(勿忘草色)

男だってきれいになりたい

(こころと身体の新グルーミングBOOK)

蔦森樹 マガジンハウス(1990)

脱毛に悩む男性は、少なからずTVと同じ心の悩みをかかえています。この本は、一般男性向けの脱毛の how to本なので、直接TVを扱ってはいませんが、同じ心の悩みを持つ男性へのメッセージです。

『ヒゲを毎日剃るってことは、ヒゲのない状態に保つことだよね。だとすると今の男の顔のイメージは、ヒゲのない顔。そのイメージが求められていて、よいとされてる。それは男に去勢が求められてることだと思う。
 去勢って、べつにタマタマを取ることじゃないよ。社会や会社が”男”に求めている状態のことだからね。”男”っていうのは、おのおのが全員のいちばん上に立ちたいと思うことでしょ。それじや会社が、社会が、成り立たない。男同士で優劣争い、男と女で優劣争い、いいことないじゃない。ほかの誰かと優しく手を握れないもの。ヒゲは過剰な”男らしさ”の象徴。ヒゲ剃りは生贄の儀式なんだよね。』

フォーム(服装や身体装飾も含めた身体的形態)は、身分を固定する烙印として社会的に利用されてきた長い歴史が有ります。それだけに、フォームに対する人々の想い(念)は、とても強いものがあると思います。頭では理解できても生理的にだめな人も、たくさんいます。理屈じゃない部分も根づよいですね。

男性の脱毛、男性の化粧、女性っぽい服装etc。男性が性別を離れて自分を主張するフォーム(女装ということではありません)を身につけ、あるいは身につけようとする時に、自分や自分の回りの人たちの心の中に何が起こるのか。男らしさの檻の中でぐるぐる回りをして悩んでいる人、自分の心を整理できない人に是非読んでもらいたいと思います。

『もちろん毛深くて、ほんとに深く悔んで傷ついてしまった男の子、同情するよ。だけどこの本を読んだのなら、もう悔んでることに意味がなくなってるはず。だから読んだあとでもまだウジウジしてるなら、そういう男の子のこと、わたしはもう知らないからね。
 だってもうこの時代、旧い男らしさに縛られてるのは、はっきりいってあなたの責任、ヤなことイヤイヤながらやってるのも、あなたの責任。日本国憲法に男の子の永久脱毛を禁止し、それを行なう者を犯罪者とする法律はないんだよ。男らしさはこれこれこういうものである、という定義も条文もないんだよ。誰もほんとは、あなたに永久脱毛しちゃいけないって、説教なんかできない。もちろんその反対に、永久脱毛を受けなければならないって理由も法律ももちろんない。
 だとしたら、そういう自分をそれじや変えてみようと思うことにウジウジしてしまうのは、ただただ自分がそう決めてしまったことだけ。
 自分の責任なんだよ。今まであった旧い男らしさの中に、毛深くて悩む、なんて項目はないんだもの。もちろん脱毛する男らしさなんていうのもない。そもそも身体のことをいとしく愛する、優しく思う、なんてことは”男性”の中にはないんだよね。でも悩んだり、毛深いのヤダって思っちゃったんでしょ。そう思えって、誰か他人に強制されてそう思ったわけじやないよね。自主的にそう思ったんだよね。
 だから、自分から旧い男らしさの範囲から外れたんです。外れちゃったものは、いくら旧い男らしさの中に正当な理由を深したって、見つかりっこない。それなのにいつまでも常識にしがみつくから、変なことになるんだよ。
 永久脱毛することに性別なんかありません。永久脱毛することは、男のだとか女のだとか、関係がない。ただの永久脱毛なんです。あとは、あなたしだい。旧い男らしさはあっても、それじゃ新しい男らしさはこれだ!!というものなど、ありません。旧い男らしさは画一的にひとつだけれど、新しい男らしさはひとりひとり違うし、比べようがないんです。だから脱毛する自分が好きに思える男らしさは、あなたがあなた専用に見つけることを考えないかぎり、ありません。
 今の時代、脱毛にかぎらず、もうこういう”自分専用”があたりまえの考え方になっているんです。なにも特殊な進歩的考え方でもないんです。』

脱毛を女装に置き換えてみると、ちょっと過激かな?でも、理屈は同じだと思いますよ。わたしが中学生のころに、男子生徒の丸刈り強制の是非の問題が盛んに論じられていました。(今の若い人には信じられないでしょうけど)そのことが本当に社会から強制され、管理されるべきものなのかどうか、結果は、今生きている人たちは良く分かると思います。学生の頭髪の問題は、社会的認知が実現したから解決したのだと思います。蔦森さんのおっしゃるとおり、脱毛のことは自分で自分を縛っている結果かもしれませんが、脱毛したフォームを身に付けてもフォームの持つシンボル性が損なわれる度合いが低いから受け入れられるのかと思います。脱毛という言葉を女装に置き換えても確かに理屈は同じはずなのですが、どうしても首をひねってしまうのはフォームの持つシンボル性の度合いが、女装の場合ケタ違いに大きいからだと思います。

ご存知の通り蔦森さんは、バイク専門のフリーライターから転身したTGの方です。TVの大先輩です。男性の心の開放を説くジェンダー論で活躍されていますが、蔦森さんが初期に書かれたこの本のメッセージは、今も変わらずに訴えかけるものがあります。なかなか、常識という名の正体不明の壁は崩れていないということなのでしょうか。

もちろん、脱毛はTVにとっても大切な日課、how to本としての実用価値も十分ですよ。


蔦森さんのあとがきから

『最後に。くどいようですが脱毛はしたい男の子がする、したくない子はやらない。これがとっても大切なことです。
 脱毛してもしなくても、どっちにしても自分がこれが好きと思ったことならいいんです。だから脱毛した男の子がえらいわけでもかっこいいわけでもない。脱毛しない男の子がえらいわけでもかっこいいわけでもない。ただの好みの違いだけ。どっちがいいということは絶対にありません。違う好みを比べたって意味がないのは、あなたはもう知っていますよね。悩む必要もないことだって‥‥‥。
 だから、これからは、自分をほんとうに愛してください。男の子、頭や仕事やステイタスだけの自分じゃなくて、身体や存在を含めて好きなこと、なんでもしてみてください。』

