付. 源氏香

 日本の伝統文様に「源氏香」というものがあります。
 ようこのHPにも、折々の記のインデックスに、源氏物語の四季の館にちなんだ源氏香のアイコンを置いていますが、源氏香の図をモチーフにしたデザインは、着物や帯の柄・建築の装飾・蒔絵・家紋・投扇興などの遊戯具・落雁などの菓子など多種多様にわたって利用されています。家紋にされたのは、そのうちの花散里と初音、匂宮などだけで、江戸時代には清和源氏の義家の流れである佐竹氏と佐々氏、また紀氏の出である堀田氏のほか、藤原氏系の竹本氏、高木氏が用いました。

 源氏香は、香道の「組香(くみこう)」から生まれたものです。「組香」は、いくつかの香木を焚き、その香をかぎわけて名前を言い当てる楽しみ方で、組香の中で最も親しまれたのが「源氏香」です。

香の歴史

 香料の発見は、パミール高原のヒンズー族にはじまるといわれ、インドに香料がもたらされたときは、香気の精神浄化作用を仏教文化に取り入れ、仏前に焚く「焼香」として、敬虔(けいけん)の念を高めるのに利用されるようになりました。さらにこれがインドから分かれて、一方はエジプトに流れ、乳香(仏典では薫陸香)や没薬(もつやく)がお香として使われました。乳香は、現在でもキリスト教やイスラム教の儀式に使われ、正倉院の御物としても収められています。また、没薬や肉桂(にっけい・シナモン)などの香料は、その防腐・殺菌作用によりミイラの製造に利用されました。エジプト文化がギリシア・ローマの時代に移入されるとともに、香料の需要は次第に増し、練香(ねりこう)から、使いやすい液体の香水へと形態をかえていきました。もう一方は中国にうつり、仏前焼香の他、丁字や肉桂など媚薬としても用いられました。

 わが国で初めて「香」として香木などを用いるようになったのは、仏教伝来の頃、今からおよそ1400年ほど前の推古天皇の御代のことです。
 日本書紀に「推古天皇の三年夏四月(西暦595年)、沈水(香)淡路島に漂ひ着けり。其大き一囲、島人沈水を知らず、薪に交てに焼く、其煙気遠く薫る、則異なりとして献る。(淡路島に香木が漂着し、島の人が薪として焼いたところ、類い希なる良い薫りがしたので、朝廷に献上した)」とあり、これが最も古い文献であるといわれています。
 この“薫る木”が「沈香」で、聖徳太子は、人々が献上したこの香木を尊像に刻み、法隆寺の夢殿にまつりました。これが今も伝わる「夢殿の観世音像」で、その時に残った木片が正倉院の御物で「太子」と呼ばれる名香だといわれています。
 また、天下第一級の名香として歴史上にさまざまな逸話や伝説を秘めて伝えられ、伽羅の名香木として有名な「蘭奢待(らんじゃたい)」は、聖武天皇が天平勝宝4年4月9日(西暦752年)大仏開眼を記念して中国より取り寄せ正倉院に納めたとされているものです。今も正倉院に宝物として保存され、現在に至るまでに足利義政・織田信長と明治天皇の3人の方がその一部を切り取ったという記録が残されています。

 奈良時代には、孝徳天皇の天平勝宝6年(西暦754年)、唐から来朝した鑑真和上が、仏典と共に沈香・安息香などの種々の香料をもたらし、それらの香と薬の調合により、香りの良い「薫物(たきもの)」を作る「合香の法」を伝えました。香料をひとつひとつ直接火の上で焚いて、仏前を清め邪気を払い厳かな雰囲気をだす「供香(くこう)=仏前を清め邪気を払う」として用いられ、宗教的意味合いが強いものでした。

