天狗の術

(原作 今昔物語 巻第20第10話 陽成院御代滝口金使行語)

 もうずいぶん昔の話になりますが、陽成天皇の御代に、道範という宮中の侍が砂金を献上せよとの宣旨を奉じて、陸奥国に下ったときのことです。途中、信濃国のとある郡司の家に宿をとりました。

 郡司は待ち受けていて、道範一行を大歓待しました。ところが、食事などのもてなしが終ると、家主の郡司は、家来たちを引き連れてどこかに行ってしまいました。
 道範は、酔いもまわって上機嫌ではありましたが、何とはなく物足りない気持ちで寝つかれぬまま、そっと起き出しました。折しも満月の夜、涼風が心地よくもあり、月明かりに誘われてあちこち見歩いているうち、灯りが漏れている部屋の前に来ました。そっと覗いてみると、屏風や凡帳など立て並べ、畳などこぎれいに敷かれ、二段構えの厨子なども感じよく置かれて、空薫物でしょうか、たいへん香ばしくにおっています。
 こんな田舎にもこのようなことがあるのだなあとおくゆかしく思い、なおよくのぞくと、二十歳ぐらいの、黒髪が長く美しく、ほっそりして額つきもよく、非の打ちどころのない女がさま美しく寝ています。
 道範はこれを見て、このまま見過してしまう気になれず、あたりに人影もなく見とがめる者もないのを見計らって、そっと遣り戸を開けて中に入りました。

 女に近寄りましたが、「だれか」ととがめる者もなく、女は驚き怯えるばかりで騒ぎ立てる様子もありません。灯台は几帳の後ろに立ててあるのでたいへん明るく、袖口をおおって臥している顔は、そばで見れば見るほどあでやかで、道範は天にも上る心地がしました。こんなやましいことをすると思うと、あれほど心をこめてもてなしてくれた郡司に申しわけないような気もしましたが、女の様を見るとどうにも我慢できなくなりました。
 まだ、九月も始めのことで、女は着物もあまり重ねていませんでした。紫苑色の綾衣ひと重ねに濃い紅の袴を着け、それにたきしめた香のにおいも香ばしく、あたりの物にまでにおい移っています。
 道範は自分の着物を脱ぎ捨てると女に添臥しました。女は、しばし着物を引き合せて拒む様子を見せたものの、むきになってあらがおうともしないので、そのまま抱き寄せ、情を結ぼうと、女の柔肌をゆっくりと撫でさすりました。気が興じてきたのか、女の口から小さな声が漏れてきましたが、その時、どうしたわけか、男のマラがしきりにかゆくなってきました。手で探ってみると毛だけで怒張しているはずのマラがありません。びっくりしながらもけげんに思って、やたらに探りますが、まるで頭の髪を探るようでまったく跡形もありません。すっかり仰天し、女のすばらしかったことなどけし飛んでしまいました。
 女は、切なそうなまなざしを向けてきますが、道範はもうそれどころではなく、しきりに首をかしげながら、陰部を探っていました。道範は、このことを女に悟られまいと、咳払いを一つすると、ゆっくりと起き上がって、もとの寝所に帰っていきましたが、その後ろ姿を見て、女がほほえんでいたことには気がつきませんでした。

 道範はわけがわからず、不思議でしかたないので、寝所に帰得ると、再び、探ってみましたが、やはりありません。どうしたものかと、しばらくの間おもいあぐねておりましたが、そば近くに使っている家来を呼んで、「あそこにすばらしい女がいるぞ。おれも行ってみたが、遠慮はいらぬ、お前も行ってみろ」と言うと、家来は喜んで出かけていきました。しばらくして家来が帰ってきましたが、なんともいぶかしげな顔をしているので、「さてはこの男も同じ目に遭ったのだろう」と思い、また別の家来に行ってみるようけしかけました。この男も帰ってきて、空を仰いで、ひどく不審に堪えぬ面持ちをしています。このようにして、七、八人の家来を行かせましたが、皆帰ってきては同じような顔つきをしていました。
 道範たちは互いに、打ち明けることもできず、かといって問いただすこともできぬまま、思案しているうちに夜が明けてきました。このままでは、男のように用を足すこともできず、何とも情けないことだとは思うのですが、どうしてよいものかもわからず、不安になってなにもかも打ち捨てて、夜明けとともに大急ぎで出発しました。

 七、八町ほども行ったころ、後ろのほうで呼ぶ声がします。見れば、だれかが馬を走らせてきます。走り着いた者は、昨日の家で食事を運んできた家来でした。
 道範は、逃げ去りたい気持ちを抑え、馬を止めました。すると、男は、白い紙に包んだ物を道範にささげました。
「それはなにか」と道範が訊くと、男は、「これは我が主が『さしあげよ』と申された物です。決りどおりに今朝のお食事など用意しておりましたのに、お出かけをあまり急がれたので、このような物までお忘れになられたのではないかと……。このような物を無くされたままでは、きっとお困りになるだろうと思い、拾い集めてお持ちしました」と言って手渡すや、すぐに馳せ帰っていました。
「なんだろう」と思い、開けて見ると、奉書に包んだ松茸のように、マラが九つ入っていました。
 あきれる思いで家来たちを呼び集め、これを見せました。八人の家来がそばに寄りこれを見ると同時に九つのマラは、パッとみな消えうせてしまいました。
 家来たちはおのおの、「おれにもそんなことがあった」と言い合って股間を探ると、マラはもとのようについていました。