『わたしはこの本を、考え方だけの本にしたくなかった。やっぱり、それにもとづく実用もなければ役に立たないじゃない。そもそも”男”っていうものは、どういうわけか実用の部分を考え方よりランクが下だと思ってる。ひどい場合にはさ、実用なんて男のすることじゃないなんて、平気で思ってたりするんだよ。
 考え方(思想とか哲学っていうやつ)って、それを実際にどう使って生きるかを考え、それを活かして初めて実用になる。これって、特に男の子は忘れてる。考えることだけして、だけど生き方変わらないで、思ってることとやってることがチグハグになってる。わたしはこういうことってキモチ悪いと思ってます。だって、これって、自分の夢を生きてない。世界を自分で創り出そうってことにナマケてんだもん。ナマケてるのに、自分のチグハグさを周囲のせいにしてる。自分の責任で生きてない。
 アタマだけとかカラタだけとかじゃなくて、頭も身体も一緒にして、自分をまるごと愛せるような世界を、自分で創り出して、それを生き切る。
 大人は、そんな面倒なことをしません。わたしは社会性とか常識に名を借りて、自分の素直さを大切にしない男の人、女の人が嫌いです。そういう大人は、この本に目クジラを立てちゃうことでしょうね。
 男の子たち、これからは自分の夢を生きてください。』

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そして、ぼくは、おとこになった

蔦森樹 マガジンハウス(1992)

この本に描かれている親への想いは、私の心の中で重なる部分が多くて、私の心の中を覗かれているような気にさえなります。無意識のうちに自分の子供を自分の所有物としてみている親、子供のことを考えてしているのに何が悪いという理屈で、子供に自分の常識のタガをはめてしまっています。這えば立て、立てば歩めの親心。生まれてくるときには、五体満足で丈夫な子に育ってくれるだけでいいと思っていたはずなのに。

『僕は本当に自分が食べたいと思った時に、食べたい物を美味しく食べた記憶がなかった。おいしいとか、うれしいとか、僕のロから発する言葉は、ことごとく考えた上での嘘だった。小学生の時分に、母親と祖母とデパートの食堂へ行った。僕は空腹ではなかった。大きなウィンドウに並ぶディスプレーを見ていると、母親が早く決めなさいと、何度も僕を急がした。僕は母親に遠慮していた。その時分には理由など判らなかったが、いつもひどい遠慮を頭の中でしてから、母親に何かを言った。
 ウィンドウを見ていると悲しかった。僕は、子供らしいもの、そして値段の安いものを考えて選び、それを母親に言った。そしてまだ体が大丈夫な時だったから、食べた。そうしなければ母親が悲しむと思った。受け止め手のない好意は淋しいのを知っていたから、いらないとは言えなかった。 母親は僕を、デパートの食堂に何度も連れていってくれた。その度に苦痛だった。そして父親と行った覚えはなかった。一度だけ、ウィンドウの前で、僕は母親に食べたくないと言ったことがある。「子供らしくない」と言って、母親は怒り、僕を責めた。それ以来、僕はノーと言わなくなった。理由は簡単だった。母親の苛立ちが、僕には判りすぎて、その痛みが直接僕を飲んでしまうからだった。人の好意を断わる術を覚えたのは、その頃だった。断われない時には、その人が望むような答えを考えるようになっていた。しかしそうしても、その都度にひどい嫌悪感を味わうことに変わりはなかった。』

母親を拒否しながらも、心に抱いているマザコン的な想い。主人公はその想いの対象を、年上の女性、同級生、そして自分自身に置き換えていきます。蔦森さん自身の体験であるのだと思います。私の場合、この本のようなドラマチックな親との葛藤もなければ、恋愛もありませんが、同じような親への想いが有ったように思います。私は子供の頃は母親にかまってもらった記憶がありません。母と一緒に暮らしながらも祖母に育てられました。激しい気性の父親。子供の頃の私は、不満を母にぶつける前に自分の心の中に引きこもっていきました。外から見れば、”いい子”になっていきました。私の女性への想いは、そのような中で育っていきました。粗野で横暴な男でなく女性になってやさしく女性に抱かれたい。子供の頃の自分が、そんなことを明確に意識していたはずもありませんが、そういう想いに傾斜していったことは事実です。

『脳裏には、誰の顔も体温も思いだすことができずに、僕は女の人肌を狂おしく求めていた。僕はもう一方の手で乳房をまさぐった。僕は女でもある自分を求めた。僕は、肩紐の細い、すべすべとしたブラジャーをつけ、ブルーの小花の薄いパンティーを穿いた女だった。肩先まで届く髪が、白く柔らかなブラウスに揺れた。僕は女に抱かれて顔を胸に埋めた。吐息が優しくかかり、女は僕を胸に抱いたまま、僕の性器をまさぐった。ひとりの僕は、女になりたいと思った。女になれば、どんな美しいものでも着ることができると思った。この部屋で、僕はこの思いを素直に表わせた。僕は高ぶり、壁にもたれたまま果てた。』

『「リョウ。女の子になりたいんでしょう」
 そう言うと織江は僕を抱きしめた。僕は織江に、女の下着を着けた自分が、女に抱かれてしまうことが好きだと言った。そのことを口に出すと、体中の力が抜けて行くのを感じた。
 織江は僕を笑わなかった。僕をドレッサーの前に立たせると、クロークから下着を出して、見せた。織江は僕のナイロンの下着を取り、織江の下着を穿かせ、クリーム色のブラウスを着せた。そして香水を僕の耳につけた。織江は僕をベッドに横たわせると、胸に抱いてくれた。僕は、女は、織江に抱かれて織江の乳首を吸った。安らかな優しさが僕を包み、目を閉じて、肌をまさぐる織江の手を感じると、女の僕は女の匂いに包まれて消え入りそうだった。』

