(象牙色)

性転換手術は許されるのか

性同一性障害と性のあり方

山内俊雄 明石書店(1999)

(参考)

「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申
http://www.saitama-med.ac.jp/hospital/frame-douitu.html)

「性同一性障害に関する答申と提言」(日本精神神経学会ガイドライン)
http://member.nifty.ne.jp/pico-pico/tg/tousin.html)

山内俊雄さん(埼玉医科大学副学長)は、埼玉医科大学の倫理委員会の委員長として、日本で初めて公に認められた性転換手術の実施に道を開いた方です。性転換手術に対する答申作成の当事者の立場から、日本で性同一性障害という言葉が生まれ、公の性転換手術が出来るようになるまでの経過を書かれた本です。また、「性同一性障害者が抱える問題」や「男(女)らしさ」に対する考察、「ブルーボーイ事件」(これまで性転換手術が違法とされてきた原因といわれる判例)にも触れられています。悩まれている方は、是非一読をお勧めします。

われわれは性といえば、男と女のどちらかだと考えている。少なくとも私はこの問題に関与するまではそのように考えていた。そして、それはきわめて明瞭な区分で、誰もが何の苦労もなく、迷う必要もなく、自分は男であるとか、女であると述べることができ、履歴書にも男女いずれかに○をつけることができる、きわめて明々白々な区分であると、ごく単純に考えていた。もっとも、一部には卵巣と精巣の両方を持っていたり、内性器(卵巣や精巣など)が外性器と一致しない、両性具備とか間性、半陰陽などと呼ばれる人たちが例外的に存在することは知っていたが、少なくともそのような人を除けば誰もが男女のいずれかに区分されるものと考えていた。
 ところが人の中にはそのような生物学的性のほかに、自らの性をどのように認知するかというもう一つの性がある、と知ったことは、私にとって一つのカルチャーショックであり、世界の見方を変えるキーワードでさえあった、といってもいい過ぎではない。
 つまり、性には「生物学的性」と「性の自己意識(あるいは自己認知)」と呼ばれる二つの側面があることを知ったのである。
「生物学的性」は英語でいえばsexのことである。すなわち、その個体(人間であれば、そのヒト)が雄であるか、雌であるかということであり、多くの場合、外性器で区別され、比較的簡単に、自分は、あるいはあなたは男性であるとか、女性である、と区別することができ、多くの場合、その区別はさほど難しくはない。
 それに村して、「性の自己意識」、あるいは「自己認知」は英語でgender(ジェンダー)と呼ばれるものである。ジェンダーとは「自分は男(女)である、という意識であり、社会で男(女)として行動し、振る舞うにふさわしいと感ずる、心理・社会的性のことである」と定義することができる。
 ほとんどの人では、「生物学的性」と「性の自己意識(認知)」は一致しているので、自分は生物学的には男(女)性であり、男(女)であると感じ、自らの性に疑いを抱くこともない。
このような状態を自らの生物学的性と自己意識が一致しているという意味で、性の同一性gender identityがあるという。
 ところが、一部の人では両者が一致せず、生物学的には男(女)性でありながら、性の自己意識としては自分は女(男)であると感じる、あるいは女(男)である方がしっくりする、女(男)として振る舞うことが自分にとってふさわしいと、自らの生物学的性と反対の性の自己意識を抱き、自らの性を反対の性として自認することがある。このようなものを性同一性障害gender identity disorderと呼ぶわけである。
 したがって性同一性障害とは「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に属しているかをはっきり認識していながら、その反面で、人格的には自分は別の性に属していると確信している状態」と定義することができる。

性同一性障害という言葉を何故使ったのか。私は、このHPでこれまで何度も障害者という言葉に拒否反応を示してきました。性同一性障害という日本語を選択された当事者の言葉をこの機会に引用させていただきます。部分的な引用では誤解を招くと思いますので、やや長くなりますがお許し下さい。

