(鴬色)

踏みはずす美術史(私がモナ・リザになったわけ)

 森村泰昌  講談社現代親書

参考図書
着せ替え人間第一号 小学館
森村泰昌 レンブラントの部屋 新潮社
美術の解剖学講議 平凡社

 すでに、森村泰昌さんをご存知の方もきっと多いと思います。彼は、大阪生まれの自称セルフポートレート写真作家、誤解を覚悟であえて言うなら、自分のコスプレ写真を芸術作品として制作・発表されている方です。百聞は一見にしかずで作品を見ていただくのが一番手っ取り早いのですけれど、著作権の関係でここではご紹介できません。(興味のある方は http://www.morimura.gr.jp/)、名作絵画に自分自身が入り込んだセルフポートレート作品「美術史の娘」シリーズや、有名女優に扮した「女優」シリーズなど、彼自身が美術コスプレと称して作品を発表しています。

私が、彼のことを知ったのは、2年ほど前(1998)のことです。新聞の文化欄の紹介記事だったと思います。「それを見て不愉快になる男達が絶滅しない限り、今日の日本で大きな意味を持ち続ける」と評してありました。自分の女装を芸術作品にしている人がいるんだ!という印象でしたね。ほどなく、彼の個展(空装美術館、絵画になった私)が京都国立近代美術館で開かれたので早速出かけました。平日でしたので、混みもせずゆったりと見ることができました。一見してTVとわかるような人は残念ながら(何を見に行きたのかったのか分かりませんね。すみません。)見かけませんでした。会場は、普通の美術展示会と同じような雰囲気で、皆、お行儀良く、順番に作品を眺めていました。当然、お互いに他人ですから別に話をする必要もないわけですが、無表情に作品を鑑賞している人を見ていると、この人たちは、何を考えてこの作品を見ているのだろうかと不思議に思ったり、女装写真も芸術作品の名が付いて美術館に展示されるようになると、こんなにも真面目な顔つきで見られるものになってしまうのかと妙に感心したりしました。非日常の事だから、女装も客観的に眺められるのかも知れませんね。(ニューハーフや芸能人の女装をテレビで見るのと同じように、自分にとって差し迫ったもんだいではないですもんね)

日本人の(十把ひとからげのこんな言い方は好きではないのですが)悪い癖ですね。美術展や演奏会とか真面目な(?)ところにゆくと、内容にかかわらずそれっぽい振りをしてしまうのって…。つまらなければつまらないって言えばいいし、面白ければ笑えばいいのに。何か変だな〜って思ったことないですか。

彼も、この本の中で、”「美術とは着るものである」のですから、ともかく似合うとか似合わないとかに憂き身をやつしていればいい。肌にあうかあわないか、着心地はどうかと、触覚的感覚を全開にさせておけば、「考える」ことを迂回しても美術とじゅうぶんつきあっていけるのです。”と書いています。こんな見方しかしてもらえないって、彼にとっても不本意じゃないのかな。

私は、TVはみんな自分の感性を主張できるだけのすごい力を持っているんだと思います。たとえ、それが自分だけの秘密であっても、自分の感性の声を素直に聞ける素敵な人だと思います。訳も分からず、大勢に迎合して自分の気持ちを誤魔化している人たちよりもずっと素敵だと思いませんか。でも、調子に乗って今すぐカミングアウトしようなんて言い出さないでね。自分の回りの状況をじっくり確認してから、自分の責任でして下さいね。TVであることを自分でばらしておいて他のせいにはできませんね。自分が女装を好きなのと同じように、TVを嫌うことも同じ権利として認めなければなりませんし、そして、TVを不快に思う価値観を持った人の方が、今の社会では大勢を占めているのですから。

会場には、当時の彼の代表作「モナ・リザ」をもじったのでしょう、「モナ・リザ」の顔の部分に自分の顔を撮し込むプリクラがありました。ちょっとやってみたいな〜って思ったんだけど、お化粧していないおじさん顔では私のプライドが許さない(本当はただの悪趣味にしかならない)ので、あきらめて会場を後にしました。

本人のあとがきから

 私が本書で試みたことの根底にあるのは、人間がどんなふうに「自由であること」とつきあっていくことができるか、そのことを「美術」をテーマに考察することであったような気がする。私はやっぱり「自由でないこと」より「自由であること」のほうがいいと思う。それに、「自由でないこと」を「自由であること」に変革することが人生の最大の目的であるよりも、「自由であること」がすでに自明となった場で、ぞんぶんに「自由であること」を演出してゆくことに興味を持つことのほうが、人生の長丁場にはふさわしかろうとも思う。そんな気持ちで、私は美術史を「自由であること」へと踏みはずし、さらには人間がどれくらい「自由であること」ができるものかを実例で示そうとして、本書を書いた。

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