【雌黄(しおう)】

聊斎志異

蒲松齢

 『聊斎志異』の”聊斎”は、蒲松齢(ほしょうれい:1640−1715)の書斎の名です。”志異”とは、「異(ふしぎ)を志(しる)す(志は誌の古宇)」ということで、『聊斎志異』とは、「蒲松齢が聊斎で記した異(ふしぎ)な話」という意味です。異とは、神仙や異人や幽霊や妖怪変化や冥界の故事などのことです。
 中国に志異文学が興ったのは、魏・普の六朝期とされていて、当時は「志怪」と呼んでいました。志怪は、多くが当時の民間説話であったり、また、一部はインドから渡来した仏教説話で、当時はそれらの説話や故事を、伝聞したままに記録していましたが、時代が下るに連れて、創作ものも書かれるようになっていきました。
 『聊斎志異』は、民間伝承に取材し、豊かな空想力と古典籍の教養を駆使した巧みな構成で,怪異の世界と人間の世界を交錯させながら「人間性」を表現した十七世紀清朝初期の中国伝奇小説(短編集)の傑作です。

 怪の世界やそこに生きているものは、人間を拘束しているあらゆる制約から自由です。人間をでき得るかぎり精密に上下の関係に差別づけ、権力の社会的制約に縛りつけようとする現実の拘束の世界に対して、例えば、人間の世界とは違った原理の支配している理想の世界があってもいいし、人間の世界にいても、幽霊ならば、この世の掟にしたがわねばならぬ必然性などないのです。
 美女の幽霊も、狐の化けた美少女も、愛するがままにためらうことなく男のもとへ通って往く。これは、実際の人間以上に人間らしい人間、いわば人間の本来の姿そのものかもしれません。怪の世界に仮託すれば、実際の人間の世界では悪であること、罪とされていること、不可能であることも、内心の欲求のままに追求し、実現することが可能となります。

 『聊斎志異』には、時代背景のためか男性的な視点から都合の良いようなの展開の話で、美女の幽鬼や狐などに関する奇談画多いのですが、この他にも、男が子を生む話、女性が男性になる話、妾を買ったら男だったなどという話もあります。 怪の世界やそこに生きているものに自身の欲望や可能性を移植したということでしょうか。

 今回ご紹介するのは、「画皮」という話です。「化けの皮をはがす」という言葉がありますが、簡単にいうと、人の皮を着て美女に化けた鬼に、男が喰われてしまうお話しです。日本でも、昔話に瓜子姫の皮をはいで、天邪鬼が瓜子姫に化ける話や「かちかち山」の中で、たぬきが、おばあさんの皮を剥いで化けるという話が出ています。
 皮膚は、脱げない衣服とも捉えることが出来ます。鬼が男性だとすれば、一種の「異性装」ということになります。服装ばかりではなくて、外見も異性になりたい、それも、憧れの異性に。でも、それはあくまでも異性を装うことで、心底まで、肉体的に異性になろうとすることではありません。「皮」による変身は、外見の変化が前面にあるけれども、その下には変化してない本来の肉体があって、外見と内側の性は相反しているのです。


画皮 (コラージュ By 陽子)

 太原(現山西省)の生員で王という者があった。王は、朝早く起きて科挙試験の勉強し、夜明けに散歩するのを日課としていた。
 ある朝、いつものように散歩に出かけた。雲一つなく澄み渡り、空高く雲雀がさえずっていた。雲雀の在処を確かめて、視線を戻すと、道に一人の娘がしゃがんでいた。娘は、上等なきものを着て、風呂敷包みを抱えている。娘は、王の姿を認めると、急いで歩き出そうとしたが、足取りがおぼつかない様子で、しばらくするとまた、しゃがんでしまった。辺りを見回したが、供の者もいない様子に、訝しく思った王は、その纏足の娘に、近づいて尋ねた。
「こんなに朝早くから、どうして一人で歩いているの?」
 娘は、年の頃は十六くらいの美人で、王は、今日は良い一日になりそうだと内心ほくそえんだ。
「ほっておいてください。私の悩みを解決できるわけでもないのに、どうして、そんなことをお尋ねになるの?」
「そんなことを言わないで話してみなさいよ。何か役に立てるかも知れないだろう」
 すると娘は顔を曇らせて語り始めた。
「両親がお金に目がくらんで、私を金持ちに売ったのです。しかし、その奥様は嫉妬深くて、朝はどなる、晩は叩くというふうで、私にはとても耐えられません。いっそどこか遠くへ逃げようと飛び出してきたのです」
「で、どこへ行くつもりなの?」
「逃げ出して来た人間に、行くあてなどあるわけないです」
 王は、ほころびそうになる顔を堪えて、
「そんなに困っているのなら、私が力になってあげますよ。うちはここから遠くないし、うちに来たらいかがです?」
 王がそう言って勧めると、今度は、娘は喜んで同意した。
 王は娘を負ぶってやり、家に連れ帰った。
 娘は部屋に誰もいないのを見て、
「ご家族はいらっしゃらないの?」
と問うた。
「ここは書斎だよ。私の他には誰も来ないから、気兼ねなく使っていいよ」
「ありがとうございます。もし、私のことを不憫に思ってここに置いてくださるのなら、誰にも言わないで秘密にしてくださいね。あの家の者もきっと私を探しに来るに違いありません」
 娘はそう言って涙を流した。
「大丈夫だ。もう心配することは何もないさ」
 王が、娘の肩に手をやると、娘はその手を握り、嬉しそうに抱きついてきた。

