【薄柿色(うすがきいろ)】

メイク・セラピー(顔と心に効くリハビリメイク)

かづきれいこ 筑摩書房(2001.4)

 フェイシャルセラピストの「かづきれいこ」さんは、ちょっとかたせ梨乃にた方です。
 幼い頃から心臓疾患のために顔が赤くなるという症状に悩まされ、「顔が人の心に与える影響」に深い関心を抱き、病気を克服したのを機に30才からメイクの勉強を始め、「かづきメイク」で活躍されています。
 顔に悩みを持つ人達のために「リハビリメイク」を始め、TSのためのメイクも手がけられています。
 かずきれいこさんを、有名にしたのはTBS系ドキュメンタリー「情熱大陸」で放映された「死体化粧」です。
 若くして亡くなった友人のために、生前より約束を交わしていた彼女は、まるで昼寝でもしているかのように、今にも目を覚ますかのように化粧を施しました。そのままの素顔では、闘病生活の苦しかった思い出しか語れなかった家族が、この化粧された亡骸を前にして初めて、元気だった頃の故人の楽しかった思い出を語り合い、晴れやかな気持ちで故人を送り出すことが出来たのです。

 リハビリメイクはあくまでも手段で、隠すことが目的でなく、最終的に自分の顔を受け入れられるようになることとおっしゃられています。
 女性として、社会に出ていくために、まず、女性に見えるというスタートラインに立つことが必要です。そのためには、自分の女性としての顔に自信を持つことが重要です。「変わる」とか「きれい」ということと、「自分が女性として生きていく」こととは違います。美人とかブスといっても美の基準は時代によって違いますから、自分の顔の中の気に入らない部分をメイクで気にならなくすればいいのです。
 この本には、リハビリメイクを通じて知りあったTSとの座談会の様子なども書かれています。


