(若緑)

さらば愛しき女よ

鎌田敏夫 角川文庫(1983)

あらすじ

 斑島祥介と樺谷隆治二人の刑事は、空き家で連続放火犯を張り込みをしていたが、隣の女子寮が気になり覗こうとしているうちに張り込んでいた空き家を放火されてしまう。二人は捜査から外され、夜中の公園のアベックを狙った置き引き犯のおとり捜査に借り出されるが、そこで、全裸美女カミカミ殺人事件に遭遇してしまう。被害者の美女は樺谷刑事の初恋の女性で、先日、斑島刑事が覗きをしていた女子寮で再会したばかりの茅野涼子だった……。


 鎌田敏夫の刑事珍シリーズ、刑事物のコメディ小説です。女装と言っても、刑事が捜査のために女装するというパターンが一部にあるだけで、女装物の小説ではありませんが、女性の男装やホモ、レズといろんなパターンが出てきちょっとHっぽい(ポルノではありません)ところもあって、単純に楽しめる小説です。息抜きにどうぞ。

 「どっちでもいいから、早く女になれ!!」
 と、花田係長は、祥介の頭に鬘を叩きつけたのである。
次の瞬間、花田係長は唖然としていた。
 近藤主任もがく然とした。
山東刑事も藤井刑事も阿部刑事も、その時捜査一係にいた全ての刑事が、見てはならぬものを見た思いで、揃って眼を伏せたのである。
 女物の鬘をつけた祥介を、何と形容していいか分からない。マントヒヒのオカマと言っても、まだその方がマシなような気がする。アザラシの頭に黒髪が生えたところを想像しても、やはりずっとマシである。
 花田係長も、一眼見て思わず叫んだのである。
 「早く脱がせろ!! 吐き気がしてきた!!」
 鬘というものは面白いもので、意外な人間が意外と似合ったりするものなのだ。男性の内面に潜む女性化願望が、鬘を被ることで、表面に出てくるのかも知れない。意外な人が意外と似合ったりするのは、その男性が心に秘めている女性化願望がそうさせるのに違いないのだ。
 貴女のボーイフレンドや恋人や旦那様に、一度鬘を被せてみることをぜひお奨めする。意外な側面を見出して、貴女も、いま一度人生を考え直す機会を得るかも知れないではないか。
 マントヒヒのオカマを署外に出す訳にはいかないので、今度は隆治が鬘を被せられることになった。       こちらの方は全員が唖然とすることもなく、そればかりか、ホッと溜息をもらしたのである。
 隆治の心の中に女性化願望がかなり潜んでいるのか、それとも、「いい男はいい女にもなる」
という単純な原理なのか、隆治は鬘を被ると、そのまま女としてでも通用しそうなほど色っぽくなったのである。
「九州の父ちゃんや母ちゃんが知ったら、こんなことをするためにお前を大きくしたのではないと嘆き悲しむに違いない」
 と、抗議する隆治に、
「いや、写真を撮って送ってやったら、娘がもう一人出来たと言って喜ぶかも知れんぞ」
 と、花田係長も近藤主任も、厭がる隆治にブラウスを着せカーディガンを着せ、スカートをはかせ、胸にパットをぶち込んで、女装させてしまったのである。
 すっかり出来上がってしまうと、隆治はますます艶やかになり、花田係長も近藤主任も、ともすると部下の刑事であることを忘れて、手ぐらい握りしめそうになり、慌てて心を引き締めたのであった。

 女性化願望の度合いが、女装者の容貌を決定する要因であるかどうかは分かりませんが、女性と同様に、女装者も恋をすると奇麗になるというのは本当のことのようですね。
 やっぱり世の中プラス思考ですよね。容貌にだって、心が現れてくるんですよね。きれいになりたい人は、プラス思考!高望みは出来ませんが、少なくても今よりは良くなると思いますよ。

