(千草色[ちぐさいろ])

楽園のつくりかた

笹生陽子 講談社(2202.7)

 なんといっても三人のうちで彼女がいちばんまともそうだし、やっぱり人間、おつむのつぎに重要なのは外見だ。
「あたしの名前は一ノ瀬ヒカル。仲よくしようね、星野くん」
 一ノ瀬さんはそういって、するりとぼくの手を取った。にっこり笑った彼女の顔はかわいさ出血大サービスで、恋愛体質ゼロのぼくでも、さすがに一瞬くらっとなった。そうでなくても、女の子と手をつなぐのはひさしぶりなんだ。なにしろ前の学校は男子校だったから。
 しずみがちだったほくのハートに、希望の光がぼっとともった。こういう出会いが待っているなら、分校もそう悪くない。彼女とぽくは手をつないだまま教室を出て、倉庫にむかった。そのとちゅう、一ノ瀬さんは親切なバスガイドみたいに保健室や音楽室やトイレの場所を教えてくれた。一階にある倉庫につくと、ぼくは建てつけの悪い引き戸をあけた。引き戸の奥には、ほこりをかぶった机とイスが五十組くらい、天井につく高さまでごちゃっとつみ上げられていた。
「これって、全部あまりなの?」
 ぼくは机の山を見上げていった。
「うん。だから、よりどりみどりで好きなのを選んでいいんだよ。自分の背たけに合ったやつとか、傷の少ないやつとかね。じつをいうと、この倉庫自体も、あまった教室だつたりするの。過疎化が進んでどうとかこうとか、先生からも聞いたでしょ」
 一ノ瀬さんはそういうと、机の山をくずしはじめた。それから、ふと思いついたみたいに、ぼくにささやきかけてきた。
「ね、まゆちゃんのこと、どう思う?」
「まゆちゃんて、あのマスクの子?」
「うん、宮下まゆのこと。見ればわかると思うんだけど、彼女、ちょっぴり変わってて、だれとも口をきかないの。障害者っていうんじゃなくて、自分の意志でそうしてる。でも性格はまじめだし、だいたいのことは身ぶり手ぶりでコミュニケーションできるから。それだけはいっておきたくて。そうそう、ちなみに彼女とあたし、山村留学生なのね。あたしは横浜出身で、まゆちゃんが千葉の出身で、いまは村役場のそばのふつうのおうちに居候させてもらってるんだ。ほかの学年にも何人か留学生がまじってるけど、二年生では、さっき手をあげた山中くんだけが地元の子。星野くんが転校してきて地元がふたりになったわけ。うちの学校、正直いって廃校寸前らしくって。それで三年くらい前から地域ぐるみで協力し合って、山村留学生たちをむかえるようになったんだって」
「へえ、そうなんだ。いわれてみれば一ノ瀬さんて、なまってないよね。でも、なんだってこんなところに留学なんかしにきたの」
 こいつは意外、とぼくは思って、さらにつっこんできいてみた。なまの山村留学生を見るのはこれがはじめてだけど、テレビのドキュメンタリー番組でちらりと見かけたことはある。留学生をむかえる地域はこことよくにたド田舎で、留学生のタイプには、おおまかにわけて二種類がある。ひとつは、いじめや非行の輪からぬけ出すための逃避型。もうひとつは、しつけの一環としての異文化体験学習型だ。宮下がどのタイプなのかは、あのかっこうを見れば想像がつく。一ノ瀬さんには、いったいどんな事情があるっていうんだろう。
「うーん、そうだな。かんたんにいうと人間関係みたいなものがうまくいかなくなっちゃって。こういうことになったというか」
一ノ瀬さんは人さし指をくちびるにあてて、まばたきをした。
「なるほど、人間関係ね。女子はなにかと大変だから」
 ぼくは机選びの手を止めて、同情に満ちた意見をいった。彼女みたいな美少女はブサイクな女子にねたまれやすい。
「あ、でもべつに女子だけがどうのこうのというんじゃなくて。それ以外にもいろいろと家族に迷惑かけたんだ。あたしみたいな子どもがいると近所の日だって冷たくをるし、うわさ話の的って感じで、なにかと注目されちゃって」
「え、なに、近所のおばちゃんたちまで一ノ瀬さんに嫉妬したわけ」
「嫉妬じゃなくて、あたしのことが気味悪くていやだって」
「気味悪いって、美しすぎて?」
「ううん」
「じゃどうして」
「変態だから」
「ヘンタイ?」
「そう。あたしがね、男のくせに女みたいにくねくねしてる、気持ちの悪い変態だからなんだって。1机、決まった?」
 一ノ瀬さんは、なんてことないちょうしでいった。男のくせに女みたいにくねくねしてる変態だから。頭の中で、いま聞いたばかりのせりふの一部がこだました。ぼくの繊細な神経がぶちぶちと切れる音がした。