自分の心癖を他人のせいにすることは簡単です。でも、他を責めてばかりでは、何も自分の解決にはつながりません。人は、自分の認識の世界の中でしか生きていません。人は誰もが同じ認識の世界にいると思うことから、勘違いが始まるのです。女装それ自体は、単に装うという行為だけでそれ以上の何物でもありません。それを迷ったり悩んだりするのは、自分自身の心にある何らかのこだわりです。それに引きずられて、周りの人間関係にまで本当に悩む必要があるのだろうか。自分の想いを整理する必要があるのかもしれませんね。自分の想いが整理できたら、自分の非も認めることも必要だと思います。自分から変わっていかなければ、回りは変わっていかないのですから。

あらすじ

リョウは、母親と義父との三人暮らし。体が弱く、喘息持ちで、子供の頃から飲んでいた喘息の薬のせいで胸が女の子のように膨らんでいた。母と義父との間に妹が生まれて、リョウはアパート住まいを始めるようになる。両親とのいさかいの毎日。リョウは、函館の母の実家に下宿する女先生に心を寄せ、ここが唯一の心の安らぐ場所だった。同級生のジュン、綾乃、ピンクサロンに勤める女性ミサコ。リョウは、女性とのつきあいの中で自分と向き合い、自分の生き方を探してゆく。

『ホワイトハウスの昼休みに、女物の白っぽいアロハシャツを買った。化粧品屋で少し濃いめのサマーファンデーションとカラーパレット、リップスティックを二本、そしてトップノートにひかれた−それは初夏の函館を思い出させた−オーデコロンの小瓶を買った。女の店員はおもしろがって、僕の働く店の名をしつこく尋ねた。店を教えるとマニキュアのサンプルを三つ小袋に入れた。                                
 夕方。冷房のきいたホワイトハウスを出ると、汗が毛穴のひとつひとつから吹きだした。部屋へ戻るとすぐにシャワーを洛びた。オーデコロンで体を包むと、懐かしい思い出がよみがえった。女になったような気持がして、淋しさが薄れていった。ミサコの近くにいるような気持になった。左ボタンのアロハとミサコが買ってくれたショーツを着けた。ミサコの洗剤の匂いが残るジーンズを穿いた。マニキュアを薄く爪に塗った。ミサコがしていたように足の指にもペニキュアをした。エナメルが乾くまで夕暮の窓を見ていると、僕は感じる心がなかった。ファンデーションを顔に薄くのばすと、ミサコの匂いがした。アゴと目許に薄くシャドーを入れた。シルバーがかったリップスティックをつけると、ミサコの唇を思い出した。』  

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 男でもなく女でもなく

(新時代のアンドロジナスたちへ)

蔦森樹 勁草書房(1993)

 この本には、これまでわたしが自分の女装のことで考えたり、悩んだりしたことが網羅されているような気がします。学問的な分析ではなく、樹さん自身の実体験だからこそ気持ちを共有できるのだと思います。わたしは、樹さんのように女性性を目指す強い意志を持っている訳でもありませんが、程度の差はあってもTVには誰しも辿るTVの心の道があるのではないかと思います。自分の心中を整理して、代弁してくれているようにも思いました。
 もしあなたが、自分の女装について何かわだかまりを感じているなら、是非一度読んでいただきたい本です。ただし、こたえまで強制しているわけではありません。樹さんは、樹さん自身が悩み、実行して自分のこたえを見つけました。この本は、樹さんのこたえを自分のこたえにするというより、”自分がいったい何を悩んでいるのか”その問題自体を把握し整理するために役立つと思うのです。そのうえで見つける道は人それぞれだと思います。「〜ねばならない」というものはないと思います。道は自分の責任で選んでいかなければいけません。

 頭で考えて悩んでいるだけでは、何の解決にもなりません。樹さんのように女性性を目指せということではありませんが、”良いにせよ悪いにせよ、その結果はどうなるか分からないけれど、やってみなくてはどうにもならない”のだと思います。そこから、自分の求めるものも見えてくるのではないかと思います。

『 少なくとも10万人という驚くほど多くの男性が「異性への羨望をモチーフにした不満足な生き方」を送っていると聞けば、街のどこにでも電車の中でも、もちろん隣りの家にも、そういう男性が身近に存在しているはずだ。もはや特殊な話ではない。だが実際には、人っ子ひとりとしてそんな男性は見当らない”不満足な生き方”とはこのことなのだろう。こうありたいという思いがあっても、カムアウトできない事実から、こうありたい自分を自らの手で不可視状態に追いやってしまうのだ。』

 現在は、随分と状況がよくなってきていると思いますが、まだ、一般の人には、自分とかけ離れた世界との認識のように思います。身近の人の場合、どれだけの人が冷静に受け入れて貰えるか。そこで足踏みしている人が多いということでしょうか。

『 いままでは当然すぎて何も感じることがなかった「男らしさ」や「男である」ということ、自分の寄って立つ存在理由はもはや自明なことではなくなりはじめていた。だがそこから一歩を踏み出すことは勇気のいることだった。もはやそれが確固たるものではない、ということがわかってはいても、そこから完全に手を離して泳ぎ出すことは、あまりにも心もとなく、自分の存在基盤そのものがあやうくなる気がした。そこから逃れたいと思っているのにもかかわらず、何をするにも「男らしさ」の範囲という足かせは私についてまわり、一向に変わらない感じがした。「こういう生き方が好きだから」という思いは、「男らしさの範囲」という重力圏の強さに負けてはね返されてしまうのだ。』

『 だが憲法で個人の自由が明示され、宗教の戒律を持つ人も少ないこの国で、誰もあなたに「するな」と言う筋合いなど持っていない。単に自分で「するな」と言っているのである。もちろんあなたが
「でも社会が‥‥‥」と思うのは当然だろう。なぜならこの世の中で人間を分ける基本の言葉は男女であり、その基準にそって特定の秩序を保っているからだ。どのみち性二分の秩序を基本とする世界観の中で、男らしさ/女らしさという枠は伸縮を繰り返しながらも、その存在自体はゆるがない。』

