とりかへばや物語

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講談社学術文庫 全4巻 桑原博史

 あらすじ

参考図書(関連図書) 

とりかへばや、男と女 河合隼雄 新潮社
衣服で読み直す日本史 武田佐知子 朝日選書
ざ・ちぇんじ! 氷室冴子 集英社文庫

男女が入れ替わって暮らすというこの本の存在は、高校時代に知りましたが、中身については想像力を刺激されるだけで、詳しいことが分からず、実際にこれを読んだのは、社会に出てからでした。このような本が、平安時代に書かれ、現代まで失われずに読み継がれてきたことは本当に驚きです。いつの世でも男女の社会的役割に対する不満や、変身願望は、潜在的に人間の心の中に潜んでいるのではないでしょうか。

中味は、TG系ですが、いとも簡単に男女の入れ替わりが成立してしまうのは、さすが貴族社会のなせる業でしょうか。やはり、男装の姫君の活躍が、物語の中心になっていますが、男君も女として、御裳着の儀(女性の成人のお披露目式)や尚侍として出仕し、帝をはじめとして男性の求愛を受けるなど、わくわくするお話もあって、なかなか読みごたえのある物語です。最後に、何事もなかったかのように、それぞれが、役割を入れ替わってしまうのが私としては物足りないのですが……。

この物語は、明治時代以降、古典としては大変評価が低く扱われてきました。特に明治以降の「男尊女卑」の考え方が反映された結果ですが、私にとって大変息苦しいものです。日本人は、長い間、性に対して大変おおらかな考え方を持っていたのです。近年、この物語は再評価されてきています。よく、今の性風俗は退廃的だと言われますが、現代は、明治の呪縛から抜け出し、本来の日本人が持つ性観念へ回帰するための過渡期にあるのかもしれません。

簡単にこの物語を楽しみたい方は、氷室冴子さんの「ざ・ちぇんじ!」をお勧めします。(漫画版もあります。)


 

あらすじ

-壱-

 権大納言兼大将の二人の妻には、それぞれ一人ずつの子があった。男君のほうは女性的な気質をうけ、姫君のほうは男性的な気性であった。成人すればなおるかという親の期待もむなしく、二人の子のありようは、年ごとに偏して行き、父親はあきらめて、姫君を男として育て、男君を女として育てることを決意した。


 姫君の才知や容貌がうわさとなり、それを聞きつけた天皇は出仕を迫り、父親は仕方なく姫君に男として御元服の儀、男君に女として御裳着の儀を行う。元服した姫君は男として侍従となり宮仕えすることとなった。世評はすこぶるよく、たちまち中納言に昇進、ついには右大臣家の四の君と結婚することになった。
 中納言十六歳、四の君十九歳の秋のことである。もとより肉体関係はあり得るはずがなく、中納言は、ようやくわが身と心のありように悩みはじめるが、麗景殿の女御と恋愛遊びをしてみたりもする。


 一方、自分とは逆に女性的性格の強いまま世間にも女として披露された男君も、院の勧めで尚侍として女東宮のもとに出仕することになった。尚侍は、東宮に親しく仕え、女同士として安心して同じ御帳のうちに男の本性に目覚めてしまう。東宮も最初は驚いたが、尚侍の人柄に惹かれ、二人は関係を続ける。

 
 中納言の美貌を見るにつけ、その姉妹(実は男)にあこがれていた宰相中将は、望みの人が尚侍となってしまったことに失望した。年が明けた春の夜、宰相中将は慰めを求めて、中納言邸を訪れ、琴を弾く佳人を見つけ、情熱の動くままにかき抱いてわがものとした。それは、名ばかりの妻の座に苦しむ四の君だった。
 夢のような逢瀬を重ねるうち、四の君は妊娠する。それを知らされた中納言は、嫉妬や怒りに狂うよりも、むしろ、四の君に男としての関係を持てないことを恥ずかしく残念に思っていた。夫の正体を知らぬ四の君は、不安におののきながらも、自分に性の喜びを教えた宰相中将をなお忘れかねていた。


 そのころ、先帝の第三皇子が唐土から帰朝て、娘二人ともども吉野山にわび住まいをしていた。悩む中納言は、いっそ出家したいと思い、つてを得て、宮をおとずれる。宮の持つ柔かな雰囲気に心を開いて、中納言は涙ながらに身の上を語った。事情を見抜いた宮は、彼女の背負った前世の宿命を明かし、現世に強く生き抜けばついには栄華をきわめる、と予言した。
 予言は心得がたいものの、告白に一時の心のやすらぎを得た中納言は、月の夜、宮の姫君たちと会うが、何故か男めいた血がさわいで、姫たちに恋愛めいた行動をしかけてしまう。
 かくて十数日を経て、中納言は帰京。父君は喜び、義父右大臣の歓待は変らぬが、久しぶりに見る四の君との間には、どうにもならぬ隔たりが生じてしまっていた。おたがいに世間体を考え、同じ臥所に横にはなるが、背を向けて二人、ため息をつくばかりであった。

 


 