 宗教儀式に用いられた香は、平安時代になると、香料も多種輸入されるようになると、香木を粉末にして好みに応じて麝香(じゃこう)などを加え、梅肉や蜂蜜で練り固められた「練り香(ねりこう)」ができてきました。そして、その楽しみ方も「薫物(たきもの)」といって、「玩香」(自分のために芳香を嗅ぐ)、「移香(うつりが)」「追風(おいかぜ)」「誰が袖(たがそで)」(衣服に香りをつける)、「空薫(そらだき)」(部屋に香りをたきしめる)、「掛け香」(部屋などに香を掛ける)など、貴族達が生活のなかで香を楽しむ習俗が生まれました。そのころの薫物の処方は、家々で工夫して秘密のもとに作られ代々に伝えられていきました。
 薫物の配合技術の向上は、やがて各自が独自の香を持ちよって薫物のもつ幽玄な香りをたきくらべて鑑賞し、香りの優劣を競ったり、その香りのイメージに合わせた和歌を詠んだりする「薫物合(たきものあわせ)」という雅やかな遊びに発展し、貴族の遊びとして流行していた歌合せ・貝合せ・絵合せとともに、「香」が当時の貴族文化を彩りました。
 平安の文学にはこれらの香の記述も多く、「源氏物語」にも「香どもは昔今の取りならべさせたまひて御方方にくばり奉らせたまふ、二種づつ合はせたまへと聞えさせたまへり・・・人人の心心に合わせたまへる、深さ浅さを嗅ぎあはせためへるに、いと興あること多かり」などと薫物合の情景が表されています。

 13世紀頃からは、香りの判定に文学的要素が加わり、「薫物銘」が使用されました。
 薫物には、製造者や草花の名などがつけられ、有名なものには、「梅花」(ばいか)「荷葉」(かよう)「侍従」(じじゅう)「菊花」(きっか)「落葉」(らくよう)「黒方」(くろぼう)などがあります。また、薫物方とよばれる処方箋が現れ、それを基準に各自の好みものが調整され、後世への基準となりました。香の調合法は、「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の「薫集類抄(くんしゅうるいしょう)」に収められています。

 鎌倉時代に入り外国との交易が盛んになると、相当量の沈香木が招来されるようになり、「太平記」に名を残す佐々木道誉などによって数百種に及ぶ香木収集がなされました。
 香の好みも武士好みのものとなり薫物から香木そのものの自然な香りを鑑賞する枯淡に移行し、聞香や名香合などが武士の間で行われるようになりました。 また、出陣に際しては沈香の香りを聞いて心を鎮め精神を統一させたり、甲冑に香をたき込めて戦に臨んだと言われています。

 室町時代、足利義政の東山文化のころ、香道は花道、茶道とともに体系化されていきました。 志野宗信や三條西実隆らによって、「※六国五味(りっこくごみ)」といわれる香木の判定法や組香が体系化され、 御家流、志野流の2大流派が成立したのもこの頃です。
 桃山時代には、懸物よりも文学的な主題と香木の情趣を結びつけた、組香を中心とする現在の香道のかたちが成立しました。

 江戸時代には、道具なども完成し、香道伝書も作製されました。 「※組香」の創作が盛んになり、香道が発展した時代です。 中国よりお線香の製造技術が入り、庶民の間でも匂い袋など日常的に香を生活に取り入れるようになりました。

香合せ(源氏香)

 香合わせも、はじめのうちは二種類の練香の優劣を判じる単純な遊びでしたが、しだいに香木なども用い、組香といって文学的な遊びにまで発展しました。室町時代には、三条西実隆、足利義政、宗祇などによって香道にまで高められ、江戸の元禄期になると、公家や大名だけでなく、庶民の間にももてはやされ、華道、茶道とともに流行しました。

 江戸時代、最も親しまれた香合わせの一つが源氏香です。これは香をきく数名の客が、香元から出された香が同じ種類か別のものかを当てる遊びです。系図香といって、それを五本の線で図示します。
 五本の縦線を、右から一炉の香、二炉の香・・・、そして最も左が五炉でたかれた香を意味します。このうち同じ香と思うものの上を横線で結びできた図形を源氏物語の巻名で答えるというものです。

 源氏香は六国中5種類の香りを使い、源氏物語の世界を表現します。香組した人が表現したいイメージや、提示したい事柄、季節などテーマに沿って使う香りを六国五味の中から選びます。
 古くは、4種15通りの答えをあてる「古法源氏香」や6種213通りの形もありましたが、5種52通りの答えを源氏物語に合致させたものが人気もあり残ったようです。