 何か後ろめたさを感じながら、こっそり自分一人でやってみた女装。あなたは、満足できましたか?わたしの場合はがっかりしました。
 わたしが女装して鏡に映る自分の姿は、自分の幻想(自分でも自覚しないうちに、女らしい理想の女装した自分のイメージが育っているのです)からはほど遠い、自分を幻滅させるのに十分なものです。でも、鏡から一歩離れるとすぐに自分の幻想の世界に戻ってしまいます。女装することそれ自体が、自分を心地よくさせ、ほっとさせてくれます。わたしが女装を続けてきたのは、単にその心地よさを求めているだけのような気がします。女装することへの言い訳や理屈は、今は、考えるのも面倒な気分です。気持ちが楽になるから、私の場合はそれだけでいいような気がします。

『 そのときの私にとって、優しく愛らしくそしてきれいな人間とは、自分の性別とは正反対の者、つまり女性のことだった。それは具体的な誰かではない。「女性」というイメージなのだった。この文を書いている現在の私ならば、男女共に美人も不美人もいる、男女共に愛らしい人も愛らしくない人もいる、男女共に優しい人も優しくない人もいる、という当然の事実を知っている。しかしその頃の私は、このことを考えることもできなかった。男は全て自分のようにきれいではない。身体も顔も美しくない。愛らしくも優しくもない存在にすぎない。私はそのように感じていたのだ。すなわち、きれいな顔イコール女性の顔なのだと思っていた私は、青いひげの剃りあとに「おまえは男だからきれいにはなれない」と宣言を下されたように感じたのだった。』

『 鏡に映った自分の姿は、こうありたいと思った姿から遠すぎていた。私は”男”にしか見えなかった。
 私はそのことに落胆した。だが急ごしらえの”女”をする気はおきなかった。ショートカットの女性がいることはわかっていても、短い髪の私は男にしか見えない。どこかモードが決定的に違うのだ。私はロングヘアーが好きだったが、だからといってウイッグを被るのも不自然に感じてならなかった。一時的な変身は望んでいることとは言いがたい。私は髪もリアルな自分のものでなければ満足しないことを感じた。
 そのことはメイクについても同様だった。ひげあとの濃さや肌のきめの荒さが、メイクを重ねれば重ねるほど逆に目立ってしまう。細かい手の動きがぎこちないために、子供の絵のようにお化粧が下手なのだ。地肌の荒さを隠そうとして厚くファウンデーショソを塗った顔はまるで舞台化粧のような状態で、とても普段目にする女性たちのようにナチュラルなメイクではない。土台が違うゆえの不自然さなのだ。私は半ば投げやりな気持ちにすらなり、メイクを練習することをあきらめた。それ以前のことから始めなければだめなことを知ったのだ。やはりポラロイドは写真のマジックにすぎなかったということだ。
 それでも彼女のスカートを借りて着た。私の期待とは裏腹に、スカートをはいているという事実だけがそこにあり、全くといってよいほど似合っていなかった。 ”男”が単にスカートをはいている、その”男”の部分が逆に際立ってしまうのだ。外に見える身体のパーツは男も女も同じはず、だから大丈夫なのだといった私の信念に近い思い込みはあっさりとくずれてしまった。私はその現実を見たくないと思い、すぐにスカートを脱ぎ、やはり悲しい気持ちでそれをハンガーに戻した。
 手足四本、顔ひとつ。同じパーツを持つ身体であっても、同じ服を着ても、似合う似合わないができる。そうだとすると、身体それ自体がすでに男/女という二者択一的に記号化をされているに違いない。服装というモードの差異は、単に服装だけのことではなく身体をも含めたものだということを、私はこのとき強く感じた。身体は意識によって作られ、自然な身体など、ほんとうは有り得ないのではないか、とも思った。』

『 白紙の状態から女らしさを実際に行なうと、自覚的に行なう分だけ、規制される部分が鮮明に見え始めた。自分が何を女らしいと思っているのか、結局は女性をどう思っているのかがわかる瞬間が次次と訪れた。その頃の私にとっての女性とは、つきつめると、受動であり、エロスだけだった。さらに廃男性を思っていた私は、男のものとされるもの全てを嫌い、このために能動的なことを一切否定していたのだった。私の体現する女は、言ってみれば去勢された女だった。』

 自分が女装して求めている姿は、自分の思い描く女性像。それを自分のものにしたくてわたしは女装を続けているのかもしれません。
 樹さんは、一度だけ女装クラブに行かれたそうです。当然お会いしたことはありませんが、当時私も通っていた所です。

『 二時間以上の間、私は女装クラブの大きな鏡を前にして身動きをしなかった。驚きが喜びに変わり、その姿に見慣れると今度はアラが目立って見えてきた。手入れなどをしたことがない肌は毛穴が開き、厚く塗ったファウンデーションも浮きあがって見える。青々としたヒゲの剃りあとにあまりに、ミスマッチ、脚の毛が濃すぎる、手が大きすぎる、背が高すぎる‥…・。そして何よりも、私は微笑むという表情を知らなさすぎた。自分を愛らしく見せるという努力など過去したことがなかったことにも気がついた。全てが不慣れでぎこちなく、全体的に見て私は女としてイレギュラーすぎる感じを受けた。
私はそのことに早々と失望感を覚えた。だが同時に、努力してみよう、磨けば絶対に光るといった奮い立つような気持ちも芽生えた。それは、このモードが好きだという確信が、その時の私には確かにあったからだ。
「今日はこれでもう充分」。初めての女装でかなり緊張していた私は、冷汗でくずれかけたメイクを鏡で見ながらつぶやいた。そして着替える前にポラロイドで記念の写真を何枚か撮ってもらった。その写真を見た途端、私はがぜん元気になった。写真に写っていた私は、アラの部分が白く飛び、私がイメージする女性そのもののように見えたのだ。私はそれを美しいと思った。将来の自分が写真の中にいる。そう感じたのだ。私は今この瞬間に鏡に映る自分ではなく、写真に写る姿に自己イメージを重ねあわせた。現在の自分がそうではないとしても、そのイメージを持つことで言葉に言いあらわせぬ幸福感が訪れた。そして、かつらを取りメイクを落とし、服を着替えると、今日まで見慣れ続けていた男顔の自分が、見知らぬ誰かのように感じた。そこにいた自分は、少しもきれいではなく、身体価値などまるでないように思えたのだ。』

