ヒジュラ

 日本では、歌舞伎を始めとする伝統芸能、民俗芸能など舞台の虚構の世界、祭事などの約束事の世界では、かなり豊かな異性装の伝統がありますが、社会的な制度や慣習のひとつとしての日常的なレベルでの女装に対しては、タブー感が働きます。しかし、世界の国の中には、普段の生活のなかで女装が認められる社会があります。

◆ヒジュラとは

 インドでは、古来ヒジュラというアウト・カーストが認められています。ヒジュラは、現在もインド国内をはじめとしてパキスタンやバングラデシュなどのインド文化圏に存在しています。その数は何万とも何十万とも言われています。
 ヒジュラとは、ウルドゥー語で「半陰陽、両性具有者」を意味します。つまり、ヒジュラは女性器と男性器を併せ持った存在とされており、カースト制度から外れた特異な存在です。もともとは、子供の誕生や婚礼の祝いの場によばれ、歌や踊りで祝福するシャーマン的な芸能者であったといいます。バラモンとヒジュラは、同等の職能を持っていたようですが、バラモンは、低カーストの者から食物の寄進を受けることができないのに対し、ヒジュラは、それを受け取ることができました。

 ヒジュラは先天的な半陰陽者であると自らは主張しますが、実際にはヒジュラとしての自覚を持った者が去勢してなるケースがほとんどです。
 インドには、「インド人の家庭に半陰陽の子どもが生まれると、ヒジュラがやってきて子どもを譲り受け、その子はヒジュラとして育てられる」という話が伝わっていますが、実際は、男の子として生まれながら、ある時期に自分はヒジュラであるということを自覚し家を出て、ヒジュラの集団に身を投じ、そしてそこで男性器を切断する手術を受けてヒジュラになり、死ぬまでヒジュラの集団を自分の家族として生きるのだそうです。
 インドはカースト身分制の厳しい国で、もともとどんな身分であったとしても、ヒジュラとなれば、出身カーストからも家族からも離れ、ヒジュラというカースト外の存在として生きていかなければならないようです。

 ヒジュラたちは、伝統的な仕事を行う場合には必ず女装しなければいけません。髪を長くのばし、さまざまなアクセサリーを身につけ、入念な化粧を施します。美しくなろうとする彼らの情熱は女性よりも強いものがあるといっていいでしょう。ヒジュラたちは、グルと呼ばれるリーダーのもとに、何人かのチェーラー(弟子)が集まり一般的に3人から15人で共同生活を送っていますが、ヒジュラのコミュニティではグルから女性の名前をもらい、おたがいにシスターと呼び合って女性のように振る舞っています。
 しかし、ヒジュラは決して自分たちのことを女性であるとは主張しません。周りの社会が彼らを女だとはみなしていないだけでなく、彼ら自身も自分たちを女だとは認識していないということです。女性のように生活することは彼らにとって去勢と同様に、生まれ持った男性という性を放棄するための象徴的な行為であって、女性そのものになろうとしているわけではないのです。つまり、彼らは男性というジェンダーから女性というジェンダーに移行するのではなく、あくまでも“ヒジュラという第3のジェンダー”に移行するのです。

◇ヒジュラの役割

 インドはとても広くて多様な文化を抱えており、ヒジュラも同様に地域によってかなり多様ですが、どの地域でも、ヒジュラには人を呪ったり、幸福をもたらしたりといった超自然的な力が備わっていると信じられ、男でも女でもない、独特の役割や仕事が与えられているようです。

 北インド・グジャラートのバフチャラ寺院には、神に仕えるヒジュラがいます。バフチャラ神は子どもの守護・育成や多産を司る女神で、人々は、わが子がある年齢に達すると子どもを連れてこの寺院に詣でます。また、この寺院はヒジュラの聖地でもあって、去勢を終えたヒジュラは、ここで祝福を受けることによって、その力が完全なものになるといわれています。
 また、南インド、タミルナドゥ州のアラバン寺院には"ヒジュラの結婚"という祭りがあります。「マハーバーラタ」の中に、タンダーバ国において男であるクリシュナがモヒニという女性となって地上に出現し、アラバン王子と結婚する話があり、ヒジュラたちは、このモヒニに自分自身を投影し、アラバン神と"結婚"するというものです。
 デリーでもヒジュラは宗教的な祭礼には欠かすことのできない、重要な役割を果たし、安定した収入を得ています。ここには大勢のヒジュラを従えた富豪のヒジュラもいますし、美貌のダンサー・歌手として、スーパースターとなっているヒジュラもいます。
 また、ラジャスタンでは、ヒジュラはまったく聖なる存在として人々から崇められています。ヒンドゥーのお祭りであるプシュカール・フェアには、毎年30万人もの巡礼者でにぎわいます。そこでヒジュラたちは2、3人のグループに分かれて人々に祝福を与えに回るのです。
 しかし一方、カルカッタやニュー・デリーでは、ヒジュラはインド社会でもっとも卑しいとされている売春を主な収入としてして、不浄の存在として、石を投げられ軽蔑の的となっています。

