不二道

 江戸時代、男に対する女の優位と尊重を説き、記録上初めての富士山女人登頂を行った宗教組織がありました。

 「富士講」は、原始・古代以来の富士山信仰を背景に、江戸時代に成立し、全国的に盛んになった民間宗教です。

 戦国時代の行者角行藤仏(かくぎょうとうぶつ)が開祖とされますが、江戸時代中頃の享保18年(1733)、食行身禄(じきぎょうみろく)という行者が、当時の政治体制を批判し、富士山で断食入定(にゅうじょう)したことをきっかけに爆発的な富士講ブームが起こりました。そして、江戸時代の後半には、江戸を中心に「富士講八百八講」と呼ばれるほどの隆盛を極めました。
 この食行の後継者はいくつかの道統に分かれましたが、その一つが小谷三志に受け継がれ、「不二道」という宗教組織が創始されました。
 当時の富士講の活動は、形式的な富士登山や線香をたいて吉凶を占ったり、病気治しを行う、現世利益的な加持祈祷を中心とするものでしたが、小谷三志は、加持祈祷を廃し、食行の教理を体系化し思想ではなく生活の実践として改革した富士講中興の祖といわれています。弟子には、公家・武士から農民、職人、町人など、あらゆる身分階層の人々が含まれ、その数は5万人ともいわれています。また、三志の教えは、二宮尊徳の報徳思想にも影響を与えています。

 この教理の中心は、理想世「みろくの御世」の到来です。

 食行によれば、この世界の寿命は、48000年余りとされ、「元のちちはは様の世」「神代」「みろくの御世」の三つの世から成り立っています。
 「元のちちはは様の世」とは、元の父母(造物主)が支配する世で、この世ができてから日本の国ができるまでの6000年、「神代」は、元の父母に支配を委ねられた天照大神の世で、元禄元年までの12000年、「みろくの御世」は元の父母の御子である仙元大菩薩が支配する世で、元禄元年以降この世が続くかぎりで、30000年とされています。

 「元のちちはは様の世」では、元の父母から生まれた男女5人ずつを祖として、人間が増え地上に拡がって「なんばの京」が創建されます。この世は、元の父母の庇護の下にあって善悪未分の世です。
 次に「神代」になると、諸神仏が作られ、神仏に依存して利益を願う「影願(かげねがい)」の世となります。人間が自立したものの、悪に傾く世です。
 食行は、この影願のことを「もともと人間の禍福は自らの行為の結果にほかならないが、神仏に依存する心があるために自分の身を反省しない。その祈願の内容は人のものをただとるような利己主義的で不正なものである。また、その態度は現前の利益のみを追及する刹那的なものである。このような影願の心のため、人々は地道な努力を放棄し、悪に陥っている」と批判しました。
 元の父母の御子である仙元大菩薩が支配する「みろくの御世」では、心身を正しく充足した状態になるように各人が主体的に努力する「御直願(おじきねがい)」の心でつとめ、心を本来の状態にすれば誰でも「みろくぼさつ」となれると説いています。つまり、人間が主体性を保ち善に向かう世です。

 この食行の教理には、陰陽の理論が付け加えられて、不二道へと流れていきました。特に、男女の和合については、興味深い教えが説かれています。
 まず、この世の運行と生成を陰と陽の相互作用によるものと捉えます。陽は五行の火にあたり、「開く」「上る」「男性」などを意味し、陰は水にあたり「結ぶ」「下る」「女性」などを意味し、この陰と陽の均衡の変化は、気候、男女関係、さらに人の心の持ち方の上に現れるとしました。

 「元のちちはは様の世」では、陽と陰を体現する元の父母は直接的に合体しており、陰陽の調和、男女の和合が保たれていました。
 次に「神代」になると、本来、陰陽の間には優劣がないはずであるのに、陽が尊ばれ、陰が卑しめられ、その状態が続けば、陽はますます上になって大陽となり、陰はますます下にされて大陰となり、それぞれ猛火と洪水を引き起こし、世界は泥の海となってすべての生物は命を失うとされました。その世界滅亡の日が、元禄元年6月15日に予定されていたのです。
 ところが、この破局は実際に起こりませんでした。それは、天、すなわち仙元大菩薩が万物を憐れみ、「女綱・男綱(陰・陽)」を繋ぎ直したためだと説かれます。この時点で、陰陽の新しい調和がもたらされ「ふりかわり」が行われ「神代」が終わったとされるのです。
 しかし「みろくの御世」となっても、世の幸せが達成されなかったのは、人々の「御鏡」が曇っているからだと言います。世の中を実際に「みろくの御世」に変革するのは、「天」の一部である「気」を心の中に持っている「身ろくぼさつ」である人々自身なのです。神仏や為政者にたよらず、自らが生活者として公益心と相互扶助をふまえ、日々の勤労を実践する「身ろくぼさつ」に徹するという生き方が説かれています。

 また、「みろくの御世」となって、陰陽の差は縮小され「小陰小陽」となったのですが、不二道の創始者、小谷三志は、さらに、これまで卑しめられてきた陰を陽より尊重し、陰陽の価値を逆転させ「万物陰がさきなり」と説きました。
 下がる性質を持つ陰を上に、上る性質を持つ陽を下に置くことによって、それぞれの気が融和し、新たな陰陽の調和がなるとしました。
 「みろくの御世」では、「人と人まさりおとりのなき世」と成り、男女のあり方も変わり、従来卑しめられてきた女を男より上位におくことによって、男女両性の和合が成り、男女の服装や態度も入れ替わると説いたのです。

「みろくのみよを守んせて
 とつきのみちをあらためて
 女が上に下男
 おんなのしょうは水なれば
 下へながるるものぞかし
 男は火にてのぼるもの
 ふりかわりなばいだき合い
 これむつましきたねつくり……」

「ふりかわるおしえの道がなかりせば
 みろくのみよをたがしらん
 女が男のふりをして
 前髪とってなかをすり
 男のように髪ゆうて
 咄(はなし)じまんでかごをかき
 こんのももひきこんきゃはん
 わりふんどしでしりからげ
 遠人からなるおんかたは
 はかまをはいて一腰で
 男がふり袖きこなして
 姿はほっそり柳ごし
 女はそれにひきかえて
 むねをたくってあけひろげ
 じばんのえりまでぬき出して
 男まさりの口上で
 はずかしそうはさらになし
 おんながだんなになりました
 是は全くふりかわり
 双方これをしるならば
 むつまじくになりまする」

(不二道孝心講詠歌和讃集より)

参考文献 宮崎ふみ子「不二道の歴史観」季刊現代宗教2号

    

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