完全女装して人前に出る。女装クラブでのこの体験は、わたしには”やっとできた”という満足感でした。とっても晴れ晴れとした充実感がありました。でも、回数を重ねるにしたがって、私の場合は、女装の目的がだんだん分からなくなっていったのです。”女装して、その先私はいったい何をしたいんだろう”ただ単に、女装していることが物足りなくなって、結局、そこには、数回しか生きませんでした。

『 わたしは<男>から限りなく遠ざかりたい。かといって<女>にもなりたいわけでもない。わたしがわたしでしかない安らぎは、わたしを固有名詞でなく二つの性のいずれかでで認知する街に、一歩入ると粉々になる。<男>でないなにか。<女>でないなにか。でも自分が好きなスタイルでいれば<女>が表すなにかに近いものになる。わたしはそういう男であるだけだ。でも心のなかでそう言うとき、<男>を強調してる自分に気づく。』

『 私の自分を判断する基準は「似合う/似合わない」から「男/女」にとってかわるようになった。”私がする”のではなく”男が”女の装いをするに変化しだしていたのだ。
 このような状態が続いたある日、私は決して口に出さなかったが、女性になりたいと強く思った。女性にならなければ、好きだと思った女の装いが似合わない、できないと強迫的に感じたのだ。煮え切らない羨望をちゃんと実現してみたいという欲求が勝ってしまったのだ。』

 樹さんは、さらに、女性性を過激に(私から見てですが)求めてゆきます。 

『 しかし、そのなかで漠然と感じていたのは、これまで過剰な男らしさを、感じ方や考え方や身体の表現で現わしていた分だけ、望んでいる状態に至る道程が長いだろうという重苦しい予感だった。今思えば「これから未知の体験ができて、おもしろそうだ」と感じることもできたはずだ。しかしそういう考えは一度も浮かばなかったばかりか、その逆に、目には目をではないが、過剰なものには正反対のものを同じ過剰さでぶつけ、人生の決算をプラス・マイナス=ゼロの状態に戻さなければと信じていた。
 それからでなければ何も始められないと思ったのだ。さらに、この行為を圧縮して行なわなければ、気がすまなかった。私はその長さに耐え切れなかった。なぜなら、もうすでに二五年分以上も「男」をやっているのだ。もしそれとバランスをとるために、同じ歳月分「女」をするとした私は五十代になっている。その年齢からやっと望ましい自分が歩きだせる。そのことを口にした途端、目の前が暗くなった。ともかく五年間「女」を過剰にやりとげる以外に道はない、私はそう思った。』

 女装する動機も人それぞれ違いますが……。

『 それは、男という自分の身体に肯定的な意味を見いだせなかったことであり、同じ人間ならば、身体に肯定的な意味を持つと感じた「女性の人の形」の方がいいという気持ちだった。身体ごとの自己充足もでき、それを多様なモードで表現することが許されている性別として、女性を羨望したのだ。』


『 女性モードを通じて、私は身体の存在を強烈に意識することができた。なによりも、初めて身体存在としての自分を愛し、感じ、これならば好きだとモードに対しても思えたのだ。単なるナルシストだと人は笑うかもしれない。だが、自分を好きになれないことこそ問題なのではないだろうか。』

 TVとして女性性を求めることを突き詰めていくと、どうしても肉体的な問題にぶつかります。似合うに会わないも含めて、時には自分の肉体への嫌悪感にさいなまれてTSと区別がつかなくなることもあります。でも、本当に自分が求めていることを整理してみれば、間違うことも少なくなると思います。

『 ペニスを持つことで私は男なのではない。そしてペニスを取らなければ女になれないということでもない。たとえ生物学的な違いがあったとしても、男と女とは、同じ存在なのだ。男と女とは、理由がどうであれ、自分で選択した状態なのだ。このことを身体ではっきりと感じると、私の中にはもはや、自分で自らを男や女に規定することも、肉体を根拠に特定の性別と自己同一化する理由が、どこにも見当たらなくなった。』

 自分の女装を知ってくれる人が周りにいることは、それがたとえ一人だけであっても、また全てを理解してくれていなくても、随分と支えになるものです。話のできる人がいることだけで心の負担が違います。

『 初めての婦人服のオーダー、そのうえ一度は私を呪い殺そうとした母親の作品。感激のしかたも並大低なもので収まるはずもない。製作した側にとっても、感動と感謝が大きいぶん、作りがいがあるというものだ。そのぶん、私の服に製作欲が傾いたとしても、それは当然なのだ。からかった妹に少しだけ意地悪な気持ちで私はそう思った。そして、この服は私の方が絶対に似合う、とも秘かに自負した。大人気ないとは感じても、つい張りあってしまうのだ。そういう自分がなんともおかしい。しかし、身長がなければ似合わない服というのも確かにある。玄関でパソプスをはき、そこにある鏡を見ていたときに「これくらいの体型だと服もさまになる」と母親が胸を張って言った。彼女のプロ的な言葉を聞いたその瞬間、似合えば着る人の性別など関係のないことを互いに了解することができた喜びで、私は胸がいっばいになった。だが彼女は、それとは逆の暗い眼差しでこうも言った。
「息子のスカートを縫う母親の気持ちを、おまえは知らない」と。
 ‥‥‥私はそれを知らないわけではない。痛いほど感じている。その気持ちの中で、スーツを縫ってくれた母親に感謝している。そのうえで、「しかし‥‥‥」と思うのだ。それではまるで、犯罪を犯した息子を思いやる母親の告白ではないか。「私は断じて悪いことなどしていない」。ノド元まで出かかった言葉を私は飲みこんだ。』

