マフ(Mafu)

「熱帯のパラダイス」の代名詞にもなっているソシエテ諸島のタヒチは、かつて、男女の性役割の区別が非常に少ない文化を持つ島でした。

 18世紀半ばに初めて訪れた西欧の探検家たちは、タヒチの女性は著しく高い地位を持っていて、ほとんどすべての男の仕事を行うことが許されていると記しています。
 画家のポール・ゴーガンも、タヒチの男を「両性具有的」として描写し、そして「女も男性的なものを持ち、男も女性的なものを持っている」と付け加えています。
 タヒチでは、男女ともにほとんど同じ仕事を行い、男女にそれぞれに割り当てられた仕事とか技術はありませんでした。男も料理を日常的に行い、女も家の外で男の行うほとんどすべてのことを行っていました。タヒチの人は、性格、思考、生活について、男女の間には「全体的に見て相違がない」と考えていて、私たちの社会で言われる「女々しさ」も、男のパーソナリティのなかで普通のもとして広く受け入れられていました。逆にマッチョ的タイプは、異質のつまらないものと見なされていました。
 さらに、男性性の証明を強調することも必要なく、男が女子供とは違ったもったいぶった態度で振るまうように男に圧力をかけることもありませんでした。
 タヒチでは型にはまった男性性の行動を表す区別や標識はまったく見当たらなかったといわれています。

 タヒチの男はほとんど命令されることがありませんでした。彼らは狩猟を行わず、男らしいと思われる危険の多い精力的な職業も見当たりません。
 タヒチ島のラグーンでは、たくさん魚が獲れるので、ほかの島のように苦労して深海へ魚を獲りにいく必要もありません。耕作用の土地も豊富にあり、だれでも十分な土地を所有し、または「ごく僅かの金額で」土地を借りることができます。家畜もまた豊富で、骨身を削るほどの貧困や経済的な争いはまた戦争や反目もありません。ちょうど家族同士が魚を獲ったり、二つの主要作物であるバニラとタロイモを収穫する時に、互いに協力するように、経済は、男たちに競争心を煽り立てるよりもむしろ、異常なほどの協力的態度を養成したのです。物質を求めて奮闘努力することは、男のあいだでは珍しいだけでなく、タヒチ的でないとして、実際に嫌なものと思われていました。平均的なタヒチの男は、「奮闘努力することを拒み」、ありのままの生活に満足していたのです。仕事に対するたんたんとした態度は、「伝統的で真にタヒチ的なもの」と考えられていますが、タヒチ人でない住民やこの島を訪れる人々には、タヒチの男たちは怠け者のように映ったようです。

 しかし、このように男女の性役割の区別がない(あくまでも当時の西洋人の感覚で)という際立った特徴をもつタヒチ島の文化にも、「マフ」と「レレ」というトランス・ジェンダーが存在しています。「マフ」は女性として育てられた男性で、「レレ」は 女装する人です。タヒチには、長男を女性として育てるという伝統がありました。マフは、子供のころはその地区の有力者の家などで侍女として仕え、ある程度の年齢になったら、普通に男性と結婚することを許されているのだそうです。ポリネシアの社会では重要な役割をもち、ベルダーシュのように高く尊敬されていました。
 マフは、現在でも社会的に認知されていて、レストラン、ホテル等サービス業に多く見られます。
ジェームス・モリソンは、1789年から1791年までに観察した記録に次のように記述しています。

マホー[マフ]と呼ばれるいく人かの男がいる。この男たちは、さまぎまな点でインドの去勢された男によく似ているが、彼らは去勢されてない。女と一緒に住んではいないが、女のような生活をしている。髭を剃り落とし、女の衣服をまとい、女と一緒に踊ったり歌ったりする。声は女のような声である。彼らは一般に、はた織り、布に絵を描くこと、マット編み、その他のあらゆる女の仕事に優れた腕前を発揮する。そのような点で、彼らは貴重な友人と見なされている。

 西欧人は、性病、結核、天然痘、はしか等さまざまな病気を持ち込み、また、武器を持ち込んで内戦を呼び起こしました。1774年にキャプテン・クックは、タヒチの人口を20万4千人と見積もっています。それが、約100年後の1865年には、島の原住民はわずか7169人になってしまいました。タヒチを植民地した後は、祭壇を破壊し、住民にキリスト教への改宗を強要しました。島の女たちはマザー・ハバードと呼ばれる全身が隠れるドレスを着せられ、伝統的な儀式やダンスもその後200年にわたって禁止されました。こうして、個人の所有という概念を持たず、余分なものを分け与えることを美徳とするタヒチアンの文化は破壊されていったのです。

ファファフィネ(Fa'afafine)

 サモアには「ファファフィネ」(「女性みたいな」の意)と呼ばれる人々がいます。西欧文化の感覚ではいわゆる「オカマ」として認識されてしまいがちですが、サモアの「ファファフィネ」たちは、公務員、学校教師やスーパをはじめサービス業の店員などあらゆる職場でごく普通に働いていて、女性と見間違えるほどの可愛らしい人からごく普通の男性の姿で内面だけ「ファファフィネ」という人までいます。
 伝統的に、サモアには一家の子供に女の子がいなくて女手がたりない場合、に、生まれた男の子を女の子として育てて女性の家事をさせる風習があるのです。背景には、土着の宗教的行事で女性が大切な役割を果たしていたからだとも言われています。ですから、本来、サモアの「ファファフィネ」は、いわゆる性同一性障害や同性愛者ではありませんし、「ファファフィネ」の性的対象としても男性、女性どちらも認知されているようです。
 現在でも、女の子の格好(をさせられている)の男の子の姿をよく見かけますし、中学生や高校生にも「ファファフィネ」がいますが、社会全体が「ファファフィネ」を受け入れているため、職業上の差別やいじめなどもないようです。
 地方の村々で暮らす「ファファフィネ」たちは、普段は一般の女性と同様に洗濯や縫い物などの家事全般をして過ごし、社会の中で違和感なく受け入れられています。
 ただ、一種の観光化された「ファファフィネ・コンテスト」も開催されていて、いわゆる西欧文化の感覚で「ファファフィネ」を扱う社会的雰囲気がめばえているためか、自分が自らの意思で「女性」としての道を選択したものではないため、思春期に悩む「ファファフィネ」がいることも事実のようです。

(参考文献)
  「男らしさの人類学」デイヴィッド・ギルモア

    

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