日本の祭り12

稚児舞

 古来、神霊を敬い、五穀豊穣・悪魔払いなどを祈って神前で舞が舞われてきました。
 雅楽を伴う舞、舞楽は、古く飛鳥時代に遡ることができます。律令国家の整えられる中で舞楽は治部省に置かれた雅楽寮において管理・調習され、歌師・舞師・笛師などの楽人が置かれ、楽名・楽曲・楽理論が整えられました。
 平安時代には、舞楽は朝廷の行事と密接にかかわっていましたが、南北朝時代、古代国家の解体により宮中雅楽や舞楽は衰微していきました。

 一方、宮廷舞楽とは別に、奈良時代から平安時代にかけて興福寺・薬師寺・東大寺など南都の楽所と大阪四天王寺楽所の両所が興隆しました。特に四天王寺楽所の舞楽は民衆とつながり、鎌倉時代には、地方の農村へも伝えられ、地方の民衆芸能と融合していきました。さらに応仁の乱を契機に都の文化が地方に流れ、やがて地方の文化のひとつとして稚児舞が花ひらいたのです。

 稚児舞は、舞楽・能楽・人形芝居・歌舞伎等地方に伝播し民間に伝えられ民俗化して定着し伝承されてきた民間芸能の中のひとつです。
 稚児舞は、東北・北陸・中部地方に多く伝承されていますが、特に越中から越後(山形県、新潟県、富山県)にかけての民間芸能は、稚児舞の型で伝承され、新潟県と富山県には特に稚児舞楽が多いといわれています。
 山形県、新潟県や富山県に伝承されている稚児舞は、越前系の伎楽の流れを素地として、上方系の舞楽がさらに修験神楽の影響を受けながら山伏信仰との関わりの中で伝播し、伝承されて来たものと考えられています。多くの稚児舞は修験の社寺で行われ、山門衆徒達が一山を褒め、寺社の守護神をたたえ、民衆の千秋万歳を祈って奉納されたものです。

 この稚児舞が、他の民間芸能と異なるのは、稚児という成年式・成女式を行う前の、年齢的には5、6歳〜14、15歳までの少年少女が舞手であるということです。
 子供は大人と違って、まだ世の中の汚れを吸収していない清浄な魂の持ち主とみなされ、神霊が宿りやすく、或いは神霊そのものであったのです。日本では、古くから神は童児の姿をしているという観念があり、さらに童児が神霊の依代や奉仕者でもあるということで、童児自身も信仰の対象となっていきました。そのため、祭礼当日、化粧し、美麗な衣装を着ていわゆる「お稚児さん」となり神に奉仕したり、舞を舞ったりしたのです。
 稚児が清浄な魂の持ち主であるためにはそれなりの禁忌の所作が必要で、稚児は大人の肩車にのって舞台入りし、芸能が終了するまで土を踏まないとか、魚肉を食べないなど精進潔斎をしたりします。

1 天津神社の舞楽(けんか祭り)

  新潟県糸魚川市一の宮1−3−34 天津神社 4月10〜11日
  糸魚川市役所ホームページ/観光/見る/お祭り
  http://www.city.itoigawa.niigata.jp/

 稚児を中心とした舞楽を奏演する春の大祭が4月に行われ、「けんか祭り」「糸魚川祭り」「十日の祭り」などと呼ばれ親しまれています。

 この祭りでは、押上地区と寺町地区の男神輿(ミカド・一の神輿)と女神輿(キサキ・二の神輿)が境内を渡御します。
 4月10日は朝から大人数が集まり、昼近くに、舞台で神事を行い、お練りという行列をつくって境内を巡幸します。担ぎ手だけでなくトリジ、獅子頭、錫杖を持った金棒引等、そして肩車をされた稚児も行列に加わります。露払い男神のかつらの色は茶褐色、女神は黒で、それぞれに男面、女面をかぶっていますが、男神が女面、女神が男面を付けています。昔、露払いが間違って面を付けて祭りを行ったらその年は、大豊作大豊漁で、翌年元通りにしたら、大凶作大不漁となったところから、それ以来かけちがえたままにしているとのことです。
 稚児が舞台に入り、押上、寺町の青竹がそれぞれの桟敷に運ばれ取り付けられると、いよいよ押し合い、もみ合いの「喧嘩(けんか)御輿」になります。神輿のぶつかり合いは、男女神の神婚を意味し、五穀豊穰、大漁、子孫繁栄を表すそうで、押上が勝つと豊漁、寺町が勝つと豊作だそうです。

 その後、境内は「けんか祭り」の「動」から、舞台上の「舞楽」の「静」の空間へと変わっていきます。
 舞楽は、石舞台で奏演されます。舞楽については、大阪四天王寺の舞楽を習得したという口伝があります。昔は屋根付きの舞台でしたが、現在は屋根無しで、四方に四神を置くなど、本格的な舞楽舞台になっています。

 1日目(4月10日)はとにかくきらびやかな衣装です。いわゆる「舞楽衣装」や「舞楽面」を仕立てたようです。2日目(4月11日)は神事や御輿はなく、舞楽のみの奏演になります(雨天の場合は中止)。

2 明日(あけび)の稚児舞

  富山県下新川郡宇奈月町明日836 法福寺 4月18日
  宇奈月町役場ホームページ
  http://www.town.unazuki.toyama.jp/machiyakuba/madoguchi/tebiki/3702.html

 明日(あけび)の稚児舞は、毎年4 月18 日の真言宗法福寺の観音会に奉納されるものです。

 この稚児舞は、法福寺本堂の前庭中央に舞台をつくり、氏子の中から選ばれた10才〜14才までの4人の男児が、午後1時半から約2時間近く舞います。大稚児2人、小稚児2人は、昭和初年までは檀家の長男に限っていましたが、現在は明日の村の男子から選ぶことになっています。