 娘は書斎から一歩も出なかったので、数日経っても家族は誰もその存在を気付かなかったが、ある日、妻の陳氏に
「なんだか、急に痩せて顔色が良くないみたいです。最近は、書斎でしか食事を採らないし、どうして突然、そんなに根を詰めてお勉強するようになったのですか」と問い詰められ、答えに窮した王は、娘のことを打ち明けてしまった。
 陳氏は娘の身元を懸念して、
「もしもご大家のお妾だったらどうするのです?厄介の起こる前に、出してしまった方が得策ですよ」
と勧めるのだが、
「そんな可哀想なことは出来ない」
と王はかたくなに妻の言葉を聞き入れなかった。

 ある日、王が街に出かけると、一人の道士に呼び止められた。道士は、王を見るなり、顔色を変え、
「近頃、何か変わったことがおありではないか?」
と問いかけた。
「別に、何も」
と王が答えると、
「あなたの体からは邪気が漂っております。何もないなどということは考えられないが……」
とさらに問い詰めた。
 王が何もない、と頑強に言い張ると、道士は嘆かわしそうに言った。
「惑わされたか……。自分に死が迫っているというのに、悟らぬとは」
 さすがの王も道士の言葉を気味悪く思ったが、おそらくこの道士は厄払いの祈祷料ほしさにでまかせを言っているにちがいないと考えて納得した。

 書斎に戻ってみると、門には中から鍵がかけられ、入ることができない。不審に思いながら垣根の隙間から入ると、部屋の扉も窓も閉まっている。どうしたことかとますます不審に思い、忍び足で窓に近寄ると、窓の隙間からそっとのぞいて仰天した。
 書斎にいたのは一匹の鬼であった。
 青い顔に鋸(のこぎり)のような鋭い歯をむき出した鬼が寝台に人間の皮を広げ、その上に筆で美人の姿を描いていた。鬼は絵を描き終わると、着物を着るようにすっぽり頭からかぶった。すると、鬼はたちまち王が日夜狎(な)れ親しんだ、あの美人の姿になり変わった。
 王は恐ろしさのあまり腰を抜かしてしまい、その場から這うようにして逃げ出すと、一目散に街まで駆けていき、先ほどの道士の姿を探し廻ったが、どこにも見当たらなかった。それでも、家に戻る気にもなれず、あちこち探した挙句、ようやく郊外の野原で道士を見つけた。
 王は、その前にひれ伏して、
「どうか、お助け下さい!あの鬼を追い出してください」
と助けを乞うた。道士は、
「よろしい、追い払って進ぜよう。だが、あれもたいそう苦しんだ末、ようやく代わりを見つけたところなのじゃ。ワシもあやつの命まで取るのは忍びないからのう」
と言うと、王にハタキのようなものを与えた。
「これは払子(ほっす)といって、もともとはインドで、殺生を禁じられている僧侶が蝿を追いはらうために使っていたものじゃが、霊力を込めてあるから邪悪なものや煩悩を払う力がある。これを寝室の入り口に掛けておきなさい」
と命じた。そして、明日、青帝廟で会おうと約束して別れた。

