チャラバイ(calabai)チャラバイとは、ブギス語で「偽りの女」という意味で、インドネシア共和国スラウェシ島に住む「身体は男、心は女」のブギス人のことです。最近は、「ベンチョン」、「ワリア」あるいは「サラ・デビ」(「偽りの女神」の意)などと呼ばれている第三のジェンダーともいうべき存在です。 その存在は古くから知られていて、16世紀にブギスの王国を訪れたポルトガル商人アントニオ・デ・パビアもビッスやチャラバイについて記録しています。王国の祭器を管理し、その儀礼をおこなう「ビッス」(bissu)と呼ばれる祭司がいて、かれらはおぞましき同性愛者であるなどと記述されています。 チャラバイの伝統的な仕事は、ブギス語で「インド・ボッティン」(「花嫁・花婿の母」の意)と呼ばれる、花嫁・花婿の衣装着付け役です。本来の役目はたんに着付け役にとどまるものではありませんでした。高位の貴族の婚姻儀礼には、天上界に属する「花婿=王子」が「花嫁=王女」の属する地上界に降り立つという意味が込められているといわれ、ビッスにはその二つの世界をつなぐ道案内役としての役割が与えられていたといわれるのです。現在も、ほとんど全部のチャラバイが何らかのかたちで(1)花嫁花婿の伝統衣装の貸し出しと着付け、(2)結婚披露宴会場の式壇とその飾り付け、(3)婚礼の食宴のための調理と食糧調達といった伝統的な婚姻ビジネスに関わっています。 ブギス社会では、男性性器の強さ弱さ、大小についての関心が強く、男性性器の強弱が男性としての強弱と見なされます。たとえば、排尿時に、勃起の徴候を示さない男児の性器は「弱い」とされ、あるいは「不能」としての烙印を押されてしまうこともあるようです。現実には、性器の弱い男児がかならずチャラバイになるというわけではないのですが、一般に、チャラバイの男性性器は未熟であり、男性としての性的能力を欠いていると信じられています。 ブギスの人々はチャラバイという「性」を生得的なものとして信じています。チャラバイを言い表すのに「身体は男、心は女」という表現が、チャラバイ自身によっても、また村びとによってもよく用いられています。 チャラバイは姉妹などの女性親族と同居するか、それとも一人暮らしの場合が多いのですが、一日中家の中で過ごすのはきわめて稀れで、伝統的な婚姻ビジネスに関わっています。
ブギスの人びとは、人間には男と女、それにチャラバイとチャラライの四種類があるといいます。人間が四種類に分類されるのは、身体的性と性自認との組み合わせの結果ですが、それらをジェンダーの水準で見るならば、男性役割と女性役割とにふたたび統合されてしまうのです。 かつての伝統的なブギス社会の中では、男性は戦士として外部の敵と戦わねばならない役割、女性は祭司として超自然的脅威から共同体を守るという役割がありました。戦士としての役割は肉体的に衰えた男性にも要求され、そして、この社会的な要求に肉体的あるいは精神的に従うことのできない者は、女装を強制され、また、バヤサと呼ばれ、閉経後の女性同様に処遇されたのです。いいかえるならば、ブギス社会では「男の生き方からドロップアウト」して、女性のカテゴリーに入ることを社会的に許容してきたのです。 また、ブギス社会では、ジェンダーが交替可能なものとして認識されています。いったんチャラバイとして認められた者が「男」にもどることも、逆に、いったん男性として成人した者がチャラバイになることも起こりうるのです。ジェンダーの交替は、社会的な認知にもとづいていて、そのために性転換手術といった外科的手段がとられることもありません。性自認を最優先する社会では、「性同一性障害」はないといってよいのです。ブギス社会では、身体的性と性自認とがズレを示したとしても、それは「病気」ではなく、むしろ「運命」の領域に属する事柄であり、あるがままに認めざるをえない存在なのです。 ブギス社会は、欧米や日本においては「医療」の対象となる身体的性と性自認のズレという問題について、そのズレを治療の対象として対処するのではなく、ズレをあるがままに認めたうえで、性自認を最優先させるという対処法をとっています。こうした対処法は、ブギス社会にのみ限られるわけではなく、東南アジア、さらにはポリネシアにも広汎に分布しています。さらにいえば、そうした対処法は、永い人間社会の歴史のなかではぐくまれてきた、性文化の所産ともいえるです。 (参考文献) |
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