(2) 性同一性障害を疾患と位置づけたことの意味
 倫理委員会答申で性同一性障害を「疾患」と位置づけたことの意味について考えてみたい。
 医学的には、脳を含めた身体臓器の構造や機能が障害されたとき、その状態を疾病(病気illness)とか疾患(disease)、あるいは障害(disorder)という言葉で表現する。すなわち、疾病、病気、疾患という言葉を用いるとき、それは一定の原因、症状、経過や予後、ならびにそれに相当する病理的所見などを備えたひとまとめの疾病概念をさすのである。
 従って、「性同一性障害という疾患」と表現したときには、そこには性同一性障害と呼んでひとまとめにすることのでさる疾病がある、ということを意味している。いいかえれば性同一性障害という名前でひとくくりにすることのできる一定の症状を持ち、ある共通の原因を持った一つの疾患があるということを意味している。
 現在ではまだ、性同一性障害の原因は明らかではなく、いくつかの可能性が想定され、検討されている段階ではあるが、症状のうえではいくつかの共通したものがあり、治療の手だてもそれぞれ、もつとも適切と考えられるものが検討されている。そして、DSM−「とかICD-10といわれる国際的な分類にも性同一性障害という呼称が載せられており、疾患として世界的にも承認されているといっても良い。
 性同一性障害を疾患と位置づけることは、医学的には、この疾患の原因を究明し、治療の方策を考え、苦痛を軽減する努力をすることができる医学的対象であると位置づけすることをも意味している。そのことによる ”患者” への恩恵は限りないものである。
 一つには、疾患と位置づけることによって、今後、生物学的性と性の自己認知の違いに悩む人たちに医療的対応が可能となることを意味している。諸外国で性同一性障害に悩む人たちが、手術療法だけでなく、精神療法、ホルモン療法などのために多額の費用を払い、必ずしも経済的に豊かでない場合には、アルバイトをしたり、さまざまな苦労をして、その費用を捻出しなくてはならない状況を見聞すると、なんとしても将来は性同一性障害を保険診療の対象として、治療を受けられるようにすべきである、という願いも込めているのである。
 もちろんそのような実利的な問題だけで、”疾患”という言葉を用いたわけではない。このような障害の背景に生物学的原因論が有力である現状に鑑みて、自然の成り行きとしてはそうはならないはずのことが、何かの行き違いでそうなってしまった、といった分化、発達過程のある種の過誤が原因で性同一性障害が生ずるという生物学的メカニズムが想定されていることも、”疾患”という言葉を選んだ背景にはある。もっと端的にいえば、ヒトの性の分化、発達過程からすれば、本来、生物学的性と性の自己意識は一致するはずであるのに、そうならなかったために、いろいろの症状を持つことになった、という意味でも”疾患”ととらえることが適切であろうと考えたのであった。
 しかし、ここでいう正常か異常かは相対的なものの見方のうえに立ってのことである。仮にもし、将来、生物学的性と性の自己認知が一致する例より不一致例の方が多くなれば、一致例を逆に障害と呼ぶことになるかもしれない。その意味ではこの概念は相対的なものである。正常、異常という概念はしばしばそのような相対性のうえに成り立っている。
 そして、なによりも、障害か疾病か、あるいは病気かといった呼称あるいは命名が、個人を標識し、刻印するのではなく、そのような現象を社会がどう受けとめ、認め、受け入れるかということが大切なことではないかと考える。その現象をどう呼ぶかということより、命名した結果、排除したり、差別したり、偏見を持ったりすることにそれを結びつけるかどうかが重要であり、そのような形にならないようにすることの方が大切なことである。
 われわれ委員会も結果的に、”疾病”と呼ぶかどうかでなく、この問題が世の中で理解され、受け入れられるような方向を積極的に推進することが大切だとの視点でこの問題をとらえたのである。
 ところで、「性同一性障害を疾患と呼ぶ」ことにとまどいを感じたもう一つの理由は性同一性障害の根幹に関わることである。つまり、「性同一性障害では生物学的性(sex)と性の自己意識(gender)が一致しないこと」とされるが、「男が男らしく」「女が女らしく」あるべきなのかといった、ジエンダーのあり方に対する疑問が一方ではあったことも、疾病と位置づけることにとまどいを覚えた一つの理由である。
 別のいい方をすれば、「男(女)だからといって、男(女)らしくなくてはいけないのか」という素朴な疑問が当時の私自身の気持ちの中にあったからである。現代はその意味では「らしさ」の喪失の時代である。男も髪を染め、ピアスをしていても多くの人はそのことを奇異には感じない時代となった。そのような中で、男らしさや女らしさを求めるのはどのような意味があるのか、という自問でもあった。
 しかし、このことは二つに分けて考えるべきことのように思っている。つまり、「自分は男(女)である」という性の自認(gender identity)と「自分が男(女)らしく振る舞う」という性役割(gender role)とは別のことである。性の自認は生後の早い時期に形成され、おそらく、胎生期からの生物学的機序がその形成に関与すると思われる自らの性に村する意識である。
一方、性役割の方は一部は性の自認に規定されるが、多くは文化や歴史、風習、社会のあり方などによって作られるもので、その意味では時代によって、移り変わるものであろう。
 従って、「性同一性障害が疾患である」という時、男性や女性が男らしいか、女らしいか、ということを問題にしているわけではなく、あくまでも「自分は男(女)である。男(女)として振る舞うことがもっともふさわしい」と感じているかどうかといった、性の自己意識であり、自認が問題とされているのである。
 そのような観点から考えると、「男(女)が自らを男(女)として意識し、男(女)であることがもっともしっくりする」のが本来の性の分化の様式であり、それが一致しないのはどこかでボタンの掛け違いがあったとせざるを得ない、と考えるのであって、男(女)らしいかどうかの問題とは分けて考えるべきであろう。この問題については第2部二章で改めて論ずることにする。
 性同一性障害を疾患(病気)としてとらえることによって、起こり得ることは「ああ、あの人たちは病気なんだ」「変なんだ」「変態なんだ」と世間一般が受け止め、判断する危険である。
 それは、先に挙げた伏見憲明氏の危惧でもあるし、私自身の恐れでもあった。これまでにも、人々はたくさんの病気を忌避し、偏見で眺め、差別し、隔離する対象として扱ってきたことは周知の通りである。そのことは私の専門領域である精神疾患では特に問題とされてきたことである。精神障害と同じように、性向一性障害もまた、スティグマ(stigma 烙印)をかかえることになるのは耐えられないことであった。