 王は家に帰っても恐ろしくて書斎に入ることができず、その晩は妻の部屋で寝ることにした。もちろん、入り口に払子を掛けるのを忘れなかった。
 初更(夜八時頃)を回った頃、門の外から妙な音が聞こえてきた。布団を被っておびえきった王の代わりに妻の陳氏が扉の隙間から外の様子をうかがうと、あの娘がやって来るところであった。
 娘は部屋の入り口に掛けられている払子を見ると、ぴたりと足を止めた。それ以上近づくことができないようで、歯噛みしながらこちらをにらんでいる。
 しばらくそうしていたが、やがて立ち去っていった。
「もう、行っちゃったわよ」
 妻の言葉に、ほっとしたのも束の間、
「道士め、これでオレを脅しているつもりか!そうはいかぬ。せっかく、口に入れた獲物をむざむざと吐き出してたまるか!!」
 物凄い声がした。
 羅形の鬼は、払子をつかみ取って引き裂くと、扉を蹴破って中に飛び込んできた。そして、寝台の王に飛びかかりると、一瞬のうちに腹を裂き、心臓をつかみ出すと、姿を隠してしまった。
 陳氏の悲鳴に下女が灯りを手に駆けつけると、部屋は血の海となり、王が無残な姿で倒れていた。陳氏はあまりのことに言葉もなく、涙を流すばかりであった。

 翌日、陳氏は弟の二郎を道士のもとへつかわし、王が殺されたことを知らせた。
「何と、ワシはもともとあやつを哀れに思って見逃してやろうとしておったのに、ひどいことをしおって!」
 怒った道士は二郎に案内されて王の家へやって来たが、しばらくあたりを見回してから尋ねた。
「幸いあまり遠くへは行っていないようじゃ。南の離れはどなたがお住まいか?」
 二郎が、
「私が住まっておりますが」
と答えると、道士は言った。
「今、あやつはあなたのお宅におりますぞ」
「まさか…」
「誰か見知らぬ者が訪ねて来ませんでしたか?」
「私は義姉に言われて今朝早く青帝廟に出かけましたので、家に誰か来たか知らないのです」
 二郎はいそいで家に戻り、しばらくすると駆けて帰ってきた。
「今朝、老婆が一人、下働きに雇ってほしいと言ってやって来たそうです。家内が私の許可を得てからということで、引き止めております」
 道士は膝を打って、
「うん、そやつじゃ」
 そして、南の離れに行くと、木剣を持って庭の真中に仁王立ちになり、大音声で呼ばわった。
「鬼め、ワシの払子を返せ!」
 すると、部屋の中の老婆は顔色を変え、慌てて逃げ出そうとした。道士が追いすがって木剣で撃ちかかると、老婆はバッタリと倒れた。と同時にその体から人間の皮がガバッとはがれ落ち、恐ろしい鬼の姿が現れた。
 鬼は豚のような鳴き声を上げながら地面を転げ逃げ回っていたが、道士が木剣でその首を打ち落とすと、その体はたちまち濃い煙の塊となり、煙はわだかまったまま地面を這い回った。道士は瓢(ふくべ)を取り出し、その栓を抜いて煙の中に置いた。すると、煙は見る間に瓠の口に吸い込まれ、跡形もなくなった。
 道士は瓢に栓をして袋に入れた。人間の皮は地面に落ちたままであったが、眉も目も手も足もすべて揃っていた。道士が拾い上げて巻くと、掛け軸 を巻くような音がした。これも同じ袋に入れ、別れを告げて立ち去ろうとした。
陳氏は道士の前に跪いて引き止めると、泣きながら夫を生き返らせてほしいと頼んだ。道士は、自分にはできないと断ったが、陳氏はなおも懇願を続け、地にひれ伏したまま立ち上がろうとしない。
 道士はしばらく考え込んでいたが、やがてこう言った。
「奥さん、ワシは術が浅く、死人を生き返らせることはできませぬ。しかし、あなたの嘆きようを見捨てるに忍びない。代わりによい人を教えて進ぜましょう。その人ならできるかもしれませぬ。行って頼んでみなされ」
「それはどなたでしょう」
「街のごみための中で寝ている頭のおかしい乞食ですよ。ていねいに頼んでみなされ。失礼なことを言って奥さんを辱めても、けっして怒ってはなりませんぞ。言われた通りにすれば、きっと験があるはずです」
 二郎もその乞食のことは知っていた。陳氏は道士を見送ると、早速、二郎とともにその乞食を訪ねて行った。
「ああ、あれです」
 二郎の指さした先では一人の乞食がごみための中に寝転がり、訳の分からない言葉を大声でわめき散らしていた。三尺も洟汁(はな)を垂らし、汚らしいことこの上なかった。普段なら、近寄ることさえはばかられるところだが、陳氏は汚いのも気にせず、ごみの上に膝をついてうやうやしく頼んだ。
「お願いでございます!」
 すると、乞食はニヤニヤと笑って、
「よう、別嬪(べっぴん)さん、おいらに惚れたのかい?」
とからかった。陳氏が事情を話すと、乞食は笑いながら、
「亭主の代えなどいくらでもいるさ。生き返らせてどうしようってんだ」
と嘲(あざけ)った。
 なおも陳氏が頼むと、
「おまえさん、亭主を食い殺されて、頭がおかしくなっちまったか。死んだ野郎を生き返らせろだって?おいらは閻魔(えんま)様じゃねえぞ」
と怒り出して、杖で陳氏を殴りつけた。陳氏は痛いのを我慢して、その杖を受けた。気がつくと騒ぎを聞きつけて集まった野次馬が周囲を取り巻いて人垣ができるほどになっていた。
「お願いします!お願いします!」
 陳氏は杖に打たれながら懇願した。すると、乞食は汚い手のひらいっぱいに痰を吐き出して陳氏に突きつけた。
「おい、これを食ってみろ!」
 あまりの恥ずかしさに陳氏も困惑の色を隠せなかったが、道士の言葉を思い出して我慢して飲み込んだ。不思議なことに乞食の痰は喉の中に入ると、綿の塊のようになってゴロゴロと下っていき、胸のところで止まった。
 乞食は、笑いながら
「別嬪さんよ、よっぽどおいらに惚れてるな」
 と言うと、二人を残して立ち去ってしまった。しばし呆然としていた陳氏は、我に返ると、頼みを聞き届けてもらおうと二郎とともにその後を追って行った。乞食は後も振り返らず、そのまま廟の中に入って行った。陳氏達も後を追って廟に入ったが、どこを探して乞食の姿は見つからなかった。
 結局、乞食は見つからず、陳氏は自分の行為が情けなくなり、恥じたり、怨んだりしながらとぼとぼと帰宅した。

