人々に無言で酒を振舞う楽しい祭に変わっています。

 この祭の時には、市役所などで、観光客向けに化けもの衣装セット (編み笠、 長じゅばんなど) 1,000人分を無料で貸し出しています。

2) 水しぎ

  岩手県気仙郡住田町世田米愛宕・曙両地区、愛宕神社、1月24日
  

 世田米地区に伝わる火伏祭です。約200年前に宿場町だった世田米で、通りすがりのこじきが偶然ボヤを発見し、軒下の鍋や釜を叩いて火事を防いだことがはじまりといわれ、消防団員や若者たちが古着の着物(振り袖)やドレスをまとい、化粧品や墨汁などを使って変装、「ミッサイナ(見てくださいな)ミッサイナ」と大黒舞を唄い、踊りながら、空き缶を打ち鳴らして地域を回ります。
 家々の玄関から土足で上がり、荒ぶります。頃合いを見て家人からご祝儀をいただくと、神社からの火伏札を渡すという、防火と無病息災を祈る伝統行事です。
 愛宕組と曙組の二つのグループがあり、代々犬猿の仲で、最近はファッションやメイクでも競り合うそうです。
 「水しぎ」とは「水注ぎ」「水祝儀」がなまったものといわれています。

3)囃子込み

  兵庫県美方郡香美町村岡区長板地区 若松八幡宮 10月8日(秋祭り)

 子孫繁栄などを祈る奉納行事で、江戸時代中期に始まったとされますが、戦後間もなくの一九四七年から約四十年間途絶えていました。一九九一年に地区の活性化を目的に長板芸能保存会が結成され復活しました。
 一般に「囃子込み」は、祭りの先触れとして囃子方や仮装した人等が町内を練り歩いて祭りを盛り上げるものですが、この長坂地区では、仮装花嫁行列が行われ、同八幡宮で神事を行った後に行列は境内を出発し、約一・五キロの道のりを二時間かけて練り歩き、途中、四カ所で太鼓の音に合わせて獅子舞が披露されます。
 花嫁をはじめ、花婿、舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)ら出演者全員を地区の青壮年男子が務めることになっていて、主役の花嫁は毎年、前年の花嫁から指名され、断ることはできないそうです。

4)おせん女踊り(おせんじょおどり)

  静岡県島田市阪本 阪本天王神社 10月14日、15日(秋祭り)
    http://osenjo.hatiju-hatiya.com/

 江戸時代中頃(宝暦(西暦1751 〜1764 年))に三右エ門という人が伝えたとされ、当初は、『お節踊り』と言われていたそうです。
 この踊りは島田市の旧初倉地区に伝わる踊りで、この地で一文商いをしながら機を織り、旅人に湯茶の接待をした器量の良い「おせん」を表現したものといわれています。元来、「鳥追い笠に角帯姿の着流し」の男性が歌・笛・太鼓で奏でる中、「花笠に振袖姿」の女装をした男性の踊り手が踊るものだったそうですが、現在は、女子中高生が踊っています。

5)御幸祭

  山梨県甲斐市竜王1888 三社神社 毎年4月15日、

 地元では通称「おみゆきさん」と呼ばれています。
 天長2年(825)に、甲府盆地の西部を流れる釜無川と御勅使川(みだいがわ)が氾濫し大被害をもたらしたので、淳和天皇が一之宮浅間神社(笛吹市一宮町)、二之宮美和神社(笛吹市御坂町)、三之宮玉諸神社(甲府市)の各神社に勅使を下し、氾濫を鎮めるために新しい祭りを行うよう命じられ、氾濫した両河川の合流点に神輿を巡幸し祈願祭を行ったのが始まりといわれ、江戸時代に今の形になったと伝えられています。
 明治政府が財政的支援を中止した明治7年(1874)からは、三社からの御幸が中止になって一之宮浅間神社だけの祭りとして継続してきましたが、平成15年(2003)に復活しました。

 往時は、一之宮、二之宮、三之宮の三社がそれぞれ神輿を担いで両河川の合流点まで巡幸しました。神輿の担ぎ手は、一之宮浅間神社の祭神である木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を驚かさないために長襦袢に紅、おしろいで女装して、独特の「ソコダイ、ソコダイ」のかけ声とともに堤を足で踏み固める動作で練り歩きました。
 竜王河原宿の三社神社には甲斐国一之宮浅間神社、二之宮美和神社、三之宮玉諸神社が勧請されていて、3基の神輿が竜王の三社神社に着くと川除祭礼(水防祈願)が行われます。
 この時、川に向かって投げられる繭に似せた白い石を拾うと、厄除けや無病息災にご利益があると伝えられています。

    

inserted by FC2 system