(石竹色)

鳥を食うて王になった話

(性に関する世界各国の伝説)

南方熊樟(大正10年)

 博物学者の南方熊楠は、海外で15年におよぶ独自の研究生活を送り、1900年(明治33)に帰国して、以後和歌山県に住み、亡くなる1941年(昭和16)まで37年間の後半生をこの地で過ごし、粘菌や民俗の研究に没頭し自然保護などにも尽力しました。柳田国男は熊楠を"日本人の可能性の極限"と評しましたが、また反面、たいへんな奇人ともみられていました。民俗の分野では、衆道に関する著述も沢山あります。この「鳥を食うて王になった話」は、副題にもあるとおり、世界各地の性に関する伝説などを集めたものです。
 今回は、この中から女身転生の因縁の部分をご紹介します。


 それから仏教で女よりも劣るとされた人間がまだある。『大乗造像功徳経』に、仏が弥勒菩薩に告げたは、一切女人、八の因縁ありて恒(つね)に女身を受く。女身を愛好し、女欲に貪著(とんじゃく)し、常に女人の容質を讃め、心正直ならず所作を覆蔵(かく)し、自分の夫を厭い薄んじ、他人を念(おも)い重んじ、人の恩に背き、邪偽装飾して他(ひと)を迷わす。永くこの八事を断ちて仏像を造らば、常に丈夫となり、さらに女身を受けず。
 諸男子が女人に転生(うまれか)わるに四種の因縁あり。一には女人の声で軽笑し仏菩薩一切聖人を呼ぶ、二には浄持戒人を誹謗す、三には好んで諂(へつら)い媚びて人を誑惑す、四にはおのれに勝る人を妬む。
 次に四種の因縁ありて諸男子を黄門(無性人)に転生せしむ。一には他人また畜生を残害す、二には持戒僧を笑い謗る、三には貪欲のために故(ことさ)らに犯戒す、四には親(みずか)ら持戒人を犯しまた他人を勧めて犯さしむ。
 次に四種の業(ごう)あり、丈夫をして二形身を受けしめ、一切人中最下たり。一には自分より上の女を犯す、二には男色に染著(せんじゃく)す、三にはみずからけがす、四には女色を他人に売り与う。
 また四縁あり、諸男子をしてその心常に女人の愛敬を生じ、他人がおのれに丈夫のことを行なうを楽しましむ。一にはあるいは嫌いあるいは戯れに人を謗る、二には女の衣服装飾を楽しむ、三には親族の女を犯す、四にはおのれ何の徳もなきに妄(みだ)りにその礼を受く。この四因縁をもって諸丈夫をしてかかる別異煩悩を起こさしむとあれば、今日ありふれた華族や高官はみな好んで後庭を据え膳する男に転生わるはずだ。かく仏典には、無性人と半男女と同性愛の受身に立つを好む者との三様の人を、女より劣ると定めたのじゃ。そして東西ともこの三様の人を半男女と混称することが多い。


 仏教はなんと性を差別した宗教だと思われたでしょうね。このような句は、女性問題評論家の格好の標的ですよね。でも、経典は仏を求める道標です。単に道徳的な物差しで測るだけでは理解できません。
 仏の教えは、対機説法と言い、相手の状況に応じて説かれたものです。一般論ではなくて、個別解なのです。経文も伝授を基本として、その域に達しない人にとっては無用の長物、人によっては百害あって一利無し、「牛、水を飲めば乳となし、蛇、水を飲めば毒となす」の喩えのごとくとなります。もちろん、女性の地位が不当に低い当時の社会状況を反映している訳ですが、この句は変男成仏を信じ仏道を求める者にとって、自らを導くための戒律なのです。道を求めることに縁がない人からみれば、字句に執らわれて、女性やマイナリティの方たちを蔑視しているとしか理解できなくなるではないでしょうか。色情の因縁は生の根元にかかわることだけに、仏教徒にとってことさら強い因縁なのです。
 また、この句は人の因縁の深さを述べているもので、人の貴賤や価値を定めているのではありません。人格とすり替えてもいけません。道を求めるときに、浄化していかなければならない業を教えているのです。人は、因縁の深いがため苦悩します。しかし、その苦悩を知るが故に、同じ苦しみに沈む人に共鳴しあえるのではないかと思います。「人病むが故に仏また病む」といいます。因縁を浄化した人が、同じ因縁に悩み苦しむ人にその道標を与えてゆく。それが仏を求める道筋であると思います。男性に生まれたから俺は女より上等だなどと偉ぶっていることではないのです。
 さらに、これを読んで、業を犯してこの次は女性に転生したいと思われた方がいたかも知れませんね。でも、生まれ出た果の因縁としてこのようなことがあると説かれるだけで、この業因縁によって女性への転生が結定するわけではありません。そうであれば、熊樟も最後に書いているように、世の中はほとんど女性ばかりで男性などいないはずですね。「人身は受け難し」なのです。六道輪廻、どの世界に赴くかはわかりません。この次も、人に生まれ変われるとは限りませんよ。そんなことを考える前に、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界に転生しないように、業の浄めをしなければなりませんね。
 この経文は仏像を作る功徳をといたものです。仏教は偶像崇拝ではありません。仏は、仏像を拝めなどとは一言もおっしゃられておられませんから、この経文は明らかに仏の滅後、相当の年が経過してからの創作ですね。しかし、この経文も仏の蒔かれた種から咲いた華です。仏像は、それを通して仏の法に繋がるためのものです。ありがたく頂礼したいと思います。 合掌

(※ 私は、僧侶でも学者でもありませんので、上記のことは、全くの私見であることをお断りしておきます。)


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