(洗朱)

蒼ざめた肌

戸川昌子 文藝春秋(1965)

(あらすじ)

 伯父の経営する東京フランセーズ・ドレスメーカー学院の講師をしている桑原実子は、夫との性生活にかすかな疑惑を抱いていたものの、夫の泰雄が一言も連絡せずに失踪してしまったことが信じられなかった。夫が居なくなったあと実子を襲う奇妙な悪夢が気掛かりでならなかった。
 いつものように学校に行くと、担当のクラスの生徒のひとりである十和田熱子が欠席していることに気がついた。ちょうど夫が姿を消した日からである。実子は、夫に女が居たのではないかという疑惑を抱いて夫の勤めていた出版社まで出向き、そこで同僚の山之内から、夫が預けたという品物を渡される。その中に入っていたのは、意外なことに夫の泰雄が同性愛者であることを暗示する写真だった。
 朝岡典子という生徒に連れられて熱子のマンションに出掛けて見るが、鍵がかって不在の様子。その日はそのまま帰ってくるが、やがて熱子が死体となって発見され、現場には夫のタイピンが落ちていた。夫は殺人容疑者になってしまう。
 実子は、同性愛の世界に失踪した夫の影を求めて追跡を開始する。


 今回は、TVの身内の心境に迫ってみたいと思います。
 失踪した夫を探す実子は、夫が性転換手術を受けたのではないかと疑い、失踪直後に手術を受けた夫と背格好がそっくりの男の行方を探しました。実子は、何度かその男の近くまでたどり着きますが、なかなか確証をつかめません。でも、男は実子の影が迫るたびに、勤めを代え行方をくらましてしまいます。実子は、男がそれほどまでに自分を避けていることや、男の特徴ある手相が夫と同じであることから、この男こそ整形手術を受け性転換した夫だと信じ始めていました。
その時、実子は男がストリップ劇場に踊り子として出演しているという情報を得たのです。
 自分が夫を探していることが、夫の立場を追いつめてしまっているという呵責の念と、そこまでして何故夫は自分を避けるのかはっきりさせたいという気持ちが交錯する中で、実子は夫であることを確かめようとストリップ劇場の扉をくぐるのでした。

 そばに誰もいてほしくなかった。たったひとりで、そのブルー・ボーイを観察したかったのだ。他の観客の好奇の目を避けるために、暗くなってから実子は場内に入った。
 暗い観客席のシートに身を埋めてから、実子はやはりひとりで来てよかったと思った。
 一回目の公演は、観客もまだまばらであった。かぶりつきというのであろうか、ステージの前のほうに観客がかたまっている。どれも男の客たちばかりであった。
 裸の女たちの踊りを喰い入るように眺めている。ヌードたちは、そんな男の視線をはねかえすように冷たい投げやりな表情で踊っていた。
 京太は、プログラムの終り近くなって出て来た。長い羽根飾りのついた帽子をかぶり、ビロードにイミテーション・ダイヤをちりばめたきらきら輝くローブをまとっている。
 金髪の鬘と一緒になって、新劇俳優の舞台衣裳のようであった。
 観客たちのあいだに、弛緩した空気が流れた。ヌード劇場の観客は、誰も欲望の対象としてこのブルー・ボーイを眺めてはいなかった。
 あるのは、好奇心だけであった。
 京太は強い照明の中で両手をひらひらさせたり、ハイヒールの足をあげたり、同じようなしぐさを音楽にあわせて一分ほど続けていた。
 音の悪いスピーカーから流れてくる曲は、いぜん流行したコーヒー・ルンバをスローにアレンジしたものであった。ときどきそのたかまったリズムが、ひどく絶望的に聞こえた。
 とつぜんスポットが、オレンジ色からブルーに変った。
 その瞬間、京太が長いローブを舞台の袖にむかって投げすてた。スパンコールを刺繍したバタフライが、わずかに腰の部分をおおっているほか、どこもあらわに露出していた。
 実子は思わず息をのんだ。目をつぶりたい気持だった。
 京太の胸は、大きくふくらみ、女と同じ乳房のかたちをしていた。頭の中では、男性からの転換手術を理解していたけれど、視覚の中にふくらんだ柔らかい乳房があらわれると、やはりたじろがずにはいられなかった。
 彼の肩や胸や腰や腿も、ホルモン注射と舞台照明のせいか、男にしては柔らかく白く盛り上がっていた。
 あれが夫だろうか、夫の泰雄がこんなふうに変身するということがあり得るのだろうか。足のホクロはやいてしまったのか、見当らなかった。
 ステージの上では、京太が両手で乳房を持ち上げるようにしながら、腰と脚を快楽の絶頂のときのようによじっていた。
 それから、充分に観客の視線をひきつけておいたところで、最後に肌をおおっていたきらきら輝くバタフライを落とすようにして剥いだ。
 手で交互に隠すようにしながら、ちらちらと見せる場所には、女と同じ躰があった。男は失われていた。
 実子の頭に何の意味もなく、反射的に小笠原という医学生の持っていた太い試験管が浮かんだ。
 小笠原は本当に、この男の躰も採集したのだろうか。
 実子が、うつろな視線を舞台の上に戻したとき、京太の肌は一段と強いブルーのスポットで蒼ざめていた。
 実子は、その次のステージも見た。二階にわずかばかりの客席があるのを見つけ、そこにのぼったのだった。二階には客はひとりもいなかった。
 そこから舞台を見下すと、まったく違う角度から彼を観察することが出来た。けれども、なにも新しい発見は出来なかった。
 肩の線が、いくらか夫に似ているような気もした。
 山之内と約束の最後のステージにも、前のほうに行って坐った。さすがに最終回は満員だった。ステージのすぐ前の、今にも手の届きそうなところで、ヌードたちは踊っていた。
 男たちの女の裸に注ぐ執拗な視線と、むんむんするような熱気とを見ていると、自分の夫に対する夫婦生活が、どこかで欠けていたのかもしれないと思ったりした。
 京太がステージに出て来たとき、実子はだいぶ疲労していた。それでもなにか掴みたい一心で、彼をみつめ続けた。照明と化粧のせいで、京太はしっかりと仮面をかぶり続けていた。
 京太はパントマイムの役者のする化粧のように、無表情だった。閤の中の遠くの一点をみつめながら踊っていた。
 実子の前まで来たとき、彼はターンしようとして腰を折った。そして偶然、実子の上に視線をおとした。
 はっと実子をみつめたようだった。
 けれども白い表情は変らなかった。ただ長いつけまつ毛をつけた目だけが、一瞬、深い悲しみをたたえているように見えた。
 そのとき、実子は思わず腰を浮かせ、なにか叫びかけたようだった。
 しかし、トランペットのかん高い音にその声は消された。

 女性というのは、本当に度胸があるものだと思います。女性作家が書いていることですから、女性のとる行動としてはとっぴな考えではないのだと思います。私がその立場にいても、ストリップ劇場に足を踏み入れる勇気などとてもありません。夫が女性になった姿だけでも正視できないと思うのに、まして、夫のストリップ姿を見に行くなんて。逆に、私がこの男の立場で、観客席の妻に気がついたとしたら……。
 やはり、私はまだまだ中途半端な女装者なのですね。

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