 主人公の星野優が、東京の進学校から家庭の事情で転校してきた先は、過疎化の進んだ山の中の分校で、同じ中学2年生のクラスメートはたったの3人しかいなかった。ただ一人地元の子で山猿のような山中作太郎 、後の二人は山村留学生で、いつもマスクをかけて一言もしゃべらない宮下まゆ、アイドル系美少女のような一ノ瀬ヒカル(♂)。頭が良くてプライドの高い優を待っていた学校生活は……。
 ストーリーの中で、クラスメートの3人が独特の個性をもって絡んできますが、人の価値観の多様性のテーマが明快で、読んでいて楽しくなります。ジャンルとしては、児童文学の分類に入っていますが、 性格描写がきっちりと構成されていて、一般社会の人間関係にも充分当てはまる感じで、 児童向けだけに読ませておくのはもったいない小説です。

 女子生徒として学校に通う男の子なんて小説の中だけの話だとばかり思っていましたが、最近、沖縄でこの小説と同じ中学生の男子生徒が小遣い欲しさにホステスをしていて補導されるという事件がありましたね。雇い主も、最後まで19才の女性だと思い込んでいたようで、取り調べた警察官も本人から聞くまで女性だと思っていたそうです。
 最近、街を歩く若者を見ていると、顔の輪郭がずいぶんと華奢になってきているような気がします。電車の中で、男の子を見て、肌がきれいで羨ましいとか、女装したら奇麗な娘になるだろうなどと、つい、想像してしまったりして(^_^;)。何だかアブナイおやじっぽくて、我ながら、ずいぶんオジン臭くなってしまったものだと思いますが、最近の若者を見ていると、正直言って羨ましいですね。食べ物のせいもあるのでしょうが、ごつごつとしたいかにも男っぽいという顔が少なくなって、全体的に顎が小さくて、女性っぽい輪郭になってきているようです。そう言えば、原因はわからないそうですが、男の子の出生率も下がっているそうですね。
 なんだか、これからの社会を予感させるような現象のようにおもえます。


 休日のバスの乗客数は、意外なくらいに多かった。ここぞとばかりに町へ出かける村人の群れ、という感じ。ぼくはあいている席をさがして、通路の奥へと進んでいった。買い出しにいくおばちゃんたちのでかいお尻にぶつかりながら。一ノ瀬ヒカルの存在を確認したのは、その時だ。むかって左ななめ前方、ふたりがけの席の通路がわ。ぼくはとっさに視線をそらして、しらんぷりを決めこんだ。
 こんなところを見られちゃまずいし、相手がやつだと、よけいにまずい。そう、やつの正体がわかったとたんに、ぼくのやつに対する評価は変わった。女子だと思えば天下無敵にかわいいはずの顔立ちも、いまは寒気がするくらい、ひたすら異様で不気味に見える。クラスメートのほかのふたりはなんとも思ってないようだけど、それはふたりの感覚が一般的じゃないからだ。もちろん、他人の生きかたについてとやかくいう気はさらさらない。男のくせに髪をのばして女ことばをっかうのも、くねくねするのも女装するのも人の勝手というやつだ。と、頭では理解できているのに、さけたい気持ちはなくならない。でも、さけているのがまわりにばれると差別ととられてしまうから、表面的なつき合いだけはするように心がけている。
「あれ、ワンちゃんだ。こんにちは」
一ノ瀬が声をかけてきた。しらんぷりをしたぼくの努力は、無駄な抵抗に終わったみたいだ。ぼくはしぶしぶそっちをむいて「やあ」って感じで手をあげた。
 たったいまやつに気づいたような演技をするのも忘れずに。一ノ瀬はからだを窓ぎわにずらして、通路がわの席を指さした。場所をつくつてくれてるようだったので、ぼくはお礼をいって腰をおろした。私服すがたの一ノ瀬はミニスカートをはいていて、花柄もようのポーチを持って、口にはリップをつけていた。こつそり足をながめてみたけど、すね毛一本生えてない。もともとそういう体質なのか、脱毛処理したものかは不明。
「こんなところであうなんて、なんだか運命感じるね。ワンちゃん、これからどこ行くの?」
一ノ瀬がぼくにきいてきた。
「え、まあそのう、なんつーか。たいした用はないんだけどね。となり町ってよく知らないし、遊びにいってみようかなって」
 運命なんて感じねーよ、と思いつつ、ぼくは明るくいった。
「ほんと。あたしも町に行くんだ。ただし、遊びじゃなくてバイトだけどね」
「バイト?」
「うん。駅前広場のフリマにお店を出してるの。フリマは毎日曜日にあって、そこにお店を出したい人は運営会に参加費をはらって許可をもらうんだ。あたしは去年の十一月から、ほとんどの回に参加していて、自分で作ったアクセサリーとファッショングッズを売ったりしてる。あたし、運動はだめなんだけど、手先は器用なほうなのね。ミシンをかけたり編みものをしたり、そういうことが大好きで。それで、趣味と実益をかねたバイトをやろうと考えたわけ。これでも、けっこうもうかるんだよ。人気があるのは、こういうタイプ」
 そういいながら、一ノ瀬は足もとのバッグをがさがさやった。生ゴミ袋みたいにでかいビニールバッグの口がひらくと、ビーズでできたバラのブローチとガラス玉つきの指輪が見えた。
「ふうん。そのもうけたお金って、いったいなにに使うわけ?
 べつにどうでもいいことだけど、話の流れできいてみた。一ノ瀬は頼に手をそえて、もったいぶった口調でいった。
「どうしようかな。みんなにはまだないしょにしてることなんだけど。ま、いっか。それじゃあワンちゃんにだけ、あたしの秘密を教えてあげる。あたしの夢って、将来、ブティックを経営することなのね。といっても、よそから仕入れたものをただ棚にならべて売るんじゃなくて、デザイナー兼オーナーとして、自作の服を売りたいの。フリマのもうけは、その時のための軍資金として、全額キープ。おこづかいは親が毎月きちんと送ってくれてるし。あ、でも山村留学生が気楽だなんて思わないでね。中学生が他人のお宅で生活するつて大変なんだよ。自分の親といる時みたいなわがままはいってられないし、ホストファミリーとうまくやるのに神経だって使うしね。とくにあたしやまゆちゃんはテストケースみたいなものだから。なにかトラブルを起こしたら、やっぱり山村留学生はろくでもないとかいわれて、受け入れ制度そのものにひびくでしょ。おうちの仕事も、いわれる前に率先してやるようにしてるの。今日もお店をたたんだら町でお使いをして、それから帰宅。−−−ワンちゃんは?」
「え。手伝いは正直いって、いまひとつ……」
「ううん。じゃなくて夢のこと。なりたい職業とかあるの?」
「ああ、夢っていうより予定はあるよ。会社をつくつて大もうけして、室内温水プールがついた宮殿みたいな家に住む」
 ぼくはふだんから口にしている模範解答をそのままいった。一般人は、たいていそれで「ほほう」と感心してくれる。ところがなぜだか一ノ瀬は、みんなとちがう反応をした。ぼくのせりふが終わるやいなや、やつは開口一番こういった。
「それってなんか、つまんなくない?」
「へ」
「ワンちゃんがいまいったことって、利己的すぎると思うな、あたし。あと拝金主義もね、くだらない」
「は」
「あたしは自分の作った服で、みんなを楽しくさせたいな。お金はもちろん大切だけど、でもそれだけじゃないっていうか。ワンちゃん、せっかくできるんだから、その才能をまわりの人におすそわけしてあげたらいいよ。そしたら自分もハッピーじゃん?」
「う」
 痛いところをつかれた気がして、ぼくは言葉をうしなった。しかも一ノ瀬は、見かけによらずボキャブラリーが豊富みたいだ。図書室長をやるだけあって、じつは読書家なのかもしれない。しかし、こともあろうに、このぼくがオカマに説教されるとは。