『「ちょうどよかった。私忙しすぎて、お嫁さんがひとり欲しいくらいだったの」。彼女は冗談っぽくそう言い、本の印税も前借りと借金の返済で帳消しになっていた私に気をつかってくれた。
 そのとき、私の頭の中を突然何かが走った。彼女が冗談半分に言った一言、私にとっては思いもしなかった言葉、”お嫁さん”が、山びこのように鳴り響いていたのだ。信じられないことに、お嫁さんになれると思うだけで、負けるものかと気張っていた体中の力が、ふ−つと抜けてしまう。そして次には、トロソとした甘美な気分に見舞われた。彼女は冗談で私の心を軽くしようとしてくれたに違いない。だが、私はそういう役割を担う自分を想像しただけで、安堵でバラ色の気持ちになってしまった。それだけではなく、この人が私を守ってくれるのだから、私も身のまわりのことで尽くしてあげたい、という思いになった。“お嫁さん”になることを想像したとき、私はウェディングドレスもチャペルも思い浮かべることがなかった。フロントに立たなくてもよい、社会の風はその人の肩がさえぎり、身をまかせ、ゆだねてしまえる安心感。これらのことが最初に浮かんだ。それは子供の頃に味わったきりの、大人になってからは初めての体験に違いない。それ以上に、外へ向かう社会的な能力ではなく、生活することだけを存在理由にしてよいということも、誰かのために後ろにまわることも、私にとっては初めてのことだった。もう自分で自分を規定しなくてもいい、それは彼女がしてくれるのだ。そう想った途端、気持が急に楽になるのを感じた。男らしさ女らしさの押しつけに強い反発を覚えてきた私にとって、矛盾することではあったが、たどりついたという気持ちすら覚えたのだった。結婚はゴールだという言葉、それを口にする女性を心底軽蔑してきたが、ゴールと言い得る理由はこのことなのかもしれない。私は「そういうことだったのか」と、心の中で何度も納得した。
 ほんとうに?……。恐る恐るそう言いながらも、私は瞳を輝かした。
 「べつに家賃はいらないよ。次の本が書けるまで時間がかかるだろうし、ひとり増えたからって、どうってことないものね。お嫁さんしてみる? 家事全部やってくれたら、そうねぇ……、週に一度は美容院へ通わしてあげようか」。
 彼女はおもしろそうに、しかし真面目な顔でそう言った。このときの気持ちをどう表わしてよいのか。捨てる神あれば拾う神ありと言うのだろうか、それとも白馬の王女様が突然出現したと言うべきなのだろうか。だが、どちらも微妙に何かを言い得てはいない。しかしいずれにせよ、私がとびあがるほど喜んだことは事実だ。そして、瞳をキラキラ輝かせながら「よろしくお願いします」とおどけて、三つの指をついたのだった。
 そのとき、私は不思議な気持ちになった。資産家以外の男は野心があろうとなかろうと、常に働き続けなくてはならないのが普通とされ、女性は働かなくてよい、専業主婦が普通である。私は、それはあまりに不公平で、たとえ男が働かなくてもよい状態があるにせよ、実際の可能性は万に一つだと思っていた。だから、それができると知った瞬間、夢のようなリアリティのなさも感じた。』

 樹さんのこんな幸せも、樹さんが自分で求めて、行動して得られたものです。けっして、黙っていて受け身で転がってきたものではありません。やはり、”やってみなくてはどうにもならない”のだと思います。

『 だからこそ、「好き」ならばそれが似合うように、もしくは「好き」な自分が魅力的な存在であるように、自らの前提を解体することが何よりも必要だろう。それは、たまたま「好き」になった女の装いにどんな思いを込めているのかを、まず自分の内側に尋ねてみることだ。それは愛らしいと感じる何かなのだろうか。優しさと感じる何かなのだろうか。思いやりと感じる何かなのだろうか。それとも柔らかさや美しさという何かなのだろうか。もしそうならば、自分の内面にそれを育てあげることが最初だ。』

 私の場合、随分遅い再出発にないましたが、やっと今、自分を育てていく最初のところに立てたような気がしています。

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愛の力

蔦森樹 東京書籍(1999)

 「男でもなく女でもなく」のその後の物語とタイトルに書かれていますが、この小説は、神様と自分とのつながりの体験を求めて一人インドに旅立った美奈子と、日本に残って女性として社会の中での自立をめざしてゆくかおる(TG)の夫婦の姿を借りて、蔦森さんが辿った心の道を小説にされたものだと思います。かおる(TG)の自分の心に対する反問は、程度の差こそあれ、TVの誰もが通る道だろうと思います。わたしにも思い当たる問い掛けがいくつも繰り返されています。もしかしたら、今現在同じ迷い道に入り込んでいる方もいらっしゃるかもしれません。でも、答えを出すのはやはりあなた自身でしかありません。

『生きていることに「なぜ?」と開かれることくらい最悪なことはない。
その問い自体が、苦しみを作りつづける。

「なぜ?」
それはわたしを責め続け、
それはわたしを来る日も来る日も非難した。
わたしは誠実に、それに答えようとして、
そして自分をなくしてしまった。

でも、それも終わりだ。
わたしが女性のように生きたいと思った、さまざまな理由も今は
ただなつかしく、それ以上の意味をさがせない。
誰に自分の正しさを証明したかったのだろう?
わたしは、そのことのために自分をさがすことをやめてしまった。
そして、わかったことが、ひとつだけあった。
わたしが、それを選び、それを愛している。
答は、
必要なことは、それだけだったのだ。

この物語を、生きていることに「なぜ?」と問われた人たちに捧げる。』

 蔦森さんが行き着いたのは、女性として生きて女性を愛すること。そういう自分をそのまま自分として受け入れていくこと。蔦森さん自身の回答が前書きとして書かれています。言葉や観念としては理解できても、現実としてはなかなか消化しきれないかもしれません。
 社会的にはトランスセクシャルの性同一性障害ばかりが注目されていますが、実際には女性しか愛せないTVの方が圧倒的に数が多いのではないかと思います。しかも、蔦森さんのように女性としてフルタイムでいる人はごく一握り。ほとんどの方が、パートタイムでTVしているだけです。
 確かに、性別としては男と女の二つしかありませんが、かといってTVにしてもどちらかの性を限定的に選ばなければいけないものなんでしょうか。蔦森さんの場合は、自身の意志の力で格闘しながら女性として生きてゆく道を選ばれました。もし、性転換が認められて好きな性で生きていいということになったとしても、それは換わった性の中で残りの一生を生きてゆくという選択でしかありません。少し前ですがイスラム教の国で女性に性転換した人が、女性に対するイスラム教の制限の厳しさに根をあげて男性へ戻る性転換手術を希望しているという新聞記事がありました。彼(彼女)は中途半端なのでしょうか?私は、彼を笑う気持はありません。社会的にリバーシブルという選択肢があればいいのでしょうが……。

