(薄紅梅)

ナルキッソスの鏡

小池真理子 集英社

『トランスヴェスティズム……彼はエレベーターのドアが閉まるのを待って、その言葉を口の中で繰り返した。いわゆる服装倒錯。多くは同性愛や性倒錯、フェティシズムといった、異常性欲が背景に認められるが、稀に性的な意味合いの薄い、純然たるナルシシズムからくるものもある。まさしく、この自分のように。』

TVを主人公に扱った小説の多くは、TSや入れ替わりを題材にしていますが、この小説は珍しくナルシストのTV自体を題材にしています。女装行為自体の情景や心理描写がたくさん出てきて、「男性が好きな訳じゃないけど女装が好き」という人にはお勧めです。TVならナルシスト的な要素は少なからずみんなが持っているんじゃないかな。

小説中では、”稀に”と書いてありますが、ナルシズムからのTVは、けっして稀なわけではないということも付け加えておきます。わたしは、逆にほとんどがこのタイプやフェティズム的な要素強いTVのような気がします。多くの場合、複合的なことが多いので、分類すること自体に無理があると思いますが……。

ただ、小池さんは、TVは病気であるという前提でこの小説を書かれているのが残念ですね。ナルシズムって病気なんでしょうか?主人公が、TVに傾斜してゆく背景も余りにも安易な設定です。社会通念に従えば、そのような表現になるのかも知れませんが、TVの心理描写をここまで書くのなら、精神病理学の教科書からの抜き書きみたいな表現からもう少し突っ込んで欲しかった気がします。でも、この本はTV論じゃなくて本来サスペンス小説ですから、割り切って読めばとても楽める小説だと思います。

『これまで”彼女”を見知っていたのは、鏡だけだった。鏡は無反応だった。忠実に”彼女”を映し出すだけ。”彼女”を見てどう感じたのか、何一つ反応を返してこない。だが、他人は違う。生身の人間の目は、ただの鏡ではないはずだった。彼らは必ず、何か感じるはずである。ある種の驚き、感嘆、恐れ……それらが必ずしも真琴の意にそわないものであったとしても、彼は他人の反応を見たいと思った。』

『真琴は信じられないほどの悦びに浸ったまま、犬の後をついてゆっくりと川辺に向かった。夏の終わりを惜しむかのような強い日差しが、マスカラを塗った睫に光のシャワーを降り注いだ。一歩、足を進めるごとに、スカートの裾が足首のあたりで小さな弧を描く。足首にはめた金色のアンクレットには、小さな模造パールが一粒ついており、それは彼の歩みに合わせながら、くるぶしの上をころころと転がった。できるものなら、さっきの女の目に映った自分を見てみたかった。自分自身がスクリーンとなって、自分の姿を映し出し、鑑賞してみたかった。頭はひどく混乱していたが、それはとてつもなく気分のいい、透明感のある混乱状態だった。混乱を鎮め、整理し、冷静さを取り戻す必要は何もなかった。それどころか彼は、いつまでもその混乱の中でたゆっていたい、と思った。彼は幸福を味わうようにして、自分の身体を両腕でくるみこんだ。ポリエステルの黒いシャツが、ひんやりと肌に触れた。タンクトップの中のワイヤー入りのブラジャーが指先にあたり、その部分をなぞっていると、改めて激しい興奮が波のように襲ってきた。』

女装外出への思いはTVなら誰でも強いものがあると思います。慣れている人でも、やはり一番最初に、女装で外出した時の思い出はいつまでも忘れられないものですよね。この小説では、女装した自分を見られたいという想いが随所に出てきます。私の場合とは少し違うかなって思いますが、きれいな表現で、一般の人にもTVのことが少しは理解してもらえそうな気がします。

この小説のもう一つのテーマとしては、「服装への執着」があるのかな……。装うということを改めて考えてみるのもいいかもしれませんね。

あらすじ

桜木真琴は、女装した自分に母の面影を求め、ナルシズムに浸っている作家志望の青年だった。

真琴が幼かったころ厳格な祖母に仕える母親は、夜になると幼い真琴を自分の部屋に連れ込んで女の子の格好をさせてかわいがっていた。真琴は早くに父母と死に別れることになったが、両親の死後、厳格な祖母に育てられた真琴は、かえって母との甘美な思い出を慕って、女装するようになっていったのだ。

家族と死に別れた真琴は、叔母の世話になりながら小説家を目指すようになるが、突然、叔母夫婦が海外赴任になり、逢魔ヶ森の別荘と犬の世話をして欲しいと頼まれる。真琴は、誰も知った人のいない別荘地での思う存分の女装生活を夢見て、即座に了解するが、逢魔ヶ森、実はそこは鬼女の棲む森であった。

別荘地で初めて実現した女装外出、偶然、自殺未遂の乃理子という女性を助ける。親友に恋人を奪われて恋人との思いでの逢魔ヶ森で自殺しようとした乃理子は、助けてくれた真琴を女性と疑わない。真琴は女装の自分を”鏡子”という姉ということにして、乃理子を介抱するが……。

サスペンスものなので結末はご自分でお楽しみ下さい。

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生きがい

小池真理子 角川ホラー文庫「ゆがんだ闇」より(1998)

 短編なので、今回は、本文の紹介は出来ませんが、現実問題のとして、自分にもその可能性が有るだけに、私たちパートタイムのTVには、ある意味でとっても怖いホラー小説です。
 TV本人にとっては幸せな状態なのかもしれませんが……。

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