日本の祭り9

 祇園祭

 祇園祭は、旧暦六月に行われていたものですが、春と秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型祭礼に対して、天王祭と同様、夏や梅雨時に流行する疫病を振り祓う祭礼です。

 祇園祭の起源は古く、平安時代のはじめ頃、都に疫病が流行して多くの人が死に、この原因は政治的に失脚し処刑された者の怨みによる崇りであろうと考えられました。怨霊のことを御霊といい、これを退散させる祭りを御霊会(ごりょうえ)と称して、貞観5年(863)に崇道天皇(早良親王)ら六所の御霊を祭ったことが「三代実録」に記されています。
祇園社の名ではっきり記されているのは「祇園社本縁録」で、貞観11年(869)6月7日のことです。悪疫を鎮めるために、ト部日良麿が日本全国五畿七道六十六ケ国の数に応じた66本の鉾を神泉苑に立てて牛頭天王をまつり、祇園社から御輿を送って災厄除去を祈ったと伝えられ、これが祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)の始まりだったといわれています。

1)祇園祭

 京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社
 八坂神社ホームページ
 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/

 約1150年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
 古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京をはじめ各地に疫病が流行したとき、神泉苑に当時の国数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立てて祇園の神を祭り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
 祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。

 祇園祭の神事で重要な役割を担うのが、神の使いとされる稚児で、江戸中期までは船鉾以外の全ての鉾に乗っていましたが、いま生稚児(いきちご)が乗るのは長刀鉾だけで、他は童形が祀られます。
 長刀鉾の稚児は、6月に市内の10歳前後の少年から選ばれ、長刀鉾町の仮養子になります。この日稚児は蝶とんぼの冠に金の立烏帽子を重ね、狩衣・差貫姿で従者を従え、白馬に乗って八坂神社に詣でます。神社では、「お位もらい」の儀が行われ、五位の少将、十万石の大名の資格が稚児に授けられます。稚児はこの日を境に「神の使い」とされ、地を踏まず、強力(ごうりき)さんの肩に乗って移動するなど厳粛な日々を送ります。

2)祇園祭

 愛知県西尾市伊文町 伊文神社 7月16日に近い土曜日/日曜日
 西尾市役所ホームページ
 http://www.city.nishio.aichi.jp/
http://www.katch.ne.jp/~ibun/gionmaturi.html

 二日間に渡る神輿の渡御を中心にし、商家の集まる六町内が、各々獅子舞・大名行列・屋形を出して、手踊等の神賑わいを神社と御旅所に奉納し、街中を練り歩きます。
 もともとは、6月16日(旧暦)に斎行され、神輿の行列の先方を、太鼓を打ち、笛を吹き、神楽歌を歌う一団が進み、次に、お白粉を塗り髪を垂らして女服を着た女装の神官が牛に乗って神輿を先導し、後続には、短冊を付けた笹を手に持って「サンヤレ、サンヤレ」と囃して行列を作り、郊外まで出て行きます。そこで鬼を祓う式を行った後、西尾城内の御劔八幡宮(御旅所)に渡り、折り返し遷御していました。
 祭りの中心となる神輿は、天正19年(1591)より始まり、それ以前の神幸は、神馬の背に御幣を立てての渡御でした。
渡御の途中の神輿の下をくぐり抜けて災厄を祓ったり、行列に付く真榊の枝を持ち帰り、軒先にぶら下げて家に災厄(疫病)が入りこまぬようお守りにしたりします。

3)七尾祇園祭(東のおすずみ)

 石川県七尾市山王町 大地主神社(旧山王神社) 7月第2土曜日(原則)
 七尾市役所ホームページ
 http://www.city.nanao.lg.jp/
http://www.hot-ishikawa.jp/page/kiriko/

 祇園信仰が興隆の平安時代、京都祇園を能登に勧進し、七尾で祇園会を行ったのが起源です。「東の奉燈」「東のおすずみ」とも呼ばれていたが、いつしか「夏の火祭り」として盛大に執り行われるようになりました。
 氏子12町から20基程の奉燈(キリコ)が担ぎ出され、午後8時頃、湊町の仮宮前広場で乱舞した後、大地主神社へと進みます。 そして午後11時頃、大地主神社の境内で、せましと乱舞します。
奉燈に乗る少年たちは、女装しなければならないとは決まっていませんが、従来から行われている習慣が踏襲されています。昭和初期(戦前)までは、かつぎ手の若衆もそれぞれ仮装を凝し、なかには女装するものもあったそうです。

4)お札(ふだ)まき

 横浜市戸塚区戸塚町4289 八坂神社 毎年7月14日
 横浜市戸塚区のホームページ
 http://www.city.yokohama.jp/me/totsuka/shashinkan/fuukei15.html

 通称お天王さまと呼ばれている戸塚町の八坂神社で行われる、「お札まき」は、300年以上の歴史を持つ祭りです。

 島田髷(しまだまげ)のかつらをかぶり女装した十数人の男性(昔はその年の新婚男性)が、たすきかけ、着物の裾をたぐり上げて翁面をつけて音頭にあわせて唄を歌いながら町内を練り歩き、一節歌い終わる度に「正一位八坂神社御守護」と摺られた五色(青、赤、黄、緑、白)の札をうちわであおって天に舞わせるものです。

  八坂神社は元亀2年(1572)にできた古い神社で以前は「牛頭天王社」と呼ばれており、風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」という文句があることから、祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除けの行事であることがわかります。
 この札を家の戸口や神棚に貼ると厄除けになると伝えられ、人々はこの札を拾い集め、家へ持ち帰ります。
 お札まきは元禄年間(1688〜1704)に始まったとされ、江戸中期、江戸や大阪でも盛んに行われていましたが、やがて消滅してしまい、現在では戸塚だけに残され、横浜市指定無形文化財に指定されています。なんだか江戸末期のおかげ参りを連想させるようなお祭りです。

    

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