◆ヒジュラの分類

 文化的には、二つのヒジュラが存在します。

1 回教徒のグルーに従う者。彼らは心情的には、パキスタンのラホールの町に帰属する。多くは大都会、それもムガール帝国時代に栄えた町、アグラ、デリー、ラクノウなどに住んでいる。芸人的性格が強い。ヒンドウー出身者も多く含まれる。これをスジャニと呼ぶ。
2 古いヒンドウー社会に生きる者。彼らは田舎の村や小都市に多い。回教徒はいない。スジャニより貧しい場合が多い。宗教的性格が強い。これをライと呼ぶ。古来、超能力で知られたヒジュラは、すべてライである。

 次に形態的、肉体的には、三種のヒジュラが存在します。

1.チブラ。半陰陽、不能者、去勢した者、その他一切の性的に不完全である者。先天的であるか、後天的であるかは問わない。彼らがヒジュラ社会の核である。狭義のヒジュラ(性なき者)はチブラをさす。
2.アクワ。女装してはいるが、去勢していない者。アクワからチブラヘ移行するケースが多い。彼らが人数では圧倒的に多い。チブラの周辺を形成する。チブラと共に生活し、仕事をする。
3.クルクルムンディ。男装のままで女性のように振舞う者。クルクルムンディとは「頭に布を巻く」の意味で、彼らはタオルを、鉢巻きのように巻いている。アクワにもチブラにもならない。ときどき仕事はいっしよにする。楽器を演奏する者が多い。一種のホモセクシャルと考えていい。

◆ヒジュラの去勢

 ヒジュラにとって去勢するということは、単に生殖器を切り取って男性を放棄するという意味を超えた、一種の通過儀礼です。つまり、去勢することによりヒジュラとして再生し、ヒジュラとしての力を得、また、ヒジュラ社会へのイニシエーションとして位置づけられます。
 ヒジュラたちは去勢手術をニルヴァンと呼んでいます。ニルヴァンとは人間の意識からの解放を意味し、ヒンドゥーの聖典ではこの状態をニルヴァーナ、つまり第二の誕生や、知恵の目が開くこと、あるいは再生と解釈されています。

 理想的な手術は、ダイ・マ(産婆)と呼ばれるヒジュラによって行われるものです。ダイ・マの手を経て、以前の男性は死に、聖なる力(シャクティ=性の力)を授けられた新しい人物、すなわちヒジュラが誕生するのです。
 ダイ・マは医学的な訓練を積んだものである必要はなく、手術の正否はマータ(母神)の力によっるものと信じられています。このときに流れる血液は“男性の一部”であるとしてあえて止血の方法はとらず、自然に止まるに任せるといいます。ときとして生命の危険にさらされることもあるこの手術は、現在では非合法とされていますが、ヒジュラのいるところならどこででも秘密裏に行われているそうです。

 この去勢儀礼は三段階に分かれています。

第一段階は準備期間。
 これから手術を受けて本当のヒジュラとなる者が、これまでの生活から隔離され、去勢手術への願望が一過性のものか、あるいは長期にわたる強い意志に裏打ちされたものであるかどうかが判断されます。
 まず手術に先立って、ダイ・マと依頼主のヒジュラはプジャ(儀礼)を行い、マータの祝福を求めます。手術の日程が決定すると、依頼主のヒジュラは数日から一か月間隔離され、心を平静に保ち、日常的な煩瑣な行為や必要なことは他のヒジュラが引き受けます。

第二段階は、手術から回復までの期間。
 男性でもなく、マータの力も授かっていない中間の時期に当たります。
 手術は真夜中から早朝の三時ごろにかけて行われます。これはインドの結婚式のセレモニーの行われる時間帯と同じです。手術を受けるヒジュラの体からは衣服や装飾品が取り外され、その後沐浴をします。ペニスと陰嚢を堅く縛り、ダイ・マがナイフで素早く切り取ります。このとき尿道がふさがらないように細い棒やパイプが差し込まれます。
 止血を施さないために、ときには命を失うケースもあったにちがいない。しかし、切断後は切り口を縫合する処置は施されません。細菌の感染を防止するために熱いオイルを塗り、あとは自然の治癒力に任せるのです。手術を体験したヒジュラたちは、皆一様に、自分たちの命はバフチャラ・マータの聖なる力によって守られており、痛みは少ないのだといいいます。そして、産後の女性のように手術後四十日間の回復期が用意されます。

第三段階では、華やかなセレモニーのなかで、ヒジュラは本物のヒジュラとなります。
 男性器は切り除かれ、マータの力によってヒジュラは再生するのです。
 手術後四十日目、ヒジュラ・コミュニティーへの再加入のためのゴード・バライという儀礼が行われます。花嫁のように新しい衣服を着て、髪をきれいに左右に分けてマリーゴールドの花で飾りつけます。バフチャラ・マータを呼び出してプジャを行い、これが終了するとパッカー・ヒジュラ(真のヒジュラ)として生まれ変わるのです。
 そして、バフチャラ寺院に参詣し、境内にいるヒジュラに祝福されて初めて、マータの聖なる力が確実に芽生えるのです。

(参考文献) 
 セレナ・ナンダ著、蔦森樹+カマル・シン訳『ヒジュラ―男でも女でもなく』(青土社)
 石川武志著『ヒジュラ―インド第三の性』(青弓社)

    

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