ベルダーシュ(berdache)

 女装するシャーマンは決して珍しいものではなく、地球上のあちこちにみられました。ベーリング海峡流域の島に居住するアレウト族、コディアック族、チャクチ族などには、今世紀初めに同性愛者で女装するシャーマンが存在していたことが報告されています。彼等は髪を長く伸ばし女装し、政治・宗教の分野で力を発揮し、仲間から敬慕されていました。
 アフリカにも、いろいろな地域に存在していたが、そのなかでも南西部のアンボ族には「オセマンゲ」と呼ばれる女装のシャーマンがいました。バンデュ族とかクワニャマ族の間では、すべての呪医は男色者で、しかも女装していたといわれます。男色行為が認められないアンゴラのいくつかの部族社会においても、宗教的な儀礼の際に、恍惚状態になった者たちにより女装や同性愛行為が行なわれたという記録があります。
 なかでも、女装するシャーマン「ベルダーシュ」が多く存在していたのは、北アメリカ先住民(平原インディアン)のコミュニティです。シャーマンとしての役割を果たすという点では、インドのヒジュラにも似ていますが、去勢をおこなわないし、またヒジュラより安定した地位を持っていました。

 北アメリカ先住民の社会では、個人の性とジェンダーの問題としてベルダーシュであることを選択できて、それを許容する体制を備えていました。
 ベルダーシュのなかには呪医や呪術師の役割を果たす者もいますが、そのようなシャーマンであるなしにかかわらず、日常的に女装したまま女の領域の仕事をして生涯を性の中間者として暮らすことが、社会的な慣習として存在していました。
 ベルダーシュというとふつうは「インディアンの同性愛者」と考えられていますが、ベルダーシュがすべて同性愛者だとは限りません。そもそも北米先住民のあいだでは、男性同性愛はタブーではないので、男性を愛するためにベルダーシュになる必要はなかったのです。
 「部族の最高会議には必ず呼ばれ、彼らの助言なしには何事も決まらない」というほど高い地位にあったベルダーシュは、女になりきろうとするのではなく、独自の存在と役割を持っていたのです。
 また、「ベルダーシュ」という呼称は、男装を通しながら男たちと同じ仕事をする先住民の女性に対しても使われます。

 ベルダーシュというのはもともと“同性愛少年奴隷”というフランス語の語源をもつヨーロッパ系移民の言葉で、男色者に対して使われていました。アメリカ大陸にやってきたフランス人が、アメリカ先住民の男色者とか女装者に対してこの呼称を使うようになり、最終的に英語でberdasheという用語が普及したものです。
 北米先住民のあいだでは、部族によってその呼び名はいろいろで、そのあり方も種族、時代によって異なっています。(19世紀から20世紀初頭までの西欧は、同性愛を異常な行為と考え、社会的に抹殺すべき害毒としていました。とくにキリスト教宣教師が先住民社会に入ってきて、同性愛、女装/男装などを抑圧するようになると、ベルダーシュのあり方も大きく変化し、ベルダーシュの伝統はほとんど消滅してしまったといわれています)

 先住民のなかでも最大といわれるナバホ族には「ナドレ」と呼ばれる女装者で性の中間者がいました。ナバホの神話や伝説、あるいはナドレに関する記録からすると、ナドレは決して「女を真似る男」であったわけでなく、男女両性にまたがる両性具有的なイメージを持っていました。ナドレはナバホ神話のなかで男女のよき理解者であるとされ、実際に、夫婦の間でもめごとがあれば、ナドレがすぐに呼ばれその調停者になったのです。
 ナバホ社会においては、性による仕事の完全な分化により、男は狩猟・交易・戦以外に仕事がなく、女がそれ以外の一切の仕事を受けもっていました。女の仕事は、家事・農耕・子の養育・家畜の世話・工芸的な手仕事(革細工、寵作り、織物)などです。
 男はナドレとして生きることにより、女によって占有されている工芸などの美的な創造の領域に入り、ある面では他の男たちよりずっとクリエイティブに生きたのです。
 ナドレのなかには男色者もいましたが、男色が一般に認められているナバホ社会では、ナドレにならなくても同性愛者として生きることができ、同性愛者として生きるためにあえてナドレになる必要はなかったのです。
 ナドレは他の者たちから「彼/彼女」という双方の代名詞で呼ばれていて、ナバホ社会のなかでは、敢えてナドレの性別を決定する必要はなかったようです。

 アリゾナ州とカリフォルニア州のコロラド川沿いに居住していたモハーヴェ族は、部族のなかで名門と呼ばれる家族の者であれば、男であれ女であれ完全に異性として生涯を送ることを許す習慣がありました。女として生きる男は「アリハ」と呼ばれ、男と結婚して性生活では女を演じたばかりではなく、彼は大腿部を切って血を流すことにより「月経」を演じ、ぼろ切れを腹に巻いて妊娠の過程を装って、最後に「死産」するところまで演技してみせたといわれています。これはアリハである男と、アリハと結婚した男とのあいだでかなり慣習化した儀礼になっていたようです。
 また一方、「フワメ」と呼ばれる女のベルダーシュは「男」として生き、同性の女と結婚しました。
 「妻」が(他の男により)妊娠するようなことがあれば、フワメは「父権」を主張して子を認知しました。フワメはだいたいが働き者なので、女たちのなかには本物の男よりフワメと結婚したがる者もいそうです。
 フワメのなかにもシャーマンとして強力な権限をもつ者がいました。男装する女シャーマンも、女装する男のシャーマン同様存在したのです。

 クテナイ族は、米国北部のモンタナ州、アイダホ州、カナダのブリティッシュ・コロンビア州とその近隣に住んでいて、狩猟や漁拶をしていました。彼等の間では女装する男は「カパルケ・テク」(「女を真似る」の意)と呼ばれていました。

 現在でもベルダーシュの伝統がわずかに残るラコタ族やス一族の間では、ベルダーシュは「ウィンクテ」と呼ばれます。
 ウィンクテは、キリスト教会あるいは州政府などの政策の圧力で減少したり、かなりの生活様式の変化(たとえば女装をやめて男装にするなど)を強いられてきましたが、ラコタ族はウィンクテとともに生きる伝統を現在でも残しています。
 ウィンクテは、部族社会のシャーマン、呪医、名づけ親、老人や子供の世話役、人々の助言者として尊敬される存在です。
 ウィンクテになる者はかなり小さい時から自分のセクシュアリティを自覚し、誰から強制されることもなく、自分が選択でウィンクテとして生きました。途中でウィンクテであることをやめることもできました。これは、彼らの社会では、ジェンダーが押しつけられることなく男性性と女性性を往き来できたことを物語っています。

(参考文献)
  石井達朗著「異装のセクシャリティ」新宿書房
  渡辺恒夫著「トランス・ジェンダーの文化―異世界へ越境する知」勁草書房

    

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