日本の祭り4

春駒(

1)春駒

  群馬県利根郡川場村門前地区 吉祥寺 2月11日
  川場村ホームページ
  http://www.vill.kawaba.gunma.jp/ 

 吉祥寺境内にある養蚕の守護神「金甲稲荷神社」の祭日に行われ、春駒保存会の若者(男性8名)が、おとう・おっかあ・娘(踊り子)に扮し、2組に分かれ歌と踊りを披露しながら、門前地区の家々を廻り、家内安全と五穀豊穣を祈願するお祭りです。
 昔は、養蚕の繁栄を願ってその年の最初の初午の日に、一戸一戸回って踊ったものですが、現在は、2月11日に行われています。
 平成11年に県重要無形民族文化財の指定を受けました。

2)春駒

  新潟県上越市三和区岡田地区 風巻神社 8月20日
  上越市三和区総合事務所ホームページ/三和区紹介/文化財/春駒
  http://www.city.joetsu.niigata.jp/sanwa/bunka.html

 左右の男性2人がささらでうちわ太鼓を打ち、真ん中の女装の男性がこま頭を持って、三味線と太鼓のテンポのよい唄に乗って踊ります。
 昔は集落内の婚礼の席で披露されていましたが、現在は8月20日に行われる風巻神社大祭の時に奉納されます。昭和59年に文化財指定を受けています。

3)春駒踊り

  新潟県妙高市宮内241 斐太神社 3月3日

 斐太神社で、毎年3月3日に行われる「鎮火祭」の終了後に直会で披露されるのが、春駒踊りです。この「鎮火祭」は、平安末期から伝わる火を鎮める祭りで、いわゆる火祭りと違い、火はいっさい使いません。近隣の集落から集まったに人々が、消火に欠かせない四つの道具(竹で作ったひしゃくとおけ、水、水草、ぬれた土)を奉納し、その後近くの川まで運び、水の神にこれらの供物を捧げて1年間の無火災を祈ります。
 その後直会(なおらい)では供えられた鯛を「こつ酒」にし、謡曲「高砂」に合わせて回し飲み、興が回った頃、蚕の一生を歌った唄にあわせて、男装した女性と、女装した男性が嫁・婿・姑の姿で面白おかしく「春駒」を舞います。
 この踊りは、江戸時代に京都東本願寺が火災で焼失し、再建のために全国から多くの人が上京し、そのとき、尾張や伊勢などの人たちの踊りを覚えて持ち帰ったものと伝えられています。

4)蚕舞い(カーゴマー)

  鹿児島県熊毛郡南種子町平山地区 1月14〜15日
  南種子町ホームページ/文化財探訪/1998年2月蚕舞
  http://www14.synapse.ne.jp/minamita/

 南種子町の伝統行事で、女装した若者が各戸を訪問して舞を披露するというものです。かつては養蚕が盛んになるようにと種子島の島主が奨励して行わせたものといわれ、家内繁栄と豊年満作を祝う行事として伝承保存されています。
 若者が白頭巾、白足袋で女装して各戸を訪問してまわります。
 女装の若者をヨメ女といい、蚕の化身です。ヨメ女はゲーマという道化役を従えて踊ります。
 玄関先で、太鼓やかねを打ち鳴らしながら「お祝い申すよ」「これから申すよ、門から申すよ」と合唱。ヨメ女は、座敷に上がり、鴨居にさしてある団子(柳の木に繭を模して紅白の餅をさしたもの)をとって担い、扇子をもって舞います。歌は蚕の成長過程を叙事歌の形で伝えるものです。
 県無形民俗文化財に指定されています。


※ 春駒

 本来は、お蚕の豊作を祈る意味で、初午や正月に行われていたものです。
 昔は、馬と蚕どちらも民家の中で家族同様に大切に扱われていましたので、その年の豊饒を願う気持ちから、一体化したものかと思われます。
 東北地方のオシラサマ信仰は、典型的なもので、蚕(かいこ)の神とか眼の神、子供の神、農耕の神といわれます。
 春駒踊りでの女装は、門付け芸人の女形の流れを汲むものが多く、しっかりとした女装が多いようです。

  遠野物語(六十九話 オシラサマ伝説)

昔ある処に貧しき娘あり。
妻はなくて美しき娘あり。
また一匹の馬を養ふ。
娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦に成れり。
ある夜父此事を知りて、其次の日娘に知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。
その夜娘は馬の居らぬより父にたずねてこの事をしり、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて泣きゐたしを、父は之を悪みて斧を以て馬の首を切り落せしに、忽ち娘はその首に乗りたるまま天に昇りて去れり。
オシラサマと云うはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝(桑は、蚕の象徴です)にてその神の像をつくる。

    

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