日本の祭り11

神子舞

 神子(みこ/巫女)は、神に仕えて神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって神託を告げる役割を持ち、ヒミコ(日巫女)や伊勢神宮の斎宮のように、本来は、信仰の中心的存在でした。
 しかし、意外に思われるかも知れませんが、現在の神道においては、正式な神職の中に神子(巫女)というというものは存在しません。神道の儀礼化とともに、神子の地位は奪い取られ、抹殺されてしまったのです。現在、神社においてはアシスタントやアルバイトとしか認識されない状態になってしまい、恐山のイタコや沖縄のユタのように民間巫女にその面影を残すのみとなっています。

 神楽は、本来、年の終わりに、神座(かみくら)に迎えた神の霊を採り物で舞う神子にかからせ、神の託宣を得て、神と人とがいっしょになって饗宴を繰りひろげ、衰えかけた生者の魂(たま)をふりおこして(タマフリ)、新しい年の幸と豊饒を乞い、祈るものです。
 漢字の「無」は、「何もない」の意味に使われていますが、「無(ない)」は「舞(まい)」から転じたもので、『神のために舞う時は、もう人間社会に対して何も借りが無い状態の意味から、「無い」の意味に使用されるようになった』といわれています。神に仕える神子(巫女)は、一切の邪念を払って、神の依り代として舞ったのです。

各地で行われている民間の神楽は、大きく三つの系統に分けられます。

[1] 湯立神楽

 伊勢・熊野・諏訪の山岳信仰の宗教者たちが、湯立による祈祷に主体を置き、神迎えして、湯釜を中心に激しい舞を舞い、来訪霊の鬼と問答したり、面影の舞を演じたりするものです。本州中部に分布し、奥三河(愛知県)の花祭りに代表されます。

[2] 獅子神楽

 本州中部から東部にかけて、権現と呼ばれる獅子頭を神座として祈祷や悪魔ばらいをして巡行した者たちがいました。伊勢太神楽や東北地方の修験者たちによる権現舞では、翁舞を含む古風な猿楽能が舞われます。山伏神楽・番楽や法印神楽に代表されるものです。

[3] 採り物神楽

 西日本では、中世後期以降、郷村の形成とともにその氏神の祭祀のほかに、血縁による小共同体の名(苗・みょう)の祖霊祭祀が神楽によって行われてきました。法者(ほうしゃ)などと呼ばれる祭司が村々の氏神の宮の脇に住みつき、神子(巫女・みこ)や男巫と組んで、弓神楽の家祈祷・死霊のしずめや、名の祖霊の祭りを行いました。採り物舞で神迎えして、神がかりの託宣を聞き、死霊の魂しずめ(タマシズメ)やさまざまな神霊を示現させて祝福の舞を舞わせたり、悪霊の鬼をはらわせたりする神楽能を演じます。

 吉谷神社の神子舞

 伊豆大島町元町 吉谷神社 正月十六日
 東京都大島町役場ホームページ/大島町の紹介/教育と文化/3
 http://www.town.oshima.tokyo.jp/outline/education_culture/index-03.html

 島の言葉で「ミコンジョーロ」と呼ばれる舞手の男の子がすごく奇麗です。一心に舞う少年の姿が、あまりに美しくいたいけなため、古い時代の人身御供の名残ではないかとも言われています。

 かつては7歳から10歳だったそうですが、現在は小学校高学年から中学校低学年までの男子から一人だけが選ばれます。

 祭りでは、村内を南北の二組に分けて年番、非年番として、年番の組が初めに神子を舞うことになっています。
 衣装は、正月15日の赤門(旧神主藤井家)での検分の時は紫ちりめん、16日の本祭りの時は、浅黄色のちりめんに金銀糸の鶴亀模様の刺繍を施した裾模様の振袖で、頭には色とりどりの糸や布で飾った花冠をのせ、お化粧してきらびやかな装束で舞います。

「千早ふる天の岩戸を押し開き、神楽をあげて舞いたまう」と歌頭(じがしら)が一人で長くひいて歌う厳かな調子の神楽謡が終わると、「タローソツコデショ」と声がかかり、畳一枚の真ん中に正座していた「神子」が立ち上がって、右手に鈴、左手に白扇を持ち、ゆっくりとした笛と太鼓のリズムで、静かな動きで舞われます。
 一回舞い終わるのに約五分、普通二回繰り返されます。
「神子舞」は「記紀」の天の岩戸の神事を擬したもので、氏神に、噴火を鎮め豊作と安全を祈願するものといわれます。

    

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