-弐-

 月日へて、右大臣家の四の君は姫君を生んだ。だれも気づかないが、中納言の目にはたしかに宰相中将に生き写しと見えるし、また、二人の関係を証拠だてる扇も手に入れたが、今さらとがめだてする気もない。
 中納言に知られているとも思わぬ宰相中将は、ようやく四の君にも飽いて、かねて思いを寄せていたもう一人の女、宣耀殿に住む尚侍(男君)に目をつける。物忌みの夜、しのび入ったが、尚侍は身を許さず、たくみに宰相中将を帰した。満たされぬ思いの中将は、その年の夏の午後、慰めを求めて中納言のもとをおとずれる。


 中納言の涼しげな軽装の下からのぞく肌の白さや、おもざしは、宰相中将を惑乱させ、夕暮れ時、夢見心地でかき抱いた。中納言は、この男が、わが妻四の君をどうかきくどいたのか、好奇心もあり女としての嫉妬心もあったのだろう、むげにはねのけぬうちに、男の腕の中でついに肉体の秘密を知られてしまう。内裏に出仕し、帝の御用を聞いたり宿直をつとめたり、男として中納言の身分を維持しながら、宰相中将に対しては、時として冷たく、時としてやさしく上手にあやつる術を心得ている中納言であったが、妊娠という運命に見舞われては、絶望せざるを得なかった。
 その年の十月ごろから、体の異常を感じていた中納言は、十二月になると、それがまちがいない事実とわかった。悲しみの極にある彼女とうらはらに、宰相中将は、子までなす二人の宿縁の探さに感動し、女の姿にもどつて二人だけで暮らそう、という。
 しかし、中納言の意をえようと、四の君への不満や悪口をいい出す宰相中将を見ているうち、いずれ自分への愛情がさめれば、次の恋人に自分のことを、男姿までしていた変った女がいたとしやべり散らすだろう、と将来の想像がついた。


 結局は、われとわが身をなきものとするほかない。そう決心した中納言は、十九歳の新年から三月末まで、最後の力をふりしぼって内裏の諸役をつとめ、人々にひそかに別れを告げた。花の宴には右大将に任ずる宣旨まで下るが、その栄誉も、死を決意した中納言の心をかえることはできなかった。

  △△


-参-

 四月、身重の体を処置しようもなく、右大将(前中納言)は権中納言(前宰相中将)の進言通り、いったん、宇治の権中納言の別邸に身をひそめることとした。たくみに内裏からの脱出に成功し、宇治で女姿にもどる。
 右大将失踪を知った右大臣は、原因は我娘の密通にあると知り、四の君を勘当して恐縮の意を表した。左大臣は病休についてしまった。周囲の騒ぎに、里に下がっていた尚侍は、男姿にもどって右大将を探し求めようとした。母に、自分が病床にあるかのようによそおって、人目につかぬよう頼み、吉野山に向かった。途中、宇治で、右大将に似た女姿にもどった右大将をかいま見るが、むこうも尚侍によく似た男と思いあやまって、おたがいにそれと気づかない。


 吉野山の宮に会った男君(前の尚侍)は、確かな情報と宮の予言とを得て、そのまま時のくるのを待つ。宇治では七月一日、男児を出産、姫君(前の右大将)は約束どおり、近況を宮に報じた。その使者をたよりに、連絡を取りあった兄妹は、権中納言不在の秋の夜、ひそかに再会し、今後の身の処置を相談した。
 約束の日、子を捨てる悲しみに耐えながら、姫君は吉野山にのがれた。男君は京にのぼって、事情を父君に伝える。実は左大臣は、その夜の夢に、二人の子の苦しみは前世の因縁による天狗のなせる業で、今やその悪縁が断ち切れたから、二人は本性の姿にもどる、と見ていたのだった。男君は右大将に、姫君は尚侍に入れ替った。

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-四-

 この年の十一月晦日、尚侍はそしらぬ顔で東宮御所に参上して、女東宮の妊娠を知り、出産間近の女東宮に、右大将を導き入れ相手は女装していた右大将だと説明した。
 十二月、女東宮は大胆にも御所内で出産するが、ただちに若君は左大臣邸に運び、そのけはいを人に知られぬようにした。傷心の女東宮は、父院のもとに引き取られた。


 帝は、尚侍の再出仕を聞き、ひそかにその姿をかいまみ、女御として召そうとするが、父左大臣側は承知しない。新年、ひととおりの行事も終ったころ、帝が尚侍を抱き、尚侍の身分は変えぬままいつくしんだ。三月、右大将は吉野山の宮をたずね、かねて造営していた二条殿に姉宮を正妻として引き取った。四月、彼は麗景殿の女御の妹とも契り、男としての生活に自信を得て行った。権中納言は、右大将が以前の女でないことを知って、混乱する。その疑問を封ずるためにも、右大将は吉野山の宮の妹宮と結婚させ、幸福感に過去の思い出が薄らぐようにした。

 一方、尚侍は同年末、帝にとってのはじめての男宮を生んだ。やがてはその宮が東宮から帝位につけば、彼女は国母という女性として最高の地位に輝く。だが、見捨てた宇治の若君とのはかない再会に、彼女の心はくもる。その事実を知っても心広く罪を許す帝に愛された尚侍は、中宮となり、第二・第三の皇子たちを生み続けた。右大将も関白左大臣となり、子孫は繁栄する。今、何一つ不足ない幸福な二人は、実は若かりし昔、このような苦しみを経て、人間として成長したのであった。

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