【真朱(まそお)】

オスとメス=性の不思議

長谷川真理子 講談社現代新書(1993.3)

 性はなぜ誕生したか、性と繁殖は本来無関係、なぜ雄と雌しかいないのか、性転換をする動物等とても興味深いテーマのお話がたくさん書かれています。


 人間の男女の関係が、芸術の永遠のテーマの一つであるように、性にまつわる諸問題も、生物学の実に大きなテーマとなっています。いったい全体、性というややこしいものがなぜ出現したのかという根本的な問題は、いまだに現代生物学の謎の一つに数えられています。また生物の世界には、性はあっても雄と雌には分かれていないものや、性転換するものなど、奇妙なものが数々あります。そして、いったん雄と雌とに分かれたあとは、雄と雌は、決してどんなときにも仲良く手に手を取って協力して生きていくものとはならなくなりました。実際、男女の間の反発と対立の根元は、生物界に広く見られる雄と雌の間の葛藤に起源を発しているように思います。


 あのとき、あちらの道を歩んでいたら、自分の人生は今とはずいぶん違っていただろう、と思うことがよくあります。でも、今の私は、そういう可能性としての無数の選択肢の中から、繋がってきた一本だけの線が現実となったものです。
 その軌跡は、幾重にも折れ曲がった一本の線。どの曲がり角からも、別の軌跡が描けたはずですが、その道は選択しなかった(もしくは選択できなかった)のです。でも、私が歩まなかった無数の軌跡は、架空の道として消失してしまったのでしょうか? 私の知らないだれかが現実に歩んでいる道が、実は私が描かなかったそれではないのだろうか?私にとって、「あの人はモシカシタラのわたし」かもしれません。 私にとっての他人とは、可能性としての自分です。

 地球上に生存する何百万種という生物の由来をたどれば、最終的には共通の単一祖先にたどりつくといいます。
 ダーウィンはそう提唱し、今では疑うべくもない科学的真実となっています。ヒトから見て、わずか数十万年前に分岐した種もあれば、分岐して以来何十億年を経たものもいます。その間に、絶滅した種も少なくありません。
 早期に分岐したものとは遺伝情報の差異は拡大していますが、たとえばヒトの持っている数万という遺伝子の中には、共通のものが少なからず存在すのです。 その意味では、ミミズもおけらもヒトも同じ時間を生きています。ただ、 生き様がちがっただけなのです。

 私たちの体は数十兆個の細胞からできていますが、どの細胞から見ても他の細胞は、いわば可能性としての自分です。数十兆個からなる私たちの細胞は、一個の細胞(受精卵)に由来し、受精卵は細胞分裂をくり返すことによって数十兆個の細胞からなる私たちの体をつくります。細胞分裂の前後で、遺伝情報は変わりませんから、受精卵のもつ遺伝情報は、体をつくる数十兆個の細胞に等しく分配されていることになります。
 それぞれの細胞は、まるで違った姿・形をし、まるで違った働きをしているのに、受精卵からコピーされ続けてきた同じ内容の遺伝情報を持つのです。中には発生の早い時期に自殺死(アポトーシス)を運命づけられた細胞もあります。自殺細胞も含め、体をつくる過程で生じたすべての細胞は、一卵性双生児に相当する兄弟なのです。

 違いは、役割でも優劣でもなく、それぞれに固有の命と歴史をもって、ひとりの人間として生きていることの証です。みんなばらばらだけど、でも、みんな一緒なのです。

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