 埼玉医大で性同一性障害の人の手術が行われるなどして、日本でも性同一性障害という言葉が、社会的に認められるようになった。性同一性障害というのは、特別な原因があったわけでもないのに、気がついたら生まれながらの性に違和感を感じるようになっていた、ということだ。彼らは、生まれつき顔に異常のある子たちと同じょうに、なぜ他人とは違うのか、と悩んだはずだ。しかし、顔に異常のある子たちは、その悩みを親たちも理解してくれるはずだが、性同一性障害の人たちは、その悩みや苦しみを、親にも伝えることさえできなかった人が多いという。女性の体に男性の心が宿っているFTM(Female to Male)は、他人からは「ボーイッシュな子」ということで、特別異端視されることは少なかったと思う。しかし、その逆である男性の体に女性の心が宿っているMTF(Male to Female)は、「男おんな」とか「オカマ」とか言われ、小さいときからかなり迫害されてきたように思う。いずれにしろ、本来あるべき自分ではない状態を強要されてきたのだ。そして、彼らは生まれながらの性に違和感を感じることはおかしなことで、自分はどこかおかしいのだと思ってきたのだ。それも親の責任ではなく、自分たちの責任だと思って生きてきた。ある性同一性障害の人は、「自分の存在を消してしまいたかった」とさえ言った。誰にも理解されない苦しさ、自分にとって不自然に感じる体で生きるということは、本当に辛いことだったと思う。
 だが、最近になって、身体の性に無理矢理自分をあわせるのではなく、むしろ心の性に身体や見かけをあわせて、自分が生きやすい性で生きていけるようにした方が本人にとってはるかに負担が少ないことが分かってきた。だったら、手術など医療を含めて方法はある。そして、リハビリをして自分の心にあった体をもった本来の自分として生きていくのが幸せだ、と私は思う。
 リハビリの一つにメイクがある。例えば、MTFの人は、バッと見たときに女に見えれば誰からも変な顔はされない。他人に違和感を感じさせなければいいのだ。まずは顔である。そして、服装や持ち物、日常的な習慣などトータルに指導していくことにしている。なぜトータルかというと、私から見ると不自然で、違和感のある服装や仕種をすることが多いからなのだ。
 メイクでは髭と、顔の輪郭がポイントになる。髭に関しては、剃っても時間が経てば生えてきたり、青く剃りあとが残ったりするので、レーザーで医学的に処理することを勧めている。そして顔の輪郭は、ゴツゴツした男性特有のものから、柔らかなラインに見えるようにファンデーションを塗る。あとは、女っぽく見せるとか、ボーイッシュな女の子に見せるとか、男とか女とかの枠にとらわれずにその人の魅力を引き出すように妖精っぼく見せるとか、様々である。彼女たちは、アッという間にメイクが上達していく。人生そのものがかかっているだけに、真剣勝負である。
 そして、服装や日常的なことは、メイクよりも時間が必要だ。訓練しかない。彼女たちは、男として育てられ、男の環境で育ってきたのだから、男性が理想とする女性の部分が強調され、他はよく分からないから男のときのまま、というアンバランスが生じるのだ。たとえば、ふんわりしたブラウスにジーンズ、ルーズな毛糸の帽子にカチっとしたブランド物のビジネスバックというような組み合わせは、あまりにもミスマッチだ。また、ナヨナヨしているばかりが本当の女ではない。
 こういうとき、宝塚歌劇団の男役たちの姿が目に浮かぶ。男役たちは、女からみてカッコイイ男の仕種、歩き方、話し方を常に研究しているのだ。たとえば、煙草ひとつ取っても、こういう男性がいたらキザだなって思うほど、格好よく吸う。MTFの人の場合はこの逆なのだ。少しずつ正していくしかない。慣れるしかないのだ。
 性同一性障害が、世の中に知られるようになっていなかったら、私は母親の立場から、きっとこの人たちにはメイクを教えなかったかもしれない。男らしく、女らしくと諭していたと思う。でも、彼らと話をしていくうちに、それが誤解だったと分かった。そして、常に自分の本来の性がどっちなのか、悩み、疑い、迷いながらいることの心細さを考えさせられる。朝起きたときに、「今日は男なのか、女なのか」などと、毎日確かめながら生きていくのは、アイデンティティがゆるがされ続けて、本当に辛いと思う。
 自分が何者で、何をしているのか、何をしたいのか、はっきりと分かっていること。自分を疑うことなく、自然でいられるようになることは、人間として本当に大切なことだ、と再認識させられる。


 今では、笑い話にしかなりませんが、私の若いころは、まだ、今のドラッグストアーやスーパーのように、お化粧品を簡単に買うことができなくて、全て対面式の販売でした。欲しくて堪らなかったのですが、小心者で優柔不断の陽子にはとても、買いに行く勇気はありませんでした。
 自意識過剰というか、女性雑誌を買うのも恥ずかしいほどでしたから、何を買ってよいのかも、どうしていいのか全然分からないし、ファンデーションもパウダータイプしか知らなくて、髭なんかが全然カバーできなくてどうしていいのかわかりませんでした。
 でも、ある時、水彩絵の具でやってみようと思いついたんですね。絵の具で肌色を作って、顔に塗ってみたら、案外これがいけるんです。ほんとにお化粧したみたいに綺麗に見えて、すごく自己満足して、さて、女装しようと思ったら、だんだん絵の具が乾いてきたんですね。
 それから悲劇が起こりました。絵の具が乾いたらほんとに塗り壁状態になっちゃったんです。 ちょっとでも顔の筋肉を動かそうとすると、ぼろぼろって絵の具がはげちゃって、顔中がひび割れ状態になって、まだら模様にはげ落ちて、ほんと一回で懲りてしまいした。
 
でも、お化粧したらそれなりに綺麗になれるんだっていうのも分かって、東京にE会館がオープンして、お化粧品のセットを初めて手に入れたときは、本当に嬉しかったです。

“人間は外見ではない”などという無責任な発言は出来ないですね。その本当の意味を実践するのはとても難しいことです。

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