(順序)

1 源氏香は、5種の香木をそれぞれ5包ずつ(計25包)用意します。

2 この25包を混ぜ合わせて任意の5包を引き去ります。

3 残りの20包は使わないので、総包に挟み込んで納めます。

4 引き去った5包を順に5炉炊き出します。

5 香の出によって香図を書いて完成させます。

6 香の出と香図を照らし合わせます。(香図は、52通りあります。)

7 その図形が表わす源氏物語の巻名が答えとなります。

 また、できた源氏香の図が示す巻名の物語に吉凶を託す源氏香占いという雅な占いもあるそうです。

(香図の書き方)

 五回香炉が回ってくるので、一炉聞く毎に「右から左へ」一本ずつ縦線を引いて行き、同じ香だと思ったものの縦線の上部を横線で繋ぎます。

 例えば、鈴虫の香図は、一炉と五炉、二炉と三炉の香が同香で、三種類の香が焼かれたことを意味します。

 組み合せは、五十二通りとなります。五十二という数から源氏五十四帖を連想したのでしょうか、初巻「桐壺」と最終巻「夢浮橋」を除いた「帚木」から「手習」までにあてはめたものを「源氏香之図」と呼びます。巻名と図柄の関係は不明で、定説はありません。

源氏香之図

 
桐 壷
きりつぼ
帚 木
はヘはきぎ
空 蝉
うつせみ
夕 顔
ゆうがお
若 紫
わかむらさき
末摘花
すえつむはな
紅葉賀
もみじのが
花 宴
はなのえん
 葵
あおい
 榊
さかき
花散里
はなちるさと
須 磨
すま
明 石
あかし
澪 標
みおつくし
蓬 生
よもぎう
関 屋
せきや
絵 合
えあわせ
松 風
まつかぜ
薄 雲
うすぐも
 朝 顔
あさがお
乙 女
おとめ
玉 鬘
たまかずら
初 音
はつね
胡 蝶
こちょう
 螢
ほたる
常 夏
とこなつ
篝 火
かがりび
野 分
のわき
行 幸
みゆき
藤 袴
ふじばかま
槇 柱
まきばしら
梅 枝
うめがえ
藤裏葉
ふじのうらば
若菜上
わかな
若菜下
わかな
柏 木
かしわぎ
横 笛
よこぶえ
鈴 虫
すずむし
夕 霧
ゆうぎり
御 法
みのり
 幻
まぼろし
匂 宮
におうのみや
紅 梅
こうばい
竹 河
たけかわ
橋 姫
はしひめ
椎 本
しいがもと
総 角
あげまき
早 蕨
さわらび
宿 木
やどりぎ
東 屋
あずまや
 
浮 舟
うきふね
蜻 蛉
かげろう
手 習
てならい
夢浮橋
ゆめのうきはし

※六国五味
鑑賞の基本となる、香木の分類法です。
六国−六つの木所(きどころ=香木の原産国)による分類。
   伽羅(きゃら)、羅国(らこく)、真南蛮(まなばん)、
   真那加(まなか)、佐曾羅(さそら)、寸聞多羅(すもたら)。
五味−匂いの性質を味の感じに置き換えたもの。
   辛(しん)、甘(かん)、酸(さん)、鹹(かん=しおからい)、苦(く)

※組香
昨年、王朝文学の研究者でご活躍の尾崎佐永子さんによって、17世紀に活躍した香人、鈴鹿周斎が編んだ「香道蘭之園」が翻刻出版(淡交社)されました。この「蘭之園(全十巻)」には源氏香(ニ巻)をはじめ200種類をこえる組香が収録されています。

 香十徳(一休禅師)

 感格鬼神 清浄心身 (鬼神を感格す 心身を清浄す)
 能除汚穢 能覚睡眠 (よく汚穢を除く よく睡眠を覚(さま)す)
 静中成友 塵程偸閑 (静中に友と成す 塵ほどの閑を偸(ぬす)む)
 多而不厭 寡而為是 (多くして厭(いと)わず 寡(すくな)くして是をなす)
 久蔵不朽 常用無障 (久しく蔵(おさ)めて朽ちず 常に用いて障(さわり)なし)

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