 ブスなどという、はしたない言葉は出来るだけ使いたくなかったが、使ってしまったついでに言っておくと、ブスにも三種あって、カマボコ・ブス、ボウフラ・ブス、一円玉ブス、これを日本三大ブスという。
 カマボコ・ブスというのはすっかり板についたブスという意味合いであり、ボウフラ・ブスというのはすくおうにもすくいようのないブス、一円玉ブスというのはこれ以上くずしようのないブスという意味なのである。
 この三大ブスの上にマル秘ブスというのがあって、これは「都会っ子ブス」という。
 これは都会に住むブスという意味ではないのであって、説明すると少し長くなるのであるが、ここまできたらヤケクソだから説明しておく。
「都会っ子ブス」というのは、都会っ子には故郷というものがない。故郷がなければ盆に田舎に帰ることもない。盆には帰らないというのは、日本の旧くからの諺で「覆水盆に返らず」といって、これはとりかえしのつかないことをいう。つまり「都会っ子ブス」というのは、とり返しのつかないブスという意味なのであって、これは、日本三大ブスよりもまだ上を行くのである。人から「都会っ子ブス」と言われて、同じブスでも少しスマートなところがあるのかしらなんて思っていると、これは文字通りとりかえしのつかないことになるから注意が必要である。
 伊吹順子がこのどれに当たるかなどと言われても、そんなことはいくらなんでも言えないから、モデルにしたいようないい体の女と、世の中が楽しくなるような表現にしたのである。
 表現というものはこういうもので、人生を四季にたとえて、
「夏がすぎれば必ず秋が来る。その後は冬だ」
 と言うと、何やら人生がとても苦しく哀れに思えてくるのであるが、
「どんなにきびしい冬でも、いつかは必ず春がくるのだ」
 と言うと、何となく明るく楽しい気分になってくるではないか。
 どうせ生きるのなら明るく楽しく生きなければ損であって、これは有名なたとえだけれども、ここに水の半分入ったコップがあるとする。
 これを見て、根の暗い方は、
 「もう半分しか水がない」
 と思うが、根の明るい方は、
 「まだ半分水がある」
 と思う。
 別にどちらが正しくて、どちらが誤りという訳ではないのだが、人生を明るく楽しく生きようとすれば、絶対に、
 「まだ半分水がある」
 と思って生きていかなくてはならない。もう少し水が少なくなって、三分の一になっても、
 「まだ三分の一水がある」
 と思い、さらに減っても、
「まだ四分の一ある」
 と思い、どんどん少なくなっても、
「まだ五分の一ある」
 と、どんな時でもいい方にいい方にと思っていかなくては、世の中楽しくなる訳がないのである。
 そんなこと言っていて、ついに一巻の終わりになったらどうするんだという、あくまで根の暗い方もおられると思うが、
「もう三分の一しかない、もう四分の一しかない、ああ遂に五分の一になった」
 と思っていても、一巻の終わりになる時はなるのであって、どうせなるのなら、それまで楽しく生きていった方がいいではないか。
 実をいうと、斑島祥介の人生のコップには、五分の一どころか十分の「いやほんの数滴の希望しか残っていないかも知れないのである。しかし、斑島祥介は敢然として、
 「まだある、まだある、まだ希望はある」
 と思ってて、明るく楽しく生きているのである。いや、ひょっとしたら、
 「オレのコップにはあふれるほどの希望がある」
 と思っているかも知れない。
 それでいいのである。

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化 粧

鎌田敏夫 祥伝社(1994)

 ミルクティのカップが空になった頃に、やっと七時になった。そろそろ来るかなと通りに目をやると、並木の下を背の高いカップルが歩いてきた。スタイルのいいカップルだなと思って見ていると、腕を組んだ二人が、カフェに近づいてきた。
 男は、白いシャツにジーンズを穿いている。ぴったりとしたジーンズが、脚を一際長く見せていた。女は、レモンイエローのワンピースを着ている。柔らかな素材のワンピースが、長身にまといつくように、優雅な揺れを見せていた。
 二人は、カフェのテーブルにいる牧子の前に立った。
「今日は」
 ジーンズを穿いた友美が言った。ワンピースを着た英之が、黙ってそばに立っている。
「座ってもいい?」
 友美が、二人を見上げたままの牧子に言った。
「どういうこと?」
友美と英之が椅子に腰を下ろしてから、牧子は聞いた。友美の答えよりも、英之の答えが聞きたかった。
「三人で会いたかったのよ、また、こうして」
 友美が答えた。
「英之と二人だけじゃつまらないの」
「二人だけで会ったの?」
 牧子は、英之を見た。英之がうなずいた。
「こうやって?」
「そうよ。英之が女で、私が男で。どこに行っても分からなかった。一度、平川に会ったのよ。あいつ、私にも英之にも気づかなかった。物欲しそうな顔で、英之を見ていたけど、男が一緒だと思って近づいてこなかったわ」
「友美とは会ってないって言ってたじゃない」牧子は、英之に怒った。「私に嘘をついたのね」
「私は、男の英之と会ってたわけじゃないわ。女の英之と会ってたのよ」
 友美が、英之に代わって答えた。
「そんなの関係ないわ。どんな格好をしていても、英之は英之よ」
「牧子に秘密にしないように、こうやって英之と一緒に来たんじゃない。今日は、
みんなで一緒に遊ばうと思って」
「イヤよ」
  牧子は、うつむいたままで言った。この間の英之よりも、今日の英之の方が、一段と女っぽく、きれいに見えた。化粧も、牧子がしたときよりも、ずっと丁寧でうまかった。
 短髪にして、眉を太く描いた友実は完全な男であり、英之はエレガントな女だった。