 最近はコミック系の下地があるからでしょうか。児童書にもこんなふうに自然な形で女装が取り上げられるようになってきたんですね。中年の私としては、時代の流れを感じます。いつの間にか、ずいぶんと外堀が埋ってきたような感じです。

 ところで、小説の中では、女装者にそれなりの役割を与えようとすると、どうしても美人として描かれることが多いですね。男性が女装するということをイメージさせようとすると、やはり、男らしさを否定するものや女らしさを誇張して表現してしまうからなのでしょうね。本来期待されるものとの乖離が大きければ大きいほど、お話しとしては面白くなりますからね。
 でも、実際には、美人であればそれに越したことはありませんが、それよりも普通に女性としてパスできること、普段の生活の中で女性として埋もれてしまえることのほうに関心が高いし、そういう努力をしている人の方が多いと思います。
 女装者のイメージが、現実離れしたかたちで作られて、それもどちらかといえば、男性の側から期待される女性のジェンダーを持たなければいけないような錯覚を起こしてしまいそうです。女装者は、旧態然とした女性の役割を求めているなどと、訳の分からないことを言われたりしてね。
 小説の世界と現実の生活はやはり違いますよね。
 女装者を扱う話が限られていたころの方が、フィクションと現実の差を認識しやすかったのかも知れません。女装の世界を知らない人達は、小説などを読んで、女装者に対する自分のイメージを作るほかないですから、一定のパターン化された情報ばかりがたくさん流されると、そのイメージばかりが独り歩きする様な気がします。

 この小説でも、例に漏れず「一ノ瀬ヒカル」を美人に仕立てて、強調した女性性を押し付けてはいますが、救いは、それを主人公の「星野優」の主観として表現しているところで、当の本人の「一ノ瀬ヒカル」の側からは、そんな素振りも見せないところがいいですね。「一ノ瀬ヒカル」には、人間として求めることをしっかり喋らせているのには好感が持てます。 自分の生き方を求めていくときに、女装することがその生き方に相応しいのなら、それもいいのじゃないか。まだまだ、一般の生活の中では、受け入れられない人の方が多いのが現実ですが、この小説では、「一ノ瀬ヒカル」にそれを語らせ、主人公の「星野優」に世間一般の常識を代弁させています。

 子供は、相手のことを考えないで思った通りのことを口に出してしまいますから、女装者にとっては嫌な存在なのですが、この小説のように女装が普通の存在として刷り込まれてくると、強い味方になってくれるかもしれませんね。

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