ハヤマ信仰

 東国、なかでも奥羽に多くみられる信仰です。このハヤマは、麓山・葉山・端山、羽山などの字が当てられ、本山(奥山)に対する端山という意味のほかに、この世とあの世の「はじ・端」という意味でもあったと言われ、またの名を「仏山」と呼ばれて、祖霊信仰の対象となっています。

 縄文の昔から、死によって肉体は滅んでも霊魂は決して滅ぶことなく人の死後、肉体をさった霊魂は、山に昇り子孫を見守ってくれるものと信じられてきました。
 祖先の霊は年月を経る事によってやがて神になり、その神が里の子孫の暮らしを守る事から「作神信仰」となり、農作神とりわけて稲作の信仰を集めることになったといわれています。

 各地に残るハヤマ信仰を最もよく伝える行事に福島市松川町、黒沼神社の「金沢の羽山ごもり」があります。女人禁制の神事で、厳重な禊斎を重ねたというこの信仰は、出羽三山の修験信仰とも結びついて、きわめて山岳信仰の色濃いものとして伝承されてきたとされています。また、五穀豊穣と無病息災を祈願して古くから行われているもので、稲の作況を予祝する「田遊び」の素型を伝える貴重な行事とされています。

 毎年旧暦の11月16日から18日まで、麓の黒沿神社の籠り屋で、女人禁制で、厳格に水垢離をとり、精進料理を食べ、祭が執行されます。
 16日はハヤマ神に供える餅つきの儀「お峰つき」と、よいさあのかけ声で代かきや苗打ちをする儀「よいさあ」の行事、17日は悪魔払いや家内安全を祈祷する「小宮まいり」の儀が行われ、18日の最後の日には、早朝に御山と称するハヤマに登る「お山かけ」の行事が行われます。山頂では先達と称される神社の宮司が神降ろしを行い、ノリワラという男性に神を憑依させて、稲作の豊凶をはじめ、五穀、天候、災害、火難など23項目にわたる託宣を得ます。
 この内容が村人にとっての一年間の生き方の指針になるのです。

 行事の参加者はすべて村人で、参加回数によって役を与えられます。最初の一年目から4年間はコソウと呼ばれ、一種の見習いで、幹部はカシキと呼ばれて託宣で選ばれます。行事の主宰者は先達とノリワラですが、中心になって事をすすめるのはカシキのうちから選ばれたオガッカアです。
 行事は女人禁制ですが、役職名には女性名が付けられていて、オガッカアの補佐はヨメ、後見役はバッパアといわれ、翌年か翌々年にオガッカアになる予定の者がワカオッカァとしてつく場合もあります。任期はすべて二年で、毎年行事が終了するとヨメトリと称して、神が下す託宣によって新たにヨメを決定します。

 それぞれ役が決まっていて、オガッカアが行事の主役となります。オガッカアは御山に登る時にハヤマ様の御神体を持って登り、ヨイサアという田遊びで、代掻きや田植えの所作をして農耕の予祝をする時には人が扮する神馬に乗ります。山に持っていく餅をつく時は、オガッカアがつき始め、ワカオッカアが相取りをし、ヨメがかえして、バッパアが太鼓役になるというように、家族の成員になぞらえて事が進んでいきます。

 「ケガレ」の「ケ」は日常性を象徴的に表す言葉で、穀物、特に稲の霊力や生気ある力、「気」でもあります。「ケガレ」は、穀物の生長が弱まり、生命力も衰退する「ケ」が枯れた状態といわれます。この状態から活力を取り戻すのが、「ハレ」としての非日常の「マツリ」なのです。

 女人禁制として女性を排除した儀礼の場であるにもかかわらず、あえて女性名を使うのは、非日常性を象徴し、強調することになります。
 女装こそしていませんが、お互いに女性名で呼びあい食事の準備から掃除まで一切の生活を男性が仕切って、日常生活の様相を女性の立場に立って体験するという性の越境を通じて、日常を越えた世界を具現化するのです。また、男性でありながら女性名を持つという一時的な両性具有者になることで、境界を越え神と人の間に立つ巫女のような「依りしろ」(媒介者)としての機能も強化されるのでしょう。

 山岳信仰の女人禁制は、一般には女性差別と混同されがちですが、一方的に女性を拒否しているわけではなくて、女性原理を内包しているものなのです。

    

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