性同一性障害に関する用語

性、生物学的性(Sex):
生下時、性染色体や外性器、内性器のうえから決定されている性。ヒトでは一般には男性か女性に分かたれる。しかし、時には両者のいずれに属するかの判定が困難であったり、不分明なものがある。そのようなものとして間性(intersex)がある。
ジェンダー(Gender、性の自己意識あるいは自己認知):
自らの性が“男”あるいは”女”のいずれに所属すると認知するか、いずれに所属するのがふさわしいと感じるか、しっくりするか、という性別に村する自己意識である。このような意識がどのようにして形成されるかについては生物学的要因説や心理社会的要因説、あるいは環境や養育などさまざまなものが関与するといった説があり、一定の結論に達していない。
ジェンダー・ロール(Gender Role、性(別)役割):
社会や家庭において性別により期待されたり、あるいは性別によつて区分されたり、決められたり、規範された役割のこと。浴場やロッカールームのような法的区分け、社会的規範として決められている形の明確なものから、何となく社会や家庭で期待されている性別役割に至るまで、さまざまである。自らが男性・女性いずれの性の役割を持とうとするかは、その人のジエンダーと深い関わりがあり、性同一性障害の人が社会で暮らす際のQOLに関わる重要な問題をはらんでいる。
セクシュアル・オリエンテーション(Sexual Orientation、性的指向):
性的魅力や欲望、衝動、あるいは性行為の対象が男性、女性のいずれに向かうかを示す言葉。時には性的嗜好(preference)、あるいは性的志向ともいう。異性に向かうとき、これを異性愛(heterosexual)、
同性に向かうとさ同性愛(homosexual)両性に向かう時、両性愛(bisexual)という。
トランスヴェスタイト(Transvestite,TV):
異性装者のこと。
 反対の性の服装や装身具を身につける人たちをいう。またその現象をTransvestism(服装倒錯)というが、最近ではクロスドレッサー(Cross-Dresser)と呼ぶこともある。トランスとは“越える””別の状態になる”ことを意味し、ヴェストは”服装”“身につけるもの”を意味する言葉である。
 現象的には異性装という同じ現象でも内容的には、反対の性の服装をすることにより、性的興奮・快感を求めるためのものと、自らのジエンダーに身体を近づけることを求めての場合があり、内容的には全く異なるものである。また同じ異性装でもフルタイムのそれとパートタイムの異性装がある。
トランスジェンダー(Transegender,TG):
身体的性(sex)と性の自己意識(gender)が一致しないとき、自らの身体的性や性的役割などを少しでもジエンダーに近づけようとすること。そのために、反対の性の服装をしたり、ホルモン療法をしたり、時には反対の性を求めて性転換手術(性別再適合手術)を行う場合もある。ただ、TGというときにはそれらの行為をさすのではなく、自らのジエンダーにふさわしく生きることを求めるとの意味が含まれている。
トランスセクシュアル(Transsexual,TG、性転換):
生物学的性と性の自己意識が一致しないために、(TGとして)少しでも両者の一致をはかろうとして、身体的性を変えようとするとき、それをTSという。したがって、単なる性の転換を試みる場合だけでなく、乳房切除・形成、外性器の切除・形成、脱毛や喉頭部分の手術などに至るまで、身体的変化をきたすものを広く含める。Transsexualismは性転換症と訳されている。
FTM/MTF:
FTMはfemale to male(女性から男性へ)、MTFはmale tofemale(男性から女性へ)という意味であり、それぞれ、ジエンダーや性の転換の方向をさす言葉である。これにその内容をつけ加えて、例えばFTMTGといえば女性から男性へのジエンダー変換を求めている人を意味し、FTMTSであれば、実際に身体的変更を求めている(変更した)人ということになる。
性別再適合手術(Sex Reassigment Surgery,SRS):
いわゆる性転換手術のこと。手術を行っても、単に外形を変えるだけで、反対の性になる訳ではないので、最近では性別再適合手術といった呼び方が用いられる。日本語訳として、「性別再判定手術」「性別再指定手術」などともいわれるが、性別を判定したり、指定するわけでもなく、自らのジエンダーに少しでも近づけたいと望み、ジエンダーに適合させるための手術であるので、「性別再適合手術」という命名がふさわしいと考えている。本来、assignmentには「形を再び整える」「ふさわしい形にする」という意味がある。

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