 さて道範一行は、陸奥国に行き、黄金を受け取り帰ってくる途中、またあの信濃国の郡司の家に泊りました。
 郡司に馬や絹などさまぎま多くの品を与えると、郡司はたいへん喜び、
「それにしてもどういう思し召しでこのようにくださるのですか」と言います。
道範は郡司のそば近くににじり寄ると声を潜めて、
「まことに申し上げにくいことながら、初めここに伺った時、なんとも不思議なことがありましたが、あれはいったいどういうことでしょうか。たいへんいぶかしく思われますので、お尋ねする次第です」と尋ねました。
 郡司はたくさんの土産物をもらったので、包み隠さず、ありのままを答えました。
「それは、わたしがまだ若い時、この国の奥の郡にいた年老いた郡司に若い妻がおりましたが、それに忍んで言い寄ったところ、マラを失いましたので、不思議に思い、その郡司にぜひともその術を教えてくれと頼み込んで習ったのです。その術がどうしてもお習いになりたければ、今回は官物をたくさん持っておいでなので、急いで上京され、その後改めてお下りなさって心静かにお習いなされるがよろしい」このように言ったので、道範はその約束をしたうえで京に上り、黄金などを官に奉ってから、暇をいただいて再び信濃国に下りました。
 土産物などを、郡司に与えると、郡司は喜んで、
「自分の知る限りの術をお教しえしましょう。しかし、これは簡単に習得できるものではありません。七日間、かたく精進をして毎日水を浴び、十分に身を清めてから習うものですから、明日からさっそく精進をお始めなさい」と言いました。
 そこで道範はさっそく精進を始め、毎日水を浴びて、身を清めます。ちょうど七日目の夜半過ぎ、郡司と道範は他にだれも連れず、深い山に入っていきました。やがて大きな川のほとりに着くと「絶対に仏・法・僧の三宝は信じまい」という額を立ててさまざまのことを行い、さらに言語に絶する罪深い誓言を立てました。
 そのあとで郡司は、
「わたしは川上のほうに行きましょう。その川上から来る者があったら、たとえ鬼であれ神であれ、それに飛びかかって抱きつきなさい」と言いおいて、自分は川上のほうに行った。しばらくすると、川上のほうの空がかき曇って、雷が鳴り、風が吹き、雨が降ってきて川の水かさが増した。しばらく見ていると、川上から頭はひと抱えほどもある大蛇が現れた。目は爛々とひかり、首の下は紅色をして、背は紺青や緑青を塗ったようにつやつや光っています。先ほど、「下ってくる者に抱きつけ」と教えられたが、これを見たとたん道範は、ひどく恐怖に襲われて、草の中に隠れ伏してしまいました。

 しばらくして郡司が出てきて、「どうです。抱きつくことがおできになりましたか」ときく。「なんともいえず恐ろしかったので、抱きつけませんでしたよ」と答えると、郡司は、「それはまったく残念なことでしたね。そのようなことではこの術は習得できません。それにしても、もう一度やってみましょう」と言って、また川上に入っていった。
 しばらく見ていると、身の丈四尺ほどもある猪が牙をむき出し、岩をばりばりと突きくずし、そのたびに火花を発しながら、毛を逆立てて突進してきました。ひどく恐ろしかったが、「これが最後だ」と観念し、走り寄って抱きつく、と見れば三尺ほどの朽ち木を抱いていました。
 道範は、それと知って、なんとも残念で悔しがりました。
「きっと最初もこんなものだったのだろう。どうして抱きつかなかったのか」と思っていると、郡司が出てきて、
「どうでした」ときく。
「こうこうして抱きつきました」と答えると、郡司は、
「先の、マラを失う術は習うことはおできになれないが、なにかを他のちょっとした物に変えたりする術はお習いになれるようです。では、それをお教えいたしましょう」と言い、その術を教えてくれましたが、マラを失う術は教わることができませんでした。

 道範は、京に帰り上りると、夜な夜な自らの姿を女に変えて、後宮に忍び入っておりましたが、そのうちに術が解けなくなり、マラを付けたまま女身となって一生を暮らしたそうです。

 この術は天狗を祭って、三宝を欺くものです。仏道を捨てて、悪魔の世界におもむこうとするなど、まさに宝の山に入りながら空手で帰り、石を抱いて深い淵に入り、命を失うのに等しいこと。それゆえ、こういう術は絶対に習ってはいけない、と語り伝えられているということです。

    

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