『「わたしは体が男性で生まれたから、ふたりにとってはわたしは男なのね。ジェンダーの意味が社会の性役割と性規準のことだけなの。性のアイデンティティーやセクシユアリティーのことも含まれてるなんて想像外かもしれないわ」
 ドアの前に立つ女性職員に向けて、そう言った。
「わたしは女性として日常を暮らしだしてから、男である特権なんて受けたことがなかった。むしろ、男以下女以下の存在として、社会利益など女性以下という場合が事実だった。たまたまわたしは文筆家で、自由業でがんばってきたけれど、会社で働く雇用機会を言ったら、女性のそれの足元にもおよばないほど皆無だし、雇用があるとしたら唯一ホステスで、女性ならそれも間口は広いけれど、わたしはゲイバーと呼ばれるお店だけにかぎられる。そして、わたしは同性愛の人間ではないから、そこでもまた排除されるの。
 ふたりはきっと、そんなことを知らない。わたしの体が男という理由だけでわたしを男のひとりだと思いたいの。そして男の特権とふたりが思うものを手放さないまま、抑圧された社会的弱者の女に残されたわずかな良いところだと思っている、美しさも取り込んでいると思っているの。そうでなければ、あんなめちゃくちゃな言葉や、失礼な進行が悪びれずにできるわけがないわ。わたしは自分のことを一度も社会的に弱い立場の者と思ったことはないけれど、今も思わないけれど、自分の主張を効果的なものにするために叩いたのだとしたら、そのことをなんとも思わないのだとしたら、わたしを悪者として使おうとしたのね。……そう思うととても悲しいわ。
 わたしだって、フェミニズムの考えかたには共感したし、生きる力を与えてくれた恩があるし、たくさんのフェミニストの女性には助けられてきたし、だから味方だとわたしは自分を思ってきたのに。敵のように扱われて、それがとても悲しい」
 わたしはその女性に向けて、一気に思いを吐き出した。』

 わたしは、フェミニストの女性がTVに対してどんな考えを持っているのか知りませんが、TVは女性に対して持っているあこがれを自己実現しようとしているように思います。得られないやさしさをナルシスティックに表現しているのだと。それは、自分が求めたいものだからこそしていることなのです。それが、女性に対する差別的意識を強調しているなどというのは何かずれているのではないでしょうか。

『 男でも女でも、性を選びなおして生きることもできると信じ、個人はどの性であっても、どの性でもない生き方を選んでも、なんであっても等しい価値があると認めたなら、自分がとても好ましく感じるあり方を生きたいと思う。
 わたしにはそれが女性で、だから女性像がとても肯定的でとても価値のあるものだった。そして、性をめぐるいろいろなことは自分の利益にならないようなことを選んではならないと思っていた。
 女性で生きるから、社会で女性に不利益なことも選ばなければいけないということはない。性を理由に不利益なことを選んだり、それを受け入れたりする理由などまるでない。それよりも、生きる性とはなんの関係もなく、人はやってみたいと思ったことをする自由があるだけだ。女性も男性も、誰もがその自由を生きるのが当然なのだと思った。
 そう思っていた。それをいいとこどりでずるいと言われて、悲しかった。
「……わたしだけが、性を選んで生きているわけではない。誰だって、そうしてる」
 部屋の明かりをつけて、ひとりごとをつぶやいた。
 人は、生まれた性を生きていても、生まれた性とは別の性を生きていても、毎日毎日、今日も自分が自分だと認めた性をはずれないように、無意識に気をつけて生きていた。』

 身体は一生脱げない衣服です。自分自身に貼り付けられた記号です。その記号の意味を守れと四六時中監視され、管理されています。でも、その記号の意味を塗り替えていくことはできます。そして、それが出来るのは自分自身以外にありません。

『「……そういえば、これと似たような気持ちになったことがあったわ。男らしさの鎧を脱いで男も自分らしく生きようって言われたときにも、こんな気持ちになったわ…‥・」
 さかんに取り上げられていた新聞記事を思い出した。男性の生き方の見直しを訴える人の言葉を聞いたとき、さっきのふたりの言い分に感じたような気持ちを抱いた。
「……なんだったんだろう。男性は、男は強くあれと常に言われ続けていたっていうのはほんとうよ。わたしもそうだったからわかる。弱音を吐くな、泣くな、勝ち残れ、優位に立て、指導力を発揮せよ、そして女房子供を養うお金を得ろ、それでこそ一人前の男だって期待されて育ったもの。それがひとつでもできなければ男らしくない男といわれて、自分でも男性失格だと感じていたわよ。
 でも強くあることや優位に立つことって、誰に対してなのかしら。そもそも誰に向けて言っているのかしら?」
 それは自分以外の男性全員と、自分以外の女性全員になのだと思った。
「他の男に負けても、男である自分より劣っている立場の人たちがいるって、意識しないでも知っている感じよ。女性が自分の下にいる絶対の安心感が、どの男をも無意識に支えているはず……それがあるかぎり、どの男性も努力なく男でいられるのよ」
 そう思って、はっとした。
「それだけじやないわ。女性を下に置ける安心感を必要としない男もいるの。男の中の勝ち組がそうだった。余裕があるナイスミドルって、それよ。でも変わらないわ。その男の人だって女性を下に置く安心感を手放したわけではないはずよ。自分を守るためにそれを使う必要がないから、使わないだけ」
 競争に戦い抜いた勝者が男だというイメージ。それがあるかぎり、男性はだれかに勝っていなければ男ではありえなくなる。そう思った。
 だが他の男性にいくら負けても、その男性が女性になるわけではなかった。
 むしろ、女性にはなるまいと必死に戦っているようにも思えた
「男を侮辱するのは簡単なの。女々しいとか女みたいとか、女の腐ったようなやつと言えばそれでことたりる。それくらい、男は女性に見られてしまうのが恐いのよ」
 言った言葉にひとりうなずいた。
 それは外見的に女性だと思われることが怖いということではない。女という階級に、男ではない階級におろされることが怖ろしいのだと思った。
「そう、だからなのよ。この間話題になっていた、メイクアーチストにお化粧してもらった男性有名人の写真集って、ただほほえましいとだけには思えなかったもの。スタイリストに女性の服を選んでもらって、カメラマンに写真を撮ってもらえぼ、その瞬間は女性に見えるわ。ブスな男はブスな女になるだけだけど、女はきれいなものっていう思い込みがあるから、みんな自分が美女になったつもりで、美女でなければ自尊心が許さないみたいな感じで……。だから、男なんだって、逆に強く思ったわ。それで買わなかったのよね。インタビューの記事を読んでいたら、実際にその男性が話している姿を想像しちゃって、絶対に女性じゃないと感じたのよ。
 それは男性の文化を捨て、女性の文化で生きていないからだったと思うの。文化も身分なんだもの。その人が男性の身分を捨てる気なんか全然ない感じだもの。だから、男にしか見えないって感じたの」
頬杖をついて机に向かっていた。
 男性が男性としてとどまる中での問題は、女性として生きることを選んだわたしの問題ではないと感じた。けれど、どうしてこれほど腹が立つのだろうと思った。
 なにがそんなにいやなのかな? 鉛筆を持ちながらあれこれ書いては考えていた。
「……たとえば仕事場や家庭で、ご近所でもいいけれど、自分のまわりをきょろきょろと見まわして、あきらかに社会の性の規範や慣習で不公平な扱いをされる女性がいたら、その男性はどうするのだろう? 男性が性の規範で不利を被ったときと同じように感じるのかしら?
 職場で、それはおかしいとその女性のために声を上げたり、改善されなければならないと他の男性に進んで提言する気持ちがないなら、やっぱりその男性は、自分の身分を守っているとしか言えないわ」
 どんなに女性のエリートが輩出して活躍しても、女性が男性よりも下の人間という社会の集合意識は拭えてなどいない。それは考える必要もないはどの事実だと思った。その事実を知っているのに、そこにはタッチしないことに腹がたったのかも知れなかった。』

