(一斤染)

フェミニズムの帝国

村田基 早川書房(1988)

[あらすじ▼]

 22世紀末、女性優位の社会が実現していた。男性と女性の立場が逆転した社会。服装は、残念ながら現代に固定されたままの設定ですが、最初にこの本を読んだときには現代の男らしさ、女らしさを逆転させるだけで、こんなにも頭の中がくらくらするような社会になるのものかと新鮮な驚きがありました。
私にとっては、所詮自分が求めている女性らしさは自分の頭の中だけの幻想。女性として実社会に認められることとのギャップを考え直させてくれたSF小説です。

『右隣の女は、三十歳前後のひじょうに肉感的な女で、いさぎの苦手なタイプだった。腰は黒いタイトスカートがはち切れんばかりに張り、両の乳房は重力の法則を無視するように、薄いピンクのブラウスをもち上げてまっすぐ前方へ突き出している。顔は、目鼻の造作がやけに大ぶりで、肌は脂ぎっている。鼻から鼻毛が派手にはみ出している。その女が、車内の込みぐあいに比して、どう考えても不自然にくっついてくるのだ。右肘でつっぱっていると、その肘に乳房を押しつけてくる。相手に背中を向けると、体を重ねてくる。 そのうち困ったことに、股間のものが硬くなってきた。前に座っている女に気づかれないよう、いさぎはショルダーバッグを体の前に回した。大き目のショルダーバッグを愛用しているのは、こういう効用もあるからだ。 だが、右隣の女は、バッグで見えなくなったのをいいことに、手をいさぎの腿から、そして硬くなったものへと這わしてきた。いさぎは怒りで全身が熱くなる。声を立てていやらしい行為をあばき立ててやろうかと思うが、決断がつかない。いさぎは前に見たことがある。やはり電車の中で、若い男が女の手をつかみ、声を上げたところ、女がいい返したのだ。お前だって、おっ立ててるじゃないか。
周りの女たちからひわいな笑い声を浴びせられて、男は真っ赤な顔をしてうつむいてしまった。今のいさぎも、怒りで頭に血が昇っているのに、下のほうにもさらに血が集中しているのだった。』

 わたしは、まだ経験がないけれど女装外出で痴漢に会った人もいると思います。自分の存在が認められて本当は嬉しかったりして……。

『かすかな話し声が聞こえた。声の調子からは異常なものは感じられないが、いさぎは警戒をゆるめず、その声のほうへと接近していった。しだいにはっきりと聞こえてくる。女の声だ。二、三人いる。
 見えてきた。ビルの裏側の非常階段の下だった。三人の女がうずくまってなにかしている。
「ズボンは全部脱がせないの。そう、そこまで。そうすれば暴れられないでしょ」
「こわがらせちゃだめよ。やさしくするのがこつなんだから。あんたももうちょっと力をゆるめて。さ、やってごらん」
 ごそごそと一人が動く。
「こんなのでいいの?」
「そう、その調子。もっと動きに変化をつけて」
 それからしばらく沈黙。
「ほらね」
「こんなに」
「もっと大きくなるわよ」
「ほんとだ。すごい」
 くすくす笑い。
「簡単でしょ。男なんて、すました顔してても、みんなこんなもんよ」
「最初はわたしだからね」
 男が一人、押さえ込まれていた。三人がかりでレイプしようというのだ。
 いさぎは自分がレイプされているような怒りを感じて、思わず「やめろ」と声を出してしまった。
 三人はびくっとし、いさぎのほうを見た。いさぎはじっと立っていた。三人が逃げ出すかもしれないというかすかな期待は裏切られた。二人がこちらに向かってきた。残った一人は男を押さえている。
 こちらに向かってくる二人は、固太りの体をしていて、とりわけ腕と肩がたくましい。年は三十代か四十代。暗くてはっきりしないが、凶悪な雰囲気を発散させている。アプレ者に違いない。
 いさぎはあとじさった。表通りからかなり入り込んでいた。逃げても逃げ切れそうもない。
 二人は何度も周りを見回して、いさぎ一人だと見きわめをつけたらしい。
「飛んで火に入る夏の虫とはこのことだわね」
「けっこういい男じゃない」
 二人はいやらしい笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいてきた。いさぎは自分の愚かさを激しく悔やんだ。大声を出して助けを呼ばうと思った瞬間、その気配をかぎとってか二人はいっせいに飛びかかってきた。
 まず口をふさがれた。口をふさいだ女は後ろに回り、もう一方の腕でいさぎの首を絞めた。もう一人の女はいさぎの胴に抱きついた。
 いさぎはなんの抵抗もできなかった。体に力が入らない。恐怖で体がこわばっているのだ。そのままずるずると奥へ引きずられた。』