 稚児は、縁者が肩車にのせて観音堂から舞台へ運ばれます。この間観音堂では、僧侶が舞台の方向を向いて大般若経を読経します。
 舞は矛の舞(大稚児2人)大平楽(稚児4人)臨河の舞(稚児4人)万歳楽(稚児4人)千秋楽(稚児4人)の五曲が順に奉納されます。

 法福寺の稚児舞の起源は、寺伝によると戦国時代の動乱で上杉軍の兵火により寺院が焼失、33世秀運が再興した際、京都で稚児舞を学び、文禄年間に再興落慶法要の時に披露したのが始まりとされますが、この寺には石舞台があることから、大阪四天王寺の舞楽の流れを伝えていると考えられ、古風で素朴な舞です。
 また法福寺の境内には、県の天然記念物に指定されている、エドヒガンザクラの巨木があり、この桜の花盛りもちょうどこの観音会のころです。

3 岩峅寺(いわくらじ)の稚児舞

  富山県中新川郡立山町岩峅寺 雄山神社 11月3日
  立山町役場ホームページ
  http://www.town.tateyama.toyama.jp/movie/

 岩峅寺は、立山寺ともいわれ、霊峰立山の山頂の峰本社の雄山大神を奉じた古来天台系の修験の寺院でしたが、明治初年の廃仏毀釈の際に雄山神社となりました。

 ここで行われる稚児舞は、かつて4月8日の春祭に行われていたのですが、現在は、11月3日の秋祭に実施されています。
 稚児舞に先行して鉾立の行事があります。当日、岩峅寺公民館から雄山神社の拝殿まで、法螺貝の先導で各稚児が若衆の肩車にのって行列します。午前10時から祭式が行われ、続いて石舞台の上で稚児舞が行われます。

 稚児舞は、法螺貝2人、太鼓1人、笛6人、小稚児2人、大稚児2人で構成され、先ず道中楽から始まります。この道中楽は大稚児2人、小稚児2人が拝殿に向かう時の道中練りをさし、この時法螺貝が吹き鳴ると、稚児は一斉に錫杖を振り、かつての山の修験者としての雰囲気を高めます。次は矛の舞で、大稚児2人で舞い、太鼓と笛で進められます。
 舞が終わると、再び行列して岩峅寺公民館まで戻ります。

4 熊野神社の稚児舞

  富山県富山市婦中町中名(なかのみょう)851-1 熊野神社 8月25日
  富山市観光ガイド/イベント祭り
  http://www8.city.toyama.toyama.jp/kanko/

 稚児舞は、熊野神社の秋の大祭で、8月25日の祭りに仮設舞台で演じられます。
 この熊野神社は、もとは中名寺といい、舞台は立山(たてやま)に向かっているといいます。

 稚児は、8才から9才くらいの大稚児2人、小稚児2人の男子4人、ほかに笛5人、太鼓2人、獅子舞3人で構成されます。毎年2人の小稚児が新しく選ばれます。稚児は、近くの公民館から大人の肩車に乗って神社に向かい、舞が終わるまで土を踏みません。清らかで汚れのない稚児は、神や仏の役をになっています。神社に向かう行列は5本の道中旗を掲げ、神官が先導し、その後に大人の肩に乗った稚児、獅子が続きます。

 舞は、室町風の赤い衣装に身をつつみ、獅子が2曲舞った後、鉾の舞、賀古の舞、林歌の舞、蛭子の舞、小納曽利の舞、大納曽利の舞、陪臚の舞の7曲からなっています。

 この稚児舞は、天正13年(1585)ころ、村に病気が流行したとき村の有力者であった若林源左衛門が、熊野権現の祭祀が衰えているためという神託にがあり、それを治めようとして、当時の熊野社の神主・舟木丹後守と源左衛門が京都まで稚児舞を習いに出かけ、稚児舞を奉納したのが始まりといわれています。

5 下村加茂神社の稚児舞

  富山県射水市加茂中部 下村加茂神社 9月4日
  射水市ホームページ/観光振興課/祭事神事
  http://www7.city.imizu.toyama.jp/project/1504000/495/495_1.html

 この加茂神社は、古く京都の上賀茂神社、下鴨神社から勧請されたもので、京都加茂社の荘園、倉垣荘の中心といわれ、5月4日は流鏑馬で知られる「やんさんま祭り」、9月4日の秋祭りには「かっとんど」と呼ばれる稚児舞など多くの祭礼行事が伝承されています。
 この稚児舞は下鴨の賀茂御祖(みおや)神社から伝わったといわれています。

 稚児は大稚児2人、小稚児2人が村の9〜11才の男の子の中から選ばれます。
 稚児は、顔と手におしろいを塗り、額の中央と両頬に紅をつけ、午後1時に当番のお宅から、稚児披露として、稚児担ぎの肩車によって、4人の稚児が鉾とともに村内を巡行し、やがて神社へと向かいます。同時に神社では「御戸開きの儀」が行われています。行列が到着すると、修祓の後、拝殿に向かって仮設された舞台上で、午後2:00ころから「稚児舞」が奏演されます。

 舞は、矛の舞(小稚児2人)林歌の舞(大稚児2人)小奈曽利(こなそり)(小稚児2人)賀古(かこ)(大稚児2人)天の舞(大稚児1人)胡蝶の舞(大稚児2人・小稚児2人)大奈曽利(大稚児2人)蛭子の舞(小稚児2人)陪臚の舞(大稚児2人・小稚児2人)の9曲で、囃子方は、太鼓1人、笛3人で構成されています。

    

inserted by FC2 system