 それでも一抹(いちまつ)の期待を抱いていないこともなかった。もしかしたら、乞食が何か不思議な術を使って、留守の間に王を生き返らせておいてくれたかもしれない。しかし、陳氏は寝室に入った途端、現実に引き戻された。王は腹をぱっくりと裂かれたまま寝台の上に無残な姿をさらしていた。
「あなた、どうしてあんな女を引き入れたのです…」
 陳氏は夫の死骸に向かってつぶやいた。
「あんな女を引き入れたばかりにあなたは殺され、私も人様の前で恥をかかされました」
 涙が堰(せき)を切ったようにあふれた。陳氏は泣きむせんだ。自分も夫の後を追って死んでしまおうと思った。しかし、王の死骸をこのままにしておくわけにもいかない。そこで、夫の死骸の血を拭って棺に納める用意をした。

 家人は死骸のあまりにひどい状態に恐れをなして、近づこうとしない。陳氏は自ら夫の死骸を抱きかかえて、はみ出したはらわたを腹の中へ収めた。その最中にも涙がとめどなくこぼれた。血を拭き取った死骸は腹の傷をのぞけば、まるで眠っているようであった。どっと悲しみがこみ上げ、こらえ切れなくなって号泣した。その時、あまりに激しく泣いたため、喉の奥がむせ返り、先ほどの乞食の痰の味がよみがえった。
 吐き気を覚えた時にはもう間に合わなかった。顔をそむける間もなく、死骸の腹の中に向かって吐いてしまった。驚いたことに陳氏が吐き出したものは人の心臓であった。心臓は死骸の腹の中でドクドクと鼓動を打ち、煙のような熱気が立ち上っていた。
 陳氏は慌てて死骸に抱きつくと、腹の傷をとじ合わせた。少しでもゆるめると、傷の間から熱気がもれ出てきた。そこで、寝台の帳を裂いて、傷の上から縛りつけた。
 死骸を撫でていると、だんだんと温みが戻ってきた。夜中には呼吸をし出した。そして、夜明け近くに生き返ったのである。
「うつらうつらと夢を見ていたようだ。何だか胸の辺りがちくちく痛むよ」
 目を開けた王はこう言った。鬼に割かれた腹の傷は銅銭くらいのかさぶたになっていた。そしてしばらくすると、そのかさぶたもきれいに消えてしまった。

 道士が、手に入れた人間の皮は時代を経て、私の手許にあります。でも、残念ながら、私は絵が下手なので、とても鬼のような美人には変身できないのです。トホホ……。

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