 痴漢ならまだいいけれど(ちっともよくないって)、レイプまでいっちゃうと考えちゃいますね。本音は、わたしも願望だけはあるんだけれど、その場になったらきっと素に戻っちゃうと思います。
 次は、SF特有のすり替え話。

『結婚前の若い男性とじっくり話をしてみますと、ためらいがちに性への恐れを口に出されることがよくあります。その恥ずかしそうな風情には、若い男性ならではの清潔な色気が感じられます。性のことをあけっぴろげに語ったり、結婚を前提としないで平気で体を許したりする男性は、少なくともまじめに結婚を考えている女性には、なんの魅力もないものだということを知っておいてください。さて、若い男性が性を恐れるのは当然のことですが、そのために結婚をためらい、婚期が遅れるとすれば、愚かなことといわねばなりません。結婚は男の幸せといいますが、この幸せのかなりの部分は性の歓びによっているのです。
男性の性の歓びは、女性のそれの数十倍、数百倍であるといわれます。それは、体の違いを見ても明らかです。
女性の体ときたら、ふくらんだ乳房、大きな腰、厚い皮下脂肪と、まったく実用本位にできています。
 それにひきかえ男性の体は美的に統一され、すべて女性に愛されるためにつくられたようなものです。用をなさない乳首があるのも、これが強い性感帯だからです。また、皮下脂肪が薄い分、愛撫にも敏感で、男性の体は全身これ性感帯といえます。
 そして、男は歩く性器だといわれるように、男性の体でなによりも特徴的なのは、ペニスがきわめて大きいことです。女性において解剖学的にペニスに相当するものをクリトリスといいますが、これはしばしばどこにあるのかわからないはど、小さな退化したものとなっており、この両者を比べるだけで、男性の性の歓びは女性のそれの数十倍、数百倍であるといわれることが納得いただけるはずです。
 女性器が体の中にあり、男性器が体の外に露出しているのも、男性が愛撫される性であるからです。』

 こんなことも案外常識として成り立つものじゃないかと、妙に納得してしまうのは私だけなんでしょうか。
 もちろん、この本は、性的なことばかりじゃなくて、社会的な制度の中でも男らしさ女らしさを転換して「らしさ」ということを再認識させるものになっています。

『 いさぎは呼吸を整えた。ズボンの中のものは、さっきからずっと硬くなったままだった。
 いさぎは唐突に、男はなぜズボンをはくのだろう、と考える。ズボンというのは、どう考えても、ペニスの存在を目立たせる服だ。興奮しているかどうかがすぐわかってしまう。まるで女を喜ばせるためにはいているみたいではないか。
 スカートならば−いさぎはスカートをはいたことはないが一そんなことはないに違いない。
 そう考えると、「スカートをはく男たち」と称する連中が、男もスカートをはく運動というのをやっているのも、そうばかにしたことではないかもしれない。』



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あらすじ

二十世紀末から二十一世紀初めにかけては、人類は大量の核兵器を保有し、同時に世界各地で武力紛争が頻発していて、まかり間違うと人類が滅亡しかねない情勢だった。エイズが蔓延し、人類は別の存亡の危機に立たされた。ワクチンが開発されたが、それは女性にしか効かない欠陥ワクチンであった。男女のありかたがかわって、女性の社会進出が進み始めた。生産力、資源、財産など物質的なものに価値が置かれた時代から、愛情という精神的、情緒的なものに価値が置かれるようになった時代に移行していった。この移行は、一応の物質的豊かさが実現し、人々が精神的に成熟したことで達成された。
 そして、価値観の変化に伴って男女の役割が交代した。男性は、愛情の源泉たる家庭で中心的役割を担うことになり、一方女性は、妊娠・授乳期に休職するだけで、あとは家計のささえ手として外で働くことになった。その当時から、女性は平和的なものと思われていたから、もうしばらくこのままの状態が続けば世界は完全に平和になるだろうという判断のもと、完全なワクチンの開発を遅らせようという動きが出てきた。そして、ねらい通りに世界平和が実現したが、二十二世紀の末には、理想を忘れ、ただ女性優位社会の維持だけを目的とするものになってしまっていた。
女性はワクチンによって免疫になっているが、女性と性交することはエイズに感染する危険をはらんでいた。性的にも男性は、弱者となり立場を入れ替えていた。

木下いさぎ、24才の男性。国際総合医学研究所に勤め結婚適齢期を迎え焦っていた。あるとき、レイプに会いそうになったところを氷上というメンズ・リブ運動をしている男に助けられ、この運動に傾倒してゆく。いさぎは、メンズ・リブ運動の組織の中で真理子という男らしい女(現代の女らしい女)と知りあい、200年前の男性ようなの男らしさ(現代の男らしさ)に目覚めてゆく。いざぎは、”男の魅力”を利用して男性社会の復権を目指し、研究所の武田部長や密かにあこがれている高倉所長に近づき、研究所で極秘に進められているLH計画の秘密を探ろうとするが……。

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