 わたしは、TVであるなら男女平等の思想を持たなければならないなどとは思いません。確かに性別という身体的記号によって社会的役割を固定化することには疑問を持っていますが、女性的なもの、わたしがあこがれている女性のイメージは壊れて欲しくないのです。パートタイムで遊んでいるだけだからそんなことが言えるのだというフェミニストの言葉が聞こえてくるようですが、やはり、あこがれるものにはそれだけの価値があるのだとは思いませんか?


蔦森さんのあとがきから

 愛するふたりのルールが違ってしまったとき、それでも成り立つ関係があることを物語に託した。そこには情を越えた愛が形を変えて輝くが、ひりひりとした痛さは消えず、愛を信じる力だけが試され、残っていた。
 ところで、あとがきを書きながら思い返せば、わたしは女性に憧れる子どもだった。
 保育園のときにわたしは初恋をした。相手は女優の夏木マリさんのような保育士さんで、マニキュアの指にはっとし、かすかな香水の匂いにうっとりした。同い年の女の子たちに目もくれず、先生のスカートのすそをひっぱりくつついて歩いた。
 小学校に入学したときにはハワイアンの歌手、日野てる子さんにぼうっとした。長い髪にハイビスカスの花。女性の深く甘い声にしびれて夢のように憧れた。
 そして十才の頃には小学校の女性の先生に恋をした。セックスしたいとは考えもつかなかったが、抱かれたかった。手を握ってもらったときには体の力が抜けた。肌寒かった日に、着ていたブレザーを肩にかけてもらったときには絶対に返したくなかった。いっしよの性になった気持ちがして満ちたりた。
 その後、母にせがんで「ドレスメーキング」の婦人服のパターンで明るいオレンジ色のセーターを作ってもらったとき、心が躍るほどうれしかった。
 だが、子どもながらに疑問がすでにいっぱいあった。近くに住む親戚の子どもたちのなかで、わたしだけが男の子だった。今思えば、男だからと上げ底のように気を使ってもらっていたのだけれど、従柿妹たちと同じように扱われなかったことが不満だった。どこかで決定的に、仲間はずれにされている感じがした。
小学校二年のときに、担任の先生から「男女平等」を教わった。わたしはほんとうにそうだと思って、クラスメートの女の子と教室の床ふきに精をだした。ふたりで組むと息があって、まるで仲の良い仕事仲間のような気持ちで、勉強も運動もできたその子を尊敬していた。だが、次の年になると「男と女は違う」と教えられた。それでなんとなくいっしよに掃除ができなくなった。
 男女平等と言われながらも、男と女は違うと言われて混乱した。このとき「仲良しでいっしょなら違うわけがない」と思っていたことが崩れてしまった。とても不本意に、自分を男だと思わなければならなくなった。
 そして五年生のある日、クラスの女の子たちは教室に集められ、男の子たちは体育の時間でもないのに校庭でサッカーをさせられた。ずいぶん後でそれが初潮教育だとわかったが、どうして自分がサッカーをしなければならないのかと思っていた。カーテンを閉めた教室の窓を校庭から見ながら、そっちに行きたいなと思った。
 その頃になると毎日のように、服や髪型の好みが男らしくないと父頼に怒鳴られていた。男のくせに男らしくない、なよなよしていると腹を立てられた。セクハラという言葉があればよかったと思うが、日課のように殴られたので、父親が帰宅する時間におびえた。暴力はほんとに恐ろしく、今では父を恨んではいないが決定的に男が嫌いになった。
 だがわたしもその男のひとりだった。女性になってはいけないと思った男の子に育っていた。表面のふつうの男の子らしさとは裏腹に、心には説明のつかない挫折感があった。
 女性が好きということは、わたしも女性と同じでありたいという願いだったのだと、今ならわかる。女性として女性が好き。これでもまだくどい。女性が好きな女性、それがわたしだった。
 こんな簡単なことがわかるまで、その後二十年もかかってしまった。

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恋人と暮らす沖縄

(男が女になって女を愛す)

蔦森樹 星雲社 

 

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