 三人は、カフェを出て、通りを横切って路地に入った。路地の奥に、洒落たイタリアン・レストランがあった。
 陽が落ちたので、屋根が一部オープンになって、夜空が見えていた。
 英之と牧子と友美は、ひとつのテーブルに座った。ウェイターが注文を取りにきている間は、友美も英之も口をきかなかった。注文をするのほ、牧子の役割だった。

 二人を置いてカフェから帰ろうと、一度は思った。でも、ますます自分が除け者になっていくような気がして、帰れなかったのだ。
「そんな不機嫌な顔をしないの」ウェイターが行くと、友美が低い声で言った。
「今日は、私がおごるから」
「そんな問題じゃないわ」
 牧子は怒った顔を変えなかった。英之が女装することを楽しんでいるのが、牧子は気に入らなかった。
 ワインが来た。グラスが曇るような冷えた白ワインで、三人は乾杯した。冷たい甘さが、喉に心地よかった。
「英之に女の格好をさせたのは、あなたなのよ」
 ワインを飲みながら、友美が言った。
「それがどうしたの?」
 牧子は、友美に突っかかった。
「人間は誰でも、自分の中に女の部分や男の部分を持ってるわ。それを認めてやると、不思議に気持ちが落ちつくの。英之も、あのときにそれを感じたのよ」
「だから?」
「私も、英之とこうやって歩いていると、自分の中の男の部分を満たしてやれて、気持ちが落ちつくのよ。でも、英之と二人だけで会っていると、私は男で、英之は女。だんだんそれだけのことになっていくの。牧子がいると、私は女で男。英之も男で女。不思議な感じのままでいられるのよ」
「じゃ、二人で歩いていればいいじゃない。私の前に来ることなんかないわ。私は、どうやったって男にはなれない。私は、私でいるしかないのよ。私を除け者にしないでよ!」
 牧子は、最後には涙を溜めて、英之に怒っていた。
 ぽっちゃりして、お尻の大きい自分が男の格好をしても、不格好なだけだと思った。英之と友実は、男と女の間を行き来できる。しかし、自分は、そんな訳にはいかないのだ。
 オードブルが終わるまで、牧子は口をきかなかった。白ワインが空になって、友美が、同じワインをもう一本頼んだ。
パスタが来た。牧子は黙って食べた。
「牧子が怒っているから、入れ替わろうか、英之と私」
メインディッシュを食べ終わったときに、友美が、英之に言った。
「カブチーノを頼んでおいて」
 友美が立ち上がった。
「おれはエスプレッソ」
英之も立ち上がった。二人はレストルームに入っていった。牧子は、また自分だけが除け者にされた淋しさを感じていた。友美の置いていった煙草に火をつけて、一服だけ喫った。喫いなれない煙草は、いがらっぽいだけだった。
 カブチーノが来る前に、英之と友美がもどってきた。英之は、友美の着ていた白いシャツとジーンズを穿いている。化粧も落としていた。友実は、英之の着ていたレモンイエローのワソピースを着て、英之の鬘を被っていた。化粧も薄くしてきたらしい。
 「素早いでしょう?」
 友芙が笑った。カブチーノを運んできたウェイターが、とまどったようにテーブルの前で立ち尽くした。
「どうかした?」
 澄ました額で、友美が言った。
「いえ・‥…」
 ウェイターが、友美と英之の顔を見ながら、カブチーノとエスプレッソを置いていった。
「あの、とまどった顔」
 ウェイターが去っていくと、友美が噴き出した。英之も笑い出す。牧子は笑わなかった。自分だけ除け者にされた淋しさから、抜けきれていなかった。
「これを飲んだら、私は帰る。男の英之は、牧子に返すわ」
 友美が、カブチーノを飲みながら言った。



とりかへばや……。
もしこれが
私だったら……。
友美のような女性にエスコートしてもらえるなんて夢のようなことです。小説の中の現実離れした話だとは分かっていても、わたしにとっては理想形。そんな機会が来ないかと密かに期待してしまいます。
男装した女性にエスコートしてもらって、彼(彼女)に腕を搦ませながら歩く、そんなsituationを想像してみるのも楽しいものです。

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